102:さらに南へ
新生クマ顔バスは順調なペースで街道を南下する。途中で避難民らしき集団の小競り合いはあったが、クマ顔バスがクラクションを鳴らすと散り散りに逃げて行った。
フラットな路面になって、運転手のルヴィアさんが少し速度を上げた。ドワーフチームの改造でエンジンの出力が上がっているのはどうやら本当のようだ。
銃座から車内を覗くと、騎士ふたりと侯爵はワクワク顔で車窓から外を眺めていた。
「皆さん、気持ち悪くなったらいってくださいね」
「いや、問題ない。すごい速度だな。それに、乗り心地もいい」
「騎馬の2倍、馬車の3倍は出るようですな」
「本当はもう少し出るんですけど、危ないですからね」
あまり飛ばし過ぎないよう、ルヴィアさんには速度の上限を時速80kmくらいまでにしてくれるよう頼んである。
異世界であろうとなんだろうと、事故を起こしたら死んでしまうことに変わりはないのだ。
最後部の長い座席に座った母娘は疲れが出たのか寄り添いながらぐっすりと眠っている。
今日1日でどこまで行けるかわからないが、500kmは無理だろう。夜道の運転は疲労もリスクも大きいので、日が傾く前に野営の用意をした方がいい。
それから半日ほど。侯爵一行と会ってから250kmくらいは走っただろうか。侯爵領までの行程でいうと半分くらいを消化したところで日が陰って来たので、野営の準備に入る。
エルケル侯爵から聞いた情報では、この先の平原では大規模な戦闘が行われているらしい。夜間に敵陣営に迷い込んでは堪らないので、おとなしく夜明けを待つ。まあ、俺たちから見れば、どちらも味方ではないのだが。
念のため火を焚くのもやめて、食事は携行食と菓子とミネラルウォーターだ。とはいえ味の方は皆さんになかなか好評である。
夜間の歩哨に立ってもらった護衛の騎兵から、夜明け間近に前方の様子がおかしいと伝えられた。
「おかしいとは、戦闘音でも?」
「逆です。何の音もしない。野鳥がさえずっているのが聞こえますか?」
この世界で夜戦はあまり行われないようだが、軍が対峙している只中を鳥が餌を探して飛び回るというのが異常なのだそうな。
朝食もそこそこに車を出し、警戒しながら進む。
日が昇り始めると、穀倉地帯の平原が見渡せるようになって来た。踏みしだかれた痕や焦げた焚き火の残骸、壊れた馬車や装具は転がっているが、人影はない。
「戦闘は、終わったのか?」
「わたしたちが通過したのは5日ほど前ですが、そのときは通過にえらく苦労したものです」
いくつか置き去りにされた死体はあったが、どれも国軍(王家側)のものらしかった。
「戦線は南に移動したのだろうか。貴族領軍が押しているのだとしたら、戦線は北上して来るものだと思うんだが」
「東西どちらかに動いたのかも知れん。なんにせよ、我々の目的地はひとつだ。侯爵領に向かうしかあるまい」
どこかでぶつかるとしたら油断はできないが、とりあえず警戒しながらも予定通り街道を南下する。
それから意外にも何事もなく距離を伸ばし、王国中央の王家直轄領を抜け、南部領に入った。
少し路面が荒れて、車体に揺れが出始める。街道の整備は領主に任されているらしいので、路面状態がまちまちなのは経済状況と統治意識の違いなのだろう。
あるいは、王都との政治的経済的交流に対する意識の違いか。
周囲の景色も、平地が減って森が増え、起伏が大きくなってきた。場所によっては路肩が荒れていたり、戦闘の痕跡が残っていたりする。やはり戦線は南下したのだ。車内から見る限り死体こそないが、壊れた馬車や散らばった物資、馬や兵士の死体はいくつか確認できた。そこに蹲り漁っているらしい避難民の姿も。
助けたいと思わないでもないが、それが自己満足でしかないことは理解している。だったら、あの母娘だけで十分だ。
昼前に停車して休憩と給油を済ませていると、ミルリルが駆け寄って来た。
「ヨシュア、前方で戦闘じゃ」
「わたしが出ましょうか」
M4を抱えたオーウェさんがこちらを見る。飛んでいって露払いをするといいたいのだろう。
「いいえ。可能な限り戦闘は避けます。抜けられない場合だけ、最小限の攻撃で排除しましょう」
「わかりました」
「了解じゃ」
車内に戻ると、エルケル侯爵と騎士たちも状況を見ようと車内前部に移動している。
「ルヴィアさん、稜線あたりまで前進してください」
状況が確認できる位置まで、ゆっくり車を走らせてもらう。互いに少数の小競り合いのようだが、見えて来たのは紛れもなく兵士同士の戦闘だった。
「侯爵、あれは?」
「この地の子爵領軍と、国軍の敗残兵だな。ヨシュア殿、可能であれば白い外套の兵は殺さないで頂けると助かる」
「ミルリル、頼めるか?」
ミルリルが頷いて、フロントガラスの左前部に開けられた銃眼から、UZIの銃身を出す。ふだんは風が入らないように蓋をしてあるのだが、その蓋を押さえるところが銃座を兼ねた防盾になる。これも誰の発想だかずいぶん手の込んだものだ。
つうか、このバス戦闘に投入する気満々じゃねえか。
「済んだぞ」
単発射撃で7発、発射したところでミルリルが告げ、ルヴィアさんが車を出す。
ゆっくり近付いてくる車両に生き残りの兵が警戒を強めるが、敵を排除してくれたことは理解したのか攻撃を加えては来ない。
「そこで停めてください」
騎兵のひとりが剣だけを持って降車、子爵領軍の兵士のところに駆けてゆく。しばらく話し合った後で手を振って来たので車を進めた。
「村を襲おうとした敗残兵の討伐だったようです」
乗り込んできた騎兵が侯爵に告げる。バスが通過する際には、子爵領軍の兵士は揃って頭を下げてきた。
「戦線は南端に移って、既にこの辺りは掃討戦に移行しているそうです。貴族領軍が優勢ですが、戦線が移った理由は、メテオラ沖に軍船が現れたからだと」
「ふむ、メテオラの防衛を優先したか。軍船とは、王家派閥は最後の悪足掻きをしているようだな。もう決着は付いているというのに」
「……侯爵。しかし、それは」
「ヨシュア殿がいいたいことは、わかっている。王国は終わりだ。それでも、やらねばならんのだ。魔王を討つために勇者を召喚する、などというお題目のために王家が何を成してきたか。その結果として国が滅びるというのであれば、我らの自業自得であろうよ」
子爵領を抜けて、しばらく広い公爵領が続く。ここでの戦闘はほぼ決着しているが、その南側にある港町が現在の戦闘の舞台になっているメテオラなのだという。
「南部貴族領で最大の商都、でしたか」
「そうだ。そこは飛び地になった王家の直轄地でな。王と王妃、それに王女はそこに逃れていた。叛乱軍とでも呼ばれているであろう南部貴族領の連合軍が、彼らを拘束した。すぐにでも処刑を行うはずだったが、王たちの奪還のために国軍の残党が全力でメテオラに攻め込んでいるところだ」
「戦況は」
「無論、こちらが優勢ではある。地の利も兵数も士気も物資の調達もこちらが有利なのだから当然だな。しかし、既に戻る道もない国軍兵どもは死兵となって向かってくる上に、国軍残党の主力になっている魔導師が厄介だ」
苦虫を噛み潰したような顔でいう侯爵に、先ほど車を降りていた護衛の騎兵が追加情報を伝える。
「子爵領軍の兵から聞いたところでは、国軍側は宝物庫にあった魔道具や禁忌の魔獣使役師まで投入しているそうです」
「テイマー? 魔獣を操るんですか」
「はい。いま戦場に出ているだけでも、無足龍、海群狼、巨鬼。それと面倒なのがオークの群れです。やつらはなかなか死なない上に、死にかけの体臭が大型の魔獣を呼ぶので」
ああ、知ってます。実際イエルケルの森で(どんなんか知らんけど)大型魔獣を呼んでしまったしね。
「何度か巨鬼とオークの襲撃があって、メテオラの城壁内に留まっている住民にも被害が出ているようです」
「ええッ!?」
震える声に振り返ると、母親が真っ青な顔でこちらを見ていた。
「メ……メテオラが、襲われてるんですか!?」
そうね。そういうことになるんだよね、きっと。関係ない、どうでもいいって、自分と自分の仲間の利益だけを考えて、割り切って生きていけば楽なんだろうけど、そんなことは出来ないんだよ。
だって自己満足で、偽善で、信じてもいない綺麗事で、手を出しちゃったんだもの。
てめえの人生の目的なんて、なんにもないから、だから手を出して、だから巻き込まれるんだ。いつだって、傍から見ると無意味でわけわかんない感情に背中を押されてさ。無視したらいいのに。
「魔獣を率いた国軍が襲っている。貴族領軍が防戦してはいるがな」
侯爵がそういうと、母親は最後の希望が断たれたとでもいうように崩れ落ちた。
そうだよ。そうなるんだ。どっかの馬鹿が中途半端な夢なんか見せるから。出来損ないの仏心で手を差し伸べるから、上手くいくんじゃないかって思っちゃう。そんなわけないのに。
聞きたくないのに、もうここで降ろして知らん顔したらそれでお終いなのに、俺は見てしまう。母親の裾にすがった姉妹が、こちらに向けた目を。
「わたしたちが逃れようと思っていたのは、メテオラです」
郡山のお婆ちゃんがさ、いってたんだよ。親からはぐれた仔猫を拾おうとしたとき、だったかな。
手を出すなら、なにがあっても最後まで面倒を見る覚悟を持ちなさいって。最後まで責任が持てないなら、お前がどう思おうと、どう願おうと、こいつはここで死ぬべき運命なんだって。




