第十話 ひとりぼっち (3)
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やがて笑い疲れた少女は、上体を起こし、ひとつため息をついて、ゆっくりと立ち上がる。
そして、疲労を感じてきている足を無理やり動かし、川を脱して下流へ向かう。
多少の息切れとともに少し歩くと、昨晩に見た白い花の群生地が再び見えてきた。
「ここだ……やっとついた!」
少女は花を見るや否や、直前まで感じていた疲労をすっかり忘れて、花園へ向けて走り出していた。
今日は起きてからすでに、飛んだり跳ねたり、全力疾走したり、川で遊んだりした。そのはずだが、花の海に向かう少女は今までで一番の軽い足取りを見せる。
「やっふぅー!」
少女は花の海に勢いよく足を踏み入れる。そんなワクワクの状態でも、花を直接踏まないよう、細心の注意を払うことは決して忘れない。
「うわっははー!! 鮮やかだー! 昨日もよかったけど、今日もとってもキレイ!」
薄暗くてわかりにくかった色の違いが、今日はよくわかる。
全部白っぽいことはわかってたけど、同じ白でも、少しだけ暗くなってたり、黄色くなってたり――よく見ると全然違う。
月の光で照らされてたときは、夢の中にいるみたいな不思議な感覚だった。
逆に、青空の下で明るい太陽に照らされてる今は、明るい色がたくさんついてて、花が自分に「がんばれ!」って言ってくれてるみたいな感覚。話すわけないのはわかってるけど。
つまり……
『花はいつ見ても最高!!』
ってこと…………
「…………花、いつでも見れるじゃん……!」
今までは、おじいちゃんに言われて、あまり外に出ることができなかった。
だけど、今は自分を閉じ込めるものはない。
だから、好きなときに好きなだけ、自分の大好きな花を楽しむことができる。
となれば、取るべき手段はひとつ……
「じゃあ、ここで生活しよう! そうすれば、毎日花と一緒だ! どうせ行くあてもないしね! 自分、けっこう頭いいかもしれない!」
ウキウキしながら、少女はその場で仰向けになる。
視界の端には白く輝く花、それ以上に存在感を示すのは微かに濃淡のある雲ひとつない青空。
風に吹かれて花が揺れる。少女の頬にはヒラヒラと、葉の側面が触れる。少しくすぐったくなり、少女は頬を膨らませて、にやけ顔。
「……ぷっ…あっはっはっはっは!」
やがて吹き出し、涙が出るほどの笑い声を上げる。
箱の中に幽閉されていた、ただの子どもは、家を追い出されてから、これまで抑えていた感情が何度も爆発し、そのたびに年相応の笑顔を見せる。
まるで辛いことなんて、ひとつもなかったかのように。
そんな楽しさに溺れているとき、ふと、ついさっきのことが脳裏を過る。
「村の人たち、みんな元気だったなー、あれがきっと“幸せ”っていうことなんだよね! んで、多分だけど、自分がいなくなったら……みんなはもっと幸せなんだろうな……まぁあ、自分はここで過ごせたら幸せだし……イッセキニチョウ? ってやつだよね!」
少女はゆっくりと上体を起こし、自分を囲む花を見つめる。
「そういえば、家に置いた花、見忘れた」
当初の目的を達して心が落ち着いてきたとき、周囲の花を見て気づかされたのは、家に持ち帰った白い花のこと。
家を追い出されたことと、この場所にたどりつくことに思考が持ってかれていたが、それ以前に、朝起きたときに花を確認しようとしていたことを思い出す。
そもそも、おじいちゃんは、ちゃんと花を飾ってくれたのか。それすらも自分は知らない。
あの花についてのいちばん新しい記憶は、『暗い森で握っていた』というもの。だから家に持ち帰れたのかも、よくわからない。
できれば花を見に行きたいけど、おじいちゃんからは「戻ってくるな」って言われちゃったし……うーん……。
自分は考えた。
胡坐をかいたり、うつぶせになったり、もう一回仰向けになったり、花を触ってみたり、とにかく体勢を変えながら考えた。
考えて考えて考えた結果……
「うーん、なるほど…………どうしよう?」
こたえが出なかった。
「とりあえず……ごはん、食べないとなぁ」
そんなモヤモヤを抱えながらも、自分は生活のことを考える。
おじいちゃんがいつもつくってくれてたから、料理のやり方は知らない。そもそもどうやって食料を手に入れればいいのかもわからない。
普段なら野菜屋さんで野菜買って、あと、おじいちゃんがどこかから持ってきた動物を使って料理してた。
野菜は、あのおばさんから買えばいいとして……村に行かないといけないのか。
そも、なにかを買うときに、おじいちゃんが払ってた『オカネ』? というものを、自分は持ってなかった。
だから、野菜だけではなくて、なにかを買うっていう選択肢はなくなってしまったわけだ。
お肉は……あれも買ってきたやつだったのかな。
『オカネ』がないから、もし、お肉が食べたいなら自分で狩りにいって動物を倒すしかないってことだよね。
そしたら、動物の皮を剥いで、お肉を切って、温めれば食べられるはず!
よし、料理できるかも! お腹すいたし、さっそく狩りに行こう!
少女は握りこぶしを掲げて意気込む。しかし……
……狩りのやり方、知らないや。
……切る? どうやって?
……温める? どうやって?
……どちらかというと、自分が狩られる側では?
少女は己の無知、無力さを痛感し、『ぼけぇ~』っと、ただ放心。
「……わ~。キレイな虫さんが飛んでる~。へっ…へへへへへ…………本当にどうぢよ……」
食料調達に向けての希望がなくなり、少女は大きくため息をついて肩を落とす。
「はぁー……こんなことなら、おじいちゃんにいろいろと教えてもらえばよかった……きいても教えてもらえたかはわからないけど……」
普段どおりであれば、多少の空腹感は我慢できる。しかし、この後も食事ができないのだと思うと、少女の空腹感は、外界に影響されているかのごとく、その存在感を露わにする。
そんなとき、肩を落として視線が下がった少女の目には、とある物体がうつる。
「雑草……食べれるのかな」
辺り一面に咲き誇っている花のすぐ横には、背の低い雑草があった。
花に夢中で気が付かなかったが、よく見ると、花だけでなく雑草も生い茂っている。
もし、これが食べられたら、少女はもう二度と食料の心配をしなくてもいいと考えた。
少女は躊躇いなく雑草に手をのばす。
雑草の真ん中を鷲づかみにし、力任せに引っ張った。
すると雑草は根元からは抜けずに、草の部分が見事に破れ、細い葉、数本だけが手の中へ。
少女は手を開いて雑草とにらめっこ。
数秒だけ見つめあって、それをそのまま、まとめて口の中に突っ込んだ。
「んー……」
自然の草を数回だけ咀嚼し、舌の上で転がして食べられるかを吟味する。
「……いつも食べてる野菜と、ほとんど変わらないや!」
おいしい食べ物がどういうものなのかを知らない少女は、とんでもない味覚音痴だった。
***
あれから一週間がたった。
自分は、意外と一人でも生活ができている。
雑草と、森に少し入ったところにある木の実を食べてたら、なんとか空腹を紛らわすことができた。
けど、前に比べたら、やっぱりお腹は空いてる。
それと、この一週間、花畑で楽しく過ごしてるけど、家に持ち帰った花がどうなってるか、ずっと気になり続けてる。
「そういえば今日って、花を変える日だよね……だったら、まだ昼だけど……」
少女は、ずっと吟味していた花のなかで、花びらの大きいものを手に取り、村に向けて走り出した。
***
「村に近づいてきたけど、この音はなんだろう?」
自分はこの一週間で、この森の構造についてある程度、理解した。
危ない動物がいる場所も、木の実がある場所も、村人たちがよく狩りに来る場所も、いろいろと知った。
だから、迷わずに村近くまでくることができた。
近くにきたら、『ドーン!』っていう音がたくさんなってるのがきこえてきた。
前まではこんなのきこえてこなかったのに。
村で何が起きてるのか、こっそり確認しよう!
少女は草の茂みの中に、小さな体をスッポリとおさめて、葉の隙間から村を眺める。
「ぐぬぬぬ……『火花』! やった……!」
踏ん張っていた、まだ幼い少年の手から、花びらほどの大きさの火花が生まれる。
「すごいじゃん! じゃあウチも……」
少年の姉が目を瞑り、精神を研ぎ澄ませる。
口から空気を薄く吸い、魔力を高める。
次に空気を薄く吐き、高まった魔力を体中に巡らせる。
その行為を繰り返していくと、次第に魔力の巡りが速くなっていき、彼女の周囲を取り囲むように風が吹き始める。
集中力が最大値まで達したとき、彼女は俵の的に向かって右手の平を向ける。
そして、再び空気を薄く吸い……開眼。
「咲け……『風花』!」
彼女は息を短く吐いて詠唱する。
それと同時に、手を翻しながら強く握る。
『バーン!!』
すると、彼女の手の先にあった俵はとてつもない破裂音とともに内側から粉々になった。
それはまるで、俵という種子から、満開の花が突然、一気に咲き誇ったかのように、桁外れの派手さ、非常識さだった。
「ど? お姉ちゃん、すごいでしょ?」
「すげぇ! すげぇよ、姉ちゃん!! ボクも、あんなふうに強い【魔法】を使えるようになりたい!」
「もう三年くらいしたら、あんたもできるようになるよ!」
「そ、そうかな? ボク、がんばるね!」
「ウム。えらいぞ!」
「えへへ……」
仲睦まじく、温かい関係性の姉弟。
彼らを長椅子から眺める両親も、お茶をすすりながら、朗らかな笑顔で仲良さそうに会話している。
この村の平和を体現したかのような親子に、彼らをこっそりと見ている少女の顔にも笑みが……
「な、なにあれ……ヤバい……!!!!!」
なかった。
顔は青ざめ、唇は震えてしまっている。
全身からは気味の悪い冷汗が溢れだし、体に流れる血が逆流しているかのように落ち着かない。
「あれが【魔法】?? 【魔法】ってあんなに乱暴なものだったの……!? はやく、逃げないと……」
この世のものとは思えない悍ましい光景に、少女は歯をガチガチとならす。
やがて恐怖が絶頂を突き破り、人々の号哭と慟哭、鬨の声さえもきこえてくる。
少女は存在するはずのない戦場から逃れるため、息を殺して、体を回転させる。
そのとき、
『ドーーーン!!』
「うっ…………!!!」
体の芯まで響くほどの爆発音と、体が吹き飛ばされてしまいそうになるほどの風圧。それに乗って、小石や枝が戦いを知らない少女に襲いかかる。
少女は頭をおさえて、その場に伏せた。
呼吸は明らかに乱れているが、精一杯、息を殺して浅い口呼吸を繰り返す。
「(もう、なんなの……)」
『ドドドド……』
「ハァ……ハァ……もう、やめて……」
『ズーーーン!』
「っぐ!! ……ハァハァッ……ハッ……ハァ……」
地面で震えあがっている少女の口呼吸は、大きな音とともに少しずつ荒々しくなっていく。しかし、そんなことを無視して、村のいたるところから発生する轟轟たる爆音が少女の精神をとめどなくせめたて続ける。
もう、やめて……!
胸が苦しい……フラフラする……手がしびれて……
ハァ……つらい……死にたくない……!
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくないよ……誰か助けて……誰でもいいから助けて……
息が……できな……
…………
……




