209:魔女と魔王と兎と
小一時間ほどゆったりしたところで、ようやく動けるようになった俺たちと冒険者パーティ七名は身支度を済ませて移動を開始した。脅威の排除は済んでいるはずだが、念のため俺とミルリルが先頭に立つ。殿軍に大剣持ちのケインと盾持ちの男性。女性陣を真ん中あたりに置くのは男性冒険者の気遣いだろう。まあ、ルイみたいな脳筋ガールであれば話は別なんだろうけど。
「……おい、これは何があったんだ」
「なんにもいない……」
既に排除の済んだ二階層は動くものもなく、しんと静まり返っている。遠くを逃げてゆく影が見えたが、俺に視認できるような距離ではない。ミルリルが撃とうとして、やめた。
「なに、あれ?」
「ゴブリンのようじゃな。こっちに気付くと死に物狂いで隠れよった。どんだけ怯えておるんじゃ」
「そりゃそうでしょうよ。仲間を皆殺しにされたら」
「「「「え」」」」
俺たちは傾斜路から一階層に上がって、出口に向かう。ここも、いまは魔獣も獣もいない。
「……あの、ターキフさん、皆殺しって……」
魔導師の女性が、おずおずと聞いてくる。このひと、引っ込み思案な印象を受けるタイプなんだけど好奇心には勝てない性格らしい。ミルリルさんがゴブリンと大岩熊を殲滅した話をしたら、冒険者全員からドン引かれた。
「それは、その……何体ほど?」
来るときは作業のように進めていたので数など数えていない。尋ねられたので、改めて収納のなかをざっと調べる。
「ゴブリンが二十……と、七体。大岩熊は五体」
「そん、なに」
「解体する暇なかったからそのまま持ち帰ったんだけど、要る?」
「要りません」
即答かい。やっぱこの魔導師さん、見た目はともかく性格はハッキリしとるっぽい。
「それはそうじゃ、どっちも食えんからのう」
「ミルさん、そういう問題じゃないです。冒険者として、他の人が、しかも命の恩人が倒した獲物を自分の物になんて、できません」
そういうもんか。おそらく社会的カテゴリーとしては常識人なのだろう魔導師さんの意見を聞いて、自分たちが世間知らずなのを自覚する。まあ、俺たちはギルドもダンジョンもない国の人間だしな。
「いや、でもさ。兎は分けようよ。なんぼなんでも多過ぎるし」
「そうじゃな、あれなら食えるしのう」
だからミルさん、そういう話ではないみたいですよ?
「なあ、多過ぎる……って、もしかして、この辺で無限湧きみたいになってた有角兎が一頭もいなくなってんのは……」
「わらわではないぞ、それはターキフじゃ」
「洞窟群狼も?」
「うむ、それもターキフじゃな。どちらも百やそこらは仕留めておったのう。ペフペフいう銀色のアレで、それは楽しそうに殺し回っておったわ」
あの、ミルリルさん。それ、なんか俺が快楽殺人者みたいに聞こえないですかね。殺した相手は、人じゃないけど。
「まさか、とは思うんじゃがな」
ドワーフのアルマンが、思い出したように尋ねてくる。
「こちらが戦闘中に、遠くで巨鬼のような咆哮が聞こえておったんじゃが、あれは……」
「ああ、それはミルが殺した」
「「「「……」」」」
「わらわは、たったの三体じゃ」
冒険者たちは涙目になって視線を泳がせる。自分たちが殺されかけた相手を皆殺しにしたと聞いて、どういうリアクションを取ったらいいのかわからないんだろう。
「気にしないでいいよ。ミルリルは、ほら……特別だから」
「「「「ターキフさんもですよ!」」」」
「へ?」
女性陣からの総ツッコミを受けて、俺は思わず背筋を伸ばす。
「なあ、ターキフ……さん。自覚がないようだから教えておくけど、有角兎や洞窟群狼は、三頭以上の群れだと三級パーティでなんとか倒せる限界の強さなんだよ」
「そん、なに」
ケインの説明を聞いて、今度は俺が驚く番だった。アイヴァンさんから事前に聞いた情報より少し脅威度が高い。四級パーティでも討伐できるっていってたけど、おそらく衛兵隊は精鋭なので一般人から見ると想定する基準値が高いのだろう。
「思ったより危ない相手だったんだな」
「そうだよ。今回みたいな魔獣の大量発生がないときでも、けっこうダンジョンで冒険者は死んでる」
「その通りじゃ。見た目で油断させられるのか、冒険者を最も多く殺しているのは、有角兎だっていう通説もあるんじゃ」
ケインとアルマンの説明を聞きながら、俺も気を抜かないようにしようと肝に銘じる。魔王が兎に殺されるとか、さすがにカッコ悪い。
「わふ」
ダンジョン出口でモフの吠える声がして、冒険者たちは一斉に武器を構える。
「おお、武器を仕舞ってくれんか。あれはわらわたちの連れで、白雪狼のモフじゃ。迎えに来てくれたのであろう」
「わふん」
妖獣とはいえ、まだ幼いモフが笑顔でブンブンと尻尾を振っているのを見て、冒険者たちは警戒を解く。
「可愛い……」
「白雪狼、わたし初めて見ました」
「わふ?」
モフは女性陣に撫で回されてご満悦である。ちゃんと相手を見ているのか疲労状態を気遣ってか、ルイにするように顔を舐め回して魔力補給したりはしない。
「モフ、この女子たちを町まで乗せてくれるかのう?」
「わふん」
ダンジョン出口からサルズの町まではニ哩ほど。雪のなかをゆっくり歩いても一時間と掛からない。魔獣や野生動物はダンジョンの外にまで出てはいなかったようだ。帰還は順調に進んで、暗くなるより前に、俺たちは城門前までたどり着いた。
「これはこれは、魔王陛下」
「え?」
ビックリするくらいの棒読みで、城壁の上から声を掛けてきたのは“サルズの魔女”ことギルドマスターのエクラさん。こちらが身構える間もなく、ひらりと飛び降りて俺たちの前に立った。ヤバい、逃げそびれた。
「お早いお帰りで」
「ただいま、戻りました。ええと……魔獣の大量発生は、思ったより……被害が少なくて、済んだようでしゅ」
緊張して思っ切り噛んでしまった。最強魔導師の彼女がサルズ防衛のために出張っているのは知っていたけど、まさか直々にお出迎えを受けるとは思っていなかったのだ。
「それはそれは、ご無事でなによりです。我がサルズの冒険者たちを救っていただいたようで、冒険者ギルドの長として深く感謝いたします」
「そ、そんなに畏まっていわれなくても、ええと……ほら、サルズに暮らすものとして当然の義務を果たしたまで、です?」
慇懃コメント返しをしようとしたが、俺では年季が足りなかったようだ。咄嗟に流そうとしてグダグダになってしまった。妙な威厳というか迫力があるので、ふつうに会話してるだけなのに背中に冷や汗がダラダラ流れる。
すんと小さく鼻を鳴らすエクラさん。視線が冒険者たちに向いて、少しだけ細められる。彼らの健康状態を読んで、何かを察したように頷く。だから、怖いっつうの。これは、さっさと帰ってこないでドラゴン肉パーティやってたのを勘付かれたような気がする。やむを得ない状況だったんだけどな。
「これ、つ、つまらないものですが、良かったら皆さんでどうぞ」
根が小市民な俺は、少しくらい媚びておこうと獲れたての有角兎を詰所の前に積んでゆく。真冬の野外だから、ほとんど冷蔵庫みたいなもんだろ。暖を取るための焚き火で、炙って食うがよろしい。誰が解体すんのかは知らんけどな。
「……ほう、これは素晴らしいものを。ありがたく、いただきます」
だから、いちいち含みありげなコメントが怖いねん! 魔女の姐さん思っクソ射入孔チェックしてはるやん! たぶん解体して弾頭回収して武器の性質まで調べはるやないの! 失敗したわ!
微妙な空気を察して、パーティのリーダーであるケインが挨拶のためにやってくる。
「ターキフさん、本当にありがとうございました。俺たちは、ここで失礼します」
「おう、お疲れさん。みんな、よく頑張った。これ、お土産ね」
遠慮しようとする冒険者たちに、ひとり一体ずつ無理くり有角兎を押し付ける。
「まあまあ、食うなり売るなり好きにしていいから。それじゃ、今日はゆっくり休んで」
「はい、ありがとうございました」
素直で真面目なええ子たちや。サルズの未来も明るいな。ちょうどいいタイミングだから、どさくさで俺たちも脱出しよう。
「では、エクラさん、わたしたちもこれで」
「ああ、魔王陛下。また後で」
俺は引き攣った顔で頭を下げる。後なんてないです。いや本当、わしらのことは、そっとしておいて。頼むから。
◇ ◇
冒険者ギルドのカウンターには、いつものハルさんが待ち構えていた。
「お帰りなさい、魔王陛下」
「ターキフ、でお願いします。魔王業はオフなので。バカンス中なんです」
「ターキフ、また訳の分からん単語が出ておるのじゃ。それでは通じん」
「おふ? ばかんす?」
そこか。
「つまり……冬の間は、共和国で休暇を過ごしているんです。魔王としてのお仕事は、春から。国に帰るまでは“商人で冒険者のターキフ”として、ゆっくりしようかと」
「ふふ、ご冗談を」
うわ、ハルさんムッチャ直球で打ち返してきた。なに、魔女の部下になるとあの性格も感染すんのか。
「救助依頼の終了と、素材の買い取りを頼むのじゃ」
怒涛のスルースキルで、カウンターをノックするミルリルさん。素材買い取り用のカウンターは事務手続きカウンターの反対側、入り口から遠い裏手への通路脇にあるんだけど、いまは担当者がいないようだ。
「依頼完遂は、先ほど確認しました。報酬は臨時手当を乗せるよう衛兵隊から聞いています」
ゴシャリと、皮袋に入った金貨が渡される。
「素材買い取りは、お手数ですが奥の解体倉庫まで持ち込みをお願いできますか?」
「……ほう? さすがアイヴァンじゃな」
俺には何の話かイマイチわかってなかったが、ハルさんは笑顔でミルリルと頷き合う。
「はい。“買い取りカウンターになんて、ぜってぇ載るわけねえから”だそうです」




