第二話 光の反対へ
あけましておめでとうございます。
せっかくなので、年明けと同時に投稿します。
アマリッカライブラリー(仮)に
「光譚:救世神使・創世神話 第一部 第四章 原初の魔法」
を投稿しました。
本編に出てくるのは先ですが、世界観が少しわかると思います。
よければチェケラ。
鮮明になった意識で、私がこの場所に至るまでの経緯を考えてみる。が、頭の中に存在している記憶をたどろうとしても、思い浮かぶことはなにひとつない。
だから私は、自らの記憶に頼ることをやめ、状況から察そうとする。
目前には真っ暗な世界。天からは雨水。足元には波紋。
屋外にいるにしては暗すぎる。かといって室内にいると仮定すると雨が降っているのはおかしい。光がさえぎられている空間だと考えると、自分の体が明瞭に見えているのも世界の法則に矛盾している気がする。
整合性のない状況に塗れているが、焦りは微塵もない。
私は冷静に、目前だけでなく周囲を見渡す。
左右を見ても依然として真っ暗。上下を再確認しても、先ほどと変化はない。
そして私は、右足を半歩下げ、ゆいいつ確認していない自分の背後に体を向ける。
「あ……」
思わず零れた声。
方向感覚がなくなってしまうほど同じ景色の連続だったところで、遠目に小さくうつったのは緑がかった微かな光。なぜそこに光が存在しているのかは不明だが、私にとっては今の状況を知るための、たったひとつの手がかりだった。
「…………」
私は光に手を伸ばそうとするが、途中でためらった。
正面に向き直り、光の反対側に向かって歩み始める。
ピチャピチャと水の上を歩く音が耳をなでる。一歩一歩、わずかに異なる足音に意識を集中していると、目的地が存在するかもわからない歩みにも力が入る気がする。ときおり、天を眺めたり、足元の波紋を見たりして、なにか変化はあるのかと疑うが、そんな兆候はない。相変わらずの雨だ。
決して後ろを振り返らず、前に進み続ける。
***
どれくらい歩いてきたのだろうか。
周囲が暗闇のためハッキリとした時間の経過はわからないが、おそらく一日ほどが経ったと思う。
いつからか雨は止んでいた。ピチャピチャという足音はなくなっており、今は雨上がりの泥を踏んでいるような重苦しい足音に変わっている。
周囲の闇により平衡感覚が狂いそうになるが、まだその能力が健在なのであれば、おそらく現在は坂道を上っている。足元は整備されていないガタガタした道で、泥に足をつかまれる感覚と相まって、つい転んでしまいそうになる。
それに、歩き始めたときより一歩一歩に力を入れて進み続けなければ蟻地獄にとらわれた哀れな生物のように体が下へ吸い込まれていってしまう。
私には、これといった生きる目的なんてない。目が覚めたのが、ついこの前だから当たり前のことではあるが。
それでも私は大した理由も持たず、本能に任せるがまま、先の見えない目的地に向かって歩き続ける。
***
体内時計でさらに一日。
坂道を上りきり、今は下っている最中だ。
あれからも雨は降っていない。しかし、いまだに泥につかまれているような感覚は変わらない。視界も変わらず真っ暗、道もガタガタのままで、気楽に歩くことは許されない。
二日ほど歩き続けていると思われるが、不思議なことに疲労を少しも感じない。一睡もしていないのに眠気もない。何も食べていないのに空腹も感じない。
だからだろうか――なにもない世界に対する恐怖は微塵もない。
限度なく動く体を前に進めていると、気づけば坂道を下り終えていた。泥濘もなくなり、最初よりも歩きやすい道へと変化している。歩くたびに発生していた波紋もない。
どこに目を向けても黒一色、足音だけの世界の中をとどまることなく、私はさらに進み続ける。
***
「!!」
目を見開く。
泥の坂道を越え平坦な道を歩き続けていると、だんだんと正面に緑がかった光が見えてきた。歩き始めて、おそらく二、三日。これは、私が選んだ虚無の旅の終点がすぐそこまで近づいている証拠だろう。
変わらぬ景色に一縷の光が差し込むだけでも私の瞳孔は激しい収縮を見せる。
私は一度、足を止め、瞼を閉じて小さく息を吐く。顎を引いて目を開け、最後の直線をこれまでと変わらぬ速さで進み始める。
近づくにつれて、最初は点ほどの大きさでしかなかった光の粒は、少しずつ拡大していき、まだ自身の足元が真っ暗にもかかわらず、あっという間に私の視界すべてを埋め尽くすほどになっていた。
やがて光に慣れた私の視界には、緑の正体が鮮明にうつってくる。
「あれは……森?」
まだ遠くにある緑に目を凝らすと、それは多くの葉を茂らせた木々だった。距離のせいで詳しいことはわからないが、まるで緑色の壁のように、森は広範囲に広がっている。
森の上には空らしき灰色が見える。今、私が歩いている地点での空と、奥にある灰の空の境目は、くっきりとわかれており境界線はあやしく揺らめいている。
さらに歩みを進めていくと、目の前に灰色の、植物ひとつないひび割れた地面が見えてくる。
黒と灰の境目も明確にわかれており、そこが黒まみれの世界の終点だった。
境界の手前で立ち止まる。
まるで別世界への入り口に来たかのような感覚にはなるが、それほど高揚感はない。
ここを超えたら、なにかが変わるのだろうか。
記憶は戻るのか。
私の存在理由がわかるのか。
そもそも考えるに値する『過去』を私は持っているのか。
大きな期待をしているわけではない。私に、そう思うだけの感情の起伏がないことは、これまで歩みでわかっている。なにかが変わっても、記憶が戻っても、私の存在している理由がわかっても、きっと心は、この暗闇のように空虚のままだろう。
だがそれでも――私は進み続ける。
私は境界の向こうの世界へと足を踏み出す。決して下は見ず、前だけを向いて。
右足の踵から入り、足裏全体を灰色の地面に乗せる。そこを基点として上半身を運ぶ。さらに、流れるように浮いた左足を、右足の横、肩幅ほどの距離を開けて地面に音を鳴らさず乗せる。
…………
自然体をつくり、息を大きく吸う。別世界の空気は相変わらずの無臭。
記憶が戻る気配も、感情が生まれた気配もない。
「やはりか……」
さきほどまでの黒い世界となにも変わらない、少し色づいただけの、それだけの違いでしかなかった。ある意味では期待どおりといえる結果なのかもしれない。
私がもし感情豊かな存在であるならば、この結果に不快感を覚えていただろうが、幸いにも私には情緒というものが存在していない。
私は時を置かず、すぐそこまで迫った森に向けて歩き出す。
「!!」
足を踏み出した瞬間、見えない壁を突き破って箱の外の世界に飛び出してきたかのように、それまでは全く感じていなかった温かな風が体を包んできた。
正面から体全体に柔らかく触れているそれは私が目覚めてから初めて体感したもので、小さな風音とともに、優しく『変化』を伝えてくる。
私は立ち止まり、両腕を体の斜め下へ広げて全身で新たな世界を味わう。無意識に瞼は閉じており、深くゆっくりと呼吸していた。
視界を遮ると、さまざまな変化を感じる。
…………
何かが聞こえる。
それは、葉擦れと風音。
規則性のない自然音が聴覚を支配する。
…………
何かが体に触れる。
それは、優しい気流。
規則性のないそよ風が触覚を支配する。
…………
目を開ける。
広がるのは色鮮やかな世界で、さまざまな感覚が、私が生きているということを自覚させてくる。
空は灰色で、完璧な鮮やかさとはいかないが、黒い世界を歩いてきた私にとっては眩しいほどだ。
息を大きく吐き、脱力する。
それと同時に視線を落とすと、いつの間にか私の体に服が着せられていた。
足には唐紅と、それを際立たせるように周囲を漆黒で塗り固められた履物。それが左右非対称の裾の長さで足を覆っている。
右手には、肩まで覆う深紅の手袋がはめられており、輪郭線をより鮮やかに目立たせている。肩に近づくにつれて、それは開花を待つ花のように翼を羽ばたかせる。
左手には墨色と緋色の手袋。しかし、輪郭を覆い隠す振袖によって裾の行方は不明だ。
両手を強く握っては開く。
片足ずつ、つま先を地面に軽くたたきつける。
動きに、衣服による制限がかからないことを確認し、正面からの風を感じながら再び歩き始める。
奇妙なことに、最初から服を着て生まれてきたかのように動きやすい。両手に感じる浮遊感だけは、いまだに抜けていないが。
慣れ親しんだような感覚を味わいながら進んでいくと、地面の色が灰から緑へと変化している場所までたどり着いた。
境界は曖昧で、滑らかに、連続的に色が変わっている。それに従って、これまで生えていなかった雑草が地面に見えてくる。手前の草は草臥れており、奥にいけばいくほど、それは生命力に満ち溢れた成長を見せる。
やがて緑の正体が草の茂りだということがわかる。そよ風により微かに揺らめく生命たちの上を、私は静かに渡り歩く。
私はそのまま振袖を靡かせながら森に向けて進み続ける。
森に近づくと葉擦れが大きくなっていく。風に乗って葉が数枚、地面に落ちていくのが見える。
落葉を横目に、そして自然の音に耳を澄ませながら歩いていると、またたく間に、踏んでいる地面の色は完全に緑へと変わり、目の前には灰茶と深緑の物体が聳え立つ。




