204:サルズの商人
「美味しかった……」
俺たちは久しぶりに“狼の尻尾亭”の作り立て朝食を堪能して、食後のお茶を楽しむ。
「うむ。出先で食べたものも美味さは落ちておらんかったが、やはり出来立ては格別じゃな」
今日はパンが甘くないフレンチトーストみたいな感じになってた。ふわっと柔らかくボリュームがあって薫製肉と根菜の入った酸味のあるソースが掛かっていて、どこかオムライス調のそれは何故かすごくホンワカする味。ちょっとしたお祝いに出す料理さ、なんて笑う女将さんは無事に戻ってきたのを喜んでくれてるのかと嬉しくなる。
昨夜の食事も、実に素晴らしかった。薄く広く叩いた肉に衣を付けて風味の良い油でカリカリに揚げた、ウィンナシュニッツェル的な主菜。グレービーソースっぽいものが掛かっていて、付け合わせはフライドポテトっぽい揚げた根菜。色とりどりの根菜と魚介を煮込んだスープには貝殻状のパスタが入っていて、沁み渡る美味さ。女将ホント何人だ。
ちなみに別料金の部分も、今後は領主持ちだそうな。さすがマッキン領主、小太りだけに太っ腹である。まあ、それだけ俺たちを手元に置きたいと思っているんだろうけど。
「三人だけど、入れるかな」
「奥を片付けるから、少しだけ待っておくれ」
前までお客はまばらだったのに、食堂はずいぶん繁盛している。昨夜もそうだったが、泊まり客という感じではなく、食事利用のお客さんが引っ切りなしに出入りしている。
女将のサンドラさんは愛想が良くて料理上手だから、みんな満足そうに食べているのだけれども、なんかこう……違和感があった。
「どうしたんじゃ」
「ここのお客さんの傾向。どっかで見たような……」
「なんじゃ、まだ気付いておらんかったのか。商業ギルドにおった者たちじゃ」
「は?」
「全員ではないが、覚えのある者が最初に店に入ってくるところを見ると、ギルド所属の商人たちがここを愛用するようになったのではないかのう」
「……それって」
「いうまでもなかろうが、原因はおぬしじゃ」
また⁉︎ いや、俺もう関係なくない⁉︎ 静かに暮らしていこうと思ってただけなのに⁉︎
「サルズを騒がせローゼスを滅ぼし領府と首都を救った英雄じゃからの。情報収集は商人の基本じゃ。商機を見たか繋ぎを求めたか知らんが、その定宿を知って出入りするようになったのではないかのう」
「えー」
「なに、別に悪いことではなかろう。我らが定宿“狼の尻尾亭”が繁盛するだけのことじゃ。誰も困らんし、不幸にもならん。女将が大変とはいえ楽しそうじゃし、それも続けば人手を増やすであろう」
まあ、ね。いまのところ女将さんが切り盛りして、食事時だけ手伝いの女の子と中年女性が入ってる。ふたりとも顔がちょっと女将さんに似てるとこからして親戚か何かかな。
「でもミルリル、よく気付いたね」
「観察は技術者の基本じゃ」
なるほど。しかし、いまのところお客さんは特にこちらをチラチラ見たり接触してきたりってことはない。なんだか普通に食堂を愛用している感じなんだけど。というか俺に気付いてないようにすら見える。
「わらわたちの顔を知っておるのは、なんだかいうギルドマスター代行と近くにいた数人だけじゃ。いまはのう」
「顔が知られたら、落ち着いて食事できなくなる?」
「その程度の気遣いもできんような奴が商人としてやっていけるとも思えんが、そのときは対処するまでじゃ。問題なかろう」
朝食を済ませると、特に用もないのでサルズの町を回って見ることにした。結局、商業ギルドと冒険者ギルドの他には商業区を少し回っただけでサルズのことは何も知らないのだ。あと、カルモンの家があった平民区の外れを通ったくらいか。
商業区の店は平常営業で、午前中は書き入れ時なのか、なかなか活気がある。
「買いたい物があればいってね」
「特にないが、あの虫蜜……前におぬしが似たようなものを仕入れておらんかったか?」
「ハチミツね。うん、俺のいたところでは糖類はそんなに高価なものではないし。ハチミツも砂糖もお菓子作りに使うだろうと思ってケースマイアンに置いてきたけど、すぐ仕入れられるよ」
「それは……考えもんじゃの」
そう。差額で大儲け、というのも可能なのだが、こちらのビジネスを潰してしまう。簡単に。そして、虫蜜の生産業が立ち行かなくなった後で俺が手を引けば、糖類の供給自体が絶えるのだ。それは糖蜜に限らない。
「カネには困ってないんだから、代替可能な物はむしろこちらの市場から買うべきだと思うんだよね」
「金貨の流出の話じゃな?」
「それだけじゃなくて、この社会の一部として生きていくなら、奪い受け取るだけじゃダメなんだよ。カネは血の流れみたいなもんだから、俺たちが持っているものも注がないと、循環せずに全体が弱っちゃう。結果的には、自分たちの利益にもならない」
俺たちは、身を守るためとはいえ、多くを殺し過ぎたし、奪い過ぎた。このまま無自覚に続けると、王国が死んだみたいに、共和国も死にかねない。ケースマイアンさえ安泰なら他はどうでもいい、という考えでは大陸に破綻国家が増えて、亜人の楽園からも長期的な未来を失くしてしまう。
「そこまで考えておったとはのう。わらわには見えておらん道理じゃ。やはりおぬしは、商人なのかもしれんのう」
しれん、ではなく商人ですよミルさん。魔王業がパートタイムなだけで。
俺たちは屋台で串焼きを買い、あちこち商店を見て回る。
「こぇは、うまひの」
ミルさんがハフハフいいながら齧っているのは、小さな丸い揚げパンを串に刺して虫蜜を掛けたもの。虫蜜を扱う商店が宣伝を兼ねて屋台を出しているようだ。
「甘いだろ、うちの虫蜜は香りも良いんだ」
「へえ、それじゃ壺でふたつもらおうかな」
金貨八枚を持ってるようには見えなかったのか支払いを心配されたが、金貨を見せると七枚に負けてくれた。サルズ近郊の名産というから、ケースマイアンとラファンのお土産にしよう。
次に食べたのは魚をツミレ団子にした串焼き。肉はわかるが魚肉ミンチは珍しい。干物の魚肉では作れないので、鮮魚が安く供給されていなければ不可能なのだ。
「この串焼き、すごく美味いんだけど、魚ってどうやって運んだの?」
俺は魚屋の店先でミンチをこねてたオバちゃんに尋ねた。サルズは海から直線距離で二百キロほどある。冬場に移動する商人は少ないし、いても輸送費は高額になる。そのくらいの話は理解してくれたらしく、オバちゃんは笑って教えてくれた。
「ああ、それは“魔女の湖”の牙魚だよ」
魔女……エクラ女史が魔法で作り出した人造湖か。モフの母親が亡くなった頃、つうから最近のことだろうに、もう魚いるのね。
「これが牙魚とはのう……なるほど、こんなに美味いのじゃな」
ツミレをモムモムと頬張りながら、ミルリルが感心した顔で頷く。
「ミルさん知ってるの」
「知ってるも何も、水路におった、あれじゃ」
「……え」
それは、蛟じゃない方の、“人食い魚”ですか。水に入った人間の、足の肉を食いちぎってくとかいう、シャケくらいの。
「“魔女の湖”の牙魚は、どれも丸々太ってて美味いんだよ」
たしかに美味いけど、その丸々太った栄養源が何かを考えると複雑な心境。たぶん近隣の野生動物とかだな。うん。詳しくは訊かんとこ。
ぷらぷら歩いて商店を冷やかしているうちに、通りの向こうに船の看板が見えてきた。あんまり寄りたくないので、さりげなくUターン、と。
「商業ギルドは、えらいことになったと聞いたが、そろそろ落ち着いた頃かのう……」
「……まだです」
「うぉう⁉︎」
振り返ると、どんよりした表情の男性が、こちらを見てペコリと頭を下げる。手に書類入れみたいなものを持っているところからすると、なにか公務の帰りか。
「えーと、商業ギルドのギルドマスター代行……」
「はい、イノスです。繰り上げでギルドマスターになりました」
「それはそれは、おめで……たくは、ないですかね?」
「ええ。さすがに上司が刑死となると、祝う気にはなれません。ですが、商業ギルドの悪弊と病巣を除去することができたのは、魔王陛下と妃陛下のおかげです」
「……あ、それもバレたんだ」
「それはそうです、領主様が大々的に喧伝してますから」
ああ、もう……あの小太り領主、払ったカネの分は利用する気だな。
「立ち話もなんですから、ギルドでお茶でもいかがですか」
「あ、ええと……」
「ご心配なく、恨み言などありませんし、おふたりへの勧誘も控えます」
ここで知らぬ存ぜぬと突き放すには、俺たちは関与しすぎた。こっちが悪いわけじゃないにしても、だ。ええ加減、歩き疲れたこともあって、俺たちはイノスさんの誘いに乗ることにした。




