135:ブラフとネゴと安ワイン
「お客様。大変失礼ですが、あちらでお話させていただけますか?」
いやーッ! それテンプレでいうと2階にあるギルドマスターの部屋とかでしょ!? なんか知らんけどチートスキルを看破されて、オセロを売れだかマヨネーズを作れだかいって平穏な日々が壊れちゃうんでしょ!?
と思ったら、案内されたのはふつうにフロアの隅にある談話スペースだった。
対になった木製ベンチとテーブルに衝立があるだけでオープンスペース。しかも相手は話し掛けてきた細マッチョな若手イケメン本人だった。ちょっとガッカリ。
「ケルグさん、お茶をお願いします」
お婆ちゃん職員にそう頼むと、イケメン細マッチョ氏は俺の向かいの席に座る。
「商業ギルドのギルドマスター代行、イノスと申します」
「タケフです。こちらはパートナーのミルリル」
物理的なトラブルの気配はないので、ミルリルさんに手振りで座るよう促すが拒絶された。
いや、大丈夫だから、サブマシンガンから手を離しなさい。某伝説の殺し屋じゃないんだから遮蔽を背にして周囲を窺うんじゃありません。
「先ほどの話ですが、結論から申し上げますと、王国貨幣は両替可能です。種類と額にもよりますが」
「そう多くなくて結構ですよ。ここに来るまでにトラブルがあって荷物を失ったもので、手持ちが乏しくなりましてね」
「ご商売を再開される資本金、となると金貨ですね。なるほど、王国では行商をされていたのですか? それともお店を?」
なんか踏み込み方に違和感がある。笑顔だけど、なにか探ってるようだ。
それに、周囲の商人や職員たちが聞き耳を立てているのが感じられる。印象としては悪意はないけど警戒心はある、といったところ。
うん、わからん。身に覚えがあり過ぎる。
そこで、俺は初対面の交渉術のうちで悪手と思われる方を選んだ。
「ねえ、イノスさん。白状しますと、わたしは商人が副業なんです。だから、腹の探り合いは苦手でね。お互い、正直に行きませんか」
「ふむ。どういうことです?」
「あなたがたは、何をどこまで知ってるんです? いえ、知っているつもりになっているんです?」
「……ッ!!」
……あら。
イノスさん、若いのにギルマス代行なんてどれだけ有能かと思えば、煽り耐性はなかったみたい。笑顔のまま顔が真っ赤になって、こめかみに青筋浮いちゃった。
周囲の気配を探るが、失望と驚きだけ。怒りの感情はない。向かってくる者もいない。
となると、あれか。
俺は席から立ち上がって、イノスさんに頭を下げる。
「すみません。こちらも身を守るためとはいえ、無礼な方法で探りを入れたことを謝罪いたします」
「……いいえ」
「わかりますよ。情報が足りなくて気が立っているんでしょう。なにせ、王国から出入りする人間が途絶えているんですからね。ただ、王国が崩壊したという噂くらいはお聞きになっているんじゃないですか?」
「……」
情報のやり取りをカネに換えるのが商売だとしたら、そこで黙っちゃダメでしょ。とぼけるか否定しないと。
まあ、いいけど。
俺は商人じゃなくて冒険者になりたくてここに来たんだし。本業は魔王だけど、いまオフだし。
「そりゃ情報など入らんじゃろ。王国北部に商人は……まあ、少なくとも無事でおるのは、メレルくらいだからのう」
「それは、メレル商会長? 皇国の? では最近、彼から伝えられた王国崩壊の情報は……」
「事実じゃ」
ミルリルさんの爆弾発言に、商人や職員たちがいっせいに息を呑む。
たぶん背負っているのが個人資産レベルでは済まないであろうイノスさんなどは、目を伏せたまま俺を見ようともしない。
「信用できませんか。まあ、気持ちはわかりますけどね。王国との間には……“狭間の荒野”でしたか、魔獣の徘徊する危険な緩衝地帯を挟んで何百哩もの距離がある。確認しに行く方法はないし、行ったところで戻れる保証もない」
「……はい。ですが」
「共和国で保有する王国貨幣がどれほどか知りませんが、その価値が暴落する危険性は無視できないと。それはまあ、そうでしょう。春になって情報が入る頃には、手遅れになっているかもしれませんからね?」
隣国の経済が破綻したとき、誰がどう得をして損をするのか俺は知らんし知りたくもないけど、少なくとも保有する外貨が地金の価値しかなくなることがわかってそれを座視するやつはいないはずだ。
両替するか物資に変えるか復興を待って塩漬けにするかはともかく、決断するなら早い方が良い。
正確な情報が得られる限り、だが。
「王は魔王に殺され、王都はほぼ無人の廃墟になりました。王国北部は政治・経済的に再起不能でしょう」
「わしの、王国金貨が……もう、お終いじゃ……」
部屋のどこかで、この世の終わりみたいにつぶやく声がした。
心のなかでは皆それぞれに一喜一憂しているのだろうが、静まり返った室内でそれ以上の物音はしない。空気は完全にお葬式である。
いままでサイモン以外の市場で買い物したことなかったから実感なかったけど、金貨と銀貨で価値の差が激しいのって、この世界では富裕層と庶民で使用通貨が分かれてるからなんじゃないのかな。一般市民は金貨なんぞと接する機会もなく暮らしてる、とか。
政治や経済の変化で交換比率が大きく動くのも、動いたときに差額がデカいのも金貨と。
あれ、これ経済破綻だけ伝えたんじゃ俺、情報の非対称化役になっちゃわないか?
「……でもまあ、南部貴族領はほぼ無傷、それどころか王国の膿を出し切って盤石の体制ですからね。王政打倒の旗印となったルモア公爵、その補佐を務めるエルケル侯爵を中心に復興するでしょう。案外、彼らはいまの経済破綻を武器にするつもりなのかもしれません。造幣廠も金鉱山も彼らの管理下にありますし。そうそう、戦闘も叛乱軍が常に優位に進めたので王国中央部の穀倉地帯も手付かずですしね」
「……それは、……悪いことばかりでは、ないと?」
「はい。わたしの知る限り、国の舵取りを引き継いだ南部領の貴族たちは、少なくともあの愚王よりは優秀で、誠実で、勤勉です」
硬く張り詰めた重い空気が、どよどよと緩み始めた。情報提供としては、これで両国の利害をプラマイゼロにまで戻した、はず。後は知らん。
「さて、これで持っている情報は渡しましたよ。無料でね。なぜなら、わたしは商人としてここに来たわけではないからです。冒険者ギルドに登録しに行く途中の流れ者ですからね。ただし……」
俺が笑顔で見つめると、血の気が戻ってきていたイノスさんの顔が、またわずかに蒼褪め始める。
「単なる善意でお知らせした情報が、自分の不利になったとしたら。もう、ここには来ません。わたしも、わたしの持つ商品も、わたしの持つ情報も、なにもね」
俺はテーブルの上にごしゃりと、王国金貨が詰まった袋を置く。
「さて。両替を、お願いできますか。とりあえずは、様子見で、このくらい」
黙って見つめるだけのギルマス代行。彼の前に置かれた王国金貨は、約100枚。それをいくらと値付けするかが俺にとっての彼の価値、ひいては共和国商業ギルドの価値だ。
「それとこれは、共和国の商人仲間に対する、ほんのご挨拶の品です」
ダメ押しとばかりに、俺は金貨の入った袋の横にゴトリと小さな木の樽を添えた。容量は5リッターほどで、王国軍御用達の安葡萄酒が入っている。腐りやすい水の代わりに兵へと配布される味などお察しの低級品だが、いま中身は問題ではない。
「……ターキフ、さん。……あなたは、いったい」
また“ターキフ”て、これ共和国の訛りなのかな。
ともあれ、俺がこの建物に手ぶらで入ってきたことは、商業ギルドの職員なら確認し記憶していたはずだ。どういう種類の商人なのかは思い知ったらしい。
「冒険者になる夢を見て共和国に流れてきた、文無しの中年ですよ。……少なくとも、いまはね」




