182:瞬く光
雪を蹴立てて驀進するホバークラフトの屋根に腰掛けて、ミルリルさんは興奮した笑い声を上げる。
「ターキフ、こやつは本当に素晴らしいのう! 速くて自由で力強く頼もしい、何もかも良いことづくめではないか! なぜこれがおぬしのいたところの戦場を席巻せんのか、わらわにはサッパリ……」
いろんな運用やら技術の発展系を頭に思い浮かべていたのだろう。大興奮状態になっていたミルリルさんだが、何かに気付いて急速にトーンダウンした。
「……いや。わかったのじゃ」
「わかりましたか、さすがミル姉さん」
「褒められるほどのことではないわ。おそらく、この“なんやらふらふと”は、燃料をバカ食いするのであろう?」
「ホバークラフトね。でも正解。たぶんトラックの何倍も消費する。消費量だけでいえば戦車もかなりの大食いだけど、こいつの場合は止まってても浮くのに燃料を食うからな」
走っても止まってもアイドリング状態でも燃料消費が激しいのだ。俺は後部座席の最後方に固定された金属製の増槽を指す。
「後ろに積んである金属の樽みたいのが、追加された予備燃料タンクだ。あれがないと、中央領まで往復できない」
マニュアルはないのでサイモンからの伝聞だが、メインの燃料タンクは千五百リットルほど。追加の予備タンクは千リットル。
片道四百キロメートルほどの中央領まで行くとしたら、メインタンクだけだと不安が残る。低速低回転でのエコ運転に徹してなんとか往復できるかどうか、らしい。
「行って帰るだけなら千五百でも十分だろうが、向こうでは荒事が待ってるんだろ?」
というのがサイモンの意見だ。ちなみにこいつ、フル加速やら戦闘機動だとリッター1キロメートル以下だそうな。そら増槽も必要になるわけだ。
「こんだけブンブンガーガーと常に大騒ぎしておらんと浮くこともできん代物ではの。その分、利点も大きいのじゃ。対価が必要なのは仕方あるまい」
ハイリスク&ハイコストで達成した挑戦に一定の理解を示すのは、技術者としての視点か。
「俺のいた国だと“出来の悪い子ほど愛着が湧く”というけどね」
「そこまでは思わんがのう。美味い話や夢のような現象を見たら、なんぞ裏があると考えるのが技術者というものじゃ。その点、“ほばーくらふと”は発想も成した結果も見事じゃ。小さな問題を責めるのは酷であろう?」
「そうかもしれないけどね。俺のいた世界だと、こんな鈍足の乗り物は的にしかならないし、戦車でも一発で粉微塵にするような武器が大量にあるんだよ。もっと速いのとか、もっと頑丈で強いのとか、もっと安くて大量に供給できるのとか、無数の選択がある。結局のところ、万能ってのはないんだ。何でも使いよう、なんだよね」
「お、おう……これで鈍足か。おまけに“せんしゃ”を一撃で粉微塵とは、まさに天外魔境じゃの」
そうね。それは俺も同感だわ。
「さて、食い付いてきよったぞ」
ミルリルの声が、昂揚して弾む。俺たちは西側内陸部からの大回りで北に向かっていたのだが、雪原のあちこちにフードを被った人影が現れていた。
「ここまで餌が大きいと、見逃すこともできないんだろう」
俺は苦笑しながら前方を指す。船体の前部、車でいえばボンネットに当たる部分に、簀巻きの東領主をくくりつけてあるのだ。遠くからでも視認できるようにと、ご丁寧にも体は青い東領旗で巻かれ、家紋のシーサーペントが前に来るように配置された老人は旗印を身に纏ったようになっている。
おまけに大声で助けを求めるものだから、襲撃部隊は俺たちを殺すか東領主を救うかの二択を迫られることになった。迷いは行動の遅れを生み、高速で移動する俺たちに対して後手に回るという致命的なミスに繋がった。
「ミル、左右から挟撃だ」
「大丈夫じゃ。見えておる」
彼らは国政の中枢が抱える影の実行部隊。共和国の最精鋭だ。得意な状況に持ち込みさえすれば失敗などあり得ない。実際、マッキンが守りを固めて領主館に引きこもっていれば、楽に仕留められていたのだろう。しかし、こちらは神出鬼没の敵に対して遮蔽のない平原に打って出るという(向こうからしたら)予想外の行動に出た。自殺行為としか思えないマッキンの行動に、ラファンに展開していた“光尾族”は様子見という最悪の道を選んでしまったのだ。
戦力の逐次投入は悪手、というセオリーはこちらの世界でも同じなのだろう。一度姿を現すと、襲撃部隊は一斉に襲い掛かって来た。積雪を物ともせず馬を超える速度でこちらに向かってくるが、ミルリルさんのUZIで呆気なく撃ち倒される。非装甲の敵にMAG汎用機関銃の小銃弾を使うまでもないとの判断か、あるいは使い慣れた武器を選んだだけか。目玉を撃ち抜かれた死体が転がり、怯むことなく突入して来る後続がそこに加わる。鎧袖一触、どころではない。それは、ただの虐殺だった。
数分で決着がつくと、俺は折り重なって倒れた襲撃者の死体を収納する。その数、実に三十と七体。弓を装備したエルフが四名と盾持ちの虎獣人が二名いた以外はほとんどが人狼だった。
「移動する。爺さんを車内に戻してくれ」
「「了解」」
雪原に展開する“光尾族”を見た東領主は自分を救出しろと居丈高に怒鳴り続けていたが、返り討ちに遭う数が二十を超える頃には彼我の実力差を思い知ったのか子供のように泣き叫び始めた。老人の声はやがて命乞いの哀願に変わり、やがて静かになって低体温症で震え始めたのだ。
「森の端にいた見張りは逃げよった。すまぬ、気付いたときには射程外じゃ」
「構わない。対決は既定事項だ」
「雇い主への報告に戻るのであろうが、こちらに先行できるかのう」
「……わからん。馬橇程度なら楽に先行できると思うが」
襲撃者の構成から考えると、見張りも人狼もしくはエルフだろう。
「なあティグ、中央領まで移動するのに、お前ならどのくらい掛かる?」
「二百五十哩だろ。俺なら二日だが、正直わからんな。獣人は個人差が大き過ぎる。その上、評議会お抱えの精鋭となれば、どれだけ鍛えられてるのかも未知数だ」
さっき見た襲撃者の雪上移動速度は、一瞬ならホバークラフトに追いつけそうなレベルだった。後は持続力次第だが、そこは、こちらも速度を上げて引き離すしかない。
予定を変更して東に転針する。ケイソンさんの家があるラファン北部は、小さな農家や漁師の家が軒を並べていた。グリフィンの巨体が風を吹き出しながら突き進むと、建物や資材に被害が及ぶ。
ひと気がないのを確認して、真っ直ぐに海岸線を目指す。
「お、おい、ターキフ! 前見ろ、前!」
ホバークラフトの説明を聞いていなかった(か、聞いても理解できなかった)らしいルイが、慌ててフロントウィンドウの外を指す。
「大丈夫だ、つかまってろ」
俺はルイたちに手を振って、そのまま速度を落とさずスロープ状になった海岸線から波打ち際に乗り入れる。すいーっと海上を移動し始めたのを見て、後部座先の乗員たちがどよめき始める。
「これは良いのう。ターキフ、少し飛ばすのじゃ」
「おう!」
海面を疾走すること数分。爆音に気付いて桟橋に出てきていた“吶喊”の後衛エイノさんとコロン、それに冷静なはずのマケインまで、近付いてくるホバークラフトにあんぐりと口を開けている。
彼らの横に立つ白雪狼のモフは尻尾を振ってご機嫌そうだ。
「さあ、迎えに来たぞ。領主様からデカい仕事の依頼じゃ。さっさと乗らんか」
「あ、うん」
「わかりました」
「……おう」
「わふ!」
三人と一匹に手を振って乗るように促し、入れ替わりにケイソンさんとカルモンを下ろす。預かっていた漁船と、ついでに大樽入りの銀貨と銅貨もだ。二人分ということで次々に四つほど並べて行くと、あまりの重量に桟橋の渡し板が軋んだ。慌てて収納で仕舞って、岸辺で出し直す。あと貴金属が入っているらしい宝箱みたいのも載せる。中身は知らん。
「ターキフさん、これは?」
「とりあえず、ここまでの分け前です。残った細かい物の分配は、戻ってきてからですけどね。ケイソンさんの操船は海戦でもシーサーペント退治でも大活躍でしたから、収めてください」
「ああ……ありがたく、いただくよ」
「俺たちは行かなくていいのか?」
「おう。お前は留守番だカルモン、こういうのは根無し草の冒険者がやる仕事だからな」
「なに、軽く捻ったらすぐ戻るさ」
ティグとルイがいうと、カルモンは家に目をやって頷く。家族のために引退を選択したんだ。立て続けの戦闘に巻き込んだ俺がいうのもなんだけど、守るべき一線はある。
「悪いが魔王、もう時間がないぞ」
領主にいわれて空を見ると、日が陰り始めている。余命宣告された深夜までは、もう七時間ほどしかない。逃げた“光尾族”のことも気になる。
「よし、出るぞ。全員、椅子に座ってくれ」
俺たちはカルモン父子に手を振って、桟橋から離れる。波を跳ね上げるので岸辺近くではスロットルを絞り気味に、ゆっくり加速してゆく。次第に出力を上げ、外洋に出ると銃座にいたミルリルさんを船内に戻して全力疾走に入った。波を蹴立てて進むホバークラフトは思ってよりショックも少なく快適で速い。
「これは素晴らしい船じゃのう。ただでさえ戦の前だというのに、ますます昂揚してきたのじゃ」
今度もまた名前も知らない新たな敵との戦争になりそうだけど、なんか一周回って楽しくなってきた。当事者の領主も“吶喊”の面々も、そしてミルリルさんも楽しそうだから後悔などしない。
「もうすぐ暗くなる。中央領に着く頃には深夜だ。エンジンを切って接岸して、夜陰に紛れて上陸するか、それとも翌朝にこの船ごと上陸して攻め込むかだけど、俺は……」
「ターキフ」
ああ、もう。ミル姉さんがコメントを被せてくるときは、だいたい決まってるんだよね。敵が出たんでしょ。艦隊とか艦隊とか艦隊とか……
「左前方の島影に敵の艦影じゃ。距離一哩半。デカい船が二隻に、中くらいのが七から九、あとは手漕ぎ併用の平船が二十やそこらじゃな」
ほら、やっぱり。今度は北領艦隊か、それとも東領艦隊の残党か。中央領からの増援ってのも、ありえなくはないか。
様々なバリエーションを想定していた俺に、ミルリルが怪訝そうな声で囁く。
「島影に隠れておるのは砲艦のようじゃの。投石砲からの岩弾も打ち上がっておるし、攻撃魔法の魔力光も見えておる」
しかし、妙じゃの。と、ミル姉さんは双眼鏡を取り出して観察を始めた。いつものことながら、俺には全く見えない。艦影どころか島陰すらも。水平線上で何か光ったような気はするが、それが魔力光なのかはわからない。
「また光ったのじゃ。奥で小さく瞬いておる、あれは……銃火ではないかのう?」




