159:愚者どものエントリー
詰所では怒りのあまり宿の場所を訊き忘れていたが、そもそも営業している宿は1軒だけだった。
薄汚れ、ひび割れた壁に歪んで軋むドア。室内は埃とカビと腐った食物の臭気が漂っている。入ったことを後悔はしたが、他に選択肢はない。入り口奥のカウンターにはムスッと不快そうな顔でこちらを睨みつける死に掛けのクソババアがひとり。
ルイが代表でカウンターに向かうが、既にガンの飛ばし合いにしか見えない。
「ひとり銀貨10枚だ。飯や水、ランプの油は別料金だよ!」
「あ!? こんなボロ宿でボッてんじゃねえ!」
「嫌なら出て行きな。どうせ他に宿はないよ。余所者相手に泊めてやるだけありがたいと思いな」
「……あんまナメてると殺すぞ、ババア」
正直すぎるコメントがルイの口から出たが、ミルリルが穏やかな笑顔でそれを押し留める。
「よさぬか、ルイ。ご老人には、寿命が尽きるときまで心穏やかに過ごしてもらうものじゃ」
「え? あ……ああ、うん」
ちょっとミル姉さん、その目が怖い、目が!
“どうせ寿命はあと数時間だからのう”って、思っきり顔に書いてあるんですけど!?
触れるくらい濃密な殺気が立ち昇ってて、激おこ状態だったルイでさえビビって目が泳いでるし……っていうか“吶喊”の猛者どもが揃って震え上がってるし。カルモン一家は疲れ切って反応する余裕もないようだけど。
いい加減ウンザリしてきたので、俺が社畜時代に培った偽善者モードで交代する。
「ええ、構いませんよ。馬2頭と従魔のために厩もお借りしたいんですが」
「そっちもケダモノいっぴきにつき銀貨10枚だ。餌や水は別料金だよ。糞尿の始末も別料金だ」
あまりのクソさ加減に、一周回って楽しくなってきた。すげえな、この業突く張りのババア。
銀貨130枚か。6万5千円……って勝手に換算してるけど、この世界の貨幣価値でいえばカルモン一家の一月分の生活費くらいじゃないのかな。
町ぐるみでボッタクリか。しかも、たぶん盗賊ギルドの手先だろうし。生きていくためにってことなのかもしれんけど、救われねえな、実際。
「では、銀貨100枚。数えてください」
麻袋を出す。銀貨なんて、いくらでもあるからいいんだけどさ。銀貨30枚分は銅貨で払う。
「ああ、ちょっと待ってな」
「ここで数えろババア」
奥に持ってこうとしたときには、さすがにキレかけた。あのクソみたいな衛兵と同じ真似をするつもりだったんだろうが、今回は目の前で数えさせたんで、くだらんイチャモン付けられることはなかった。
「2階の奥側2部屋だよ。部屋の備品を壊したら弁償してもらうからね」
「壊すもんなんかねえだろうが、クソババア」
部屋に入った俺たちの、正直な感想がそれだ。
軋む廊下の奥で向かい合わせになった2部屋はどちらも10畳くらいの広さで、木戸を閉めるタイプの窓がふたつと吊るされたランプがひとつあるだけ。簡素にもほどがある。
ベッドは木箱の上に置かれた木の板でしかなく、そこにはシーツや布団もない。
ゴミの山としか思えない毛布らしきものが部屋の隅に転がされているだけだ。
その上、1部屋に5人を泊めておいてベッドは2つしかないあたりは完全に人を馬鹿にしている。
「うわ臭っせえッ、なんだこれ本当に毛布か!?」
「ルイ、そんなもん触るな。どうせ夜には襲撃がある。それまで交代で寝る分には、この部屋でも問題ない」
「寝るって、このベッドに直でか」
「まさか。寝具はある」
触りたくないので毛布は足で蹴って廊下に出し、木箱も板も運び出して廊下に簡易のバリケードを組む。
もしあのババアが何か文句でもいってきたら、そのときはもう殺そう。ちょっと予定が早まるだけだ。
「そこどいて。これ置くから」
俺は部屋の真ん中に折り畳み式の軍用ベッドを並べる。アルミフレームに布を張った簡易なものだが、人数分は用意してある。軍用毛布と、寝袋もだ。
「これ、持ち運べるベッド? 面白い作りだねえ」
「丸いのは、綿入りか。すごく柔らかいぞ」
「ああ、それは寝袋っていってな。巻いてあるだけだから、広げたら防寒用の布団になる」
「へえ、あったかそうだな」
まずは片方の部屋でカルモンと娘ノーラちゃんと奥さんルフィアさんに休んでもらおう。ルイとエイノさんを護衛に付け、2人には交代で寝てもらう。
安全のため部屋のドアは両方とも開けたままだ。
カルモン以外の男性陣は向かいの部屋。こちらも交代で寝る。就寝前に、それぞれ預かっていた武器を返した。
「ああ、助かりました」
「さすがに丸腰じゃ心細かったからね」
エイノさんとコロンは、あからさまにホッとする。
“武器なんかなくても大丈夫”、みたいな脳筋コールに賛同してたけど、やっぱ無理して付き合ってたのね。
「襲ってくるのはほぼ確実だけど、問題は規模だな。この町のどれくらいが盗賊ギルドに付いてるか……」
「さあな。あたしの見たとこ、ギルドの息が掛かっていようがいなかろうが敵に違いはないと思うぜ?」
ルイの意見には俺も含めて全員が賛成する。
「ローゼスの人口は」
「300くらいじゃないのかね」
「皆殺しにするには多いな」
「そういう発想になる時点で、あんたらはどうかしてるんだよ、ターキフ」
「……あんたら?」
ルイの指差す方を見て納得した。
みな武装することで一様に落ち着いた顔にはなっていたが、ミルリルさんはUZIがない状態が不安だったのか頬擦りせんばかりに喜んでいる。
「おお、“うーじ”よ、よく帰ってきたのう……やはり、おぬしがおらんことには不安だったのじゃ。M1911コピーも極地用リボルバーもじゃ。これでもう、怖いものなど何もないぞ?」
あ、はい。ぼくらは、あなたが少し怖いです。
「それじゃ、見張り役の人は食事を摂って。いまパンとシチューを出すから。飲み物はこっち。それぞれ、こいつを個人の手荷物として身に付けといて」
「この銀色のは、なんだ?」
「折り畳んだ小さいのは保温用のシートだ。体に巻くと風を防いで、体温を逃がさない。包みになってるのは船乗り用の携行食。それひとつで2日は生き延びられるらしいよ」
「へえ……」
配ったのはエマージェンシーブランケットという保温用のアルミ蒸着フィルムと、高栄養価ブロックだ。最悪はぐれたときでも、そのふたつがあれば朝まで生き延びられるはずだ。
最後に意思統一のため認識を共有する。
誰であれ襲ってくる者は殺す。そして、襲撃者から情報を得て、俺とミルリルが盗賊ギルドの本部を潰す。
「得られなかったら?」
「そんときは、衛兵にでも訊くさ」
軍用ベッドのうち、端のふたつを俺とミルリルが使わせてもらう。
「悪いけど、俺とミルリルは先に寝るよ。1刻(約2時間)で交代だ。時間前でも、少しでもおかしな気配がしたら起こしてくれ」
「了解」
◇ ◇
「ターキフ」
揺り動かされる気配に、俺は目を覚ます。コロンが少し疲れた顔で立っていた。隣のベッドで寝ているティグを、マケインが同じように起こしていた。
「そろそろ時間だ。交代してもらえるか」
「ありがとう、おつかれさん」
「ふぁ……、いままで異常はなかったのじゃな?」
「いや、ひとつだけ。階下が妙に静かなのが気になって調べたら、婆さんはいなかった。どうやら逃げたみたいだ」
「ドアが開いた気配は?」
俺の質問にマケインが首を振る。
「なかったな。たぶん、俺たちを部屋に通してすぐ出て行ったんだろう」
襲撃に備えて、か。これで気を使う必要もなくなったな。俺は階下に降りて玄関先にひとつ、裏口にひとつ、仕入れたばかりの仕掛け罠を設置した。
ドケチのババアはランプを消して出たのだろう。火の気はなく真っ暗だ。おあつらえ向き、てやつだ。
「いまからは、下に降りないでくれ。罠があるから、玄関と裏口を通ると死ぬ。脱出が必要なときは窓からだ。いいな?」
「……了解」
交代したコロンとマケイン、それとエイノさんは寝袋に入ってすぐに寝息を立て始めた。
「ミル、体調は」
「大丈夫じゃ、いつでもいけるぞ」
俺はメインの武器としてイサカのショットガンを出す。サイドアームとして減音器付きのMAC10を革帯で肩から胸に吊るした。
元々射撃が上手くない上に、暗闇となると心許ない。下手な鉄砲なら、バラ撒いて当てるしかないのだ。
ミルリルと俺はヘルメットを被り、暗視スコープを額側に跳ね上げておく。
見張りを交代して起きてきたルイが俺たちの装備を見て怪訝そうな顔になる。
「なんだ、それ?」
「闇夜を見通す魔道具だ」
「お前らは本当に、次から次へと色々出してくるな……?」
交代から1時間ほど経った頃、お茶を飲みながら待っていたルイの顔色が変わった。
同時に何かを察したらしいミルリルが窓際に近付き、木戸を少しだけ開ける。
「何か来るのじゃ」
「ルイ、数はわかるか?」
「10より下ってことはねえが……面倒だな。甲冑の音がするぞ」
「ほほう、やはり衛兵どももグルか。良かったのう、後で仕留める手間が省けたのじゃ」
「俺も、せっかく仕入れた新兵器が無駄にならなくて済みそうだ」
笑みを浮かべて頷き合う俺とミルリルを見て、ルイは呆れ顔で首を振った。
「お前ら、なんでそんなに嬉しそうなんだ。こっちは剣や手槍しかない。甲冑相手にそんなんじゃ手傷を負わせるのがせいぜいだぞ?」
「まあ、見てろって」
予定の半分ほどしか眠れずに気の毒だが、寝ていた人たちを起こして部屋の隅に固まってもらう。ハンヴィー用に調達した予備の防弾板を出して、外からの攻撃に備える。
「裏に回れ」
外からの声が、安普請な宿の壁を通して聞こえてきた。聞き覚えがある。おそらく、あの守銭奴の衛兵隊長だ。
「建物に傷を付けるんじゃないよ!」
「しッ、黙れバカ!」
キーキー文句をいう老婆の声と、それを制する衛兵隊長の罵声。あの業突く張りのババアまでお出ましとはな。殺すリストの上位が勢揃いだ。
「全員、耳を塞いで遮蔽の陰に入れ。たぶん少し揺れるぞ」
道中の銃声で懲りたらしく、全員がサッと耳を塞いで頭を下げる。
「突入!」
衛兵隊長の合図で表と裏のドアが蹴り開けられ、大人数が踏み込んで来る物音が響く。わずかな間があって不発を疑いかけたとき……
轟音とともに建物が大きく揺れた。




