205:隠れた逸材
商業ギルドの新任ギルドマスター、イノスさんに案内されて二度目の商業ギルド訪問。今度は王道テンプレ、二階ギルマス室へのご案内である。商人としてではないけどな。
「ケルグさん、お茶の用意をお願いできますか」
「はい」
イノスさんの指示に、お婆ちゃん職員ケルグさんが振り返る。彼女は近くにいた男性職員に書類を渡して短く指示を与え、カウンターから離れた。前回は気付かなかった……というか、お茶汲み的なポジションのアシスタントさんかと思っていたんだけど、実はかなり頼りにされている人材のようだ。入口のところで少し観察していただけでも、ひとりだけ動線が複雑な上に重複が少ないのだ。秘書ポジションのひとか?
「茶菓子は結構です。それと、お茶は四人分で」
まだ思い付きでしかないが、商談の前交渉でもしてみよう。
給湯室なのか奥のドアに向かいかけていたケルグさんは、俺とのアイコンタクトだけでわずかに微笑みながら頷いた。なんか、通じた風。
俺たちはギルドマスターの部屋に通され、ソファで向かい合う。部屋の作り自体は冒険者ギルドのギルマス部屋とほぼ一緒だけど、置かれた家具や調度品が少し高価そうで凝ったものになっている。
「さて、お話の前にお詫びとお礼を……」
「要らぬ」
ミルさん、バッサリ切りますね。
イノスさんは話の出鼻を挫かれて、固まってしまった。交渉の経験浅いうちは、段取り潰されるとグダるんだよね。再起動までの時間が(商業的な)生き死にを分けることもあるのだが、見た感じアドリブは弱そうだ。
そんなイノスさんに、ミルリルは畳み掛ける。
「あの件に、おぬしは関わっておったのか?」
「いえ、ですが商業ギルドの実務を統括する立場として責任が……」
「それはギルドの関係者や、商取引をしておった相手に対してであろう。わらわたちは、おぬしに詫びられる理由はないし、礼をいわれる義理もない。お互いに、じゃ。貸しも借りもないところからでなければ、付き合いを始める気にはならんのう?」
ツンデレ気味ではあるが、寛大な提案だ。できれば俺もそうしてもらいたい。イノスさんの視線に頷くと、彼は苦笑して肩の力を抜いた。
「わかりました」
悪い人ではなさそうだが、非常事態とはいえギルドマスターとしてやってくには、まだ線が細い感じがする。元はイケメン細マッチョだったのに、現在は顔に疲れが見える。身体もやつれて萎み気味である。ここからストレスで太りだすかもな。引退した運動選手みたいに。実は痩せ始めるよりはマシなんだけどさ。
ノックの音がして、イノスさんが応える。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
お茶のポットとカップをトレイに載せて、ケルグさんが入ってきた。静かで理知的で背筋が伸びていて、図書館の司書でも務めているのが似合いそうな老女に、俺は少し興味があった。お茶を淹れ終えたところで、空いた席を示す。
「少し伺いたいことがありますので、お座りください」
ケルグさんはトレイを置いてソファの対面、イノスさんの下座に腰掛けた。
「このギルドに職員は何人います?」
「わたくしとギルドマスターを含めて、男性十一名、女性七名です、魔王陛下、妃陛下」
早いな。そしてこちらの素性も当然知ってる。さらに、頭のなかで既に何かの検討を始めている。こちらの提案を推測して人員の割り振りと適材適所を想定しているのかもしれない。タイプは違うが、“サルズの魔女”エクラさんに似た正体不明の盤石感がある。
「ターキフとお呼びください。妻はミルと」
「いま魔王は休業中なのでのう」
同意を得たところで、テーブルに段ボール箱を四つほど出す。箱のうちふたつはイノスさんの前に。ふたつはケルグさんの前に。前回、収納を見ていなかったらしいケルグさんが静かに目を見開いた。
「魔王陛下、これは……」
イノスさんはすぐに箱へと手を伸ばすが、ケルグさんは逆に少し身を引いてこちらの出方を待つ。なんというか、戦場ですぐ死ぬ新兵と生き延びる古兵の差を見るようだ。
「まだ構想段階でしかないことを最初に伝えしておきますが、春までに流通網の整備と商取引の契約締結ができないかと考えています」
「それは、共和国と魔王領で?」
イノスさんのコメントに俺は首を振る。だったら、ここで話は出さない。ケルグさんが、少し視線を落とした。
「共和国南領と、ケースマイアンとの間で、です。本来は首都ハーグワイ、もしくは領府ラファンと行うのが筋でしょうが、いささか玄関口として遠い。少なくとも最初はサルズとの間で行いたいと思っています。貿易の合意が得られれば、ですが」
「「……なるほど」」
ふむ。ふたりは奇しくも同じ言葉を発したが、目の動きがずいぶんと違う。イノスさんは左右に振れ、ケルグさんは左上わずかに思案するような視線。やはりイノスさんよりもケルグさんの方が、早く具体的な交渉や作業の検討に入っている。もしかして、ギルドの実務を取り仕切ってるのはケルグさんだったりする?
軍隊でいえばイノスさんは若い新任将校で、ケルグさんは百戦錬磨の曹長といったところだ。資質の優劣ではなく、経験の差がある。
「まあ、すぐに何かが動くわけでもないでしょうから、今日はただのご挨拶です。そちらは商材のサンプルですので、みなさんで分けてご賞味ください。お代は結構ですが、感想はいただけると助かります」
箱を開けようとしていたイノスさんの手が止まる。
「賞味、ということは食材をお考えですか」
「そうするべきだと思うがのう」
ミルリルの言葉にケルグさんが、次いでイノスさんが頷く。ギルドマスターは、イマイチ理解していないかも。俺がそう感じたことは察したらしく、イノスさんは自分の推論を出してきた。
「最初は小規模な消費財の取引で、市場傾向を探るということですね?」
「それもあります」
間違いではないのだが、食品を前面に出したのは少し違う。ケルグさんが、控えめにフォローに回る。
「まずは軍事転用しにくい、既存市場を侵食しない物、という方が正しいかと」
イノスさんが、怪訝そうな顔でケルグさんを見る。
「こちらの箱から、小麦と香料の甘い香りがしています。これは菓子類ですね」
「はい。それと、衣料用の布地を少し」
虫織と呼ばれる、絹に似た布地だ。暗黒の森で採取されるそれは希少価値が高く、かつてケースマイアンが王国経済圏に接していた頃には高額で取引されていたそうな。
「素晴らしいお考えです。嗜好品を中心にすることで魔王領を親しみやすく印象付けられますし、生活必需品ではないので既存市場への影響も少ないはずです。もしかして、そちらは酒類ですか」
イノスさんの前に置かれた段ボールの中身を、ケルグさんは開ける前に当てた。
「ご明察です。こちらではあまり出回っていない蒸留酒、かなりキツい酒です」
「それも、既存市場を潰さない配慮ですか」
「はい。菓子類も、虫蜜や小麦や果物などの原料は共和国から輸入したいと思っています。塩や根菜類の供給があると助かりますし、将来的には海産物も欲しいですね」
サイモンから買ったものを共和国に流す、というのでは利益が俺に集中するだけで未来がない。俺は共和国から原材料を輸入して、加工貿易ができないかと思っている。ケースマイアンで塩は生産できないし、食材もほとんどが狩猟採集頼みだ。いまはいいが、人口が増えると供給が間に合わなくなる。領地が狭いので小麦の生産にも限界がある。王国から仕入れてもいいんだけど、供給先を一箇所に集中させたくはない。
あとは……葡萄酒を熟成前の若い段階で輸入するとか? ブランデーの製法は知らんけど、そこはケースマイアンの知識層に丸投げ責任放棄しよう。
「輸送はこちらで行います。行く行くは、民間定期航路の整備も」
「“うぃんうぃ〜ん”、だったかのう。双方に利があり幸せになる魔王の方策じゃ」
ミルさんにそんな話したっけ? 覚えてはない上に発音がなんか違う気がするけど、頷いておく。
「領主様がベタ褒めしていただけのことはありますね」
テーブルの真ん中の空いたスペースに大皿を置き、ケースマイアンで試作した菓子類を並べる。
「こちらが庶民用のお安い焼き菓子です。こちらは少し豪華なハレの日用。そして、高額で贅沢な富裕層向け高級菓子」
ケースマイアンの女性陣が作り出した新作だ。サイモンのところから調達したお菓子のアレンジもあれば、ケースマイアンに伝わるオリジナルレシピによるものもある。素朴な味わいから贅沢な芸術品みたいのまで様々。どれもそれぞれに魅力的で素晴らしく美味い。あとは共和国の市場にどこまで訴求するかだ。
まだケイソンさん家とその周辺のオバちゃんたちくらいしかリサーチしていない。お土産ならともかく金払う前提となれば評価基準が高くなるのだから……
「ほぅ……」
小さな吐息を聞いて目をやると、ケルグさんが頷いているのが見えた。厳しい目で吟味しているが、商品価値はあると認めてくれたのだろう。俺は第一段階での成功を確信した。




