134:初めてのギルド(ただし商業)
衛兵詰所で教えてもらった町の宿屋は、4軒あった。ひとつはお大尽用らしいのでパス。ひとつは建物の前まで行って、なんとなく掃除の行き届いていない感じが嫌で止めた。
残るふたつのうち、ひとつが“狼の尻尾亭”で……
「ここじゃな」
名前で決めた。残る一軒は見に行ってもいない。
共和国の西にある王国方向から来た俺たちが通過したのは、西と東にある城門のうちの、西門。名前が気に入ったのも事実だが、“狼の尻尾亭”は町の南西位置にあって西門から近い。他の宿は東側にあってちょっと遠いのだ。
「ああ、あれな。上京した田舎者は故郷にアクセスしやすい場所に住みたがるっていうね」
「なにをいうておる」
「いや、こっちの話。良い宿だといいな」
「大丈夫じゃ。わらわの勘はここを定宿にせよと囁いておる」
どんなゴーストだよ。クンカクンカしてるところを見る限り、それは勘ではなく美味しい物を嗅ぎ当てる鼻なのではないかと思うのだが。
料理も清潔さも価格も気にはなるが、最大の問題は白雪狼の子、モフを受け入れてもらえるかだ。最悪、ちっこい家でも借りようかとも思ったが、それには手持ちの貨幣が王国の物だけなので両替可能かを調べなくてはいけない。出だしで躓くとゲンが悪いのだが……
「いま厩が空いてるから、使っていいよ」
杞憂だったようだ。昔はそこそこ美少女だった感じの福々しい女将さんは白雪狼であるモフを見ても怯えた様子もなく笑顔で受け入れてくれた。
事前に黄色いシャツでリボン風の首輪を結んでおいたのが良かったのかもしれない。なんでかモフ本人もご満悦である。尻尾を振って笑顔のモフは、ちゃんと見れば大きいだけで無害な印象を受ける。
逆にいえば、悪い連中にはいささかナメられそうなのであるが。大丈夫か、この妖獣。
「大人しくて話がわかる賢いやつなんだけど、さすがに馬が来たら怯えないかな」
「いまの時期に馬車の泊まり客なんて滅多に来ないさ。冬の間は、商人も遠出をしないからねえ。飼葉も世話も要らないってんなら、ひと晩に銀貨2枚でどうだい?」
「うむ、決まりじゃな。しばらく世話になるのじゃ」
共和国通貨は、金貨1枚=銀貨20枚=大銅貨100枚=銅貨200枚。貨幣単位は不明。少なくとも庶民は誰もそんなもの気にしたことがないようだ。
日本人の貨幣感覚でいえば金貨が1万円、銀貨500円、大銅貨100円、銅貨50円くらいか。
2人部屋が朝食付きで1泊銀貨8枚。4千円(+厩が千円)と考えると安いのだが、それで手持ちの共和国通貨はほとんどなくなる。
女将さんに銀貨10枚を渡して、懸案事項のアドバイスをもらう。
「後は手持ちが王国の硬貨しかないんだけど、どこかで両替できないかな?」
「ギルドだね。どこのギルドでも替えてくれるけど、量が多いなら商業ギルドだ」
なるほどね。
俺の知るギルドと違って多国間に影響力を持つ独立組織とかではないようだけど、それでもある種の公的機関のような役割にはなっているのだろう。
「……いや、というよりギルドって、共和国の公的機関そのものか」
「なにをブツブツいうておるのじゃ? ほれ、早う商業区とやらに行ってみるのじゃ」
モフには厩でお留守番してもらうことにして、ミルリルとふたりで出かける。
サルズの町の中心には行政区があって、商人や職人の暮らす商業区が、そこをドーナッツ状に取り巻いている。さらにその外側に平民の暮らす居住区があるというわけだ。
この世界にドーナッツはないけどな、たぶん。
俺たちが定宿に決めた“狼の尻尾亭”は町の西南、商業区との境目に近い平民居住区にある。
地価物価や宿泊費は行政区・商業区・平民居住区の順に高価い。なので町の外から来た商人は馬車や橇で商業区まで荷物を運び、馬や荷馬車を平民居住区の宿に戻すようだ。
「ギルドの看板は、すぐわかるって聞いたけど」
「工業ギルドが金槌、冒険者ギルドが剣なのはわかる。しかし、なんで商業ギルドは船なのじゃ?」
「……さあ。海洋国だから? こっちで商取引っていえば船による貿易なんじゃないのかね、知らんけど」
適当なことを話しながら歩いて行くと、商業区が見えてきた。
商業区は幅2ブロックほど。その中間地点を結んで円を描いた道路が商店街になっている。閉じている店も寂れている区画もあるが、概算で30軒くらいの店があるようだ。
この世界に来て商業活動に接するのは初めてなので、ゆっくり見て回る。気温は低いが天候は回復しているので、それなりに快適な散歩日和だ。
売り買いする人々や橇による輸送もあって、思ったよりずっと賑わっている。品物もそこそこ豊富だが、さすがに冬だけあって生鮮食品はない。ピクルスなのか野菜らしきものが詰まった大きな瓶詰めが並んでいて驚かされる。ガラスの生産が行われているのも意外だし、それが保存食の販売容器になるほど普及しているのも想定外だ。
なにこれ、樽ばっか使ってた王国よりよっぽど近代化してんじゃん。
「欲しい物があったら、両替した後で買いに来よう」
「ううむ……特に気になる物はないが、おそらく必要になるのは“殺さんで済む武器”かのう」
「それな。うん、それ切実だな」
でも、ここで買わなくても良いか? さすがに武器類はサイモンに頼んだ方が良い物が手に入りそうだ。買うとしたら丸腰に見えないためのカモフラージュ用だな。
「魚の干物が多いのう」
「うん。海に面した町から送られてくるのかな。あの大きいの、値段は?」
「ひと山で銀貨5、それが5つで金貨1じゃ。上手い値付けじゃのう」
途上国ほど“価格は交渉次第”というイメージがあったのだけれども、共和国の流儀なのか案外ここらは発展しているのか、店の主要商品には手書きの札があった。読めんけど。
どうやらこの大陸での文字は基本的に共通らしく、共和国の手書き札もミルリルには読めるそうな。助かったけど、これは簡単な文字と数字くらいは自分で読めるようにしないと、“死の商人”にしかなれないな。
俺はミルリルに文字を教えてもらいながら店を冷やかしつつ、共和国の物価を調べてみる。
「ミルリル、あの赤いのは?」
「保存食に入れる辛い香辛料じゃな。わらわは苦手じゃ」
「そこの丸いのは、卵か? えらくデカいけど」
「龍冠鳥の卵、と書いておるが、どんな鳥かは知らんのう。……お、虫蜜があるぞ」
「金貨4枚って、ひと壺? やっぱり糖分は高価いんだねえ……」
「塩は安いのじゃ。これは、海から運んでくるのかのう?」
物価は日本の感覚でいうと食料品が幾分割高で、人件費や耐久消費財が少し安いという印象だ。
それはつまり金か食料生産能力さえあれば適当に暮らせるということだ。逆にいえば、一次産業以外は辛いということで、良い物を作っても評価されない、あくせく働いても暮らしが楽にならんという話でもあり、なかなかに世知辛いな異世界、というところだ。
この辺は前近代までなら(あるいは途上国なら)元いた世界でも同じことなのだが。
歩き回って小腹が減ってきたくらいのところで、商業ギルドを見付けた。2階建ての大きな建物で、出入りするひとたちの身形がそれなりに整っている、ように見える。
ちょっと緊張しながら入ってみると、カウンターにはいかにも目端の利いた感じの職員が何人か座っていて、それぞれに商人ぽい中年男性と交渉に当たっていた。
職員にも客にも若者や女性はいない。ということはつまり、俺たちが浮いているということでもある。俺は若くはないけど、貫禄も落ち着きもないからな。ヤバい少し泣きそう。
「いらっしゃいませ。商業ギルドに、なにかご用でも?」
キョロキョロしていた俺たちのところに、比較的若い男性職員がすすっと寄ってきて話しかけてくる。案内係に当たるのかもしれないが、けっこう屈強そうなところを見ると、もしかしたらセキュリティも兼ねた不審人物対策スタッフなのかもしれない。怪しまれるような風体ではないと思うんだけどな……。
俺はネガティブ思考を振り払って、社畜時代に培った仕事用の笑顔を浮かべた。
「こんにちは。こちらで王国貨幣の両替が可能だと聞いてきたのですが」
「……もしかして、王国から、いらしたのですか」
「う〜ん、まあ、そうなりますね」
ざわりと、室内に妙な緊張が走った。
ミルリルさんがすすすと音もなく俺の左前に移動し、肩に掛けたUZIを胸元に引き寄せるのが見えた。
いやいやいや、のじゃロリ先生ダメ!
ここで虐殺とかしたら、わしら雪のなかを千キロ近い逃避行しなきゃいけなくなっちゃう!?




