リリス⑤
「…まぁ…正直俺もこれはあまりに人間側に有利な契約だなとは思うが…」
今にも泣き出しそうなリリスを宥めるために京は嘘をつく。
代理戦争は言わば悪魔のための戦争。願いが叶うといっても命を失う危険性があることにはかわりない。もし、それが味方からも寝首をかかれるようなことがあったとすれば尚更契約なんかしたくないと思うのが普通。
「まぁ…この話はわかった。次はそうだな…なぜお前はここにいるんだ?」
は?
とポカン顔で京を見つめて、
「もう忘れたのかドアホめ。お前と契約するためじゃろーが…」
カレーのじゃがいもを突きながら呆れたようにリリスは言った。
「違う。そうじゃない。お前はなぜこの街にいるんだ? つまりは…そうだな。単刀直入にいうと代理戦争が行われるのは日本だけってことでいいのか? なぜ日本なんだ? いや、日本だけにしても広すぎる。上から下までしらみつぶしに探して何年かかると思ってるんだ?」
「ぎゃーぎゃー喚くな…代理戦争の舞台なんてここら一体だけじゃ。えっと…イザヤシだけだったはずじゃ」
「伊邪野市内だけ? なぜそんな限定的な…」
「いいか? 悪魔は好きな時に人間界の好きな場所へ行けるわけではない。この代理戦争の時にたまたま魔界と人間界の扉が繋がったのがここと言うだけじゃ」
なかなか伊邪野市も厄介なことに巻き込まれたな…。
「もういいか? これ以上話すなら妾はこの茶色い液体と白い粒…これは確かライス?だったかの? これのおかわりを要求する!」
無言で京は立ち上がり、すぐに先ほど温めておいた残りをリリスの皿に乱暴に盛り付ける。
「代理戦争ってのは何をする。なにも人間同士が殴り合いするってわけじゃねーだろ?」
「お、おま…せっかくの美味い飯を乱雑に扱いおって…バチが当たるぞ…」
どことなく悲しそうにカレーを見る小さな少女の形をした悪魔。
「当たり前じゃろーが。なんのための契約じゃと思っとる。契約者には悪魔の能力を一つ授けることができる。言わば、代理戦争は悪魔と人間のタッグマッチというわけじゃ」
「能力? 魔術みたいなものか?」
「本来、悪魔は生贄や生命と引き換えに富や名声、知恵、知識などを人間に与えるものじゃが、今回の場合は特別。戦うために己の個性を与えることができる。妾の場合は……これは契約してのお楽しみじゃ」
カレーをぱくぱくと口に運びながらリリスはほくそ笑んだ。
まるで中身のわからない福袋を買う気分だと京は苦笑いする。ましてやかけるものが大きいだけ殊更にそう思ってしまう。
「もうよいじゃろう…話も飽きたわ」
おもむろにリリスは首に下がった蛇のネックレスを取ると京に向けてポイっと放り投げた。
思わず、反射的にそれを手のひらで受け止めるとリリスはニコリと無邪気だが、背筋の凍りつくような笑みを京に向けた。
「『契約成立』じゃ」
…………トクン…………。
その言葉と共にほんの一瞬だけ京の全身を何かが脈打つように流れ込んできた気がした。
「これで妾とお前は持ちつ持たれつの関係じゃ! 共に頑張ろうぞユダよ!」
京は自分の手を握り開きして、自分の身体をゆっくりと眺めて見る。
おそらく契約の成立は京の与えたカレーとリリスのネックレスを交換したこと。
勝手に契約を執行されたにも関わらず、存外冷静で、騙しうちともとれるこの状況を素直に受け止められていた。
それもそのはず。
契約をするかしないか悩んでいたのは事実だが、もしも契約するならばこの条件こそ京の願ってもいないものだったからだ。
その様子にリリス自身も驚いていた。
それと同時にあれだけ質問を繰り返していた京の態度の変化に不信感を抱いたが、初めから契約することを考えていたからのことであろうと自己完結させる。
もし悪魔を出し抜こうと考えているならばあまりに浅はかなことだからだ。
「勝手に契約なんかしやがって…」
「喜べユダ。妾の能力は火を吹いたり、水をワインに変えたりそんなちゃちな能力ではないぞ!」
「人の話聞けよ」
カレーで汚れた口元を乱暴にぬぐってやり、京は小さくため息をついた。
「よいかぁ? よいかぁ? 準備はよいかぁ?」
「いいから早く話せよ…」
にまにまとたっぷりためてリリスは机の上に立ち、小さな胸をふんっと誇らしげに張った。
「妾の能力は……『産む』じゃ!!」
「なにお前…エイリアンみたいなやつなの…?」
自然とリリスが口から自分の分身とも言える幼体を吐き出す姿を想像してしまう。
それからその姿を自分に置き換えてうげっと顔を歪めた。
「…お前がグロテスクな想像をしていることは顔を見ればわかる…。まぁ、見ておれ」
おもむろにリリスは自分の指先を歯で噛みきると血がぷっくりと溢れ出す。
どうやら悪魔も血は赤色らしい。