131:狼の子
モフのサイズさすがにデカすぎたかと修正。
谷間を抜けた先に開けた場所があった。中央近くに折り重なって倒れた巨木が遮蔽になりそうだ。
「ミル?」
「うむ、そこで良いぞ」
雪を巻き上げて着地すると、倒木の陰に入って収納からAKMを取り出した。
さすがのソ連製ベストセラーだけあって分厚い防寒具と手袋を身に着けた状態でも操作に不自由はなく、いつでも確実に動作する信頼性もある。
命中精度は低いらしいが、そんなものは射撃素人の俺が使う時点でお察しである。
「魔獣か?」
「わからん。相手の姿は見えんかったし、匂いも音も感じんかった。わずかな気配と視線だけじゃ。連続した転移を追尾してくる時点で、人間だとしたら魔導師くらいじゃな」
たしかに人間なら、ちょっとやそっとの乗り物を使ったところであの速度は出せない。エンジン音やら起動音もしていなかったしな。
「ぬおぉッ!?」
ふと視界の隅に、何か青白いものが掠めた。背筋に緊張が走る。いつの間にやら至近距離まで詰め寄られているのに気付いた俺はAKMの銃口を相手に向けようとして……
「ヨシュア、よせ!」
固まった。
「……ミル、リルさん。これ……なに?」
そこにいたのは、満面の笑みを浮かべて舌を出し尻尾を振る巨大な狼だった。
体長は成人男性ほど、尻尾を含むと2mはある。青白い毛皮は冬の日差しを浴びて淡い光を放ち、青い目は好奇心と喜びにキラキラと輝いている。襲ってくる様子はないが、撫でろといわんばかりにゴスゴスと鼻先で突いてくる。
「なんでか、えらく懐かれているようじゃな。わらわたちが獣人族と一緒におったせいかのう?」
ずっと追尾してきた気配というのは、こいつだったのか?
顎の下をくすぐってやると、目をつぶってゴロゴロと幸せそうな唸り声を上げる。かわええ。
「ミルリルさん、もしかして、これフェンリル!?」
「そんなに懐っこい神獣がおるわけなかろうが。白雪狼じゃな。まだ若い……というより、幼いのう? 巣立ちには早かろうに、親とはぐれたか、それとも……」
ミルリルさんが俺の前に立ち、魔導防壁を立ち上げる。ブレブレの閃光とともに、遥か離れた場所で雪が舞い上がった。
「……密猟者に追われておったか、じゃな」
山陰や森の端から、数人の男たちが回り込んでくるのが見えた。口元から白い息を吐いて必死に駆けてくる。
「貴様ら、そこを動くな! そいつは俺たちの獲物だ!」
男たちの奥から、魔術短杖を手にした男が雪を跳ね上げながら猛スピードで突進してくる。ミルリルさんがUZIを向けると、男は俺たちから10mほど距離を取って止まった。
フードの付いた厚手のローブをかぶり、下卑た笑いにヒゲ面を歪めている。年齢不詳だが、おそらく40半ばくらい。なんというか、競輪場とか競艇場の隅に転がっててもおかしくないタイプだな。こちらを警戒しているのか、仲間の到着まで魔術短杖を向けたまま身構えている。
「……こいつ、魔導師か。共和国にもいるんだな」
「魔力は並、技術は雑、装備は安物で、人相が卑しい。どこぞの軍からあぶれた魔導師崩れじゃな。いまは野盗か密猟者の親分というわけじゃ」
先ほどの閃光は、この魔導師崩れの親分が放った攻撃魔法かなにかのようだ。精度が低くて助かったというべきか。
かなり遅れてワラワラと集まってきたのは、薄汚れた格好の男たちが7人。どいつも雑多な上着を重ね着して顔に襤褸切れを巻き、手には枝に鉈を括りつけた粗末な手製槍を持っている。
「おぬしら、何者じゃ? 警告もなしに攻撃魔法を放つなど、無礼であろう」
「おい、メスのドワーフだぜ!」
「売れば金貨4枚にはなるな」
「もう1匹は、男か」
「それは廃棄だな」
このクズども、ひとの話、全然聞いてねえ。
発言は無視され勝手なことをいわれて、ミルリルさんの顔がピキピキしてますけど。金貨4枚て。
俺は知らんぞ……この辺りのチンピラはわかってないかもしんないけど、このひと王国や皇国の重装歩兵が束になって掛かってきても屁でもないレベルの猛者なんだよね。
たぶん素手でも、こいつらを殺せる。
「けったいな奴らじゃのう。死にたくなければ早々に立ち去れ。臭くて堪らんのじゃ」
「金気臭い半獣が、偉そうな口を利くな!」」
手下が揃って気が大きくなったのか、魔導師崩れの中年男が前に出てくる。
このトラブルの発端になったと思しき白雪狼の子は、何を悟ったのか欠伸をして倒木の陰で丸くなった。
……ていうか、他人事かよ。被害者かもしれんけど、その態度はないぞ?
「おい、そこの男、名を名乗れ」
「まず貴様が名乗らんか、クズが!」
即答。ミルリルさん、もう火が着いちゃってる。
魔導師の男は顔面をピクピクさせてミルリルを睨み付けた。
のじゃロリさんはその視線を鼻で笑って、UZIを肩に担ぐようにドヤ顔で男たちを指さす。
「わらわは心が広い。地べたに手をついて謝罪するのであれば、許してやらんではないがのう」
「腐れドワーフの分際で……」
「3つ、数える! ひとーつ!」
ミルリルさんは笑顔でいいながら、UZIのボルトを引く。それがどんな意味を持っているかなんて、こいつらにわかるはずもないんだけど。
「ふたーつ! どうした、早うせんとタマを抉るぞ?」
「ちょッ、ミル……」
「メスは生け捕りにしろ、男は殺せ!」
あーあ。
パパパパン。
「ぎッ」「あぐッ!?」「ぎゃんッ」「ごふッ!」
「なッ」「ぶひゅッ!」「ぐぶッ」
連続した銃声が谷間に響き渡ると、男たちは股間を押さえて蹲る。7発を発射するのに、ほんの2秒ほどしか掛かっていない。音も半分くらいしか聞き取れなかった。
口でも銃でも、俺の出番はない。立ち位置は完全に、モブである。
「メーイッグ、助……け」
男たちが押さえた手指の間から、どくどくと鮮血が迸っているのが見えた。性器周辺にある動脈が切れたのだろう。玉ヒュンどころの話ではない。小心者の俺は思わず目を逸らす。
見渡す限り、集落どころか民家もない場所で出血多量。その時点で、もう助からない。唯一の希望があるとすれば……
「そこの腐れ魔導師。貴様が配下に治癒魔法を掛けるのであれば、見逃してやっても良いぞ?」
ミルリルさんは興味を失ったとばかりに銃口を下ろし、倒木の陰に歩いてゆく。白雪狼の子がワフンと鳴いて尻尾を振った。
「おのれ! 炎天の業火よ、我の……」
「愚か者めが」
振り向きもせず放たれた銃弾が魔導師の杖ごと拳を砕く。詠唱は断ち切られて悲鳴に変わった。
「ぎゃああああああぁ……ッ!?」
結末は、呆気ないものだ。最後のチャンスが、いま消えた。
彼らの生存可能性は限りなくゼロに近くなり、俺は溜息を吐いて男に近付く。
「なあ、ひとつ訊きたいんだけど」
「殺す! 貴様ら、必ず……」
男は魔術短杖を振り回すが、ホールド出来ずにすっぽ抜けて飛んでっいった。
「……なあ、共和国って、お前らみたいのばっかりいたりするのか?」
「殺す! 殺す! ころ……」
銃弾は手首に抜けていたのだろう。痛みによるショックと出血に伴う体温低下で、魔導師の男は蒼褪め、震え始めた。
「ころ……しゅ」
揺らいだ男は、仰向けに傾く。視線が泳いで、上を向いた。
ぽふりと、新雪のなかに倒れ込んで、ほうと小さく息を吐いた。眠りに就くような長閑な動作。しかし男は、それきり動かなくなった。
「共和国も、もしかしたら変わらんのかもしれんのう」
幸せな夢から覚めたような顔で、ミルリルさんが呟いた。




