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第三話 村

 

「大きいな……」


 主に二つの色で構成された物体の正体は木で、私はそれに触ることができるくらいの位置まで着いた。


 遠目からだとわからなかったが、いざここまで歩いてくると頂点が見えないほどの高さだな。それに葉、一枚一枚がわずかに異なる形、大きさをしている。これらすべてに、きっと誕生の瞬間があって、成長するなかで多くの苦難や試練に直面したのだろう。見事な姿だ。

 しかし――君らも、彼らのように、いずれ朽ちて落ちるだけの生だ。なにゆえ、生き足掻いている……。


 今にも落ちてしまいそうな葉が揺れる。枝をつかむ努力はしているが、その状態が長く続くことはないだろう。私が軽く息を吹きかけただけでも飛んでしまいそうなほどだ。

 上下左右にゆっくり振れる彼の結末を記憶に収めようと瞳を動かす。そのとき、


「!!」


 ひときわ強い風が森の奥から吹いてきた。それは足元の、すでに落ちた葉をすくい上げ、天高く群舞を見せる。互いに調和しながらも、それぞれが放つ個性は損なわれていない美しい舞だ。

 時には速くなり、時には遅くなる。高く舞い上がった者がいれば、低い位置で彼らを際立たせる者もいる。同士が衝突してしまったときに生じる音でさえ、舞全体を引き締める要素になっている。まさに絶佳。


 刹那ではあるが、彼らは再び、生まれたころと同じ景色を見ることができている。私の視線が生命の輝きに奪われることは必然だった。

 

 数秒の夢を漂い、彼らは風に乗せられ、その姿を、私が歩いてきた暗闇へ消す。


「…………」


 私は最期を見届けようとした葉があった場所に、もう一度目を向ける。しかし、彼は誰の目にも止まることなく、その姿を消していた。

 私だけでも見届けたいと思っていたが、そんな小さな願いですら容易には叶ってくれなかった。


 目覚めてから初めての地面以外の感触を味わうため幹に触る。

 懐かしいとも新鮮ともとれる、不思議なザラザラとした感触。

 擦ったり、軽く叩いてみたりするが、記憶とのつながりはいまいちだ。しかし、幹からは強力な生命の鼓動を感じることができる。

 周囲を見渡して、他の木々を触ってみたらどうかと想像してみるが、同じ結果になることは目に見えている。


 収穫はないと結論付け、入り口など存在しない整備されていない森の、さらに奥深くに進むことにした。

 私が木と木の間から見える薄暗い獣道に足を踏み入れようとしたとき、


「これは……!」


 木々の隙間にいくつもの光の柱が浮かび上がる。

 燦然と輝く、この世のものとは思えない柱の荘厳さに、開いた口が塞がらない。

 それは、私を別の世界へ出迎えるように、通り道を示しているようだ。ただ、こんなにも豪華絢爛な道を自分ごときに用意するわけがないという考えも顕在している。


 己がまことの価値なぞ、己が自身こそもっとも理解できない領域――あの暗闇で、ひとり孤独に死骸の雨の中を滑稽に踊り狂うくらいがちょうどいいに違いない。私が生きている本当の理由なんてないのかもしれないのだから。


 しかし、私にはその考えを実行させるだけの情緒が存在せず、歩みの方向は森の奥地へ向いている。思考と行動が矛盾していても、罪悪感ひとつないのだ。


 ところどころに土が垣間見える獣道に入り、背の低い草の上を歩く。光の有無にかかわらず、ただまっすぐに、枝葉をのけながら森の奥地を目指して進み続ける。


 周囲からは木々のざわめき、奥からは生を享受した鳥の鳴き声が、うっすらときこえる。

 風のイタズラによって、光の柱は太さを変える。それだけでも私の目には強い刺激だ。が、それだけでなく目に直接、柱がぶつかったり、そこを通り抜けたりすると一層チカチカする。

 そんな自然の攻撃を私は受け入れる。目を閉じたり手で光を遮ったりすることはない。これまでの歩みと同じ律動、同じ格好。頭の中には『眩しい』という情報が淡泊に伝えられるだけ。


 光の出どころを探るために上を見ながら歩く。

 青々とした葉が逆光に照らされ深緑色になっている。しかし、その隣には黄緑色の、光に照らされた若々しい葉がある。

 周囲にはさまざまな緑があり、色とりどりの世界の背景は爽やかな青で彩られている。灰色だったはずの空は、いつの間にか青く変わっていたようだ。そして私を真上から突き刺すのは“太陽”の光。


 私は“太陽”から目を背け、また正面を向く。



 ***



 木漏れ日を浴びる。動物の鳴き声をきく。舞い落ちた葉を静かに踏みながら歩く。

 小鳥に餌を与える親鳥、木の一部に擬態して姿を隠す虫、日光浴をしている四足歩行の動物を陰から狙う獣。


 森に入って数時間、奥にいくほど生命の営みは活発になってくる。

 自らの意思で動く存在が増え、そのぶん命のやりとりをする回数も増えている。弱肉強食を体現したような世界を、私はただまっすぐに歩き続ける。

 その行く手を阻むものはいない。みな、奇怪なものを見るような視線をこちらに向けてくるだけ。

 相手がかかわってこないのならば、私も不干渉という形で互いの領域を侵さないよう『無視』という誠意を見せる。


「うぅーー!」


(動物の鳴き声は無視無視……)


「ふんんん!!」


(動物の……鳴き声……?)


「くぅううう!!!」


(…………)


 今の位置から、そう遠くない場所から、反響した唸り声がきこえてくる。

 最初は動物が威嚇しているかと思ったが、それにしては発声が明確だ。それに敵を襲おうとしている肉食動物にしては声が高いような。


 進路からきこえる声音に、私の意識は引きつけられる。

 どのような生命が、どのような状況で唸っているのか。

 そういったことを考えずにはいられない。考えすぎて、あの声をもともと知っているかのような感覚にさえなる。


 その後も唸り声は続いた。

 声の発生源に近づくにつれて、サァーという何かを引きずっている音もきこえてきた。

 さらには風に乗せられて、血の匂いと黒い粒子が流れてくる。


 やはり、動物が狩りをして死体を引きずっているのか。そのときに漏れた声が唸っているようにきこえたのだろう。黒い粒子は、きっと血がしみ込んだ砂に違いない。


 これまでの経験則により私はそう結論付けた。


 弱肉強食の世界で生きるために、血が流れることはよくあることだ。ただし、狩りが終わったからって油断してはいけない。そんなに声を出したら血の匂いにつられて他の動物に襲われるかもしれないからな。


 次第に、森の中のいたるところに死体を引きずったような跡が見えてくる。つぶれた草と、そこに塗りたくられた赤がその証拠。

 跡の行先は、唸り声がしている場所。つまりは私の通り道。ヤツは自分の巣に死体を持ち帰ってから楽しむ類の動物のようだ。


 複数の獲物を仕留めるほどの存在に近づくべきではないということはわかっている。わかっているが……


 私の歩みは方向を変えない。

 不干渉を破ってしまうかもしれないが、この森に潜む特異な存在を、遠目でも確認するべきだと本能が訴えてくるのだ。


 私は今までと変わらない歩幅、姿勢で歩く。そして、


「ここは……村、なのか?」


 森の中に、自然にできたとは思えない、柵に囲われた無人の広場があった。少し遠目の木々の隙間から確認すると、そこには数軒の家が乱雑に並べられているようだった。


 ささくれだらけの木材と、むき出しになった室内。地面に横たわる黒ずんだ屋根。それ以外にも、中身がこぼれた餌箱と、まとめ切れていない俵が見える。そして広場のあらゆる場所に血がこびりついており、無作為に瓦礫が置かれている。

 そこで生活するには難易度が高そうな村だが、人がつくったものだということは理解できる。


 しかし、ここが本当に村なのか私は疑っている。なぜなら、


「だれもいない……」


 建物をつくった人も、それを管理する人もいない。村を構成するもっとも重要な要素、“人”が見つからないのだ。そもそも、この世界に“人”が存在しているかどうかもあやしいところだが、果たしてこれを村と呼んでいいのだろうか。


 村中に散らばっている血の跡から推測するに、もしかしたら森にいる凶悪な動物に殺されてしまったのかもしれない。が、そう考えたとしても死体がないのは違和感がある。

 肉片ひとつ残さずに食べられるほど大きな口をもつ動物でもいたのだろうか。


 さまざまな考えを巡らせながら、私は村に踏み入る。

 村全体を見渡せるようになり、本当に人がいないかを確かめる。


「…………」


「ふんぬぅぅぅ!!」


 さきほどまでよりハッキリと唸り声がした。私と声を遮るものがないほど明瞭に。

 そして声の主が、ついに私の視界に入る。


「ぐぐぐぐぐぅぅぅ!」


 村の端、この広場でゆいいつ整理されている、瓦礫がまったくない一区域。地面が完全に真っ赤に変色してしまっている場所に、ヤツはいた。


「人間の……子ども……?」


 ボロボロの赤い服を着ている二足歩行の生物。

 私は、そういう動物がなんというか知っている。

 そう、人間だ。


 まだ成長途中のようで身長は小さい。あの姿を見ると唸り声が高かった理由も納得できる。

 髪は無造作で、長く、手足はやや細い、狩りとは程遠い見た目の子。そんな子どもが顔を真っ赤にしながら両手で何かを引っ張っている。決して体調不良というわけではなく、むしろかなり力んでいるようだ。目と目の間に皺が寄っているほどに。


 私は子どもに向かって歩く。


 この世界で初めて見つけた、話が通じそうな生物。あの姿を見るまでは、その存在の確認だけをして通り過ぎようと思っていた。しかし、その正体は人間の子どもだ。避ける理由がどこにあろうか。

 村のこと、世界のこと、あの子自身のこと、そして私のこと。

 きき出せる情報はきいておかなければならない。


「……!」


 近づいている途中で子どもがこちらに気づく。若干の上目遣いで、口はポカンと開いている。力んでいた体の時間が止まったように全身が動かない様子を見るに、子どもからしても私は奇妙な存在なのだろう。


 私が子どもに近づくだけの時間が流れる。

 子どもの声と引きずる音がなくなり、私の衣擦れ音と地面を歩く足音だけがきこえる空間。

 子どもは眉ひとつ動かさずに私の歩みを見続ける。


 私は子どもの目の前に着いて立ち止まる。


「…………」


 そこで気づいてしまう。

 私はかかわってはいけない存在に近づいてしまったのではないかと。

 

 思い出してしまう。

 森で見つけた、死体を引きずった跡と、その先からきこえた唸り声。

 血だらけなのに村になかった、人の死体。


 そんな村にゆいいつ生きる、一人の子ども。


「君は……」


 子どもの手元にいるのは、まったく動かない、体の大きい真っ赤な人間。

 顔も服も、赤く見えていたのはすべて血。子どもの手には、肩まで覆う深紅の手袋が覆われており、輪郭線をより鮮やかに目立たせている。肩に近づくにつれて、それは地に落ちて二度と飛べなくなった鳥のような翼を広げる。


「なにものだ……?」


 想定していた疑問を、迫るような低い声で投げかける。

 子どもは表情を変えず、視線だけを斜め上へ泳がせる。首を傾けながら、「あー」や「んー」と唸って数秒考える素振りを見せてから、再び私の目を見て疑問交じりに言った。


「ゴミ……?」



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