刺繍の組み合わせは、相手を思い遣りましょう。
「犬と猫は?」
「『せめぎ合い』ね」
「小鳥と蔓は?」
「『不満がある』よ。青い小鳥の場合だけ、『あなたを幸せにする』になるわ」
「じゃあ、薔薇と鎧は?」
「『お前の死を望む』」
「なんでよっ!?」
私の盛大に納得のいっていない声は聞き入れてもらえず、刺繍の先生であり従姉の姉様に分厚い本を突きつけられた。
「そういう決まりなの。ほら、この刺繍の教本を読み込んで覚えなさいっていつも言っているでしょ? 私、いつまでもあなたの面倒を見てられないのよ?」
「……ええ、ええ、そうですよ。姉様に教師を頼むほどに我が家は貧乏ですよ、はい」
「そうではなくって私の嫁入り日は決まったから、今まで通り見てあげられないわ」
「姉様、結婚式の日取り決まったのですか? それはおめでとうございます」
「ありがとう。だからね、アメラにこれ全部覚えてもらわないと困るわけ」
「……だって、種類が膨大すぎて覚えてられないんですも〜ん」
むむむ…と教本を睨みながら、気が緩んでため息が出てしまう。
この国のむかーしの女王様が、とっっっっても刺繍がお好きだったそうだ。
そしてその時代に流行ったのが、刺繍の組み合わせに意味を持たせるという遊びだった。
花に花言葉があるように、刺繍の図案の組み合わせに花言葉的要素を加えたというもの。
さっき姉様が言った通り、『薔薇』と『鎧』の組み合わせは『お前の死を望む』という意味を持つようになったりと、「本当になんで???」とこの時代の人に言いたい。
これが貴族令嬢の間で流行り、定着し、時代が流れるとともにいつの間にかこの国の令嬢の嗜みとして定着したのだ。
大変迷惑な話である。
昨今の令嬢は、刺繍言葉遊びができないと教養がないとされてしまう。
大変迷惑な話である。
だから、両親が従姉の姉様にお願いして教わってはいるんだが……。
「そもそも姉様みたいに貴族に嫁ぐのかもわからないのにぃ〜…」
「アメラ。口を動かしてないで、手と頭を動かしてちょうだい」
「単体で縫えばいいじゃないですか。私、猫だけがいいっ!」
「一つだけなんて幼子じゃないのだから。恥ずかしいから、お外でしてはダメよ?」
「猫一匹でも可愛いですよぉ〜…」
「それでは味気ないの。それに猫複数でも意味が変わってくるわよ」
「もうやだ、全然楽しくない……」
刺繍の教本に突っ伏して、姉様も聞き取れないほどのうじうじ声で文句を垂れ流していく。
姉様の呆れた息を吐く音が聞こえた。
すみませんって、…でも刺繍だけは苦手なんです!
「アメラは刺繍以外はできるのにね」
姉様はそう言って、私の顔の下から無理やり教本を抜き取って、一番最初のページを開いた。
「さあ、基礎中の基礎だけおさらいしちゃいましょう。これだけ覚えておけば、どうにかなるわ」
「……姉様って、前向きぃ〜」
全く諦めようとしない姉様の態度と教わっている身だしな…というなけなしの良心が私を動かして、教本を読み込む時間が再開したのだった。
「アメラ、婚約が決まったぞ」
珍しくウキウキした様子で父様がそう言ったので、予想よりもマシな相手でも捕まえたのか?と思った。
「あら、それはよかったですね。今勢いのある商会の長とかですか?」
「いや、カングス子爵の跡取りとだ」
「カ、えっ、貴族ですかっ!?」
予想を遥かに越していったので、素っ頓狂な声が出た。
貴族に嫁入り…!?私が?
「本当ですか、父様!?」
「ああ、ようやくいい縁談が決まってホッとしたよ」
「いえ、そうではなくて。よく貴族の中でお相手なんて見つかりましたね? よくて後妻だと思ってましたよ」
「全くだ、父さんもそう思っていたよ」
そう言いながら、相手の姿絵を見せてくれた。
なかなかに端正な顔立ちで、彫りの深い人だった。
この国ではあまり見ない風貌に、ますます首をひねる。
「この国の方ではないのですか?」
「いいや、我が国の子爵の跡取りだよ」
父様はなんら疑問もなさそうに、姿絵の彼を指さした。
「カングス子爵の息子が数年前の事故で亡くなっているのは知っているかい? 彼しか子どがいなかったから、跡取りに困っていたんだが、とうとう親戚から養子を取ったそうだ。その彼が、このアメラの結婚相手のギギルリードくんさ。彼は隣国の親戚だそうだ」
「へえ〜、それはまたギギルリード様も大変ですね」
「そうかい? 彼は生家では家を継げなかったから、爵位が手に入った運のいい青年じゃないかい?」
「そうですか」
私は父様の言うことに軽く頷きながら、再度姿絵を見直した。
本人の心境までは知らないけれど、隣国にまでやってきて親戚の家を継ぐとは、野心家な人なのかしら。
それとも、反骨精神が逞しいとか?
逆に、押し付けられて仕方なく…みたいなやる気のない人だったり?
どちらにしてもお会いしてみないと、人となりはわからないわね。
度量が広い方だと助かるけど……。
そう思いながら、姿絵の頬の部分をサラッと撫でた。
「というわけだから、顔合わせの日までにハンカチを用意しておくんだよ」
「あ」
「あ、ってなんだい。婚約者との顔合わせでは刺繍をしたハンカチを贈るのが礼儀だろう。だから、お前にも従姉の教師をつけていたんじゃないか」
父様は至極当然と言った様子で、さらりと言いのけた。
それを聞いて、私はあはは…と苦笑いしか出ない。
まずい、そうだわ…!
ハンカチに刺繍をしなきゃいけないわ!実践の日が来てしまうなんて!
貴族以外と結婚したら刺繍言葉遊びもしなくて済むかも〜、なんて夢を見ていたら…。
なんてことだ、現実とは無慈悲だ。
従姉の姉様は結婚式の準備が忙しくなって、私の教師役はお役目御免になってしまった。
つまり、私は一人で刺繍の図案を考えて、一人で完成させないといけないわけで……。
「教本っ、姉様が置いていってくれた教本はどこですか〜〜〜!!!!!」
私の綺麗な叫び声がこだまするように響いたのだった。
「どうしたんだいアメラ、顔が青いぞ。緊張でもしているのかい?」
「いえ、いや、はい……」
緊張というか、不出来な刺繍のハンカチを見せるのに胃が痛いと言いますか…。
父様と二人馬車に揺られながら、婚約者のカングス子爵家に向かっている最中に父様は不思議そうに私を見ていた。
あのですね、父様。あなたの娘がいくら図太いとはいえ、今日ぐらいは平然としていられないのですよ…!
あと不出来というのは、あんまり綺麗に縫えなかったという意味で、刺繍言葉遊びを間違えたという意味では決してない!
ない……、と言いたい、たぶん大丈夫なはず、おかしなことはしていない。
だって姉様の言う通り、教本の最初に載っている基礎中の基礎である、『婚約者に贈る刺繍』というページから選んだもの!それは問題ないの!うん!
赤い薔薇とブルースターの花を組み合わせて刺す、『あなたと日々を重ねたい』という意味のものにした。
だから、大丈夫なのよ…!って思いたいのよ、だってはじめて人に渡すんだもの!
そりゃあ緊張するでしょうよ、苦手なんだから不安にもなるわよ。
カングス子爵子息が刺繍に造詣が深い方だったらどうしよう…、うっ、胃が痛い。
そんなこんなで胃を痛めている間にカングス子爵家に着いてしまって、私がグッと固唾を飲み込んだ。
さて、後戻りはできないわとアメラ…!
気合いを入れ直して、私は父様と屋敷の門をくぐったのだった。
「いやぁ、素敵な娘さんとご縁ができて嬉しく思います」
「ありがとうございます。ふつつかな娘ですがどうぞよろしくお願いいたします」
カングス子爵当主と父様の会話は弾み、顔合わせの挨拶は思いの外スムーズに進んでいた。
まあ、話しているのはほぼご当主様と父様だしね。
私も話を振られれば入っていくが、余計なことは言わずにいる。
私でも普段より口数が少ないというのに、私のお相手であるギギルリード様はほとんどお喋りにならない。
当主に話しかけられれば答えるし相槌もあるが、無口な方なのかもしれない。
チラリチラリと時々彼の様子を盗み見ているが、不機嫌というわけではないが表情豊かというわけでもなさそうだ。
う〜ん、気難しい人ではありませんように…っ!
「では、そろそろお暇させていただきますね。本日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。アメラ嬢もこれからよろしくお願いしますね」
「は、はいっ!どうぞよろしくお願いいたします!」
気がついたら親同士で話が決着していて、私たち当人の出番はほとんどなかった。
カングス子爵当主の声に元気よく返事をすると、当主様はにこやかに目尻の皺を深くして頷いた。
義理の父になる方はいい人そうで一安心と言ってもいいかもしれない。
そんなことを思いながら父様に続いて立ち上がると、父様は何かに気づいたように私に振り返った。
「そうだ、アメラ。ハンカチをお渡ししてないじゃないか。今、渡させてもらいなさい」
「あ、はい…」
そうですよねなくなったりしないですよね、というヤケクソな気持ちで、ギギルリード様にハンカチを手渡した。
「…私が刺したもので、恐縮なのですが」
「あ、ありがとうございますっ…!」
おずおずと差し出す私に、ギギルリード様は少し上擦った声ですんなり受け取った。
そのハンカチを見て、目を輝かせているように見えた。
ううっ、私の不得手な刺繍をそんなにまじまじ見ないでほしい…。
「ギギルリード、ぼんやりしてないでちゃんと返事をしなさい」
「え、あっ、すみません。ご令嬢にこのように贈り物をもらうのははじめてでして、とても感動しています…! とても嬉しいです、大切にしますね」
ギギルリード様は言葉に裏がなさそうに、本当に嬉しそうにはにかんだ。
「私も贈り物ははじめてなので緊張していたのですが、そう言っていただけてよかったです」
私の言葉に、ギギルリード様とようやく目が合って、目がなくなるほどに細められていくのが見えた。
あ、大丈夫だったみたい…。
そう思ったら一気に力が抜けて、へなへなともう一度座ってしまいそうだった。
当主様もにこにこ頷いているし、父様も穏やかな表情のまま目線を送ってきたので、私は話を続けた。
「えっと、何かお好きな刺繍はございますか…?」
これは、この国ではよくあるやりとりだ。
刺繍を贈るのがステータスなために、相手の好きなものを把握するというのは礼儀と言ってもいい。
「刺繍ですか? ああ、この国の女性は刺繍を嗜むのですよね。皆さんとっても熱心だとお聞きしました」
「まあ、そうなります、ね」
「勉強不足で申し訳ないのですが、刺繍はあまり詳しくなく…」
「いえっ、それなら構いませんっ!国が違えば文化も違って当然です!」
どうかそのまま勉強不足のまま興味も持たずにいてくれたら、私がとても助かります…っ!!
今日はじめて、ギギルリード様と二人だけで会話している。
「この国の文化では婚約者に刺繍を贈るのが鉄板なのです。ですから、お好きな図案があったらお聞きしたいなと思っただけですので」
「そうなのですか。うーん、そう言われると好きなモチーフはありますね」
「どんなものですか?」
「薔薇と鎧です」
「えっ」
思わず声が出てしまって、慌てて口を手で塞いだ。
ギギルリード様はよくわからなそうに私を見たままだ。
薔薇と鎧の組み合わせって、たしか『お前の死を望む』ではなかった、っけ……?
私は姉様に教わったことを思い出して、目の前にいるギギルリード様の顔を見て、くつくつと笑い出してしまった。
「…ふふふっ、いいですよね、薔薇と鎧のモチーフ…!私も素敵なのになって思っていたんです」
「アメラ嬢にとって何か面白いことでも言いましたか、僕…?」
私がくすくすと笑い続けていると、ギギルリード様ははじめて私の名前を呼びながら首を傾げた。
それがますます可笑しくて、愉快で、ちょっぴりあほらしくて嬉しかった。
はーあ!文化が違うとこんなにも違うだなんて!
あんなに悩んでいたのに、もうっ、私この人が婚約者でよかったわ…!
「いいえ、ギギルリード様とは馬が合いそうだなと思っただけですわ」
「それは嬉しいですね」
「はい、とっても!今度、薔薇と鎧の刺繍を刺しますので、ぜひもらっていただけると嬉しいですわ」
「あなたから何度もいただけるなんて光栄です」
こうして、初顔合わせは及第点以上な結果を残して終わったのだった。
後日、教本と睨みに睨み合って作り上げたポケットチーフをギギルリード様に贈ると、前回と同じくらい喜んでくれた。
他国なら薔薇と鎧でなんら問題はないのだろうが、この国ではそうもいかないので、教本のものすごく後ろの方に載っている上級者向けのページを参考にした。
そこには、『薔薇』と『鎧』と、それから『車輪』と『オリーブの実』と『広げた両手』という5つの組み合わせにすることで、『あなたと死ぬまで生きる』という意味になる刺繍言葉遊びが載っていた。
…いや、覚えられないってやっぱり。
そう思いつつも、相手に恥をかかせることのない刺繍図案探しは、なんだか相手のことを想っているみたいで、その工程は悪くないなとはじめて思えたのだった。
「アメラ嬢からもらえて、すごく嬉しいですっ…!」
ギギルリード様がそう言ってくださる限りは、私ももう少し刺繍を頑張りますかねぇ〜。
了
お読みくださりありがとうございました!!
282日目。




