リリス①
二階建てのボロアパートの一室でふわっと白い煙が天井を登っていく。
散らかった部屋の真ん中で母親が置いていったタバコを吸いながら京はその様をぼーっと眺めていた。
母親が帰ってこなくなってからどのぐらいの時が経っただろうか。一ヶ月、二ヶ月いや、半年以上会ってないかもしれない。
なぜ帰ってこないのか、何が会ったのかさえもわからないが、毎月の生活費はきっちり京の口座に振り込まれているし、自分がいないうちに家に帰ってきたのかこうしてタバコがカートンで転がっていたりもする。
だから正確には帰ってきていないのではなく顔を合わせていないが正しい。
灰皿に灰を落としながら京は自嘲気味に笑った。
そして、なぜ自分がこうしてタバコを吸い始めたのかもわからない。
ただの興味本位だったかもしれないし、もしかしたら憧れがあったのかもしれない。
理由さえも覚えていないものなのにこうして自分はもうタバコの中毒になってしまっている。
最初の方こそ未成年だから、という罪悪感もあったものの自分を叱る親もいない。もし、父親が生きていたらゲンコツの一つでもくらわせてくるのかもしれないが、そんなのもしもの話で今はろくに息子と会おうともしない母親が一人だけだ。むしろ、親に叱られるということに京は憧れさえ抱いていた。
「けむっ! また、タバコ吸ってる!!」
今となっては自分を叱ってくるのはこのアパートの隣に建つ立派な一軒家に住んでいる幼馴染一人だけだ。
「あ〜はいはい。あのなぁ…ノックをしろノックを」
京はめんどくさそうにタバコを消してトートバッグ片手のマリアに文句を垂れてみる。
「鍵を閉めないあんたが悪いの」
特に聞く耳持たず、マリアはちゃぶ台の上を自分の家でも掃除するようにテキパキと綺麗にしていくと座りながらバッグからタッパーを三つ取り出して机の上に並べた。
「これがカレーね。レンジで温めて食べて。こっちがきんぴらごぼう。んで、これご飯」
こうして毎日のようにマリアは母親から料理を持たされて京の家に届けにくる。
一人だとコンビニ弁当で済ませてしまう京にとってはありがたいことだった。
「いつもあんがとございやす。タッパーは洗って返すわ」
「たまにはウチに食べに来ればいいのに。すぐ隣とはいえ結構めんどくさいんだけど…」
「……おまえん家で食うと食後にタバコ吸えないじゃん…」
「それが間違ってるんだって…あんた未成年よ? タバコは百害あって一利なしって言われてんでしょ!! ましてやあんた高校生! あとこれは普通に文句だけどあんたの家にご飯届けに行ったあとあたしがタバコ臭いもんだからお父さんに疑われんの! わかる?!」
「だから、お前は俺の母親かって」
まくし立てるように喋るマリアにそう一言京が言い返すとマリアは気まずそうに口をゆっくりと閉じた。
「まだ帰ってこないのね…」
「…まぁ、そのうち帰ってくんだろ」
乾いた笑顔でそう京が言うとマリア小さくそっか…と頷いて立ち上がった。
「じゃ、帰るね」
「おう。マジ飯ありがとっす。お前の母ちゃんにも伝えといて」
靴を履きながらマリアははいはいとしょうがなさそうに返事をしたあと部屋の戸棚を指差した。
「エロ本一式、そこに入ってるから」
「だから!やめろって!」
半笑い気味に京が返すとマリアは小さく吹き出して笑い、後ろでに手を振って部屋を出て行った。
京はその姿を見送りながらこっそりとタバコ再び火をつけて、料理のタッパーを開けてみる。
「今日のも美味そうだ…」
そう純粋な感想を漏らした所にーー
「確かに美味そうじゃ」
背面の窓の外から声がした。
慌てて振り向くと窓の柵に小さな女の子…大体小学生高学年ぐらいだろうか、そんな黒髪の子供が座ってこちらに挑発的な笑みを浮かべていた。