106:深淵に潜むもの
思いがけず深刻そうなミルリルのコメントに、俺は心の中で首を傾げる。
「……祟る? それはつまり、あの生っ白いヘビみたいのが呪術でも使うということか?」
「そうではないが、当たらずとも遠からずといったところじゃ。それと、あれはヘビではなく沼に棲むイモリやらサンショウウオの類いじゃ。陽の差さん地底深くで眼と足が退化してああなったと聞くが……問題はそこではなく、あやつらを殺したときに起こる惨禍じゃな」
「あの、ミルリルさん。お話は結構ですけど、そのサンショウウオがもう城壁まで迫ってきてるんですが……」
「おい、皆の者! 城壁のなかに避難せい! 間に合わんものは木や馬車の上に逃れよ! けして攻撃するでないぞ!」
いきなり現れた大量の化け物を前に固まっていた兵士たちだが、すぐに悲鳴を上げて城壁内に避難してくる。
なんとか城門を閉めることには成功したらしいが、さすがに全員が即座に退避行動は取れなかったようで平地のあちこちに逃げ遅れた兵士の姿があった。それぞれミルリルの指示に従って木や馬車の上に登って難を逃れてはいるようだ。
深棲山椒魚の群れはうねるように蠢きながら城壁にぶつかった。メテオラに外堀はないので、ニュルニュルした白いミミズみたいのがどんどん壁の下に溜まってゆく。
いまのところ直接被害はなさそうだが、気持ち悪いことこの上ない。……が、ミルリルさんの話を聞くまで撃っていいのか悪いのか判断がつかない。
「大丈夫じゃ。図体の割りに力は弱くて、攻撃は締め付けと噛み付き程度しかないんじゃが……おい、殺すな!」
なんのための警告か知らんが、遅かった。
森の端にいる、逃げ遅れた兵士たちだ。ミルリルさんの声が聞こえたのかどうか、自分たちのところに這い寄ってきた巨大なヌルヌルの白い蛇みたいのを見て、剣や戦斧を振り下ろした。
頭を割られ、あるいは首を断ち落とされた深棲山椒魚は呆気なく血を噴いて事切れる。見たところ無足龍やら海群狼のような丈夫さも凶暴さもないようだ。
「……ああ、阿呆が」
「え? どういうこと? 何が問題なの?」
「見よ」
深棲山椒魚を殺した兵士たちが何もない空間に向かって叫び声を上げ、武器を振り回し始めた。
次第にパニックは広がり、周囲で見ていただけの兵士たちもそれに加わる。城壁側にいる兵士たちはそれを見てざわめき出す。
俺もそうだが、彼らが何をしているのか、よくわからないからだ。
「詳しいことは知られておらん。幻覚を見るとも過去の恐怖を蘇らすともいうが、なんにせよ深棲山椒魚を殺したものは正気を失うのじゃ。我に帰るまでには四半刻は掛かるし、大概はその前に……」
兵のひとりが振り回した戦斧が仲間の兵士の頭を叩き割り、もうひとりが突き出した槍が他のひとりに突き刺さって、倒れながら薙ぎ払われた剣が無事だった兵の首を搔き切る。
あっという間に、4人の兵が殺し合って果てた。
「ああ、なるんじゃ」
「魔獣使役師を殺せば、幻覚が消えたりしないか」
「いや、魔導師が使役しているのは移動だけじゃ。恐慌を起こすのは深棲山椒魚自体の……体液か呼気に含まれる毒ではないかといわれておる」
「だったら銃を使って、その毒の効果範囲外から殺せばいいんじゃないか?」
ミルリルは少し迷って、俺を見る。
「いまいうた生態についても、わかっておるのは伝聞による推測だけじゃ。あんなもん地上に出てくること自体が稀な生き物なのでな」
レアモンスターか。嬉しくはないな。冒険者ギルドに売る、なんて選択肢があるならともかく。
毒であろうとなかろうと、危険性だけは、たったいま証明済みだ。2〜30mも離れたら効果がないこともだ。
俺は散乱した兵士と白ヘビの残骸を指す。
「あの距離を基準にして、試せばいい」
「おそらく正論だとは思うんじゃがのう。群れはもう間近にまで迫っておる。ヨシュア、この状況で危ない橋を渡る必要があるのか?」
いや、ないけどさ。そもそも他人の戦争だし。とはいえ、ずっと城壁の下でウネウネさせたまま放置すんの? 俺はそれで別に構わんけど。
「このまま手を出さなかったとしても、敵は攻撃してくるよね。俺たちに、というよりもこの白ヘビにさ。こいつら、しばらく待ってたらいなくなったりする?」
「陽の光を嫌って地中に戻るとは聞くがのう」
「まだ夕方だから、それだと半日以上も待たなきゃ……あ」
いいこと思い付いたわ。
「ミルリル、あの魔獣使役師が余計なことしないように見ててくれるか?」
「了解じゃ」
俺は城壁の内側に降りると、壁からわずかに距離を取って垂直に土を収納した。
収納、収納、収納……っと。歪にヨレて崩れるな。整形するのにスコップ持ってくりゃよかった。
海に近いせいか土は表層だけで5mも掘ると石や砂利や硬い岩盤が現れ、さらに派手に海水が溢れ出し始める。手当たり次第に収納して直径3m深さ30mほどの縦穴を作ると、転移で地上に戻って城壁の上に飛ぶ。
「お待たせ」
「あの魔導師めが、逃げよったのか森に入ったまま現れんぞ」
「……ふん、もう放っといても勝てるとでも思ったのかね」
城壁の外側に沿って地表を収納で削り、幅10mほどの広い漏斗状のスロープを作る。深棲山椒魚がズルズルとうねりながら滑り落ちて行く。向かう先はさっきの縦穴だ。底にぶつかったらダメージで毒を吐くかもしれないけど、さっさと済ませれば問題なかろう。
「その穴に追い込めばいいのか?」
「ああ、自分たちが落ちないようにな」
城壁の上から見ていた兵士たちが手伝いを申し出てくれて、梯子やら柵やら松明やらで残った深棲山椒魚をスロープに追い込んで行く。
「よし、もういいぞ」
最後の一匹を落としたところで、兵たちに下がってもらって収納した土やら岩盤の塊を投げ込んで埋める。掘り出したものだけではなぜか足りず5mほどの縦穴は残ったが、まあこれだけ深い土の下なら毒の影響はないだろう。
「ふむ、ご苦労じゃヨシュア。これで問題なかろう。しかし……あれじゃな」
ミルリルさんが濡れ髪を掻き上げてながら、俺を振り返る。
「最後の大仕事だったというのに、えらく地味じゃの」
「そうね。わかってるから、そこは突っ込まないで」
さて、残るは人間同士の殺し合いだ。俺たちは部外者の座に戻って待たせてもらうことにしよう。




