156:遥かなバラ
午後も早いうちから、日は陰り始めた。
季節がら日照時間が短いというのもあるが、やはり天候の崩れが大きい。低く垂れ込めた厚い雲が俺たちの上空にまで広がっている。
というか、荒天の方角に進んで来たのだから当然だ。ずいぶん風が出てきて、軽い雪が巻き上げられている。
「夕方近くに荒れそうだな。いざとなったら雪洞でも掘って緊急野営するか?」
「馬を入れるほどの雪洞ってのは現実的じゃないな。なにより現実的じゃないのは、この状況で無事に夜明かしできるって前提だ」
苛立ち紛れに叩いた俺の軽口を、マケインが冷静に返す。この盾遣いの巨漢はティグやルイと同じ肉体派だけど、性格は冷静でクレバーだ。冗談を冗談として理解しつつ、やんわりと釘を刺してくる。
逃げてる場合じゃないと。
カルモン夫妻とノーラちゃんを乗せた馬橇から先行すること200mほど。俺と“吶喊”の5人が乗った馬橇は峠の手前で止まっている。
風を避けるためというのが理由のひとつ。もうひとつは、下り坂に差し掛かる前に、敵の位置を探るためだ。
眼下に広がる雪原の先、およそ2哩(3.2km)ほどのところに宿場町ローゼスの城壁が見えている。地吹雪で霞んではいるが、それはほんの1時間も走れば到着できる距離なのだ。
「ローゼスの町に入ればベッドも厩もあるんだ。ここでわざわざ雪を掘る意味はないだろ」
「……うん、そうね。自分でもわかってたけど、ルイにまで指摘されると、ショックでかいわ」
「ブッ飛ばすぞ、この野郎!?」
問題は距離ではない。天候でもない。いや、天候も問題ではあるんだけど。
追われ狙われる身としては視界が塞がれるのは悪いことばかりではないが、吹雪の夜を外で過ごすほどの装備はない。のんびり朝を待つ間、敵が放っておいてくれるとも思えん。
盗賊ギルドは、最初の襲撃に専属追跡者を付けてきていた。こちらが馬橇に積み込んだ装備で野営は不可能と思われているだろうから、こちらがローズの町に向かうことはまず確定事項だ。刺客は間違いなく待ち受けている。
問題はそれがどこか、襲撃はいつか、というだけのこと。
想定される襲撃ポイントのひとつは、すぐ先から始まる見通しのいい下り坂。もうひとつは、下り切った先に続く2kmほどの雪原だ。
坂は相手からすると発見が容易く、こちら側からすると橇の制御が難しい下り。雪原はほとんど遮蔽がなく、発見されるのはほぼ確実。おまけに狙われたら逃げ場のない開けた場所だ。
その2か所で襲撃がなければローゼスの町に入ってからだ。寝込みを襲ってくるか、それとも……
「なあ、町ぐるみって可能性は?」
「もちろん、ある。正面切って盗賊ギルドにケンカ売った奴なんていないからな。サルズでならともかく、余所の町じゃ誰がギルドの息が掛かってるかなんてわからん。相手がどう出るかも読めん」
「ターキフ、どうしたんじゃ」
呑気な口調とともに、白雪狼のモフに騎乗したミルリルさんがポフポフと歩いてきた。
「ああ、襲撃に備えて対処計画を練ってる」
「なんのためにそんなことをするのじゃ? 襲ってきたら皆殺しにするだけでよかろうに」
ああ、そうね。まったくもって、その通りなんだけどね。
それができるのはお前らだけだ、といいたいのだろう。“吶喊”の皆さんは引き攣った顔に力無い笑いを浮かべる。有り体にいえば、ドン引きである。
偵察に出ていたコロンが戻ってくる。坂の中腹までは敵影なし。下り切った辺りに馬橇らしい轍の跡が見えるが橇は見付かっていない。
「なあ、四半刻(30分)ほど時間をもらえるかな。ローゼスまでの間に敵がいたら、そこで始末をつけてくる」
「なんでだよ。あたしたちもやるぜ?」
それが問題なのだ。“吶喊”との連携が取れん。そもそも能力が読めん。無能とは思わんまでも、冒険者の能力が盗賊ギルドの連中にどのくらい通用するのかわからん上に、装備も能力も特殊すぎる俺たちには正直、足枷になっている。
「悪いけど、みんなを連れては移動できない。カルモンの護衛を頼む」
そうだ。カルモンたちにとってみれば、彼らが本来の護衛なのだ。ここで守っていてもらって、その間に俺たちが……
「ターキフ、そうではなかろう?」
モフの鼻で腰を突かれて、俺はハッと我に帰る。“吶喊”の面々が、怪訝そうにこちらを見ている。振り返ると、のじゃロリ先生は笑顔で首を振った。
「何を焦っておるのじゃ、おぬしらしくもない。怖れるものなど、何もないではないか。みんなで戦い、みんなで勝つのじゃ」
そうだ。これは社畜時代に何度も陥った、“慣れない相手に任せるより自分でやったほうが早い”という最悪パターンだ。
お互いの将来に繋がらず、不信感から関係は悪化し、自分の負担ばかり増えてやがて詰む。
溜息を吐き肩の力を抜いた俺を見て、虎獣人ティグが笑みを浮かべた。すぐにパーティのリーダーらしい顔に変わり、指示を出し始める。
「マケインは50尺(15m)先行して派手に動け。敵の攻撃を誘うだけでいい」
「了解」
「炙り出したら左の敵はルイ、右の敵は俺だ。すぐ戻れる距離でな。深追いはするな」
「おう」
「エイノは敵魔導師の攻撃阻止、可能な限り魔力は温存して、負傷者が出たら治癒魔法を頼む」
「わかった」
「ミルは殿軍に付いてカルモンを守ってくれ。こっちのことは考えなくていい」
「了解じゃ」
「コロン、御者を代わってくれ。下りで、おそらく路面が凍結してる。速度はいまの半分だ」
「うん、任せて」
「ターキフ」
呼ばれていることに、気付くまでしばらく掛かった。ティグと目が合うと、彼は両手に1本ずつ手槍を持った奇妙な装備で俺を見る。
「弓持ちの対処は頼むぞ。隠れた敵は、コロンが教えてくれる」
「……あ、ああ」
「さて、ひと仕事だ。怪我しちゃつまんねえからよ。無理せず気楽にやろうぜ?」
「「「「おう!」」」」
俺とコロンが御者台に乗ると同時に、マケインが凄まじい勢いで坂を下って行くのが見えた。巨大な大盾を構えたまま、ほとんどひとっ飛びで15m先行、その勢いで雪を巻き上げ空中に巨大な白い瀑布を作り上げた。
「よし、食い付いた」
コロンが俺に告げて、馬橇を発進させる。ゆっくりと坂を下りながら、左右に注意を配っているのがわかる。何がどう食いついたのか、俺にはサッパリわからんが。
橇の荷台に腰掛けたまま、ルイとティグは気楽そうに前を眺めている。
コロンが安全を確認した坂の中腹を過ぎた辺りで、俺の目にも木陰を縫って回り込もうとする敵の姿が見えてきた。どういった敵かまではわからないが、下り切った辺りに見えたという橇の跡はやつらが移動に使ったものだったのだろう。
「へえ、甲冑付きだよ」
「……右4左4か。思ったほどでもねえな」
俺が詳細を視認するよりも早く、脳筋ふたりは橇から飛び出してあっという間に距離を詰める。
馬橇が坂を下って行くと、重甲冑を身に着け手槍を担いだ8名の敵が木陰から姿を現わす。
先行するマケインに向かうか橇を襲うかで迷いがあったのだろう。その隙に迫ってきたルイとティグへの反応が遅れた。
金物といえば手甲だけという軽装備で間合いを詰めたルイが剛腕を振るうと、鈍い金属音が響き敵がくの字に折れて吹っ飛ぶ。
「げふぁッ!」「ぐぁッ!」
「ぎゅッ!」「ごぶッ!」
ルイと同時にティグも敵兵4名を殲滅していたらしい。拳で跳ね上げられた重装歩兵同士が空中で激突し甲高い金属音を響かせる。
さすがサルズ屈指の脳筋ペア、すげえな。身体強化はしてるんだろうけど、そもそもの筋力が人間業じゃない。
「ターキフ、正面80尺(25m)! 右奥の茂みに弓持ち3!」
コロンの指示した方向に目を向けると、正面には盾を構えたままのマケイン。その先には、束になって飛んでくる短い鏃が見えていた。
「しゅ……ああ、くそッ!」
視界に捉えきれず、収納は間に合わない。鏃がマケインの盾に弾かれたのを確認したところで、俺はコロンの指定した位置にAKMを単射で撃ち込んだ。茂みの陰で血飛沫が上がって、倒れた敵がずるずると斜面を滑り落ちて行く。
「あとひとり。右横の茂み、低い位置にいる」
わずかに下げて撃ち込んだ7.62ミリ弾が足を砕いたらしく、敵が悲鳴を上げながら転がり出てきた。すかさず放った追撃が、その頭を吹き飛ばす。
彼らが持っていたのはクロスボウのような武器。作りはかなり不細工だが、ミルリルが作った機械弓に少し似ている。偶然の同時発生という可能性もないではないが、もしかしたら王国から情報漏洩でもあったのかもしれない。
「残る敵は……ミルのところくらいかな」
振り返ると、後方の馬橇めがけて突進して行く白い防寒衣の集団が見えた。総勢8名、魔法で身体強化を掛けているのか上り勾配を物ともせず騎兵並みの速度で雪を巻き上げ……あっという間に目玉を撃ち抜かれて果てた。
「す、すごいね、ミルって……」
「……そうね。たぶん俺より何倍も強いよ」
「あ、あはは」
“そんなことないよ”、的なフォローを入れようとしたんだけどそれも慰めにならないと判断して言葉を濁したっぽいコロンの気遣いがすごく辛い。
さほど自慢げな様子もなく、戦果を確認したミルリルさんがこちらに手を振る。
唇が尖っているのは、あまりに呆気なかった不満か。姉さん、余裕ですね。
「少しは頭を使わんか、阿呆ども!」
たしかに彼らの作戦は失敗した最初の襲撃と同じだったみたいですけど、そんなん死んだ後にいわれても困ります。
「10と……9か。あと5〜6人は、どこかに潜んでいるかもしれない」
馬橇を操作してティグやルイたちを回収しながら、コロンがポツリと呟く。
「平野部にいればいいんだけど。ローゼスの町中でとなると、少し厄介だな」
「なぜ?」
「ローゼスの町は、武装を禁じられている」




