201:喪失と再生
昨夜の“シーサーペント昇天祭(ミルリル命名)”は、大盛況のうちに幕を閉じた。俺たちは深夜になる前に退散したのだが、飲兵衛たちは冬だというのに明け方まで盛り上がったのだそうな。
「大丈夫か、凍死者とか出なかったのか?」
「おう、ターキフの火酒(蒸留酒)があったからな。あれ飲むと寒さなんて感じねえ」
そういう問題じゃねえ。お前らロシア人か。
ティグとルイがケイソンさん家に帰り着いたのは、トリンさんルフィアさんたちが朝食の支度を始める頃だったというから呆れる。
“吶喊”のなかでも常識人なコロンとマケインとエイノさんは俺たちと同じような時間に帰宅、泊めてもらったお礼に早起きして船の整備やら網の修理、朝食の支度を手伝ったりしていたのだ。
「シーサーペント、美味しかったねえ?」
「そうねえ」
カルモンの娘さんノーラちゃんがお手伝いをしながらルフィアさんと笑い合う。全部の部位を試そうとしてあれこれ回ったそうだが、あまりに多過ぎて途中でギブアップしたようだ。オーエンズ率いる凄腕料理人チームの腕もあって、ちょっとした鯨くらいある大量の肉は百近い種類の絶品料理に化けた。
そら十一歳の女の子には食い切れんわな。俺でも七品くらい試したところで入らなくなったし。
「そうだね。ほっぺたが落ちそうってのは、ああいうことをいうんだろうねえ。しかし、昨夜だけで普段の一年分くらいの肉を食べた気がするよ」
カルモンの母トリンさんも笑う。
「そういや、ターキフさんは、やっぱり今日サルズに戻るのかい?」
「はい。でも、またお邪魔しますよ。馬橇よりずっと速い乗り物が手に入ったんで、次からは半日で来れそうです」
「サルズから半日かい。夏場の早馬でも、もう少し掛かるけどね」
「そっちは、どうするんだっけ?」
ティグとルイは轟沈しているが、残る三人に“吶喊”の今後を尋ねる。
「俺たちは、しばらくラファンを拠点にしようかと思ってる。昨夜、南領主様に誘われたんだ」
マケインの言葉に、エイノさんとコロンも頷く。
「おお、それは良いのう。マッキン殿なら無体な扱いもするまい。おぬしら、大出世じゃな」
「いや、ターキフとミルのおかげだよ。領主の護衛任務を完遂したってことで、ラファンの冒険者ギルドから一級パーティの認定も出た。今後も指名依頼を出したいから、できればラファンに留まって欲しいってさ」
ハーフドワーフのコロンが、はにかんだようにいう。俺とミルリルは三人の背中を叩いて喜びを分かち合う……んだけど、ミルリルさん叩くの強いって。コロンの背中が反り返ってる。
「そうと決まれば、家でも買ったらどうじゃ?」
「そうそう、いまじゃ懐も暖かいどころの話じゃないだろ」
俺が笑いかけると、三人は気不味そうに顔を見合わせる。なんだ、どうした。こっちの家なんて、そんな何億円もせんだろ。
「……ああ、あのさターキフ。その話なんだけど」
「そうです、いくらなんでも、あれは……」
「もらい過ぎじゃないか?」
“吶喊”の三人は土間の隅に積まれた大樽を見る。遠征前に渡したカルモンとケイソンさんの分はなんとか部屋に入れたようだけど、残る全員分を室内に積み始めたところで床板がミシミシいい始めたので土間に移したのだ。数が多いので嵩張ることこの上ない。そこそこ広い玄関口を塞いでいて、完全に出入りの邪魔である。
「そうはいうがのう」
「みんなの協力あってのことだし、俺が着服するのも違うだろ。それなりに加減したつもりなんだけどな」
「「「あれで⁉︎」」」
ハモるな。つうか、分け前としては順当な線だと思うんだけど。こちらの都合で(そして一般庶民には利便性で銀貨が最適と聞いたので)金貨以外での配分が多いけどな。
銀貨と銅貨が百二十リットル入り大樽ひとつずつに、金貨と貴金属の盛り合わせが五リットル入り小樽にひとつずつ。それが掛けることの人数分で、大樽十。カルモン父子に金貨は渡しそびれてたので、小樽は十二だ。玄関は、もう人ひとり通れるくらいの隙間しかない。
ついでに、中央領の衛兵には使いにくそうなので提供しなかった癖のある武器類が大樽にふたつほど。装飾付きの大剣やら呪われそうな豪槍やら魔珠が鈴生りの魔術杖やらが傘立てのようにぞんざいに突っ込んである。絡み合うシーサーペントをモチーフにした趣味の悪い大弓もだ。
「……どうすんの、これ」
「知らん。剣やら槍やら、わらわたちは使わんしのう。おぬしらも不要であれば売るが良い」
「そういう話じゃなくて……」
わかる。わかるぞ。その、モヤッとする感じ。
元の暮らしが貧乏だと、大金もらって嬉しいって素直に思えるのは十万円、せいぜい百万円くらいまでなんだよね。
「なに、大き過ぎる金や評価は呪いみたいなもんじゃ。望むと望まざるとにかかわらずくっついてきよる。わらわたちも通ってきた道じゃ、存分に味わうが良いぞ」
面白そうな顔で笑って、ミルリルさんはまたバシバシと背中を叩く。今度は巨漢マケインが犠牲になって背中を反り返らせた。細身の女性であるエイノさんにはやらないだけ気を使っているのかもしれない。
「では、世話になったの」
「ミル姉ちゃんたち、行っちゃうの?」
朝食後、外にホバークラフトを出すとノーラちゃんがミルリルの裾にすがりつく。名残惜しいが、いつまでもラファンにいるのも、なんとなく違う気がするのだ。
「いっぺん戻るけど、また今度お魚を買いに来るよ」
「本当に?」
「うむ、そうじゃ。ターキフは魚が好きじゃが、今回はゆっくり市場を回る暇もなかったのでのう。ノーラが良い子にしておったら、山ほど土産を持ってくるぞ?」
「……うん、待ってる。そのときは、モフもいっしょ?」
「無論じゃ」
「わふ!」
帰路の車内に乗り込むのは、俺とミルリル、そしてモフだけだ。けっこう狭いと思っていた車内が、えらくスカスカで寂しい。
「ありがとね、ターキフさん」
「トリンさんルフィアさん、お世話になりました。また来ますから、身体に気を付けて。ケイソンさんも、船を持ったからって、あまり無理しないように」
「俺が付いてるから大丈夫だよ」
「カルモン……の場合は、まだケイソンさんの方が頼りになりそうなんだよなあ」
「ひでえ」
カルモンとケイソンさん一家、“吶喊”の全員が揃って笑いながら手を振ってくれる。
「あら、大きな船だねえ」
「このクルクルで陸も進めるんだって」
賑やかな声に振り返ると、来たときに挨拶したオバちゃんお婆ちゃんたちだ。土産にと野菜と魚を持ってきてくれていた。田舎の人情である。
「ターキフさん、またおいでよ」
「ありがとね。あんたたちが獲ってきたシーサーペント、とっても美味しかったよ」
「婆ちゃんたちも、元気で。また来ますから」
推進ファンが雪を跳ね上げるので、少し離れてもらう。エンジンが掛かると、声は掻き消されて聞こえなくなった。スロットルを開いて、俺たちはラファンを後にする。するすると動き出したホバークラフトは速度を上げて雪原を突き進む。雪煙の向こうに霞んでいたみんなの影が小さくなって、やがて見えなくなった。
しばらく窓から後ろに目をやっていたミルリルが、助手席に座って溜息を吐く。
「なんじゃ……この胸の奥がチクチクする感じは。……家族や仲間と離れて、王国に向かったとき以来じゃ。……長いこと、忘れておったわ」
「そうだな。俺のいたところでは、その気持ちをホームシックって呼んでたな」
「ほーむしっく?」
「なんていうか……故郷を離れてしまった人間が掛かる、軽い心の病気みたいなものかな」
「ヨシュアも、掛かったことがあるのじゃな?」
「そうだな。まだ純真だった頃には、だけど」
寂しいとか、切ないとか、ほとんど感じなくなってどのくらい経つだろ。少なくとも社畜時代には、全くなかった。
実はいまも、それほど辛くは感じない。ミルリルの気持ちを、頭では理解しているつもりだけど。
「いまは、平気なのじゃな。どうしたら、そうなれるんじゃ」
「俺みたいになる必要はないよ。ただ……そうやって胸が苦しくなるのは、たぶん自分が、いるべき場所にいないんじゃないか、本当の居場所はここではないんじゃないのか、って気持ちがあるからだと思う」
ほう、とミルリルは吐息を漏らす。
「……なるほどの。それでわかったわ。ケースマイアンを出たときには、こんな苦しい思いをせんかったのが不思議だったんじゃ」
「ん?」
「あのときはむしろ、己がいるべきところ、あるべき場所に向かうと、思うておったからじゃな。……ふむ。そう考えると、急に楽になったのじゃ」
ミルリルは、晴れやかな顔で笑う。彼女の心が、俺に寄り添うのを感じた。
「……そだな。俺はね、ミルリル。お前がいてくれたら、それでいい。どこだって構わない」
操縦する俺の手を、小さな掌が包む。
「そうじゃな。もう気に病むことなど、何ひとつない。……ここが、わらわの居場所じゃ」




