112:魔王を討つ者
「問題が起きた」
エルケル侯爵は第一声、そういって頭を下げた。
「は? いえ、しかし」
「わかっている。貴殿らの旅路を邪魔しようとは思わん。思わんが、このまま北上すると敵の支配圏に突っ込むことになる。さらにいえば、あやつらの脅威がケースマイアンまで及ぶのも時間の問題でしかない」
敵? 脅威? 支配圏? いきなり、なんの話だ?
「わからんのう、侯爵。敵とは何者じゃ。そもそも、そやつらは王国中央部に支配圏など、いつ確立したのじゃ?」
「いまだ」
俺とミルリルは首を傾げる。
リオノラさんに視線を向けるが、彼女もわからないらしく困った顔で首を振った。
「貴殿らがメテオラを出た後、魔獣群の暴走が起きた」
侯爵は、俺たちが知らずにいた状況を伝える。
発生源は、王国の中西部から諸部族連合領の東部にまたがる“死界の森”。
狂乱状態で森から溢れ出した魔物は大小数百体に及び、何もかも呑み込む奔流となって王国南部に押し寄せてきた。
幸い内戦の余波で住民は避難済みだったため、人的被害は軽微。いまはメテオラの北西80哩(約128km)にある山岳地帯で南部貴族領軍が押し留めている。
東寄りの南下ルートを考えるとかなり西に逸れるが、エルケル侯爵領に被害が及ぶ可能性も、わずかながらある。
「それは自然災害ではないのか? わらわが訊いておるのは、侯爵のいうた“敵”についてじゃ」
「ああ、そうだな。敵はおそらく、サリアント王だ」
「王? 処刑されたんじゃないんですか」
「いや、本日夕刻に処刑執行の予定だったんだが。ううむ……なにから話すべきかな」
侯爵は考えをまとめるように、いい淀んだ。
本当の年齢のせいか、いつでも冷静そうな人物なのだが。緊急事態で少し混乱しているのか。
「王と王妃は、昼前から処刑台に送られていた。王女は身分剥奪の上で隠居と決まり、牢に留め置かれていたのだが……彼らが消えた」
「逃げられた、ということかのう?」
「いや、我らの監視の前で消失したのだ。牢にいた王女も、見張りの兵の目前で姿が消えた。なんらかの魔術によるものだと思うが、兵と魔導師の警戒網にはなんの反応も出ていない」
その直後に魔獣群の暴走が起き、対処のため無人になったメテオラの公務館に手紙が届いた。誰もいなかったはずの執務室の机の上に置かれていたのだが、出入りした形跡はなく人影も目撃されていない。
手紙は王家の公用文書で、宛名はルモア公爵。差出人は“サリアント王”。
「示威のためだろうが、本来は必要のない国璽まで捺されていた。王宮を制圧したときに我々が発見できなかったもののひとつだ」
「ハンコの話はどうでもいいがのう、それはつまり……」
「うむ。我々は魔獣群の暴走が人為的に起こされたものではないかと考えている」
「その“敵”がサリアントの王だとして、手紙にはなんと?」
「“逆賊の徒、及びそれに与する愚民ども”に対して、報復と逆襲を告げるものだった。まずは王都を奪還したと」
「奪還する、ではなく?」
「その直後、王都に残した密偵から早馬で伝令が届いている。所属不明の兵3千により、王都は占拠されたと」
俺は困惑してミルリルと視線を合わせる。
なんぼなんでも動きが早過ぎないか? 南部領でも南端のメテオラまで王都からは500km近い。馬では走り続けても2日は掛かる。つまり、その伝令が出発する前、2日以上前から事態は動いていたということだ。
俺たちが魔獣を倒すより……いや、メテオラに到着するより前からだ。俺たちが王都近くを通過した頃には、既に王と王都の奪還計画は進められていたことになる。
ミルリルさんが俺を見る。
うん、わかった。わかりましたから、その生温かい目はやめてください。以心伝心も時と場合によるんだよね。
「……のう、魔王陛下。まさかとは思うんじゃがの」
「そうね。俺たちがケースマイアンから王都に向けて動いていたから、刺激されてなんらかの勢力が動いたとか、そういうのは勘弁してほしいんだけど」
「おぬしがどう思おうと何を願おうと、敵に回った連中からすると燃え広がる野火のようなもんじゃ。そいつらは火に巻かれるのを恐れるあまり、他所に自ら油を撒いたというところであろう」
「なるほど」
いや侯爵、“なるほど”じゃねえっつうの。
「なんにせよ、思い立ってすぐ出来る話ではないわ。サリアント王に加担する者は、奸臣だけではなかったということじゃな。皇国か諸部族連合かは知らんが、御輿を上げる用意は前々からしておったんじゃろう」
「うん、俺は悪くないよな」
「それこそ、まさに“そんなわけねーだろ”、じゃ。おぬしの存在がそこらじゅうの国やらどこぞの烏合の衆やらを色めき立たせておるのじゃろうが!」
「ええええぇ〜? もういいよ、突破してケースマイアンに帰ろう。俺はずーっと自分と仲間の身を守ってきただけなのにさ、どいつもこいつも勝手に突っ掛かってきて勝手に死んでくんじゃんよ。そんなのいちいち相手にしてらんないっつうの」
「……ふむ」
考えてみれば“南部貴族領を見捨てる”、という意味の発言ではあったのだが、侯爵は特に反対や抗議をする風でもなく考えて懐から手紙を取り出す。
「それでわかった。これはおそらく、貴殿に宛てたものではないかと思うのだ」
なにこれ。なんか蝋で封印がしてある巻物。
嫌な予感どころの話ではない。封蝋の横になんか書いてある。読めんけど。
「これは?」
「そこには、“世界の破壊者に告ぐ”とある。本来の手紙はルモア公爵に宛てた物であったから、添えられていたこちらの手紙は誰に向けてのものか、判断に迷っていたのだ」
開いてはみるが、中身もやっぱり読めん。
王だとしたら俺が異世界人なのはわかってるだろうに、どうせぇっちゅうねん。
「ミルリル、これなんて書いてあんの」
文面をチラッと見て、のじゃロリ先生は天を仰いだ。なんだよ、そのリアクション。やめてくんないかな。もう悪い知らせとか、お腹いっぱいだから。
「こう書いてあるのじゃ。“いまや王都は聖都へと変貌を遂げた。聖なる力を得た我らが、魔に墜ちた召喚者を成敗する”と」




