175:迫る艦隊
「彼我の距離は一哩半くらいじゃな。帆には青い盾型に白い蛇のような紋様があるが、あれはどこの船じゃ」
「青地に白いシーサーペント。東領の旗だ。北領艦隊を待たずに出てきたか。やはり北と東も一枚岩ではないようだな」
南領の領主マッキンはひとりで納得している。
ミルリルさんの見立て通りなら敵軍船まで二キロ強、例によって俺には船のディテールどころか“モヤッとした白い何か”にしか見えん。
見える方がおかしくないですか。裸眼で。
「ミル、敵の戦力は」
「先頭は、そっちの船くらいのが二隻じゃ」
ミルリルが指したのは、領主が乗ってきた接舷戦闘用の船だ。何と呼んでるのかは知らない。俺たちの乗っている海賊船より少しだけ大きく、舷側が高い。全長二十メートル強。六十から七十尺といったところか。
「その後ろに、ひと回り以上もデカくて太い船が一隻。残りの四隻は平船じゃ。帆を掛けてはおるが、手漕ぎで速度を補っとるようじゃの」
「ほう、素晴らしい視力だ。さすが魔王夫人」
「なに、夫を支えるのが妻の嗜みじゃ」
何かよくわからん社交が行われているが、いま必要なのは戦力把握だ。
「巡洋砲艦一、移乗戦闘艦二、兵員揚陸艇四、となると接舷しての移乗戦闘員は四十から七十、着上陸戦闘用の陸兵が百人前後といったところです」
頼りにならん領主の代わりに、護衛の兵士が教えてくれた。空気が読める良い兵士だ。
「砲艦があるのか」
呟いた俺を見てミルリルが小さく首を振った。丸いものを投げるポーズで、砲というのが投石砲だとわかった。どんな代物かは知らんけど、曲がりなりにも艦載砲なんだから船にダメージを与えるくらいの威力なんだろうな。
一方こちらには対艦兵器などあるわけもない。
「マッキン殿の艦で対処できるのは、どの程度です」
「砲艦からの攻撃で沈められるまでに、移乗戦闘艦の片方を潰せるかどうか、だな」
「頼りないのう……敵対領主との関係が険悪化しておるのはわかっておったであろうが。なぜ戦備を怠っておったのじゃ」
ミルリルのコメントは辛辣だが、事実だ。正直、自分の身を守る気もない相手を助けたところで俺たちにはメリットがない。いくらラファンがカルモン父子のホームグラウンドだとしてもだ。
領主マッキンは殊勝に頷く。
「返す言葉もない。しかし、造船の中心は北領だ。我が南領の新造艦建造は拒否されてな。止むを得ず王国の係累に依頼して海戦力整備に乗り出したばかりだったのだが……」
「それが逆に、敵対領主を焚き付ける結果になったということですか」
「そのようだ。陸上兵力の整備と海岸線の防衛設備は行ったんだがな。困ったことに、海軍力整備には、段階的に数年は掛かる。その間に南領自体が潰されれば終わりだ」
たらればの話ではない。潰されるだろう。それも数年の間ではなく、いま。
南領と東領の戦力差は王国対ケースマイアンほどではないけれども、逃げ場も遮蔽もない海上で、特殊兵器もない状況では壊滅以外の結果が発生し得ない。
東領の後ろに控える北領を加えるまでもなく、負けるべくして負ける。
「それから何をどうして単艦で出陣することになったんじゃ」
出陣してきたつもりはなかったんだがな、と小太り領主は頭を掻く。
「王国南部のルモア公爵領で、領主たちに顔合わせを行った際に、忠告を受けたのを思い出したんだよ。それはまさに、天啓のようにな」
「忠告?」
領主マッキンは、懐から巻き物を出す。いや、渡されても俺には読めんというのに。
「ーー矢の無い射殺死体、もしくは大量の行方不明者が出たら警戒を厳とせよ、それは魔王の手の者、もしくは魔王本人の仕業である。その者たち、あるいは獣人、エルフ、ドワーフに害を成す者は、必ず滅びる。また、魔王と敵対することになれば、王国貴族も貴君らの敵となる。魔王の慈悲あらんことを。カイリー・エルケル」
代わりに読んでくれたミルリルが、呆れた顔で俺を見る。
いやいやいや。そんな顔されても俺が悪いわけじゃないし。そもそも目玉やら股間やらを撃ち抜いてる謎の人物、まず間違いなくミルリルさんですやん。
「……どうやら、事実のようだな」
「うむ、魔王陛下に慈悲を乞うがよいぞ」
やめなさいミル姉さん、みんな本気にするから。
「そんなドン引きしなくても大丈夫だって、殺すのはこっちが殺されそうになったときだけだし」
「だとしても、それで三万とか逆におかしいだろ⁉︎」
ルイのツッコミに全員が頷く。
「ああ、うん。俺もそう思うけどさ。あんとき百人もいなかったケースマイアンに、いきなり三万の兵で攻め込んで来るんだもんな」
「そっちじゃねえ。それで生き残れる方がおかしい、っつってんだよ」
「「「「うむ」」」」
何でみんなハモってんのよ。ルイやらカルモンたちと一緒に領主どころか衛兵まで頷いてるし。仕事しろ。
「では、魔王の力を見せてもらうのじゃ」
あら。ミル姉さんてば、自分の力じゃありません、みたいな言い方でこちらを見る。あなた、何でそんな嬉しそうなん?
「もはや金貨で済む話ではなくなったのう、領主殿。この貸しは、いずれ返してもらうのじゃ」
「ああ、それはもちろん」
「そこの衛兵、海賊の生き残りをそっちの船に移してくれ。いまの状態から海戦になれば間違いなく死ぬ」
「「はい!」」
出血と低体温で死に掛けの海賊たちを運び出し、重そうな物資もいくつか領主の船に移す。
「領主様!」
護衛の声に振り返ると、東領の船が突っ込んで来るのが見えた。まだ距離は一哩ほどあるようが、俺の視力でも見えるようになってきた。移乗戦闘艦やらいう先頭の二隻が左右に散開して中央を開けた。巡洋砲艦という大きな船がこちらに左舷を向け、投石砲を連続で打ち上げるのが見えた。かなり極端な山なりの軌跡で四発、そして船体を振って右舷から追撃を放って来る。
「なあミル、これ船を繋いだままだと危ないんじゃ……」
「大丈夫じゃ、あれでは当たらん」
こちらが的として小さ過ぎるのか砲撃手が下手だったのか、八発とも大きく外れて水面で巨大な波飛沫を上げる。爆発するでもなし燃えるでもなし魔法が発動するでもなし、ただの大きな石という以上の物ではないようだ。
「こっちの海戦じゃ、こういう戦闘を行うのか」
「「「「知らん」」」」
おい待て。冒険者チームやミルリルはともかく、領主までか。
「誰も海戦の経験ないのか。衛兵たちは?」
「我々は、陸兵ですので。移乗戦闘なら、お任せください!」
「今回は、たぶん出番ないな。こっちは戦闘に入るから、そこのロープ外してくれ。領主も自分の船に連れてって……」
「いやいやいや、音に聞こえた大魔王の戦闘が見られるというのに、舞台の前から退くわけがなかろう⁉︎」
好きにしろ。つうか、何だ大魔王って。ランクアップしたはずなのに、耳で聞くと逆に弱そうだ。
「繋留索外せ!」
「「おう!」」
護衛の兵が船乗りに手を振って、両船を繋ぐ鉤綱が巻き取られる。
俺は、舵の前で指示を待つカルモンパパに向き直った。
「ケイソンさん、正面の砲艦に向けて全速前進」
「「「……え⁉︎」」」
ビビッた顔で振り返る衛兵やら領主やら冒険者たちと違って、臨時とはいえ海賊船長のケイソンさんだけは、静かな表情で俺を見た。
「ターキフさん、本気かい?」
「ぶつかるつもりでお願いします」
ケイソンさんは俺を見て何を納得したのやら、ひどく嬉しそうに笑う。
「なるほど。それが、“大魔王の戦闘”なんだね?」
「はい。最前列で、お目に掛けましょう。後悔は、させませんよ」




