「離縁する」と国王に言われたので、三年間準備していた計画を実行しました。
「クラリッサ! 余はお前と離縁する!」
謁見の間に国王オスカーの声が響いた。
玉座の隣には、側妃ミレーヌが得意げに立っている。
「余が愛するのはミレーヌだけだ! お前との偽りの結婚生活は終わりにする!」
「まあ。ようやくですか」
「……何?」
「三年間、お待ちしておりました」
私は侍女から書類を受け取った。
「こちらが離縁届です。署名をお願いいたします」
「なぜ用意してある!?」
「必要になると存じておりましたので」
正確には、三年前から用意していた。
日付だけを空欄にして。
もっとも、三年間準備してきたものは、それだけではない。
◇
私とオスカーは、王立学園に入る前からの婚約者だった。
彼には、誰にも覆せない長所が一つあった。
王位を継承できる血統の男性が、彼しかいなかったのである。
それ以外の長所は、残念ながら思いつかない。
学園の成績は下から数えた方が早い。政治学の授業では、税収を増やす方法として堂々と発言した。
「国民からもっと税を取ればよい!」
教師が、払えなくなった国民はどうするのかと尋ねると、彼は胸を張った。
「払えるまで働かせればよい!」
教室が静まり返った。
私は婚約者として、初めて真剣に将来を考えた。
この人が国王になったら、国が滅びるのではないか。
確信に変わるまで、三か月もかからなかった。
当時から彼には、ミレーヌという恋人がいた。
「オスカー様は素晴らしいですわ!」
彼女は王太子の発言を絶賛した。
「そうであろう! クラリッサはいつも余に反対するが、ミレーヌは理解してくれる!」
私は反対したのではない。
税率を倍にしても、税収が倍になるとは限らないと説明しただけだ。
しかし、オスカーは難しい話が嫌いで、ミレーヌは彼の機嫌を損ねない。
恋愛相手としては、実に相性のよい二人だった。
国家運営の責任者としては、最悪だった。
私は父に婚約解消を相談した。
父は公爵家の当主だが、王家の血は引いていない。
王家の血を引くのは、亡くなった母の方だ。母は先代国王の妹で、私はその娘にあたる。
つまり、オスカーとは従兄妹同士だった。
しかし、王位継承権は男性にしか認められていなかった。
「婚約を解消しても、あの方が国王になるのですよね」
「残念ながらな」
「ほかに王位を継げる男性は?」
「いない。三度調べた」
私は頭を抱えた。
婚約を解消すれば、私は自由になれる。
しかし、オスカーは国王になり、国民が苦しむ。
そこで、私は決めた。
「お父様。予定どおり結婚します」
「正気か?」
「はい。ただし、三年間だけです」
「その間、何をする?」
「まずは、あの方が国を滅ぼさないようにします」
「その後は?」
「離縁いたします」
「それでは元に戻るだけではないか」
「ええ。ですから、三年間で国を立て直します」
父は困ったように笑った。
「無茶を言う娘だ」
「無茶を言うだけの方なら、ほかにいらっしゃいますわ」
◇
結婚式の夜、オスカーは私に宣言した。
「余はお前を愛することはない! 夫婦の関係も持たぬ!」
「承知いたしました」
「……少しは悲しめ!」
なぜだろう。私には非常にありがたい申し出だった。
王家の婚姻法では、三年間夫婦の実態がなければ、王妃から婚姻解消を請求できる。
証明が必要なので、私は夫に書面をお願いした。
「よかろう! 余はお前を愛さぬ! 何度でも書いてやる!」
立派な署名をいただいた。
結婚初日から、離縁の準備は順調だった。
その後、オスカーはミレーヌを側妃に迎え、毎日のように彼女の部屋へ通った。
私の部屋には一度も来なかった。
おかげで仕事がはかどった。
王妃となった私は、まず財政を改革した。
王宮の無駄な支出を削り、滞納された税を整理し、道路と水路を整備する。
王国には問題が山ほどあったが、解決できる人材も大勢いた。
ただ、彼らの意見を聞く人間がいなかっただけだ。
私を支えてくれたのは、若き公爵セドリックだった。
学園時代の同級生で、オスカーの政治能力を疑問視していた数少ない人物である。
「本当に三年後に離縁するのですか?」
結婚から半年後、彼は尋ねた。
「ええ」
「その後、陛下が政治を始めたら?」
「困りますね」
「非常に困ります」
私たちは顔を見合わせ、同時にため息をついた。
「まずは、この国を立て直しましょう」
「承知しました。私もお手伝いします」
以来、私は王宮で政策を進め、セドリックは貴族たちの協力を取りつけた。
国王は何をしていたか。
ミレーヌと舞踏会を開いていた。
◇
一年目で、財政は黒字に転じた。
二年目には、道路整備と交易改革で商業が活発になった。
三年目には、地方の食糧備蓄制度も完成した。
もちろん、問題もあった。
ある日、オスカーが側妃の誕生日を祝うため、王宮の改築を命じた。
費用は地方の水路整備予算の三倍。
「陛下。この支出は認められません」
「余は国王だぞ!」
「国庫は陛下のお財布ではございません」
「ミレーヌが悲しむではないか!」
「水路が完成しなければ、農民が飢えます」
「農民よりミレーヌが大切だ!」
私はその発言を議事録に残した。
いずれ必要になるかもしれない。
同時に予算執行制度を改革し、国王一人では大金を動かせないようにした。
オスカーは怒ったが、ミレーヌに宝石を買う予算を確保すると忘れた。
その間にも、改革の成果は広がった。
商人は交易路の整備で利益を増やし、農民は灌漑設備の改善で収穫を増やした。貴族たちも領地の税収が安定し、私たちに協力するようになった。
王国には、まだ希望がある。
二年目の終わり、セドリックが執務室を訪れた。
「クラリッサ様。例の件ですが、貴族会議の賛同が得られそうです」
「反対派は?」
「まだおりますが、以前ほど強硬ではありません」
「よかった」
「一度進めば、後戻りはできませんよ」
「承知しています」
私は窓の外に広がる王都を見た。
「最後まで責任を果たします」
その後、王家の安定と国家運営の継続性を確保するため、いくつかの法案が貴族会議を通過した。
オスカーは難しい話を嫌ったが、王家を守る改革だと説明すると、機嫌よく署名した。
「余の権威が高まるのだな!」
「王国の安定につながります」
「よし、認めよう!」
「陛下のご英断に感謝いたします」
こうして、必要な準備は一つずつ整っていった。
そして三年目の秋。
セドリックが最後の報告を持ってきた。
「すべて整いました」
「ありがとうございます」
「あとは、陛下が離縁を申し出られるのを待つだけですね」
「ええ。きっと、もうすぐです」
◇
「本当に離縁してよいのだな?」
オスカーは、私の差し出した書類を疑わしそうに見つめた。
「もちろんです」
「王妃の地位を失うのだぞ!」
「承知しております」
「二度と王宮に戻れぬかもしれぬぞ!」
「それは困りますね。明日からもこちらで仕事をする予定ですので」
「何?」
ミレーヌが勝ち誇った笑みを浮かべた。
「未練がましいですわ。これから王妃になるのは私ですのよ?」
「そうですね。陛下、どうぞご署名を」
オスカーは勢いよく署名した。
「これでお前は王妃ではない! ミレーヌこそ余の正妃だ!」
「おめでとうございます」
私は法務官へ書類を渡した。
「三年間の婚姻実態がないことは証明されております。婚姻解消を受理いたします」
「よし! ミレーヌの戴冠式を準備せよ!」
「その前に、一件ございます」
私は大扉へ目を向けた。
「皆様、お入りください」
現れたのは宰相、財務卿、騎士団長、そして貴族会議の代表者たち。
先頭のセドリックが書類を広げた。
「陛下。貴族会議より、退位決議をお伝えいたします」
「……は?」
「国王オスカー陛下の退位を求める議案が、特別多数決で可決されました」
「何を言っている!?」
「陛下が裁可された国王退位制度に基づく決議です」
「余が裁可した!?」
「昨年の秋に。こちらがご署名です」
オスカーは書類をひったくった。
「余は王家を守る法律だと聞いたぞ!」
「そのとおりです。王家と王国を守る法律です」
「ならば、なぜ余が退位する!」
私は答えた。
「陛下が三年間、国政を放棄なさったからです」
「放棄などしておらぬ!」
「では、昨年度の国家予算をご存じですか?」
「……何?」
「主要な交易相手国を三つ、お答えください」
「そ、それは……」
「昨年の凶作に備え、どの地方に食糧備蓄を増やしましたか?」
「余にそんな細かいことを聞くな!」
「陛下。それが国王のお仕事なのです」
オスカーは顔を真っ赤にした。
「細かい仕事は家臣がするものだ!」
「では、最終的な判断と責任は誰が負うのですか?」
私は三年間の記録を差し出した。
水路整備費を王宮改築に流用しようとした命令。
凶作対策の会議を観劇のために中止した記録。
国庫から側妃への贈答品を購入するよう命じた書類。
すべて、オスカー自身の署名がある。
「幸い、私たちが支出を止めました。しかし、陛下が国家より側妃様を優先なさった事実は消えません」
「お前が勝手に政治をしていただけだ!」
「そのとおりです。陛下がなさらなかったので、私がいたしました」
宰相が進み出た。
「クラリッサ様がいなければ、王国の財政は二年前に破綻していたでしょう」
財務卿も頷く。
「国庫を立て直し、交易制度を改革されたのはクラリッサ様です」
「地方の治安と軍の補給体制を整えてくださったことも、忘れておりません」
騎士団長が続けた。
「貴様ら! 全員、余を裏切るのか!」
セドリックは静かに答えた。
「我々は、王国に仕えております」
◇
「認めぬ! 余が退位したら、誰が王になるというのだ!」
オスカーは玉座を叩いた。
「王位を継げる男は余しかおらぬ! だから余は国王になったのだぞ!」
「ええ」
私は頷いた。
「三年前までは、それがこの国最大の問題でした」
「何だと?」
「ですから、解決いたしました」
セドリックが新たな書類を広げる。
「改正王位継承法により、女性にも王位継承権が認められております。王家の血統と継承順位に基づき、次の王位継承者はクラリッサ様です」
「女だぞ!?」
「はい」
「女が王になれるわけがない!」
「陛下が認められました」
「いつだ!」
「昨年の春です」
署名入りの法令を見せられ、オスカーの顔色が変わった。
「こ、これは……」
ミレーヌが叫んだ。
「オスカー様! それ、私たちの娘のための法律ではありませんでしたの!?」
私は、その日のことを思い出した。
王位継承法の改正案を説明したとき、オスカーは興味を示さなかった。
しかし、隣にいたミレーヌが顔を輝かせたのだ。
「素敵ですわ! 私たちに女の子が生まれても、その子が女王になれるのでしょう?」
「おお! そういうことか!」
オスカーは嬉しそうに笑った。
「よい法案ではないか! 余とミレーヌの娘が女王になるのだな!」
「王位継承順位に従うことになりますが、女性にも資格が認められます」
「よし! 認めよう!」
彼は上機嫌で署名した。
私は深々と頭を下げた。
「陛下のご英断に感謝いたします」
そして今。
オスカーは、その署名を見つめていた。
「そ、そうだ! 余とミレーヌの娘を女王にするための法律だ!」
「特定の方の娘だけが継承できるとは、書かれておりません」
私は説明した。
「王家の血を引く女性に、等しく継承権を認める法律です」
「取り消せ!」
「陛下お一人では取り消せません」
「ならば貴族会議を解散する!」
「退位決議は成立しております」
「軍を呼べ! 反逆者どもを捕らえよ!」
騎士団長が進み出た。
「王国軍は、法に従います」
「余の命令が聞けぬのか!」
「王国軍は、王国を守るための軍です」
オスカーは口を開けたまま固まった。
やがて私に向き直る。
「クラリッサ! お前が仕組んだのか!」
「はい。三年間、準備してまいりました」
「三年間……?」
「学園時代から、陛下の政治能力には不安がございました。ですが、当時は陛下以外に王位を継げる男性がおりませんでした」
「だから、余と結婚したのか?」
「はい」
「余を愛していたからではないのか!?」
私は少し驚いた。
結婚初日に私を愛さないと宣言したのは、彼自身なのだが。
「陛下。私は、国を愛しております」
「……!」
「ですから、国を守るために結婚いたしました」
ミレーヌが叫んだ。
「ひどいですわ! オスカー様を騙していたのですね!」
「騙してはおりません。陛下は三年間、側妃様との生活を望まれました。私は一度も邪魔しておりません」
「それは……!」
「陛下が政務をなさらないので、私が代わりに行いました。法改正も、正式な手続きを経ております」
私は微笑んだ。
「お二人の愛を妨げたことなど、一度もございません」
オスカーが慌てて叫んだ。
「ま、待て! 離縁を取り消す!」
「できません」
「ならば、もう一度結婚してやる!」
「お断りいたします」
「王妃に戻してやると言っているのだぞ!」
私は思わず笑ってしまった。
「陛下。私は、これから女王になるのです」
オスカーは完全に沈黙した。
セドリックが進み出る。
「退位後は、王位に付随する権限と王宮の使用権を失われます。今後は定められた生活費が支給されます」
「生活費……? ミレーヌの宝石は!?」
「私費でご購入ください」
「舞踏会は!?」
「ご自身の費用で開催なさるなら、ご自由に」
「そんな金がどこにある!」
「でしたら、お控えください」
ミレーヌも青ざめた。
「わ、私は王妃になるはずでしたのよ?」
「オスカー様は国王ではなくなられます。王妃の地位もございません」
「そんな……!」
「なお、側妃様のために国庫から不適切に支出された金額は、監査のうえ返還を求めます。王室財産の宝石も返納していただきます」
「こ、これはオスカー様からいただいたものです!」
「国庫で購入された品です」
財務卿が即答した。
「そんなぁ……!」
ミレーヌが首元の宝石を押さえ、悲鳴を上げた。
オスカーは玉座に座り込んだ。
先ほどまで、二人は私を王宮から追い出すつもりだった。
今から王宮を去るのは、彼らの方だ。
私は最後の一礼をした。
「お二人は、真実の愛を選ばれたのでしょう?」
「クラリッサ……」
「どうぞ、これからもお幸せに」
愛し合うことを禁じる法律など、この国にはない。
ただし、国民の税金で贅沢する権利もない。
それだけの話だった。
◇
一か月後、王都の大聖堂で即位式が行われた。
貴族だけでなく、商人や農民の代表も集まっている。
女性が王位に就くのは、王国の歴史で初めてだった。
私は三年間、財政を立て直し、交易を発展させ、地方の暮らしを改善してきた。
これからも仕事は山ほどある。
けれど、もう無能な夫の機嫌を取る必要はない。
大司教から王冠を授けられた瞬間、歓声が響いた。
「クラリッサ女王陛下、万歳!」
三年間の苦労が、ようやく報われた。
◇
即位式の夜、私はセドリックと庭園を歩いていた。
「お疲れさまでした、陛下」
「ありがとう、セドリック」
「三年前に計画を聞いたときは、驚きましたよ」
「無謀だと思いましたか?」
「ええ。ですが、あなたなら成し遂げるとも思いました」
彼は穏やかに笑った。
「実際、成し遂げてしまいましたね」
「あなたのおかげです」
「私はお手伝いしただけです」
「そんなことはありません」
三年間、彼は私の隣にいてくれた。
難しい交渉も、反対派の説得も、夜遅くまで続いた仕事も。
疲れたときには、何も言わず温かいお茶を差し出してくれた。
誰もが私を王妃として見ていたとき、彼だけは一人の人間として接してくれた。
「セドリック。一つ、お願いがあります」
「何でしょう?」
「これからも、私を支えてくださいますか?」
「もちろんです。陛下」
「では……私の王配になっていただけませんか?」
彼が目を見開いた。
「それは、女王陛下としてのご命令ですか?」
「いいえ。クラリッサという、一人の女性からのお願いです」
セドリックは微笑み、片膝をついた。
「喜んで。私の女王陛下」
差し出された手を取る。
「ただし、一つ条件があります」
「何でしょう?」
「これからは、仕事を抱え込みすぎないでください」
私は笑った。
「難しいお願いですね」
「では、私が止めます」
「女王の命令でも?」
「ええ。王配の務めですから」
私は声を上げて笑った。
三年前、私は国を守るために、愛のない結婚を選んだ。
あの選択を後悔したことはない。
けれど、これからは違う。
国を守るだけでなく、自分の幸せも選んでいい。
「セドリック。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、クラリッサ」
彼は私の手に、そっと口づけた。
三年間の白い結婚は終わった。
私は女王として、この国を幸せにする。
そして今度こそ、愛する人とともに、私自身も幸せになるのだ。




