第十一話 価値観
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「んっ……」
かたく、仄かな冷気を放つ土の上で目が覚める。
左半身には粗土、右半身には起床を促す風の揺すり。爽快さの欠片もない目覚め――体はもちろん目を動かすことすら面倒このうえない。
今の彼女は、夢と現の間で漂うさざ波のように思考が定まらない。思考の必要性を自身へ問うことさえも、広大な黒い海の前では闇に吸い込まれてしまうのだ。
理性で形成されたゆりかごは自らを眠りへと誘う――抵抗せず、瞬きとともに体中の神経とのつながりを再び断っていく。頭の先から足の先にかけて、順番に。
やがて全身の力が抜け、体の内側にある鉛が重くなる。これほどまでに重力を感じたことはない。――きっと、これからもないだろう。
――風がなくなった。
右半身に触れていた、柔らかい風の存在が知覚できなくなる。
――土がなくなった。
左半身に触れていた、かたい土の存在が知覚できなくなる。
――光がなくなった。
もう、自分の目が開いているのかも、わからない。
自身と自然の境目がとけていく。風と一体になり、土と混ざり合い、光と沈む。
世界の虚無へと通じる穴に落下する感覚に身を委ねる。銀色の蜘蛛の糸など存在せず、光へと通じる退路は『無』という障壁で完全に断たれている。
ここまできてしまったら、もうどうしようもない。
少女の意識は二度と明けない夜闇の中へと沈んでいった……
『――パサッ』
――違和感。
もう消えてしまったはずの神経に、ぼんやりとした『情報』が伝えられる。
それがどこから発生したものなのか――聴覚か、触覚か、それ以外か。
ただ、漠然とした『違和感』が、沈みゆく意識に一縷の糸を差し伸べる。
「もうどうしようもない」と一度、諦めた少女にとって、一筋の糸はひどく眩しく、思わず手を伸ばす。
左手を糸に近づけると、そこからはじんわりと温もりが溢れていることに気づかされる。決して表面だけではない――体の内側まで浸透してくる温かさだ。私がこの世界に誕生したときから、この温もりは心に寄り添い続けている。
覚えてる……覚えてる……知らないのに、覚えてる……。
君は――また……
………
「――――」
――暗い。――冷たい。
なんだか夢を見てた気がする。どんなものだったのかは、もう覚えてない。
夢の内容を思い出そうとしても、頭のなかに充満している靄が、思考を妨げてくる。
なぜ頭が回らないのかは、状況が教えてくれた。ここで眠ってて、まだ意識がハッキリしてないからだと。
しかし、それ以上に深刻なことがあった。
上体を起こすため、地面に手をつく。そのまま押して起き上がろうとするが、腕がやけに震えている。
想像と現実との乖離に、本来、体を支えられるはずの腕は、生まれたての小鹿のように転倒を余儀なくされる。中途半端に上体を上げていたため、転倒と同時に全体重が左ひじに集中。
「おっ……」
霞んでいるはずの脳内に、強烈な『痛み』が伝えられる。しかし実際に体が反射的に発した反応は薄い。口からチラリと空気が顔を出しただけ。
もう一度、試す。
地面に手をついて、今度は押すことに神経を注ぐ。が、結果は先ほどと同じ。
腕が震えて、体の重さに耐えられなくなり、転倒。
「あれ……?」
三度目の試行に臨もうしたとき、ようやく気づく――まだ力を入れていないのに、腕が震えている。
最初は、力の不足により震えているのだと思ったが、どうやらそうではなく――震えているから、力を出し切れていないようだ。その結果、たかだか起床ひとつに手こずってしまうという情けない現象が発生した。
であれば簡単な話……
「スゥー……ハァー……」
深呼吸をして体に落ち着きを促す。一回では足りないようで、数回試す。その最中に気づいたが、吐息するたび、頭の靄が若干ではあるが解消されていくのを感じた。ありがたい副効果だ。
次第に腕の震えは収まっていき、三度目の正直を体現する好機がきた。
地面に手をついて、強く押す。すると、普段どおりとはいかないが、かなり滑らかに起き上がることに成功した。
たったこれだけの動きに、森の中を走り回った後かのような疲労感が襲い、粘るような汗が分泌される。呼吸は乱れ、再び視界が揺らぐ。
しかし今度は、自らの理性に逆らい現状把握につとめる。
体は動かさず、顔と目だけで周囲の状況を確認。
ここ、どこだろう。花畑は……ない……。
あれは……村?
だれも、いない……。
あっ、そうか、今は夜なんだ……。
なにしにきたんだっけ……。
まだ寝ぼけている少女は、なぜか普段よりも、かったるくなっている体を動かして立ち上がる。地面に手をついて、頽れないよう、ゆっくりと。
「いっ……くぁ!!」
立つと同時に、とてつもない頭痛が少女を襲う。頭めがけて『風花』を発動させられたのかと思えるほどの破裂感だ。
まっすぐ立てなくなり、よろめきながら近くの木に背中を預ける。
破裂はなく、なんとか一瞬の痛みでおさまったが、心身に被害を与えるには十分すぎた。
「ハァ……ハァ……ハァ……スゥー…ハァー」
乱れてしまった呼吸の隙間に深呼吸をはさんで、思考することに神経を注ぐ。
そうだ……【魔法】だ。
あれを見て、気分が悪くなっちゃったんだ。
あんなに小さい、まだ自分と同じくらいの子が、火を出すなんて……それにあの爆発……
もう、【魔法】は見たくないや……。
「エヘへ……」
少女は自身の【魔法】に対する耐性のなさに呆れすぎて、つい笑みがこぼれる。
しかし、笑みとは裏腹に、体のしんどさは深呼吸を通しても変わる気配を見せない。
少女は、重力任せに頭をガクリと下げる。
「あっ、そうだった……」
頭を下げて視界に入ったのは、自分の手の中にある一輪の白い花。
少女の体調がいくら悪かろうと、その花は相変わらずの輝きで彼女を照らす。
そうだ。これは、家に飾るために持ってきた花。でも……
「ごめんね。こんなに握っちゃって……」
大きな花を支えるための茎が、少女の触れている部分で折れたり、しわしわになったりしている。
本来なら、もっと輝けたはずの命。その最期を自らの手で、はやめてしまったことで、少女は自責の念に駆られる。
折れてしまった花を、抱擁するように握って、額の前まで持ってくる。
そして、目を瞑り、小さく願う。
「君は、絶対に、あの家まで届けてみせるから……それで、おじいちゃんに喜んでもらってね……」
石のようにかたい決心を眉に集めて、少女は一歩を踏み出す。
***
「ハァ……ハァ……ハァ……」
夜の村。道の真ん中を歩いているのは、まるで酒屋帰りの酔っぱらいかのごとき子ども。おぼつかない足取りと、変色した顔色がその証拠。遠目から見れば死者が蘇ったのかと錯覚してしまうほどだ。
当の本人は、口の中に溜まった涎の処理をする余裕すらない。目的地だけを見据え、心だけで体を前に動かしている。
汗が落ちる。手足が震える。
目の前がぼんやりしてて暗い。
ああ、眠い。
あそこにつくまでは……どうか――
――誰にも見つかりませんように。
少女は左右に振れながら歩き続ける。
***
村にたくさんある家の中で、いちばん馴染みのある見た目のボロ家が近くまで見えてきた。けど、今日の家は、いつもと違ってフニャフニャしてる。
斜めになったり、屋根の位置が低くなったり……色もおかしい……?
木でできてるはずなのに、真っ黒……いやキラキラ光って……違う、白かな。これは、【魔法】? こんなに変な【魔法】もあるんだね。
……あれ? 急になにかにぶつかって……
足を動かしても、全然動けない。視界も変だ。さっきまで見えてた家が見えないや。
……そうか、転んじゃったんだ……はやく立たないと、誰かに見つかっちゃう……。
眠い。お腹空いた。
おじいちゃん、家にいるかな……怒られてもいいから、一回だけ、ごはん食べたいな。あったかい、ごはん。花を持ってきたし、許してくれるよね……きっと……。
少女は花を強く握って立ち上がり、また歩く。
***
「ついた……」
少女は、目線ほどの高さにあるトビラの取っ手に手をかける。
今日のトビラは、腕の力だけでなく、体重を預けないと開かないほどに重い。
開閉するだけで、少女は想定する以上の負担を強いられる。
ミシミシという音とともに木くずが地面に落ちて、トビラが開く。
家の中は真っ暗。
いつもどうやって、あかりをつけてたのかは知らない。こういうのは、おじいちゃんがやってくれてたから。
窓から少しだけ入ってきてる光を頼りに、食卓があった場所に向かう。
窓明りだけでは心もとないため、花を持ってない右手を伸ばして、家具の配置を確認。すると、中指に何かが触れる。
『……棒が、一、二、三……四本? 上には……板? この手触り、高さ――椅子? じゃあ、これの前に……あった』
なんとか手探りで食卓らしきものを見つけた。
あとは、花瓶の花を取って、今持ってる花と交換するだけ――なんだけど……気になる。花がどんな感じで飾ってあるのか。できれば、それを見てから花、変えたい。
それなのに、暗くてよく見えない。この家の窓は多分、普通の大きさだけど、窓に木の板がついてるせいで、月の光が入りにくい。
なんで、おじいちゃんはこんなことしたんだろう。この前まではなかったのに。
木の隙間から、少しだけ光が入ってきてるけど、それだけじゃ足りない。
これが直接、花に当たってくれればいいんだけど、時間かかりそう。それか、日が昇ってくるまで待ってるか……。そしたら、自分が村にいたこと、だれかにバレちゃうかも……。
どうしよう……こんな暗い所に居続けたら、眠っちゃいそう。ぼーっとする……。
もうすでに、今すぐ座りたい、横になりたいって気持ちが出てきてる。
足も限界だし、頭痛もしてきた。お腹も減って、力が出ない……花を見るのは、もう……
「見るの、諦めたほうがいいのかな……」
苦い諦めが胸の奥を浸食し、どこか達観した様子で瞼を閉じる少女。
たいていのこと――老翁に追い出されたときでさえ潔く受け入れることができた彼女も、今回ばかりは心の整理に時間がかかる。
花を見られるか否かというだけ――他の村人から見れば、こんなことは理解不能な価値観だろう。だが綱渡りのような道程を思い返せば……たったひとり、張本人である少女だけは、その行為に遥かな価値を見出す。花が好きであるならば、なおさらだ。
刹那――
「うっ……」
この場に存在するはずのない刺激が、目にもたらされる。
目を瞑っていても、その裏側までズキンとくるような――朝起きたときによく感じる……
「眩しい……?」
光による刺激。
特に暗闇から急激に明るい光にさらされたときに感じるそれだ。
少女は瞼を絞り、口元を歪ませる。腕を目にかぶせて、光を遮ろうとするが、余波だけで視力が奪われる。
何が起きたんだろう。目が開けられないから、どうなってるか、わかんない!
もしかして、また【魔法】……? もうやめて……やめて……。
少女は、過去を思い出して狼狽。
軽い混乱状態に陥り、手足の震えが増していく。花を握る手の握力も上がり、さらなる傷を与えてしまう既の所で、少女の視力が回復していく。そして、何が起きたのかが露わになっていく。
「な、なにが………おきて……」
薄目を開ける。
すると視界に懐かしい光景がうつる。
使わないのに立てかけてある杖、ところどころにいる虫、脚の高さが微妙にそろっていない椅子。
どこを見てもボロボロの家。その中で目を引くのは、食卓の上の花瓶に入った、一輪の白い花。その大きな花びらは、まさしく少女が思い描いたとおりの役目を担っていた。
想定どおり、いやそれ以上に、花はキレイで、自分の行動がすべて肯定されたような気持ちになる。
『あのときの選択は何も間違ってなかった』
『今こうして、おじいちゃんの家を明るくしてくれてるのは、自分が選んだ花』
なにも話さないおじいちゃんが、いつもの椅子から花を見てた。
「かわいい……エヘヘ……この花……選んで………よかった……」
意識と現実をつなぐ糸がプツリと途切れる――
『ミシミシ……』
「チッ…ゴミが……」
書き溜めていた分がなくなりました
ここからは、二、三日に一話ペースになるかもしれないです




