第十三話 雨上がり
***
あれから一週間。
この期間は、絶対に村には近づかなかった。
近づいたら、またあの【魔法】という、とんでもない力――その音がきこえてきてしまうからだ。
実際に、村に少し近づいただけでも、微かに爆発音がきこえてきた。まだそこそこの距離があったはずなのに。
だから、この一週間は、あまり森のなかに入らず、川と花畑の行き来だけで生活してる。ここら辺はかなり安全そうだし、食事も草だけで十分だから、『生きる』という目的だけなら大した移動はしなくてもいい。ほんのり甘い木の実が食べられないのだけは我慢しなくちゃいけないけど、倒れるよりかはいくらかマシだ。
時間のほとんどを花畑で過ごしてたから、おじいちゃんの家に飾る用の花を探す時間は無限にあった。雨着を持ってきたおかげで、雨の日でも寝るとき以外は花を見ることができてる。
雨に打たれてる花もやっぱりすごかった。
自分だったら、雨の日は空を見られないけど、花たちはそんな日でも関係なく、空を見上げてる。花びらに水が当たっても「堂々と受け止めてやる!」っていうくらいの強さみたいなものを感じた。
「かっこいい! 自分もああなりたい!」
そう思って空を見たら、目に水が落ちてきて、思わず目を瞑って逸らしてしまった。
心に強く『雨を見続けてやる!』って息巻いて、もう一回試してみても、無理だった。
『いつか見返してやるからな!』と心のなかで強く言い放って、その日は結局、下を向きながら花を探した。
そして今は、おじいちゃんの家の花を変える予定の日の夜、雨が上がって間もない。よく見えないけど、月がどこにもなさそうだから、天気は曇りっぽい。雨雲が月を隠してるんだと思う。とっても暗くて不気味な夜だ。
そんな日でも、自分はおじいちゃんの家に向かう。
家には二輪あったから、今日持ってくのも二輪にする。
選んだのは、雨に打たれても、へこたれずに堂々としてた二人。
花びらが大きくて、かつ茎が丈夫そう。多少のことでは折れなさそうで気に入ったから、おじいちゃんにも見せたくなったのだ。
自分は左右の手で、水滴がまだ乗ってる花を一輪ずつ持って、雨着の頭巾を深く被って村に向かう。
雨が上がったばかりだから、足元はドロドロしてる。足の裏に直接伝わる泥の感触は、どこか気持ちよさがあって、地面を踏みしめると、足が少し沈んで、指と指の隙間に泥が入り込む。その感覚がなかなかに独特――指の隙間を誰かになでられてるみたいでクセになる。
その場でゆっくりと足踏みをしてみる。
気持ちよさを感じられるが、地面が不安定で、つい転びそうになる。誰かに足をつかまれてるみたい。
足元の泥に慣れてきたところで、自分は歩き出した。
両手に花を持ってるから、もし転んでしまったら花が泥塗れになるし、手で体を支えることもできないから、転び方によっては顔面がどろんこになってしまう。
もし汚れても、川の水でキレイにすればいいけど、雨が降ったばかりで今は流れが激しい。少し遠くからでも、川の叫び声がきこえるくらいだ。音だけでも川に近づくことがどれくらい危険かは理解できる。
自分は川を大きく避けて村に向かう。
定番の道筋とは違うけど、もう何日も森で過ごしてる自分にとっては、慣れた道も同然だった。
泥から伸びてる手から、自分の足を振り解くように膝を高く上げて歩く。
転ばないよう、足の指で地面をしっかりとつかんで、丁寧に。ところどころにある木の根っことか、そこそこ大きい石とかに引っ掛からないように気をつけながら一歩ずつ、一歩ずつ、おじいちゃんがつくる料理みたいな音を出して。
かなり気を配ってるけど、深く頭巾を被ってるせいで、視界が狭くて、意外と危ない。
ずっと何かを跨ぐみたいな動きをしてるから、そのたびに上半身が前後左右に大きく振れちゃう。そしたら体の重心があっちこっちに行っちゃって、暗いのも相まって、足元とか関係なく転びそうになるときもある。
「よっ……おっと……おおわぁ! 危ない危ない……」
どれだけ気をつけてても、たまにこうして何かに引っ掛かってしまう。
何に転ばされそうになったのかを確認しようとしても、暗くてよく見えないから、結局わからないまま。
少女は一度立ち止まって、空の状況をうかがう。
見えるのは、輪郭が曖昧な漆黒の枝葉と、星ひとつない空。晴れている日であれば、昼間は鮮やかな二つの『アオ』が、太陽が隠れた夜は優しさ溢れる月光が森と少女を照らすはずだ。
「ふぅー、本当に真っ暗。なんにも見えないや」
無意識に拡大した瞳孔で、記憶にある景色と比較しようと試みるが、取り込まれる光はゼロに等しく、少女の目には黒一色の世界がうつる。
そんな空を見て、少女は気づく。
「もしかして、こんな暗いときにひとりで森の中を歩くのって――ヤバい?」
それは、力のない子どもが夜、ひとりで足元がおぼつかない森を歩くことに対する危険性。
道に迷うのももちろんだが、それ以上に状況が最悪だ。
花で両手が塞がってしまい、手探りで目の前に障害物があるか、たしかめる技が使えないし、単純に、もし動物に追いかけられでもしたら、絶対に逃げられないだろうという確信めいたものを少女は感じていた。
そう思って、少女は背中を丸めて口を半開きにし、体の時を止めて、全神経を耳に集中させる。
「…………」
「…………」
動物が活動している気配が感じられないほどの静寂。そこに高く響く、葉の雫が水たまりに落ちる音。それをきくと、肌に触れる湿り気のある冷風が、その冷たさをさらに引き立たせているように感じられる。
森の温もりが失せ、死んでしまったかと思わせるほどの孤独感に苛まれつつも、少女は安堵の息を吐く。
「ほぉー……だったら、きっと大丈夫……だよね?」
少女はそう割り切って、ベチャベチャという足音とともに再び歩き始める。
彼女の恐怖心を乗り越えさせたのは、『花を必ず届けてやる』という使命感はもちろんだが、それ以上にあったのは非現実に片足を突っ込んでいるかのような好奇心――
――少女の顔には冷汗、そして震えた笑みが浮かんでいた。
***
あれからはなにごともなく森を歩くことができ、やがて村が見える場所までたどり着く。
恐怖ゆえか、寒さゆえか、胸の奥の震えが止まらず呼吸が荒くなっている。それに呼応するように少女の足にも震えが伝播していた。
足を上げて、ずっと何かを跨ぐような歩き方をしていれば、疲れない距離でも疲労がたまってしまうのは仕方ないことではあるが。
少女は森の暗闇に擬態するように屈んで身を隠し、息を整える。
「はぁー……はぁー……つっかれたー……」
両手が塞がれながらも、なんとか転ばずに歩くことができた少女。
小さな目標の達成で、激しい運動後のような充実感に浸りつつ、村の様子をうかがう。
「どれどれー? 雨降ってたし、あまり人はいないと思うんだけど……ん?」
少女は村人が外出していないと予想。
たしかに、少女の見た村の光景は予想通りではあった。
村人はどこにも見当たらず、すでにみんなそれぞれの家に帰った後のようだった。なかには、家のあかりすらもついておらず、もう一日の活動を終了している家族もいる。
しかし、
「あれは、誰だろう? 見たことない格好……」




