166:ウェルカム・トゥ・ラファン
未明にローゼスを出て、ラファンが見え始めたのは日が傾き始めた頃だった。
地平線の果てに人工物らしい起伏が見えてきてからも、俺はしばらくそれが目的地の街並みだとは思わなかった。
起伏のある海岸線と同化して景色の一部のようになっていたからのもあるが……
「城壁がないな」
「ラファンは港から放射線状に発展したからな。元々は寂れた田舎の漁村でしかなかったんだ。防衛のために城塞として作られた内陸部の町とは違う」
マケインの説明を聞いて頷くが、そもそもこの世界に来るまで城壁に囲まれた町なんてものに縁がなかったためそれが正しいのかどうかもよくわからない。
「ここからラファンまでの距離は?」
「外縁部までは2哩ってとこかな、中心部まではもう1哩ほどある」
先行していた馬橇の速度を落として、カルモンたちの橇と並ぶ。
「カルモンの実家は、どのあたりなんだ?」
「海の近く、北の外れだ。街の中心から1哩はあるかな」
東に進んでいるから、こちらから見て左手。集落の端と考えると、かなり遠いようだ。
「ルフィアさんの実家は?」
「うちはカルモンの家から内陸側に四半哩ほどです」
とりあえずカルモンの家に向かう予定だが、そうなるとルフィアさんちは通り道になるのかな。
周囲に遮蔽がなく視界が開けているので、見えてはいるけどサッパリ近付いて来ない。馬橇を小一時間ほど走らせて、ようやく農家が視界に入ってきた。
「あの左手のふたつ並んだ家がわたしの実家です」
ルフィアさんが示す方角には、雪に埋もれてはいるものの思ったよりは広い畑と、こじんまりした平屋造りの民家が建っている。
母屋からは炊事の煙が立っていて、夕食の支度をしているらしいことがわかった。
「わたしは両親に挨拶してから、カルモンの家に行きますね」
電話がない世界だから、娘が到着することも知らないわけだ。久しぶりに帰ってきた娘と驚きの再会か。そういうのも、ちょっと新鮮ではある。
「ルフィアさん、これをご両親に」
小さめの段ボール箱に入れたお土産セットを渡す。
「ターキフさん、これは?」
「砂糖と、日持ちする焼き菓子と、お茶です。ほら、娘が急に家族で帰ってきたら、心配するでしょう?」
カルモンはイマイチわかっていないようだが、ルフィアさんには通じたようだ。
ノーラちゃんの手を取って降りると、段ボール箱を受け取って頭を下げてきた。
「お気遣い感謝します」
「ターキフおじちゃんも、海の爺ちゃんち行くんだよね?」
「……ん? ああ、カルモンの実家ね。そうだよ」
「わかった! わたしも、後で行くね!」
ノーラちゃんが俺に手を振ってくれた。かわええ。
おじちゃんか……俺には甥も姪もいないから、ちょっと嬉しい。
「うん、待ってるよ」
ゆっくり馬橇を進めながら、カルモンが俺に訊いててきた。
「なあ、ターキフ。あの箱を両親に渡さないと心配するって、どういう意味だ? まだサルズを出た理由なんて知らないはずなんだが」
「だからじゃ、阿呆」
ミルリルさんは理解してる。エイノさんもコロンもわかってる。ルイとティグは聞いてもいない。興味もないようだ。
こっちって性差や性別的な役割が元いた世界より厳しい反面、“我関せず”みたいな層が厚いんだよね。
「娘が手ぶらで着の身着のまま帰郷すれば、何ぞ面倒でも起こしたか追われて逃げてきたかと心配するであろうが。ちょっとした手土産を持っているだけで、両親は安心するんじゃ」
「焼き菓子で?」
「いや、物は何でもいいんだよ。実家に戻るのに手土産を選ぶだけの時間と気持ちと金の余裕があったってことなんだから」
説明を聞いてもカルモンはピンときていない。男は割とそうだ。俺も郡山の婆ちゃんに聞くまで、手土産を喜ぶのは品物を喜んでくれてるだけだと思っていたからな。他人を責める気はない。
「カルモン!?」
海から戻ってきたらしい老婆が、いきなり素っ頓狂な声を上げた。手には雑魚の入ったカゴ。日に焼けて赤銅色の肌と伸びた背筋。老いてはいるが力強い印象の女性だ。
「おう、母ちゃん。いま戻った」
馬橇を庭先に停めて、カルモンは家に向かう。振り返ってティグたちを大声で呼びながら、自分でも気まずいのか母親の方は見ない。
だから、そういうとこやぞ。聞けや、ひとのアドバイスを。おい。
「“いま戻った”じゃないよ! なんだい、いきなり! どうしたんだい、サルズで何かしくじって逃げてきたんじゃないだろうね!?」
ほら、な? 俺もやってきたことだからわかるんだけどさ。郡山の婆ちゃんは偉大だってことだ。
でもまあ、今後のことも考えて、今回はちょっとばかりサービスしておいてやろう。
「カルモンさん! ご両親へのお土産、忘れてますよ!」
俺は木箱やら段ボール箱やら麻袋やらを持って、カルモンの後を追う。久しぶりに会うであろう母親を前になんやらモニョモニョしているカルモンに荷物を押し付ける。
「カルモン、このひとは?」
「あ、ええと……」
「これはこれは。お初にお目に掛かります、お母様」
「「……おかーさま?」」
「わたくし元は王国の商人で、ターキフと申します。あちらにいるのが妻のミル。冬の間だけサルズに滞在しておりまして、カルモンさんには大変、お世話になりました。この度カルモンさんが故郷に凱旋されると聞きまして、以前からラファンを訪れたいと思っていたわたくしが道中の護衛をお願いしたのです」
「は、はあ……」
口が達者な中年女性を丸め込むには脳の容量以上の情報を押し付けるに限る。
カルモンの母親が目を白黒させたところで、トドメにカルモンの手から麻袋を取り、母親の手に乗せる。
「カルモンさんにお世話になったお礼の一部です。こちらは母上に渡されるとお聞きしましたので、お預かりしておりました」
「なんだい、これ……はうぁ!?」
麻袋に詰まった銀貨を見て母親が固まり、説明を求めて息子を見る。カルモンは目を泳がせるだけでプイッと横を向く。
いや、なんかいえや。ムチャ振りしてる自覚はあるけど、もうチョイ乗って来い。
「こ、こんな大金! アンタ、サルズで何をしたんだい!?」
「冒険者として成功されて、家族のため故郷に帰ることにしたとお聞きしましたが。詳しいことはご本人にお訊きください」
おし、これでサービス終了。カルモン母子を置いて、俺は馬橇に戻る。
「なんじゃターキフ、いまのは。まるで本物の商人のようではないか」
「商人っちゃ商人だよ。元はサラリーマンだからな」
「“さらりーまん”とやらは知らんが、いま初めておぬしが大人に見えたわ」
ちょっと、社会人歴12年の34歳を捕まえて、それはひどくないですかね!?




