104:魔獣狩り
日が陰り始め小雨がぱらつき始めるなか、俺とミルリルは侯爵に連れられて城門を潜る。
叛乱軍の指揮を執っている公爵と顔合わせをすることになったのだ。
メレルさんからの事前情報で、内乱を主導する叛乱軍の首魁と聞いていた、ルモア公爵だ。
「ああ、そういえばエルケル侯爵。ルモア公爵の他に、もうひとり侯爵が主導的立場と聞いていたけど、もしかしてあなたがそうですか?」
「わたしが、主導的立場? いや、それは流言の類だろう。勇者召喚に関する情報を得て、亜人の保護を公爵に意見具申したのは確かだが、南部貴族領を取り纏めるような力はない。王家打倒についても、我が領は他の貴族領と同じく従属的なものでしかない」
「ケースマイアンへの特使役を買って出たのは?」
「単に若輩だからだ。我が領は、なにもかもが若いからな。兵も馬も、将もだ」
少し含みがあるようだが、あまり聞くのも失礼な話題と見た。そもそも叛乱軍内部での事情など、俺たちが口を挟むことではない。
「すまぬ侯爵殿、つかぬことを訊くがのう。おぬしの家名は、イエルケル村とはなんぞ関わりでもあるのか?」
なんでまたいまそんな話を、とミルリルを見ると彼女は首を振って宙に字を書く。いや、この世界の文字は読めんというのに。
「“イ”、というのは古語で拓く、という意味じゃ。古い領地なんぞで家名の前に“イ”が付くのはよく聞くが、ここからはずいぶんと離れておるので気になってな」
「始祖の生地だ。かつてイエルケルは街道沿いに栄えた商都でな。曾祖父の代には王都を上回るほどの栄華を誇り……」
エルケル卿は暗い目をして笑う。
「当時の王に転封を命じられた。名目上は昇爵による新領地の拝領だったが、意図するところは明白であろうよ。我がエルケルの家は代々、王宮内の政争には向かぬ武骨者であったからな」
この侯爵、王家に対しては世代を超えて拗れた感情があるようだ。世代が変わるごとに日本全国をウロウロしているうちにルーツも忘れてしまった我がタケフ家とは大違いだな。
立哨に話を通してもらって、指揮所になっている公務館(王家直轄地のため領主館の代わりにある公館)の執務室に入る。
ルモア公爵はひと目でわかる初老の偉丈夫。メテオラの地図を前に他の領主や参謀たちと作戦を練っているところだった。兵の配置と作戦概要がひと目でわかってしまう。
これ、部外者を入れたらイカンのではないか?
耳に入った情報だけでも戦況は一進一退らしく、公爵は気が立っているようだったが、侯爵から俺が“ケースマイアンの魔王”と紹介されると硬直した笑みを浮かべた。
周囲の人間が固まったまま動かないのに比べると、まだ器が大きいともいえる。
「……まさか、魔王とはな。本当に、実在していたのか」
「いいえ。気付けば神輿に乗せられて、周囲から付けられただけの、便宜上の称号ですよ。たとえば……国王のような、ね?」
にっこり笑って伝えたのに、今度は侯爵まで揃って引き攣るような笑みを浮かべただけだ。ジャパニーズの中年ジョークはお気に召さなかったらしい。
「ヨシュア殿、いえ魔王陛下には縁あって、此度の会戦にご助力いただくことになりました」
「なに!?」
「ああ、念のためいっておきますが、手を貸すのは魔獣の討伐だけですよ。わたしたちが内乱に関与するのは筋違いだと思いますので」
「……しかし、先の戦闘では……ああ、そうか」
ルモア公爵は小さく息を吐いて首を振る。
「ごもっとも、といったところだな。新しい魔王は侵略をしない。噂通りだ。戦うのは身を守るときと民を守るときだけ。そのときは容赦なく殺し尽くすと」
どんな噂ですか、それ。というか、どこ発の噂?
「魔獣と魔獣使役師を仕留めるところまでは協力しますが、その後はお任せします。できれば攻撃の間、被害が及ばないように兵を引いていただけるとありがたいのですが」
「それは、何日くらいですかな」
「向こうから来てくれるなら、本日中に終わるでしょう」
キョトンとした顔の公爵と、呆れ顔で首を振る侯爵。周りの貴族領主や参謀たちは人形のように無表情のままだ。
もう夕方だから、さすがに今日中は盛り過ぎたか。
「公爵閣下、我々の尺度で考えてはいけないのだと愚考します」
「……わかった。おい、魔獣の襲来を受けたときは、兵に防衛陣形を保ったまま攻勢には出ないよう伝えろ」
「「「「はッ!」」」」
伝令の兵士たちが立ち去って、椅子を進められる。従兵らしき若者が、お茶のトレイを持って入ってきた。俺が椅子に掛けようとしたとき、外で怒号が上がった。
「海群狼だ! 大群で来たぞ!」
まったく、出されたお茶を飲む暇もない。
「では、早速ですが失礼します」
俺は公務館から出ると、ミルリルを抱えて城壁まで転移する。見張りの兵に下がるよう伝え、城壁上の通路を走った。海側に出ると、海岸から上陸する巨大な生き物の群れが見えてきた。思ったより、ずっとデカい。
「あれが、海群狼か?」
「わらわも初めて見るのう。おかしな生き物じゃ」
手足はアシカのような鰭になっているが、首から上は狼に似ている。全身を覆っているのは龍麟のような硬いウロコで、首の後ろから背中にかけて背鰭というか鬣のような毛が生えている。
“魔王陛下、こちらオーウェ。標的を確認しました”
「ちょっと待って」
俺は城壁から海側に展開して身構えている兵たちに叫ぶ。
「おい、城壁まで下がれ! 友軍の攻撃魔法が来るぞ!」
「……友軍? 魔導師なんて、いたか?」
不承不承、といった様子で兵たちは海岸から距離を取る。
同じことを侯爵軍の伝令兵が各陣営に触れ回る声が聞こえた。不審そうな反応もあるが、誰も好きこのんで魔獣の群れに突っ込みたくはないのだろう。伝令を無視してまで前進する者はいない。
“射線クリア。射撃開始します”
RPKを抱えたオーウェさんが上空をゆっくりと旋回しながら点射で7.62ミリ弾を送り込む。
まるで小さなガンシップだ。
ウロコは硬度があるのか魔導障壁に似た効果でも持っているのか、数発を弾いて火花を散らした。
オーウェさんは心臓部から頭部に狙いを変えたようで、すぐに狼のような頭や首筋に着弾し始める。
銃声は遠すぎて微かにしか聞こえず、海岸線では痙攣した魔獣の身体から肉片が飛び散るのが見える。
海群狼は血を噴き出しながら凄まじい雄叫びを上げて暴れ回るが、周囲には誰もいないので被害はない。しばらくすると出血多量でずるずると動かなくなってそのまま事切れる。
城壁に鈴生りの兵士たちから歓声が上がった。
「「「「おおおおおおぉ……!!」」」」
自分たちが攻撃を受けているのはわかるのだろうが、遥か高空から降り注ぐ銃弾に海群狼は対処のしようもない。手も足も出ないとはこのことか。
速度と突進力を生かした群狼戦術も、標的を視認できないままではただ狼狽え逃げ回るしかない。
巨体の膂力と鋭い牙と爪、剣や槍も通さない分厚い防御。人間たちが相手なら蹂躙するのも容易い彼らが、いまは狩られる側に回っている。
怒りの咆哮は、やがて哀れっぽい悲鳴に変わる。海群狼は1頭また1頭と屠られ血肉のなかに沈んでゆく。
「ヨシュア、あそこに飛んでくれんか。白い布切れの張られた船じゃ」
ミルリルを抱えて、指定された軍船のマスト上の見張り台まで飛ぶ。そこから船首を見つめたミルリルが、くぐもった息を吐く。
直後にUZIが火を噴いて、海に転げ落ちる人影が見えた。
「阿呆が。魔獣使役師が攻撃魔法を発動させよったわ。暗闇で松明を灯すようなもの。良い的じゃ」
魔法については詳しくないけど、そういうもんなのかな。もしかしたら、あなたの察知能力が特殊なんじゃないですかね。いわないけど。
“こちらオーウェ、海群狼殲滅。40……と、7頭です”
「すごいな。おつかれさま、そのまま警戒お願いします」
“了解です”
転移で船首に移動、そこに残っていた魔珠や魔道具を回収して城壁まで戻る。
船内で船員たちが息を潜めているのはわかったが、皆殺しにする気にはなれない。その暇もない。
“魔王陛下、北西の森から巨鬼とオークの群れ、約60です”
「射撃は待ってください。大物を呼ばないように、オークは地上で即死させます」
“了解”
巨鬼とオークはサイズと色と形こそ微妙に違う(ような気もする)が、身長は2m弱から2.5mほど。ほぼ同じような筋肉質の人型魔獣だ。
赤や緑がかった肌を晒して、着衣はなく人間から奪ったらしい鎧の残骸程度。武器も棍棒やらボロボロの鉄器まで様々。
俺には違いがわからん。混じって突っ込んでこられたらどっちがどっちか見分けも付かない。
どうでもいいといえばどうでもいいんだけど、オークが声だか臭いだかで大型魔獣を呼ぶというなら、そちらを重点的に殺さなくてはいけない。
「なあミルリル、あの群れのどれがオーク?」
「牙が生えとる豚みたいなのがオークで、角が生えた豚みたいのが巨鬼じゃ」
「そんだけ?」
「生き物としては色々違うんじゃろうが、そんなもんわらわも知らん! なにを悠長に話しておる、早よぅ転移せんか!」
「うへーい」
俺は覚悟を決めてミルリルを抱え直し、森の際まで転移する。
間近に迫る人型魔獣の大群は迫力満点、というより恐怖感で身が竦みそうになる。
「わらわは右から倒してゆくのでな。ヨシュアは左からじゃ」
「了解」
75連のドラムマガジンを着けたRPKで頭部を狙い、確実に仕留めながら全自動射撃で薙ぎ払う。血と肉片と脳漿がビチビチと飛び散って、汚らしいことこの上ない。
その間にミルリルさんは目玉を狙って確実に銃弾を送り込み、倒れたところにとどめの2発を加える。
オークたちがこちらに気付いて向き直った頃には、群れは半減していた。
とはいえ、まだ30頭はいる。突っ込んで来られればひとたまりもない。
「ミルリル、行くよ」
「了解じゃ」
森の際、群れの反対側に出て弾倉交換の後、再度銃撃を加える。
ミルリルさんはオークだけを重点的に確実に殺してくれているようだけど、巨鬼との見分けが付かない上に射撃精度も低い俺は一方的な虐殺蹂躙戦法を取るしかない。
こういう使い方でこそ、タフで荒っぽいAKやRPKは生きるのだ。
うん。負け惜しみである。
ほんの10分ほどの戦闘ともいえない虐殺で、巨鬼とオークはあっさりと全滅した。
城壁側で観戦していた貴族領軍の兵士たちから歓声が上がる。そして、地響きも。
嫌な予感がした。揺れは大きくなり、森の端でゴボリと土が盛り上がる。超巨大なモグラ穴みたいなそれは、どんどんと俺たちの方に近付いて来る。
「そうだよなー。順繰りに海群狼、巨鬼、オークときたら……」
首を振ったのじゃロリさんが、苦笑しながら俺を振り向く。
「そうじゃ。あれが無足龍じゃな」




