179:孤立した南
ひとくちに金貨五千枚というが、それがどれほどの量なのか俺は理解していなかった。
領主館で俺たちが通された応接室。お仕着せの礼服の様なものに着替えたとはいえ、むさ苦しい俺たちにはどう考えても場違いなその場所に、アタッシェケース大の専用木箱に収まった物が台車で運ばれ、目の前に積み上げられる。実にその数、二十五。
確認しろといわれてひとつ開くと、箱のなかには分厚い内張がしてあり、外寸からすると容積にはいくぶん余裕があるものの、これ以上ギッシリ詰め込むとひとりでは運べず、これより簡易な箱だと移送中に底が抜けることがあるのだそうな。
やっぱ金って重いのな。俺は他人事のように感心する。
収納で持ち帰るから関係ないとはいえ、金本位制というのも難儀なもんだとは思う。
「さて、これはシーサーペントと東領主を確保してもらった分の礼だ。海賊退治の礼については何でもいってくれ。そこのマール爺さんに伝えれば大概のことは期待に添える様に手配した」
その頃もう自分はいないから、とでもいう様に聞こえる。やはり、マールというらしい初老の執事がいっていたのは本当だったのか。
「マッキン殿、おぬし今宵で死ぬと聞いたが、本当か?」
ミルさんの直球。しかし領主は動じることなく眉尻を下げて微笑んだ。
「なんだ、爺さんがバラしやがったか。ああ、その通りだ。しかし問題ないぞ。俺が死んでも約束は違えん。謝礼も報恩もシーサーペントの焼き肉もな」
「病、ではなさそうじゃの。その血色では呪詛でもあるまい。つまらん咎で処刑されるようにも見えん。となると、怨恨か?」
「……まあ、そんなもんだ」
誰かに命を狙われてるってことか。今夜のうちに殺すと殺害予告でも受けたか。犯罪組織くらいならば手持ちの兵で対処できるはずだ。となれば公権力か国軍。もう東領主は捕らえただろうに、北領主か? それとも、評議会だかいう共和国の上位機関か?
「なあ、魔王。貴殿、南領の領主になる気はないか」
「「は?」」
「領主様、ターキフは外国人ですぜ? というか……嘘か本当かは知らんけど、ケースマイアンの魔王だって自分でいってなかったですかい?」
ティグが呆れ顔で(そしておかしな敬語で)いうが、マッキンは気にした様子もない。
「それをいうなら、俺だって元は王国人だ。共和国法では領主の選出条件に出身地の制限はない。人種も思想信条もな。“二名以上の共和国領主経験者の推薦”だけだ。魔王がダメって条文はなかったはずだぞ?」
どこまで本気なのか、執事マールさんに指示して書類を出してきた。内容は読めんけど、話の流れからすると領主としての権限譲渡かなんかだろう。
「そりゃ、わざわざ書くほどのことでもないからでしょう。何にしろ、お断わりさせてもらいますが」
「そりゃ残念だ。俺が死ぬと、しばらく政治経済が滞る。その間だけでも引き受けてもらえると領民が路頭に迷わずに済むんだがな。俺に係累はいないし、引き継がせるほど信頼できる部下もいない」
「どういう話かようわからんが、おぬしが死なん算段はないのかのう?」
「あるのかもしれんが、それを試す段階はもう過ぎちまった。なに、予告された時刻までにはラファンを出る。貴殿らに被害は及ばんよ」
「出る? 領主がか? それは、どこぞに攻め入るということかのう?」
「そんなとこだ。ここで俺が守りを固めれば、敵は街ごと焼き払いに来る。ラファンが戦場になるのは御免だ。攻め入られる前に、こっちから打って出る。どうせ死ぬなら、我が南領旗の下で死にたい」
「それは結構じゃな。マッキン殿は、どことなくクラーケンに似ておるからのう」
ちょ、ミルリルさん⁉︎
「そうか、それは何よりの評価だ!」
領主もそんな馬鹿受けしてる場合じゃないでしょうよ⁉︎ つうか、話がズレてるよ⁉︎
「それで、敵はどこのどいつなんですか」
「さあな。自分では、“光尾族”と名乗っていたが」
「こうびぞく? それは、種族か? 部族? それとも思想集団かなにかですか」
俺の質問に領主は首を振る。覆面にフードで正体はわからんそうだ。
「最初に殺されたのは先々代の領主だった父親。次に、領主の座を継いだ兄。予告通り、領主就任の日から千日目の夜に俺の目の前で殺され、死体を持ち去られた」
怨恨のようなもの、と聞いたはずだが。それにしては素性不明の相手に、そこまで恨まれるのは理解しがたい。加害者はすぐに忘れても被害者は永遠に忘れない、とかいう話でなければだが。
「マッキン殿、他に何か思い当たることは」
「ああ……そうだな。父親の代で、領府にあった盗賊ギルドの本拠地を急襲して、壊滅させたと聞いている。殺した悪党は百と四十。そこから逃げ落ちた残党が新たな集団を作ったとは聞いたが、恨まれる覚えといえばそれくらいだな」
「おそらく、それはハズレじゃ。そっちはターキフが吹き飛ばしたのでな。ローゼスの辛気臭い坊主であろう?」
あっさり答えたミルリルさんを見て、マッキン領主はこちらに目を向ける。俺が頷くと、小太り領主と執事マールさんは楽しそうに笑う。
「それじゃあ、わからんな。何にせよ、貴殿らとは今宵限りだ。俺はお先に失礼するが、楽しんでいってくれ」
「ふざけるでないぞ、領主」
ミルリルの冷え切った声が、立ち去りかけた領主の足を止め、周囲の者たちを凍てつかせる。
「招いた客を放って主人が席を外す、そのような無礼が許されると思うか。仮にも魔王が命懸けで成した功績ぞ? それに対する礼を自ら手渡さず執事に代行させるなど、馬鹿にするのも大概にせい!」
領主は困った顔で、俺に助けを求める。ミルリルさんのいうのは道理ではあるが、その真意はもちろん違う。まあ、一種のツンデレといえるのだろう。俺は救いを求めるマッキン領主に首を振った。
「まあ、わたしも彼女に同意しますよ、マッキン殿」
結局、こういう愚直な人物が、俺も彼女も嫌いではないのだ。
「いや、しかし……こちらの問題に巻き込むのは本意ではない」
「いまさらじゃの。東領の脅威が消えて、シーサーペントの脅威も消えて、残るは北領と……その“なんだか族”であろう? 焼肉の宴は、その後でも遅くはないわい。わらわたちは、主人が不在の宴席で無遠慮に楽しめるほど人間がヒネてはおらんのでな」
要は、酒が不味くなるから勝手に死ぬなと。さすがミルリルさん、いうことが男前である。
「こういうことは、慣れているんでね。行き掛けの駄賃だ、少しくらいは手を貸しましょう。せめて目的地まで、送りますよ。魔王の、眷属がね」
「……目的地、か。だったら、中央領の港町キャスマイアだな。東領と北領の境界にある、中央領で唯一の港だ。今回の貨客船の寄港先がそこだった」
「なるほど。距離は?」
「岸沿いを北に二百五十哩ってところか。もちろん、敵地だから容易く通してはもらえんがな」
そこは、正直どうでもいい。とはいえ、どうしたもんかね。海岸線沿いに北上して四百キロくらいか。
「魔王、何か他に問題でもあるのか?」
「問題というほどのことでもないですがね。陸路で行くか海路で行くか……」
「海だ」「海だね」
「陸だろ」「陸にしてくれ」
「海」「海」「陸」「海じゃ」
“吶喊”の二人と俺は陸路派。残りは海路派だ。領主とカルモン親子はわかるんだけど、案外ミルさんも船が気に入った様だ。
俺は考えもまとまらないまま、我が親愛なる商業の神へと祈りを捧げた。
「市場」




