126:都落ちの魔王
「……なんじゃ、っていわれてもさ」
墨色の軍服を着込んだ男の背後から現れたのは、奇妙な生き物だった。
中央に崩れかけた巨大な肉の塊のようなものがあり、左右に房の付いた細長いものが揺れている……ようにしか見えん。なんじゃ、って俺が訊きたいわ。
双眼鏡を通してさえ俺にそれ以上のものは視認できず、ミルリルさんに解説を頼もうとしたところで首を傾げる。
いつもわりかし冷静な彼女が蒼白な顔であんぐりと口を開けて固まっているからだ。
おい、どした。
「ねえ、ミルリルさん。あのテラスで動いてるもっさりしたの、なに?」
左右に布陣したT-55のハッチが開いて、緑の1号車からも白の2号車からも車長席からドワーフの爺さんたちが顔を出す。
「……なんてことをしよったんじゃ、あやつは」
不可解な事態に足元を見ると、3号車チランの銃座でもミーニャが固まっている。ヤダルは不快そうな溜息を吐きながら首を振っただけだが。
なによ、あれ。なんなんだよ、気になるじゃん。なんとなく答えはわかっちゃってる感じするけど、ねえ!?
「ミルリルさん、もしかして……というか、もしかしなくてもあれ、サリアントの王?」
「正確には、王だったものじゃ。融合か癒着か知らんが、引っ付けられておるのは、王妃と王女……なんじゃろうなあ」
うわ、グロッ! ピンクの塊になってるのってあれ全裸なわけ? いや、あいつらの全裸は前にいっぺん見てるけど、もういっぺん見たいもんじゃねえって。
しかも、なに? 家族で引っ付いちゃってんの? 房付きのトーテムポールみたいのは王妃と王女って、キモいにも程があるだろ。
「挨拶は、無駄足じゃな」
「いまさらだろ。どうせタダでは済まない覚悟はしてたさ」
「ヨシュア! 遮蔽に入れ!」
「攻撃魔法じゃ、来るぞ!」
ドワーフの爺さんたちは警告を発してハッチからT-55の車内に身を沈めた。
その声と前後して、数百の光の矢が俺たちに向けて降り注ぐ。重なるように数百の矢が飛んで来るのが見えた。鏃は収納できてもさすがに攻撃魔法は収納……
……できないのかな?
「収納!」
面攻撃の体をなして飛来した光と鉄の雨が、俺たちの前だけザックリと切り抜かれたように消失した。縦横奥行き各10mといったところか。距離は限界がありそうだがとりあえずの保険にはなる。
「さすが魔王陛下、というところじゃの。攻撃魔法も無効化するとはのう?」
わずかに呆れるような笑みを浮かべて、ミルリルが俺を見る。軽く頷きを返して、彼女に手を差し出す。舞踏会の誘いで受けるかのごとく、彼女はそっと指先を置いた。
「じゃあ、行って来るよ。後はよしなに」
“““了解”””
ケースマイアンを出発するとき、俺たちはひとつだけ達成目標を決めた。
それは、“短期的脅威の完全排除”。
俺たちがこの冬を越すのに障害となるものは何もかも壊し、潰し、殺し、消す。選別もしないし、容赦もしない。
そして、俺は。
要らないものは全て、置いて来ると決めた。過去も、後悔も、恨みや憎しみも……
ぼそり。
ミルリルとふたりで王城の正門前に立つ。鉄製の門扉は開かれたまま。逃げたのか隠れたのか、衛兵の姿はない。
城の扉までは、100mほどだろうか。
そこまでにある茂みや遮蔽の陰に100近い弓兵や魔導師が隠れていることはわかっている。
城の扉は開かれている。誘っているのか、出てきた誰かが閉じるのを怠ったのか。
あの扉から、いまは背後にある貴族街の外れまで、決死の覚悟で短距離転移したのが昨日のことのように思い出された。
それも、忘れる。これからの俺に、その記憶はもう必要ない。ミルリルとの出会いだけがあればいい。
ぼそり。
ミルリルを傍らに、俺は足を踏み出す。ゆっくりと着実に、城に向けて歩き始める。
「殺せ!」
甲高く裏返ったヒステリックな声が遠くのテラスから繰り返される。ミーニャが放ったMAG汎用機関銃の7.62ミリNATO弾が防御魔法に弾かれてテラスの周囲で激しく火花を散らす。
ぼそり。
城の正門を潜って睥睨する俺に、弓兵も魔導師も攻撃を仕掛けてこない。
ぼそり。ぼそり。
ぼそり。ぼそり。ぼそり。
ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。
「……あ、あ」
城壁脇に密集陣形を組んだ弓兵と魔導師が、それを守る盾持ちの重装歩兵たちが、装備を構えたまま動きを驚愕の表情で固まり、声にならない嗚咽を漏らす。
こいつらは皇国ではなく、王国軍の兵だ。
だから、見てしまった。見たものを、その意味を、理解してしまったのだ。
俺たちの背後、正門から入り込んできた侵入者の両側に続々と出現し、うず高く積み上げられてゆく王国軍兵士の死体。恐怖や苦痛に顔を歪め、憤怒や命乞いの叫びを上げようともがき、あるいはぽかんと状況を受け入れられぬままに、固まって絡まった無数の死。
それは蛮族討伐を謳って意気揚々とケースマイアンに攻め入ったまま戻らなかった、彼らの友軍将兵たちの末路だった。
「やりすぎじゃヨシュア、これでは敵が見えんのじゃ」
「いいんだ。もうすぐ、敵はいなくなる」
俺とミルリルは、城の入り口へと歩き続ける。数千数万の死体が、その両脇に分厚く壁を成し、なおも虚空から現れては降り注ぎ続ける。攻撃魔法や鏃が散発的に降っては来るが、肉の壁に阻まれて俺たちには掠りもしない。
そのまま歩き続けると、城の入り口からゆらりと姿を現わす者があった。
「よお、久しぶりだな。ずいぶん見違えたんで、最初は誰だかわかんなかったよ」
その肉の塊は、俺の言葉にも、さしたる反応は見せない。むしろ怪訝そうな顔で首を傾げるあたり、知性はほとんど残っていないようにさえ見える。
いや、それは最初からだったのかもしれないが。
「……魔、……王」
驚くことに、元は王だった不可思議な代物は顔をしかめ、俺を睨みつけて来る。
威厳を保とうとしているようだが、その目はどんよりと濁って昏い。
「……我が、王国を……滅ぼしに、……来たか」
「いいや。王国は、滅びたんだよ。お前の愚かさのせいでな」
「……抜か、せ……!」
王の腕がズルリと伸びた。ピンク色で細長く撓ったそれは湿り気を帯びた粘液に塗れ、触手にそっくりで萎える。
オッサンからオッサンに向けての触手攻撃って、そんなん見せられて誰が得すんのよ。
イサカのショットガンで触手を吹き飛ばすと、かつて王だった化け物は悲鳴を上げながら反り返ってビチャビチャと体液を振り撒く。
追撃で発射されたUZIの45口径で目玉をえぐられ、怪物は仰向けに倒れ込んだまま痙攣する。
ぼそり。
異常な耐久値なのか防御魔法でも掛けてあったか、死んではいない。王の名残を身にまとった肉塊は必死に立ち上がろうともがく。
ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。ぼそり。
城の入り口までビッシリと積み上げられた死体の回廊で、俺たちと“かつて王だったもの”は対峙していた。邪魔する者はいない。間断なく降り注ぐ王国軍兵士の死体に押し潰されて、防戦どころではない。そもそも、目の前で蠢くスライムの出来損ないみたいな物体が、自国の王だと認識している者さえいるかどうか。
「……こ、殺……せぇ……」
上層階から叫ぶ軍服姿の馬鹿を無視して、目の前の一角に収納を掛ける。
続けざまに短い悲鳴が上がった。一瞬で王城の基部が掻き消えたのだ。中空に浮いた城の上部は一瞬その場に静止したように見えたが、ダルマ落としのように一気に落下し始める。
収納から弾かれて空中遊泳していた数十名の騎士や兵士や執事やメイドや巻き込まれた不幸なモブたち、そして俺の“お土産”を巻き込んで瓦礫の山に変わった。
俺とミルリルは仲間の元まで転移で戻る。
チランとT-55は、押し寄せる軍勢と戦闘中だった。戦車砲を使うような敵は現れず、同軸機銃とチランのMAG汎用機関銃が群がる敵を粉微塵に砕いていた。数百の死体を築き、それは履帯に踏み潰されて車体の下に赤黒い泥濘を作り上げている。
「撤収! ミーニャとヤダルも、いっぺん車内に入れ!」
「お、おう!?」
ミルリルがチランの操縦席に着き、エンジンを始動する。
「用は済んだ。帰るぞ!」
“““了解”””
展開して帰路に着くケースマイアン機甲部隊を止められる者はもういない。収納に詰まっていた憂鬱な余剰物資も全て本人たちに返却することができた。もう王都に思い残すことはない。
「うきゃぁああああああぁ……!!」
野太い嬌声に振り返ると、王城の瓦礫と無数の死体が積み重なった上に、誰かが立っているのが見えた。
それ以上のことは見えん。見たくもない。
「墨色の軍服を着込んだ痩せっぽちじゃ。あやつも、かつて王であったあの何かと融合しようとしておるようじゃのう……つくづく救われんやつらじゃ」
思い出したように現れては立ち塞がる王国と皇国の兵士たちを弾き飛ばし轢き潰して、戦車は聖都とやらを砲撃しながら脱出する。
「距離1哩。遮蔽もある、もう良かろう?」
「OK、総員衝撃に備えろ」
俺がスイッチを握り込むと、一拍遅れて轟音が響いた。崩れた城の瓦礫に混ぜておいた手製爆薬が爆発し、数万の死体とそれに加わった死者たちを“聖なる都”の全域に撒き散らす。
その轟音と衝撃は都の外縁部にまで来ていた俺たちのところにまで達した。凄まじい揺れと爆風は、追い縋る兵たちを押し倒す。
上空高くまで打ち上げられた瓦礫や砕片が、バラバラと落ちてきては戦車の車体を打った。目の前に飛んで来た瓦礫や建材を適宜収納しながら、俺は更地になった都の中心部を眺める。
「夢の都よ、いざさらば……じゃな」
ビックリするほどの棒読みで、ミルリルが小さく呟いた。




