雨とタピオカ
「『ぱーるあいすらて』が飲みたい」
インキュバスとの決戦から一夜明け、朝、降りしきる雨粒が木造二階建てのアパートの窓を叩く中、リリスはテレビに視線を固めたまま言った。
「…はぁ?」
寝不足ながらもなんとか制服に着替え、ボサボサに寝癖のはねた頭をかきながら京は疑問の声をあげる。
「何度も言わすな。妾は『ぱーるあいすらて」が飲みたい」
「…あ、うん。まぁ、わかった…けどなんでそんなピンポイントで…」
インスタントコーヒーをお湯でときながらリリスの眺めるテレビに視線をやると、なるほど女性アナウンサーが大袈裟にはしゃぎながらタピオカ入りのカフェラテを大層美味しそうに飲んでいる。
「あのカエルの卵のようなものがこの女をここまでして喜ばせることができるとはにわかに信じられん」
「カエルの卵って…ありゃタピオカ。両生類の卵じゃねーよ」
「たぴおか…なんとも妙な食べ物よ…ふむ。よしユダ。今からここへ行くぞ!」
目をキラキラ輝かせてこちらを見つめるリリスに対し、京はゆっくりと手元のコーヒーを啜りながら首を振った。
「都内だろこれ。一時間もあればいけるんだろうけどよ、だめ。めんどくさい。都内なんて人が多いだけでわざわざ遊びに行くようなところじゃない」
「き、貴様! 妾が飲みたいと言っているのじゃぞ! この妾が!!」
「お前がどんな立場かは知らねーけどイヤだね。それに俺は今から学校に行かなくちゃなんねーし」
「……不真面目そうな見た目のくせにお前も存外真面目じゃの…」
ジト目で京を睨みつけたあと、リリスは小さな足を机の下から伸ばし、げしっと京の膝あたりを一蹴りする。
「わかったよ! 明日は土曜日だろ! 都内はぜってぇー行かねーけどタピオカ入りのカフェラテなんて近場でも飲めるから明日連れてってやるって!」
「言ったからな! 嘘をつくでないぞユダ! 貴様は生来すぐ人を裏切るからのぅ!」
京の膝に蹴りの連打を浴びせながらリリスは喚き立てる。
「生来ってお前…まだ俺のことそのユダだと思ってんのかよ…」
小さな悪魔のわがままで休日を1日減らされた京は机をコーヒーでびしゃびしゃにしながら長いため息を吐いた。
「あ、京くん!」
安物のビニール傘をさして、のろのろと通学路を歩いていると不意に後ろから声をかけられた。
振り向くとそこには男にしては少女らしい顔つきと体躯の少年、結城楓が子犬のような笑顔を浮かべて走ってくる姿があった。
「おはよう!」
先輩からいじめを受けている割には明るい声で挨拶をしてくる楓。
なんだかなぁ、と苦笑を浮かべながら京はおう、と短くそれに返す。
「ねー京くん。あの秘密の場所大丈夫かな?」
小さな身体で京の歩幅に合わせ、隣を歩く楓はさぞ心配そうに言った。
「あ〜…まぁ、乾くまではしばらく使えねーかもなぁ」
「だよね…この雨だもんね…今度からは雨の予報を見たら家からレジャーシートを持ってくるようにするよ」
「あ、頼むわ。俺ん家、そういうのねーから」
頼りにされたのが嬉しかったのか、楓は大きく首を縦に振った。
「そーいやさ、あれからどうなった?」
あれ、というのは勿論、楓のいじめについてのことだが、先生や親に言うことができないのならやはり京が一発かましてやろうと考えていたそれに対して、楓はそんなことなど忘れていたかのようにキョトンと目を丸めた後、あー、と微笑を作った。
「もう大丈夫。自分で解決できると思うから」
「あーってなんだよ、それ。自分がいじめられてたってのに忘れてたのかお前」
「ははは、忘れてたのかも。毎日、京くんとお話しててそれが楽しくてさ!」
屈託のない笑顔でそう述べた楓。
一方、京の方はというとなんとも言えない引きつった笑みで
「朝イチ、男からそんなこと言われると思わなかったわ…。どうせなら美少女に言われたかった…」
「え〜酷いなぁ京くんは」
頬を膨らませて拗ねた表情を作る楓は男物の学生服でなく、女子生徒と同じセーラー服に身を包んでいたのならば、美少女に見間違えるほど可愛らしいはずだが、男と知っている京からすると若干気持ち悪いものがあった。
俺はゲイじゃね〜!!
昨日の夜、ゲイ疑惑の目を向けられた京が発した言葉である。
ゲイだったらこいつの発言や容姿にドキッとしちゃうはずだもんな。
してない。俺はゲイじゃない。
自身の深層心理を確かめるように何度も確認し、心の中で女好き好き大好き、と幾度も呪文のように呟く。
そして、自分がノーマルであることに確信を持った後、ふと疑問に思う。
「お前…ゲイじゃね〜よな?」
恐る恐る訪ねたその言葉に楓は肯定するでもなく、否定するわけでもなくニッコリと微笑で返してくる。
「え…ど、どっちだよ…。こえ〜よ…お前…」