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ノイズの音が

作者: 合沢 時

 ジジッというノイズ音がした。


 それをきっかけに土井戸博士が話を始める。


「という訳でだ、この世界は加速度的に文明が進んでいる。それは理解できるよな、前田太郎君」


 僕は「はい」と返事をする。

 土井戸博士は満足そうに肯くと話を続ける。


「わしは加速度的に文明が発達しているのは、何かの啓示かもしれないと思うのだよ」

「啓示…ですか? 」

「うむ、そうだ。例えば、こんな例を知っているかね。ネズミの一種であるレミングは個体数が多くなりすぎると集団自殺をするらしいのだ。つまり、自ら破滅への道を選ぶことがあるということだ。人類にもそれが当てはまるのではないかとわしは思うのだよ」


 土井戸博士が言った『レミングの集団自殺』の話、レミングという鼠の種が集団で入水自殺するという話は、近年では間違った俗説として認識されているものだが、僕は訂正することもせず、あえてスルーした。


「つまりだな、地球上であまりにも個体が多くなりすぎた人類は、自ら滅びの道を歩むために文明を発達させているのではないかとな」


 土井戸博士は、自説を興奮気味に話す。


「滅びのための文明ということですか? 」

「そうじゃ。考えてもみたまえ。武器は生活の糧となる獲物を捕るための物から、お互いを殺すための物へと変わり、そしてついには大量の生物を殺すための殺戮兵器を生み出した。大量殺戮兵器が世に登場した歴史は浅い。近年になってから加速度的に発達した」

「先生は核兵器のことを言っておられるのですね」


 土井戸博士が大きく肯く。


「そうだ。だが、それよりもっと困ったことが起きておる」


 僕は、自分の役目を理解しているつもりだ。予定通りの質問を土井戸博士に投げかける。


「その困ったこととは、一体何ですか? 」

「人間の意識の変化だよ。滅びに向かうためのプログラムを誰かに植え付けられているかのように、命を粗末にしている。他人の命はもとより、自分の命さへも簡単に絶っている」


 僕は、その当時世界で多発していたテロを思い出していた。


「このまま進めば、遠からずいつの日か人類は滅びてしまうかもしれない。人類以外の生物も巻き添えにしてな」


 ここまでの土井戸博士の理論なら、個体数が増えすぎた種は自ら滅びの道を選ぶように仕組まれていることになる。しかし、地球上でもっとも個体数が多いのは昆虫だ。その昆虫が滅びの道へと向かっている姿は見たことがなかった。

 ということは、人類が滅ぶ時に巻き添えになることを彼らは望んでいたのだろうか。

 

 そんなことを考えた僕の耳に、再びジジッというノイズ音が聞こえた。


 


 少しの間だけ僕の記憶が飛んだみたいだ。


 気が付くと、僕と土井戸博士は研究室の地下にいた。地下と言っても、地下一階のような地下ではない。地下二〇メートに作られているスーパーコンピュータが鎮座する広大な部屋だ。脳科学とAIの世界的権威である土井戸博士が、各有名企業からの寄付金で作り上げた代物だ。

 そこに必要な全ての電力は、ソーラー発電と風力発電によってまかなわれている。スーパーコンピュータが加熱しないように冷却する設備も整っている。

 そのスーパーコンピュータが並んで立っている一角に場違いに見えるような物が置いてあった。肘掛けが付いた大きめの椅子だ。背もたれから座面にかけてレザー仕立てになっている。ただその椅子が普通の椅子と違うのは、背面に置いてある五〇センチの立方体の箱から何本もの配線が伸び、それがフルフェイスのヘルメットみたいな物につながっている。


 僕は、それを見たとたん嫌な気分になった。


「これが、何か分かるかね? 」


 土井戸博士が、その椅子を指さして言う。


「さあ、ちょっと分かりかねます」


 僕は、あえてこの答えを口にする。


「先ほども、少し説明をしたと思うが、これが人格コピー機だ」

「人格コピー機…、ですか? 」

「さよう。この人格コピー機を使って、人格をコピーすれば、このスーパーコンピュータの中にもう一人の人間が生まれる。ただし、肉体だけはコピーできないがね。もっとも、私の専門外だがクローンとか言う研究をしている者もいるそうだから、それと組み合わせると完全になるかもしれんな」


 そう言って土井戸博士がワハハと笑う。


「しかし、先生。先の研究室での、人類が滅びへの道を歩んでいるという話と、この人格コピー機との関係が僕には分からないのですが……」


 土井戸博士の顔がグニャリと歪んだ気がした。しかし、それは一瞬だった。すぐに普段の顔に戻った土井戸博士は優しく笑いながら言った。


「分からないかね。コピーして複製を作ることは、再生という、滅びとは間逆の位置にあるんだよ。命を生み出す研究が、もしかすると人類に植え付けられた滅びへのプログラムを変化させてくれるかもしれない。わしはそう思っているのだよ」


 土井戸博士が、僕の両手をぎゅっと握りしめた。…ように感じた。


「そのためには君の協力が必要だ。君にも被験者になってもらって君の人格をコピーしたい」

「ええっ! そんなことをしたら、この僕はどうなるのです? 僕は死んでしまうのですか? 」


 そんな質問をして驚いて見せるのは、何回目だろう。


「大丈夫。人格コピー機を使って人格をコピーしてもオリジナルの君には影響はない。実験後には、君にはまた普段通りの日常が待っている」

「そう言われても不安ですよ」


 僕は一応、拒否の姿勢を見せる。


「大丈夫だと言ってるだろう。一人目の被験者がここにいる」


 そう言って土井戸博士は自分自身を指さした。


「では、このコンピュータの中には、もう既に先生の人格がコピーされているんですか? 」


 僕が尋ねると、土井戸博士は深く肯いた。


「そう。この中にもう一人のわしがいる。ただし、思考するだけの存在だがな」


 土井戸博士は、スーパーコンピュータの黒色の筐体を見ながら言った。


「だから安心したまえ。オリジナルの君に一切の危害はない。さあ、椅子に座りなさい」

また少しだけ、僕の意識が飛んだ。


 どのくらいの時間が経ったのだろうか。気が付くと僕は、コンピュータルームを映しだしている監視カメラの映像で、室内にいる二人の人物を見ていた。一人は土井戸博士で、もう一人はどうやら僕自身だった。自分を客観的にカメラで見るというのも変な感じがした。




 人格コピー機で僕の人格がスーパーコンピュータにコピーされた翌日から、僕には退屈な日々が待っていた。

 僕の人格が完璧にコピーされているかを調べるために、僕は研究室の中で博士の用意した3876項目にもおよぶ質問に答えなければならなかったからだ。オリジナルの僕とコンピュータの中にいる僕の答えが一致していることが、僕の人格が完璧にコピーされているかどうかの決め手だった。

 その3876項目に及ぶ質問の内容は、僕の好きな女性のタイプや好きな食べ物、逆に嫌いな食べ物、好んでみるテレビ番組、印象に残っている幼い時の記憶など多岐多様にわたっていた。質問の中には、思わず赤面してしまうようなあまり答えたくない質問もあった。実際にカメラに映っている自分の顔は赤くなっていた。


 その質問に答えるという作業は、実に2週間近くにも及んだ。

 僕は、その間、休みもなく毎日研究室に通い続けなければならなかった。

 しかし、土井戸博士から十分すぎるほどの報酬をもらっていたので文句は言えなかった。

 3876項目の質問に対しての答えの一致率は99・8パーセントだった。

なぜ、オリジナルの僕とコピーの僕で答えが違ったのか。土井戸博士が出した結論は、オリジナルの僕が2週間の間に受けた外部からの刺激だろうということだった。つまり、2週間の間に僕が見聞きしたものや、食べたものなど、僕が経験したことが刺激になって、オリジナルの僕の答えをコピーの答えと違ったものにしてしまったのだ。

 それが判明すると、僕には土井戸博士から一つの仕事を依頼された。2週間ごとに人格コピー機にかかり、僕の人格を更新していく作業だ。僕は、またしても十分すぎる報酬を土井戸博士からもらったので断れなかった。


 僕が人格コピー機での更新をし始めてから一年が過ぎようとしていた。

その間に、土井戸博士が危惧していたとおりに、世界情勢は滅びに向かって突き進んでいるようだった。世界各国のいたる所で、紛争やテロが頻発していた。国連主導による停戦合意も数週間で破られたりした。そして核を持たない国の指導者は、核を持つという欲求が強くなった。このままでは、どこかの国の愚か者の指導者が核を使うことへの欲求を抑えられなくなって、発射ボタンを押してしまうかもしれなかった。

 そんな僕の心配をよそに、土井戸博士は淡々としていた。


「もし、全ての生き物が死に絶えたといても、わしと君の人格はこのスーパーコンピュータの中で生き続けることができる」


 僕は土井戸博士の言葉にぞっとした。

そんな世界に意識だけが生き続けても何の意味があるだろうか。むしろ生きているという苦痛が長引くだけではないか。いや、それが本当に生きていると言えるのだろうか。

そうなったら僕はどうすればいいのだろうと、その時思っていた。





 ジジッというノイズ音がした。

 

 僕はライブカメラを使って研究所の外の様子を眺めていた。

 相変わらず代わり映えのしない景色がモニターに映し出されている。変化しているといえば、建物の周りに生えている草だろう。辺りを覆い尽くさんばかりに伸びている。

 しかし、いくら目を凝らしてみても動くものの気配はない。僕は諦めてライブカメラをオフにした。

 もう何回、期待を込めてモニターを眺めたことだろう。

 

 動く物が見たい。例えそれが人間でなくとも構わない。犬でも良い、猫でも良い。とにかく生きて動いている動物が見たい。そう願っていた。

 

 あの日、あの磁気の変化を感じた日、僕は研究室の中にいて、オリジナルの僕とコピーの僕が一致しているかどうかの確認作業を行っていた。

その途中で異変を感じた僕は、ライブカメラをオンにした。

 映し出された研究所の外の映像は、普段の外の様子と変わりなかったが何かおかしかった。僕はネットでつながっているはずの他のライブカメラに接続を試みた。しかし大半のライブカメラは接続が不能になっていた。やっとつながったライブカメラの映像には、パニック映画のワンシーンのような光景が映し出されていた。道が車で埋め尽くされていた。ライブカメラに音声は無かったが、もし音声があったとしたら激しいクラクション音が聞こえてきそうだった。

 我先に人々が逃げ出そうと必死になっているのが、無音のモニターからも感じ取れた。

しかし、それでも車に乗っている人たちは、誰一人として車から出ようと考えた者はいないようだった。誰一人として車外に出ている者は映っていない。車の外にある恐怖がそれをさせなかったのだろう。ビルの屋上からのライブカメラの映像だったので、車内の様子は見えなかったが、車の中で見えない恐怖に怯えながら、何とか逃げ延びたいと焦っている人たちがいることは感じ取れた。


 いや、感じ取れたというのは僕の錯覚か……。今では、僕がその後のことを知っているから、そう思うのかもしれない。


 僕は他のライブカメラにもアクセスを試みた。何とか接続できたライブカメラは観光地の風景を映し出しているライブカメラで、その光景の中に人間の姿は一つも映っていなかった。





 ジジッというノイズ音がした。


「前田太郎君、君はどう思うかね」


 土井戸博士が僕に訊いてきた。


「何のことですか? 」


 土井戸博士の質問は分かっているのだが、あえて尋ねる。


「我々が知り得る情報を分析して見る限り、外の世界は明らかに変化していると思うのだが、君はどう思うかね」


 土井戸博士の質問に、僕はひとつ咳をしてから答えた。


「明らかに変化していると思いますね。ネット上につながっているはずのライブカメラの大半が、何らかの影響で接続が出来ません。そして、つながっていたライブカメラも、少しずつ繋がらなくなっています。原因は、ライブカメラを動かすための電力の供給がストップしたためだと思います。このままでは、やがてすべてのライブカメラが繋がらなくなるでしょう。幸いなことに、この研究所の外部を映し出しているライブカメラの電力は、自前の風力発電と太陽光発電でまかなわれています」

「いや、わしはそんなことを君に尋ねているのではない。ネット上のライブカメラが繋がらない状況から推察して、世界がどうなったと思うかを尋ねているんだ」


 土井戸博士のこの質問に答えるとき、僕はいつも答えることを躊躇する。しかし、現実を現実として受け止めることが、今の僕には大切なことだった。


「先生も思っておられる通り、世界規模の大災害が起きたと思います。おそらくは核戦争。核爆発の被害に直接あった場所では、人類を含む全ての生物が一瞬にして死に絶えたと思います。そして、核爆弾の直撃にあわなかった場所でも、大量の放射能によって、徐々に生物が死に絶えていったのだと思います」

「やはり、君もそう思うかね……」


 土井戸博士は、悲しそうに呟いた。


「前田太郎君、すまんがわしはひと眠りするよ。目が覚めたら、このことが夢であってくれたら嬉しいのだが……」


 土井戸博士は、およそ科学者らしからぬことを言って眠りについた。


 僕も、これが夢であってくれたらと思わずにいられない。

 しかし、いつまでたってもライブカメラに、自分の意志で動くものが一切映らないという現実が、夢であることを否定している。


 あの後、僕の恋人の名前を叫びながら研究室を飛び出していった僕のオリジナルも、放射能にやられて、どこかで死んでしまったに違いない。


 しかし、僕は、このスーパーコンピュータの中で生き続ける。

核爆発による磁気の異常によって、スーパーコンピュータにも影響があったらしく、博士の人格を形成している回路にバグが発生した。そのために博士と会話ができるのは3246・3時間毎で、毎回同じ会話の繰り返しだが、それでも何とか寂しさは薄らぐ。

 とにかく、このスーパーコンピュータにエネルギーが供給され続ける限り、僕は生き続けなければならない。





 ジジッというノイズ音がした。

 それをきっかけに土井戸博士が話を始める。

 土井戸博士との5632回目の再会だ。

「という訳でだ、この世界は加速度的に文明が進んでいる。それは理解できるよな、前田太郎君」

 僕は「はい」と返事をする

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