176:魔王の海戦
ケイソンさんの操舵により旋回した海賊船は、風を受けスルスルと速度を上げる。重荷を下ろしたせいか襲撃向けの船体設計か、思ったより挙動が軽く加速も早い。
「距離四半哩じゃ。もう少しで行けるかのう?」
「たぶんな」
ミルリルさんは早くも、俺が取るであろう戦法を察している。問題はその結果だ。
「マッキン殿、あの船に領主は乗ってますかね」
「ああ、まず間違いなく乗ってる。勝ち誇った顔で他人を見下すのが何より好きな下衆だからな。長身痩躯で禿げたジジイ、青の外套を着たのがいたら、東領の領主だ」
「ミル?」
「ああ……うむ、たしかにおるのう。舳先で弓兵を指揮しとるのがそうじゃな」
「射撃は中止」
「うむ、了解じゃ」
戦闘艦といったところで火薬式の銃砲の普及していないこの世界で海戦の勝敗を決めるのは接舷しての移乗戦闘、要は斬り込みだ。
投石砲はよほど密集しているか停泊している船にしか当たらない。衝角による船体破壊もあるのかもしれないが、見たところこちらの世界の船は速力がなくあまり向いてはいない。
となると、斬り込み隊を送り込む前に船上の敵に弓での先制攻撃を加えるのがセオリーではあるのだろう。
「ターキフ、ミル、海戦用の据え置き盾がある、これを構えておけ」
「ティグは」
「ルイと斬り込みに備える」
「ああ……悪いけど、今回その機会はない。お前らも盾の陰にいろ」
「「へ?」」
「護衛兵士! 盾を持って領主を守れ!」
「「はい!」」
彼らは、いうまでもなくそのように動いていたようだ。これでこちらは戦闘に集中できる。
「弓兵一斉射、来るぞ!」
敵の砲艦は投石砲の有効射程より内側に入ったため弓兵による一斉射に切り替えたようだ。青い外套の男が舳先で合図のため手を上げるのが見えた。雨のように降り注ぐ矢。
「つかまれ!」
ケイソンさんの巧みな操船で矢のほとんどは大きく船体を逸れ、わずかに降ってきたものも盾に当たって弾かれる。
「負傷者はいるか⁉︎」
「あたしたちは問題ねえ!」
「カルモン父子も無傷だ!」
「領主、護衛共に無事です!」
盾といっても金属を貼ってもいない木製の物だ。海風で翻弄されているせいか軌道が安定せずあまり威力がないのかもしれない。
「敵艦、来るぞ! 総員、衝撃に備えろ!」
ケイソンさんが大音声で叫ぶ。いよいよ本命だ。海賊船を押し潰そうと全速力で向かってくる巨大な船体。船首がこちらの頭上を越えて船体同士が衝突しかけたとき、俺は“魔王の戦闘”を開始する。
「収納ッ!」
「「「「は?」」」」
海賊船の甲板上で、誰もが息を呑み固まる。視界を覆っていた砲艦がいきなり消失し、宙に投げ出された数十人の兵員や船員たちが頭の上で弧を描きながら海面へと落下してゆく。
全裸で。
「マズいな」
青の外套がないと、どれが領主かわからん。転移で空中に出た俺はそれらしい老人をキャッチし、再転移で海賊船に戻る。
「マッキン殿! こいつで間違いないですか⁉︎」
「あ、ああ。東領主のタイレルだ」
背後では次々と砲艦乗員が水没する水音が上がる。即死はしないだろうが、冬の海に叩き込まれたら、まず間違いなく五分と経たずに死ぬ。
知ったこっちゃねえや。さて、残りの船も仕留めてやるか。
「ケイソンさん、回頭! 目標、移乗戦闘艦!」
「ターキフさん、待て!」
ケイソン船長は舵を回転させ始めるが、なぜかキョロキョロと周囲を警戒している。
「お、おいターキフ、あれ見ろ……!」
ルイが俺の裾を引っ張り、必死に海面を指差す。
「なんだルイ、助けたい敵でもいるのか?」
「馬鹿いってんじゃねえ、さっさと見ろ!」
振り返った俺の目に、跳ね上げられひっくり返る平船が見えた。兵員揚陸艇とかいう、着上陸用の鈍足船だ。
「えッ⁉︎」
その横にうねる巨大な背鰭。海面に顔を出した兵や船員が水飛沫とともに海中に消える。
「おいミル、何だあれ」
「……おう、シーサーペントじゃな。これはイカンのう。あいつの縄張りを騒がした挙句に、撒き餌までしてしまったようじゃ」
「こんなときに、冗談じゃねえぞ⁉︎」
「まったくじゃ。もう少し余裕があるときなら念願のシーサーペント狩りをしてやるところなんじゃが」
ミルリルさん、あたしゃそういうことをいってんじゃないです! 逃げんと食われるっつうの!
俺は慌ててケイソンさんに指示を出す。
「ケイソンさん! ラファンに向かってください、いますぐ!」
さっきの警戒ぶりはこいつへの対処か。海の男だけに状況は把握していたようだ。既に舵が向けられていたらしく、船は速力を上げて一直線に港へと向かう。幸か不幸か、餌はたっぷりある。次々にひっくり返される兵員揚陸艇。悲鳴は上がった端から水飛沫とともに消える。
「おい魔王、あれは貴殿の眷属では」
「何を呑気なこといってんですか、あんな知り合いはいないですよ! ていうか、魔物の知り合いはいないし!」
「モフくらいじゃな……いや、あれは妖獣かのう」
ミル姉さん余裕ですね⁉︎
これはアカン。手持ちの火器はRPKくらいしかないが、あんなデカブツにアサルトライフル弾が効くとは思えん。
全長は不明ながら、うねうねと断片的に浮上する魚鱗というのか龍鱗というのか、ウロコのサイズを見る限り最低でも地龍クラスなのは間違いない。ということはつまり、戦車砲並みの火力が必要ってことだ。そんなもんは持ってきてない。あったところで木造船に載るわけもないし、そもそも海中の獲物に効果はないだろう。
「移乗戦闘艦は」
「一隻は沈んだようじゃ。もう一隻は……」
ミルリルの視線を辿ると、こちらを追ってきているのが見えた。というよりも、彼らも必死に逃げようと港を目指しているのか。
百メートルほど遅れて追尾してきた船はシーサーペントにカチ上げられ、乗員ごと波間に消える。
「あれはさすがに、“うーじ”ではどうにもならんのう。ターキフ、”れみんとん”をくれんか」
ライフル弾でも、どうにもならんと思いますけどね。俺はM700を出して、のじゃロリスナイパーに手渡す。
「港まで四半哩!」
操舵席のケイソンさんが叫ぶ。ギリギリ間に合うか、少し足りない。喫水を気にしない相手と違って、内湾に入る寸前でこちらは速度を落とす必要がある。
「ターキフ、援護を頼むのじゃ。無理に当てんでも弾幕を張ってくれれば良い」
「了解」
俺はRPKを出して四十発入りの延長弾倉を装着、水面に出た背鰭に全自動射撃で叩き込む。あまりダメージが通った気はしないが、シーサーペントは銃撃を嫌がるように水面下に沈んだ。
「いいぞ、その調子じゃ」
船体直後で水飛沫が上がった。鰭を傷つけられて怒ったのか、敵はわずかに顔を出す。ミルリルが連続で射撃を加えるが鱗に弾かれてダメージを与えるまでには至らない。
「小銃弾程度じゃ無理だと思うぞ?」
「いまのは、少しでも脅威を与えて身構えさせたんじゃ。これで、やつはこちらを安い餌とは思わん。魔王とその連れ合いを舐めて掛かったことを後悔させてくれるわ」
のじゃロリさんは小さく罵りながら消費した分の弾薬を装填してゆく。まだ仕留める気でいるのか、不敵な笑みを浮かべて全身から殺気を振り撒いている。
こちらもRPKに七十五連ドラム弾倉を装着して薬室に初弾を送り込む。俺はミルリルと、戦う覚悟を決めた。生き延びるにしろ死ぬにしろ、最後まで足掻く。そう思うと、緊張も恐怖も消えた。代わりに込み上げてくるのは、不思議な昂揚感。
「行こうか、ミル」
「うむ、良い顔じゃヨシュア。やはりおぬしは、わらわが見初めた男じゃ」
シーサーペントは船の下に潜ったらしく船体が揺れる。カチ上げられたら終わりだ。食われるまでもなく心臓麻痺で死ぬ。そこを生き延びたところで低体温症で死ぬ。
「ケイソンさん、面舵いっぱい!」
「つかまれ!」
大きく舵を切って船体が踊った瞬間、船の横に巨大な龍のような顔が飛び出してきた。カチ上げるつもりがスカッたか、こちらを睨み付けて威嚇するように雄叫びを上げる。
「さあ、いまこそ狩りの時間じゃ!」
歓喜に満ちた、ミルリルの獰猛な咆哮。
全自動射撃で放ったRPKの銃弾が鼻先を突き崩し、巨大な顔面を横向きに仰け反らせる。
「喰らえ下郎! これが魔王の、鉄槌じゃあッ!」
ミルリルの放った弾丸が、シーサーペントの目玉を貫いて脳を掻き回した。




