100:南下計画
「わらわじゃ。有翼族の誰ぞ、近くに居らんか」
ミルリルが通信機に話しかける。現状ケースマイアンから100kmほど南下しているが、有翼族上空監視チームの誰かは監視に就いているはずだ、というミルリルの読みは当たって、すぐにふわりと上空から人影が舞い降りてきた。M4を胸の前に抱えたルヴィアさんだ。
護衛の騎兵たちには、仲間の伝令が来ると伝えてある。
「お呼びですか、魔王陛下、王妃陛下」
「え」
キョトンとした顔で俺を見ているのはエルケル侯爵。
「魔王云々というのは、王の寝言だとばかり思っていたが」
「まあ、そうです。王国と皇国でケースマイアンの民を魔族と……そしてわたしを魔王と呼んでいるらしいので、いっそのこと自分でも名乗ってやろうと思っただけですよ」
「……では、本当は魔王ではないと?」
いや、知らんがな。俺が決めることじゃねえだろ、それ。
「魔力を持った亜人を魔族というなら、ケースマイアンには魔族がいっぱいいますね。その長を魔王だとすると、軍を統率する俺は魔王なんでしょう。召喚されたとはいえただの人間だし、世界を滅ぼすような力は……ないですけどね」
思わず少し間を空けてしまったのはご愛嬌だ。
ケースマイアンの全員を武装させて攻め込めば、既存世界を滅ぼすことも出来なくはないような気はする。
それ以前に、経済破綻とか社会基盤の破壊という意味でなら、現在進行形で王国を滅ぼそうとしている元凶なのだが。
「ルヴィアさん、伝言をお願いします。王国南部貴族領……こちらのエルケル侯爵の領地で亜人の避難民を保護してくれているらしいので、彼らの救出に向かいたい。車両は不要なのでヤダルとミーニャ、それとペルンにこちらまで来るように伝えてください」
「了解しました。ですが、その人選の基準はなんでしょう?」
「護衛と、車両の運転が可能な人材です。俺とミルリルでは1台しか動かせない。100人近くいるので、最低でも、もうひとり運転手が必要なんです」
ルヴィアさんは指を顎に当てて聞いていたが、首を傾げてにっこりと笑う。
「では、わたくしでもよろしいでしょうか?」
「え? 運転できましたっけ?」
「はい。獣人の運転講習で、有翼族は7人が運転を学びました。あいにく、“まにゅある”の操作適性があると判断されたのはわたくしとオーウェだけでしたが」
「すごい。マニュアル、いけるんだ」
獣人のなかでは筋力と戦闘能力が低い有翼族は、“飛べなくなったら何もできない”という状況を回避するために色々と考えているのだそうな。
すごい、前向きなリーダー像。俺なんかサイモンとのリンクが切れたら量産型のオッサンだし、銃なくなったら人狼の子供たちより使えないわ。
「俺もなんか覚えようかな……」
「なんかって、なんじゃ。訳のわからんことを抜かしとらんと、サッサと方針を決めんか!」
あら。ミルリルさん、たまに冷たいよな。
「はいはい、ちょっと待ってな」
上空警戒を引き継いでいたメイヴさんに通信機で状況を伝え、オーウェさんを呼んでもらう。装備はM4で、ドライバー兼護衛をふたりも手に入れた俺たちは、エルケル侯爵領に向かうことになった。
それはいいんだけど、車両だよな。
往路には当てがあるけど、問題は100名からを連れて帰る復路だ。いまからケースマイアンに戻ってトラジマ号とかハンヴィーを拾ってくるのも面倒だし非効率的だ。
「市場」
時間が止まって演台が現れた……のに。
あら? サイモンいないんだけど。ちょっと急いでるんだけどな。ラリッてたり変な服着てたり太ってたりはあったけど、不在ってのは初めてのパターンでリアクションに困る。
「いや、違うよ。そうじゃないって。ああ、わかってる。わかってるさハニー。この世界の誰よりも愛してるよ、ぼくは君のためになら世界の全てだって捧げグフォッ!?」
フレーム外から登場していきなり、なにいってんだお前。
挙動不審になったサイモンは俺に手を振り背を向けてモニョモニョと愛の言葉を囁いた後で携帯を切った。顔真っ赤だぞ。そんなサイモン初めて見たわ。
「し、失礼しました、少々プライベートな問題で立て込んでおりまして」
「そうみたいだな。ああ、ちょっと出直す」
「へ?」
俺は市場を切ってミルリルたちの元に戻った。オーウェさんが到着していたので今後の計画を伝える。
そこでふと思いついて、近くの道端で座り込んでいる避難民の家族に駆け寄った。
憔悴しきった顔で蹲っていた、幼い姉妹とその母親らしき女性。王都からの避難民なのだろう。見たところ着の身着のまま、いまにも泣きそうな顔で必死に気を張っているが、体力も気力も限界が来ているのは見ただけでわかる。
母親らしき女性は近付いてくる俺に身を強張らせるが、逃げたり戦ったりという反応を見せる元気はないようだ。
「ああ、君たち。仕事を頼みたい」
「「「え」」」
「わかってる、俺は怪しい者だ。しかし危害を加える気はないし、報酬もきちんと払おう。ちょっと待ってくれ」
なるべく軽そうな携行食料と、カロリーが高くて腹持ちが良く保存が利きそうな菓子類と海難救助用の栄養ブロック。3人なら5日は食いつなげるであろう量のそれをビニール袋に入れて、6本パックになった500mlのペットボトル入りミネラルウォーターを一緒に押し付ける。
分けて背負えるようにリュックサックみたいな布袋を3つ出す。袋は王国軍の馬車に入っていたものだが、素材もデザインもバラバラなので軍の装備ではなく誰かの私物だったようだ。
「これは、前払い分だ。終わった後には、成功報酬も付ける。ここいらで集めて欲しいものがあって……ああ、そうだな。その前に」
エルケル侯爵とミルリルたちを呼んで、食事にしようと提案した。御者を務めていた初老の男性と護衛と騎兵たちも来るようにいって、収納から出した段ボールで簡易テーブルを組む。
「……テケヒュヨシュア殿。いったい、なにを始めるというのだ」
「飯ですよ、飯。そろそろ昼でしょう、今後の話もあるので、少し休憩しましょう」
さすがに同席させられるのは可哀そうなので、少し離れた位置に姉妹と母親の分も段ボールのテーブルと食事を出す。なにがどうなっているのか理解できず硬直しているが、仕事の前に栄養を取るべしと無理に座らせた。
「この食器は王国軍の……いや、まあいい。それで、この物資はどこから現れた……む」
ひょいひょいと収納から出してゆくと、侯爵は呆れた顔で首を振った。
メニューは定番のストック食だ。まだ温かい平焼きパンと、香草風味で焼いた肉。スープは獣人族のお姐様がたが作ってくれた具沢山のミネストローネ風だ。食後にとミルリルが好きなカカオ味クッキーのクリームサンドとミネラルウォーターを添える。
ちょっと離れた位置に座ってもらった親子も同じメニューだ。母親はまだ信用しきれていない緊張顔だが、幼い姉妹は食べ物を見てあからさまに嬉しそうな顔になる。仕事の話は食事の後にしようと伝えて俺は侯爵たちのところに戻った。
「毒見が必要なら、ご自由にどうぞ」
「で、ではわたくしが……」
「爺、不要だ。ありがたく、いただこうではないか。この期に及んで警戒したところでどうなる。なにせ相手は、“ケースマイアンの魔王”なのだからな」
護衛の騎士たちも一瞬は顔を強張らせたものの、なにをどう判断したやら気を取り直して各々美味そうに食べ始めた。
爺と呼ばれた御者の男性は、どうやら執事か世話役らしい。侯爵の隣であれこれ世話を焼こうとしては拒絶されている。
「わたしのことはいいから、爺も食わんか。実に素晴らしい味だぞ。特にこの肉は……タケヒュヨシュア殿、これはなんの肉だ?」
「赤身の方は陸走竜。白っぽい方が有翼竜です。香草は暗黒の森で採れたもので、スープに入っている鳥肉や野菜もそうです」
いいながら振り返ると、ミルリルとルヴィアさんたち以外は完全に固まっている。
イエルケルのひとたちも、そんなリアクションだったな。ケースマイアンの住人になってからは、もう多少のことには慣れてしまったみたいだけど。
「陸走竜、というのは草原の化け物か。あれは、こんなに美味いのだな」
「それよりもお嬢様、有翼竜……というのは、あの有翼竜ですかな。これほどまでに洗練された旨味を持つとは初めて知りましたぞ」
「ここ置いとくので、お代わりどうぞ。ああ、その水は、容器の上の丸いとこを捻るんです。そう」
食事が終わってひと休みしながら、今後の亜人同胞救出計画について話す。
現在、戦場となっているのは王都と侯爵領を繋ぐ街道の途中、王家直轄地だった穀倉地帯の平原だ。現在地からは200哩、320kmといったところか。
そこを抜けると、侯爵領までは問題なく到達できるはず、とのこと。
その“抜けると”が大問題のだが。特に復路だ。
「やっぱウラルがもう一台、かなあ」
「バスではいかんのか? できれば“すくーるばす”ではなくクマ顔のが良いのじゃ」
「いや、顔の問題じゃなくてね。50人近くを乗せて戦場を通過するには、バスだとちょっと不安が残るかな」
「よしゅあ、さま。あつめてきました」
幼い姉妹が抱えてきた物を見て、俺は予想以上の出来栄えに驚く。後ろで支えているお母さんは不安げだけど、まさかここまでとは思ってもみなかった。
「これで、よろしかったでしょうか」
「もちろん。素晴らしい仕事ぶりです。では、こちらを受け取ってください」
これからの王国で使い道があるかどうか不明だが、母親には銀貨を数枚渡す。姉妹には大袋入りのキャンデイー。
ああ、そうだ偽善だ。そもそも彼女たちを襲った惨禍の大部分は俺が手を下した結果として起こったことなんだから。そんなことはわかってるし、その選択を後悔する気はないけど、俺には自分の精神的安定のためにこういう偽善が必要なんだってこともわかってる。それで最終的に自分たちの利益につながるなら問題はない。俺は、そう考える。
「差し出がましいことを聞きますが、どこか向かう先に当てはあるんですか?」
「……いいえ。王都の治安が悪化したので、皇国に逃れようと思って」
「皇国に親族や知り合いは?」
「いません。南部貴族領に叔母と祖父母がいるのですが、途中が戦場になっていて、辿り着くのは無理だと聞きました」
「じゃあ、一緒に行きましょうか。自分たちはこれから、南部の侯爵領まで行こうと思ってるんです。送っていきますよ」
母親は、俺の提案に喜ぶよりまず怯んだ。まだ見ず知らずの怪しい男(と更に得体の知れない貴族と亜人たち)に対して、どう反応していいかわかっていないようだ。
とりあえず、ミルリルとルヴィアさんに母娘を見ていてもらって、俺は再び現実と向き合う。
「市場」




