第四話 ゴミと呼ばれた少女(1)
少女の過去です。
「村から、さっさと出てけや! この裏切り者!」
トビラの向こうからきこえる激しい怒声と、家を揺らすほどの打撃音。
居間にある、脚の高さが微妙にそろっていない椅子に座っている老翁。老翁は前かがみになって食卓の上に無骨な握りこぶしを置いている。
彼は一方的に罵声を浴びせられ続けても、そのこぶしを崩すことなく食卓の木目を眺めている。
家が揺れるたびに、食卓の上に置かれた花瓶と老翁の椅子はカタカタと揺れる。が、彼の食卓に向かう集中力は依然として続いている。
こぶしの隙間を虫が這っても、天井から木くずが落ちてきても、使わないのに立てかけてある杖がバタリと倒れても――少女が老翁の太ももを叩いても。
「やっぱ戦争で頭おかしくなっちまったんだろ。 この老いぼれがぁ! おらぁ!」
「おじいちゃん」
「だまれ……」
二人暮らしのボロ家の中、いつもと変わらない不愛想で静かな圧を出しているおじいちゃんと、外からきこえる男の人の怒った声――
――それが自分の中にある最初の記憶。
この声の人は、ほぼ毎日、家にやってくる不思議な人。そしてこの日も、あの人なりの日課をやりにきてた。
この時間が始まると、家は揺れるし、おじいちゃんは固まっちゃうから、できればやめてほしい。そのことをおじいちゃんに伝えようとしても、今みたいに、いつもきいてもらえない。
「チッ……くそが!」
「…………」
数分間、大声を出し続けて、最後は舌打ちをして、男の人はなにかボソボソとぼやきながら家を離れてく。壁があるから、声が小さいとなにを喋ってるか、よくきこえない。
遠くなってくぼやきが完全にきこえなくなったら、やっとおじいちゃんは席を立って、なにも喋ることなく右足を引きずりながら台所に向かう。
いつだったか忘れたけど、「なんで自分とか村の人たちとかと歩き方、違うの?」ってきいたことはある。だけど、やっぱりこたえてくれなかった。
台所に着いたおじいちゃんは、四角い板みたいな道具に手をかざす。その上に水を入れた鍋を置いて、しばらく待つ。そしたらその鍋の中からブクブクと音がなる。
自分がその鍋に触ろうとしたら、「近寄んじゃねぇ」って言われちゃうから、おとなしく食卓の椅子に座って待つ。本当は手伝いたいのに……。
椅子に座ってても暇だから、いつも食卓の上にある花を見て、ご飯ができるのを待つ。
そこにあるのは、真ん中が黄色がかった白い花、一輪。一週間に一回、おじいちゃんがこの種類の花を外から持ってきては花瓶に飾ってる。
自分はその花が大好きで、毎日眺めてる。一週間が経つころには花びらの数も、どんな咲き方をしているのかも記憶できるくらい、ずっと。
というよりも、自分はあまり外に出させてもらえない。おじいちゃんと一緒に買い物に行くときくらいしか外の世界に出られない。それも太陽が隠れたあと、少しの時間だけ。
だから家にいる時間も多くなっちゃって、他にやることもないから、ずっと花を眺めてる。
そして今ここに飾ってある花は、たぶん今日、新しい花に変わる。まだまだ元気に見える花でも、おじいちゃんは一週間ごとに絶対に別の花を持ってくる。
ちょっと寂しい……。
少女は頬杖をつきながら、ため息をつく。足は元気に空中を泳いでいるが、表情はどこか憂鬱。
大きく吐いた空気は目前の花を揺らし、花びらを一枚落とさせる。花瓶の中に落ちると思われた花びらは、回転しながら軌道を変え、少女の肘付近に落ちる。
少女は、顔を支えていた手で花びらをつまむ。それを顔の前に持ってきて、今度は意図的に息を吹きかける。
少女の親指ほどの大きさの花びらは、吐いた空気で細かく振動する。
「はぁー……」
少女は再びため息をつくと花びらをつまんだまま肘をついて、その手の親指と人差し指の間の裏に額をあてる。
「できたぞ」
少女は老翁の声をきくと、慌てた様子で花びらを両足の太ももの隙間に隠し、笑顔をつくって背筋を伸ばす。
「うん!」
やましいことなどなにもない。ただ、少女は老翁の前では彼を心配させまいと、できるかぎりの笑顔をつくる。
老翁は少女の目の前と、その対面に料理の入った器を置き、食卓で体を支えながら顔に皺を集めてゆっくりと彼女の前に座る。
「…………」
ご飯の時間は、おじいちゃんといつも一緒。もちろん会話はない。「いただきます」のひとこともなく静かに、味の薄いご飯を食べる。
今日のご飯は……お肉と、野菜と……うん。
おじいちゃんのつくる料理はいつも同じ。
なにかを焼いたボロボロのお肉と、手でちぎった緑色の野菜が、お湯のなかにゴロゴロ入ってるだけの料理。
もう食べ始めてるおじいちゃんに続いて、自分も箸を手にとって食べ始める。だけどやっぱり、水を吸ったせいで、この料理からはほとんど味がしない。お肉からも野菜からも、感じられるのはお湯の味だけ。
お肉はボソボソしてるし、野菜はベッチャベチャ。全然、合ってないし、正直おいしくない。言葉には出さないけど、もしかしたら自分でつくったほうが濃くておいしい料理がつくれると思う。けど……
おじいちゃんのつくるヘタな料理は、すごくあったかい。
自分はこの料理が好き。だけど、つくった本人はおいしくなさそう。苦い薬草を食べてるみたいに、具を嚙むたび、口をもごもごさせてる。
自分は、あったかさを感じながらゆっくり食べてるけど、おじいちゃんはあまり噛まずに料理を体内にかきこんでる。そして、あっという間に器の中身は空っぽになってた。
いつもならおじいちゃんは、自分が食べ終わるのを待たないで、さっさと席を立つ。
だけど、今日は少し違った。
「おい」
老翁が片眉を上げ、すごみを感じる掠れた低音で、まだ食事中の少女に問う。
少女は老翁の渋い声に、肉を咀嚼しながら目線だけで返事をする。少女が老翁の目を見たとき、呼びかけた側のはずなのに彼の視線は少女の手元あたりに向いていた。
少女はそのことに気づきつつも、それを問いただすことなく老翁からの言葉を待つ。
老翁はなにも話さない少女の視線がこちらに向いていることをチラリと確認してから、独り言のように呟く。
「これから出かける」
「うん」
おじいちゃんが「出かける」というときは、「お前もついてこい」ということ。だいたいは買い物にいくときとかに言われる。けど、この日は買い物をする日ではなくて、おじいちゃんが新しい花を持ってくる予定の日だった。
「もしかしたら……」と思って自分は急いで食事を済ませる。
外に出るといっても、今着てる以外の服はないし、持ってくものもない。必要なのは心の準備くらいだ。
おじいちゃんは自分たちが使った食器を洗ってて、それが終わるまで、自分は花を眺めながら待つ。
水を生み出す道具からきこえる、シャーという音が止まって、おじいちゃんは自分に見向きもせず玄関に向かう。自分は足にこっそり隠した花びらを自分の髪の毛に埋め、椅子から飛び降りて、おじいちゃんの背中を追いかけるように駆け足で近寄る。
「花、持ってこい」
「うん!」
自分は跳ねるように食卓の上の花を手にとって、おじいちゃんの後ろをついてく。




