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世間知らずの白髪の少女と古代魔法都市(過ぎ去りし痛みの閃光)「誰にも言えない痛みを、私は一人抱えて、それでも、私は母として、妻として、生きていく」

作者: 希望の王

この物語は、世間知らずの白髪の少女と古代魔法都市(絶望と再生の物語)「あなたが見ている世界。それは、本当に本当の世界ですか?」(R15)(完成版)(挿絵80枚以上)(本編)を舞台にしたユイという女性の物語です。

【雷光の残滓】


挿絵(By みてみん)

ユイ


アストレア王国の穏やかな片田舎で生まれたユイは、その才能を開花させ、王立魔法学校を首席で卒業した。銀糸のような髪と吸い込まれるような青い瞳は、どこか憂いを帯びながらも知的な光を宿していた。得意とする電撃魔法は、彼女の冷静さと集中力を象徴するようだった。卒業後、ユイはその才能を買われ、王国最大の発電会社に入社。そこで出会った温厚な男性アレックスと恋に落ち、やがて三人の愛らしい娘たちに恵まれた。一見すると、ユイの人生は幸福に満ち溢れているように見えた。


挿絵(By みてみん)

ユイと発電所


しかし、穏やかな日常の裏側には、決して癒えることのない過去の傷跡が深く刻まれていた。それは、ユイが少女時代に受けた性暴力の記憶。普段は明るく、良き妻、良き母、そして優秀な技術者として振る舞うユイだったが、ふとした瞬間に、過去の悪夢が鮮明な映像と感情を伴って彼女を襲った。


夕焼けが窓を赤く染める時間。娘たちが眠りについた静かな寝室で、ユイは一人、洗濯物を畳んでいた。ふと、古い木製のタンスの軋む音が耳に届いた。その瞬間、ユイの心臓は凍り付いたように跳ね上がった。乾いた木の擦れる音。それは、あの日の古い納屋の扉が開く音と重なった。


呼吸が浅くなる。畳んでいたはずの柔らかな子供服が、粗い麻の感触に変わる。押し寄せる吐き気と、肌を這うような嫌悪感。目の前が歪み、アレックスの優しい寝息も、娘たちの無邪気な寝顔も、遠い世界の出来事のように感じられた。ユイは、喉の奥から込み上げてくる悲鳴を必死に押し殺し、震える手で自分の腕を強く抱きしめた。


『まただ……また、あの日が来る……!』


フラッシュバックは、ユイの日常を容赦なく侵食した。アレックスが優しく肩に触れた時、同僚が冗談めかして背中を叩いた時、街中で見知らぬ男性とすれ違った時。何気ない瞬間に、過去の恐怖が蘇り、ユイを現実から引き剥がした。彼女は、笑顔の裏で常に怯え、警戒し、いつ訪れるか分からない悪夢に備えて身を強張らせていた。


ユイは、誰にも過去の被害を打ち明けることができなかった。片田舎という狭い社会で、性暴力の被害者は汚れた存在として見なされる風潮が根強く残っていた。「お前にも隙があったんだ」「男を誘ったんだろう」そんな心無い言葉が、ユイの口を噤ませた。もし過去を語れば、愛する夫や可愛い娘たちにまで、白い目が向けられるかもしれない。彼女は、二次被害への恐れに苛まれ、一人で秘密を抱え込んでいた。


見知らぬ男たちの欲望の暴力が繰り返されるたび、彼女の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じていた。それは、積み重ねてきた希望や未来への期待といった、目に見えないけれど大切なものたちだった。


踏みつけられた体の痛みよりも深く、 卑猥な言葉や冷たい視線が、 彼女の魂を蝕んでいく。 毎回、 純潔さが奪われるたびに、 彼女の内側から世界が一つずつ消えていくようだった。


鏡に映る自分の姿は、もはや見知らぬ少女だった。生気のない瞳、強ばった表情、そして何よりも、 内部にぽっかりと空いた空洞が、 憑りつかれたような不名誉な性暴力の記憶が長い時間にわたって彼女の心と体に深い傷跡を残し、現在の精神状態を象徴的に表していた。


世界は歪み、音は遠のき、現実は徐々にその境界線を曖昧にしていく。 見知らぬ男たちの下卑な声が、幻聴のように彼女の頭に響き、安全な場所などどこにも存在しないという冷たい意識が、 彼女を 常に苛んでいた。


心は悲鳴を上げる力さえ失い、 記憶の断片が、 無秩序 に彼女の脳裏を駆け巡る。温かい思い出は色褪せ、 憑りつかれたような不名誉な性暴力の記憶の冷たい感触だけが、 今も彼女の皮膚に残っているようだった。


彼女は、 壊れかけた人形のように、感情の起伏さえ失いかけていた。時折、 ふとした瞬間に込み上げてくるのは、 言葉にできないほどの深い絶望感だけだった。それは、 意識の深層にまで押し寄せ、 彼女の存在そのものを消滅させようとする黒い死のようだった。


もはや、 自分を保つための僅かな力さえ残っていないのかもしれない。 憑りつかれたような不名誉な性暴力被害の記憶の冷たい手は、確実に彼女の意識を締め付け、 意識の光を消し去ろうとしている。彼女は、 逃れられない 闇に飲み込まれ、二度と光を見ることができないのではないかという、 冷たい恐怖に常に苛まれていた。


魔法学校時代の親友、マレーナにさえ、ユイは真実を話せなかった。成績優秀で誰からも信頼されるユイが、そんな過去を抱えているとは誰も想像しないだろう。打ち明けたところで、マレーナを困らせるだけかもしれない。そう思うと、ユイはいつも笑顔で取り繕い、当たり障りのない会話でやり過ごした。


しかし、心の奥底では、誰かに助けを求めたかった。この重すぎる荷物を、一人で背負い続けるのは限界だった。ある夜、アレックスが優しくユイを抱きしめ、「何かあったのか?」と心配そうに尋ねた時、ユイの心のダムは決壊寸前だった。


「……ごめんね、少し疲れているだけなの」


結局、ユイはそう答えるのが精一杯だった。アレックスの温もりが、過去の冷たい感触をわずかに和らげる。彼の存在は、ユイにとって唯一の希望の光だった。この穏やかな家庭を守りたい。そのためなら、過去の傷跡を隠し通してみせる。ユイは、そう強く心に誓った。


娘たちの成長は、ユイにとって何よりも代えがたい喜びだった。長女のミステルは、ユイ譲りの聡明さで魔法の才能を開花させつつあり、次女のルーナは、アレックスのような穏やかな笑顔で周囲を明るく照らした。末っ子のラナーは、まだ幼いながらも、その存在だけでユイの心を温かくした。


娘たちの寝顔を見ていると、ユイは自分が生きる意味を改めて感じた。過去の暗闇に囚われたままではいけない。彼女たちの未来のために、自分は強くならなければならない。


ある日、発電会社で新しいエネルギーシステムの開発に取り組んでいたユイは、壁にぶつかっていた。どうしても解決できない技術的な問題。連日徹夜で研究を重ねるユイの疲労はピークに達していた。そんな時、ふと研究室に飾られた子供たちの描いた絵が目に留まった。歪んだ線で描かれた家族の絵。その不器用な愛情表現が、ユイの固く閉ざされた心にそっと触れた。


『私は、一人じゃないんだ』


ユイは、深呼吸をした。過去のトラウマは消えないかもしれない。それでも、今の自分には、愛する家族がいる。共に支え合い、共に生きていくことができる。


その時、ユイの脳裏に、過去の記憶と結びついた電撃魔法の、新たな使い方が閃いた。それは、外部からの衝撃を吸収し、エネルギーに変換する防御システムだった。過去の傷を力に変える。そんな逆転の発想が、ユイの心を明るく照らした。


数週間後、ユイの開発した新しいエネルギーシステムは、画期的な成果を上げた。それは、王国全体のエネルギー効率を飛躍的に向上させるだけでなく、災害時のバックアップシステムとしても活用できる可能性を秘めていた。ユイは、その功績を認められ、会社の幹部に昇進した。


表彰式の日、アレックスと三人の娘たちは、誇らしげな笑顔でユイを見守っていた。壇上でスピーチをするユイの言葉は、力強く、未来への希望に満ちていた。過去の暗闇を乗り越え、今を生きる彼女の姿は、多くの人々に勇気を与えた。


もちろん、過去の傷が完全に癒えたわけではない。フラッシュバックは時折ユイを襲うだろう。社会の偏見も、簡単にはなくならないかもしれない。それでも、ユイはもう一人ではない。愛する家族の温もり、そして自身の内なる強さを信じ、彼女はゆっくりと、しかし確実に、過去の呪縛から解放されつつあった。雷光のような強い意志を胸に、ユイはこれからも、愛する人々と共に、光り輝く未来を歩んでいくのだ。



【エピソード集】


【朝の陽だまり】



朝の光が、レースのカーテン越しに淡く寝室に差し込む。ユイは、微かなアラームの音に気づきながらも、もう少しだけ、と瞼を閉じた。しかし、すぐに焦げ付くような匂いが鼻をかすめ、飛び起きた。


「しまった!」


パン焼き器からは、煙がうっすらと立ち上っている。慌ててトーストを取り出すと、角は黒く焦げていた。


「ママ、どうしたの?」


寝室のドアが開いて、長女のミステルが心配そうな顔を覗かせた。続いて、次女のルーナと、まだ眠そうな末っ子のラナーもやってくる。


「ごめんごめん、ちょっと寝坊しちゃって」


ユイは苦笑いしながら、焦げていない部分のトーストを娘たちのお皿に乗せた。「はい、これなら大丈夫よ」


食卓には、アレックスが淹れてくれた温かいコーヒーの香りが漂っている。すでに席についていたアレックスは、ユイの慌てぶりに気づいて、優しく微笑んだ。「大丈夫だよ、ユイ。ゆっくりでいいんだ」


ミステルは、学校であった面白い出来事を話し始めた。昨日の魔法の授業で、先生が珍しい魔法薬を調合しようとして、思いがけない色の煙を出してしまったこと。ルーナは、庭で見つけた小さな芋虫の世話について熱心に語る。その小さな生き物の名前はまだ決まっていないらしい。「ねえママ、なんて名前がいいかな?」と、ルーナはユイに問いかけた。


ラナーはまだ言葉はたどたどしいけれど、「あー」「うー」と楽しそうに声を上げながら、小さく切られたパンを夢中で頬張っている。その頬には、ジャムの小さな粒が付いていた。


ユイは、そんな賑やかな朝の光景を眺めながら、じんわりとした温かさを感じていた。焦げ付いたトーストの苦い匂いさえ、今はどこか愛おしい。何気ない日常のひとコマ。けれど、この穏やかな時間こそが、ユイにとってかけがえのない宝物だった。


ふとした瞬間、過去の冷たい感触が脳裏をよぎる。乾いた木の擦れる音。しかし、すぐにルーナの無邪気な笑顔と、「ママ、ねえ、芋虫の名前!」という明るい声が、ユイを現実に引き戻す。


「そうね、ルーナ。どんな名前がいいかしら?」


ユイは微笑みながら、娘の問いかけに優しく答えた。朝の陽だまりの中で、家族の温かさに包まれながら、ユイは今日もまた、一日を穏やかに始めるのだった。


挿絵(By みてみん)


【公園の陽光】



週末の朝、ユイの家のリビングは、いつもより少しだけゆっくりとした空気に包まれていた。窓からは柔らかな陽光が差し込み、子供たちの楽しそうな話し声が響いている。今日は家族みんなで、近くの公園へピクニックに行く日だ。


ユイは、手作りのお弁当を丁寧にバスケットに詰めていた。ミステルにはお気に入りの卵焼き、ルーナには小さな花柄のクッキー、そしてラナーには食べやすいように小さく切ったフルーツ。アレックスは大きな水筒とレジャーシートを肩にかけ、準備万端といった様子だ。


公園に着くと、子供たちは待ちきれないように駆け出した。ミステルは広い芝生でフリスビーを追いかけ、ルーナは色とりどりの花が咲く花壇に夢中になっている。まだよちよち歩きのラナーは、アレックスに手を引かれながら、楽しそうに小さな足を動かしている。


ユイはレジャーシートを広げ、木陰に腰を下ろした。目の前で繰り広げられる穏やかな光景を眺めていると、心がじんわりと温かくなるのを感じた。子供たちの笑い声、アレックスの優しい眼差し。それらは、ユイにとって何よりも安らぐものだった。


お昼になり、ユイはバスケットからお弁当を取り出した。みんなで輪になって座り、手作りのおにぎりやサンドイッチを分け合う。他愛ない会話が弾み、子供たちは公園で見つけた面白いものを競うように話す。ルーナが見つけた四つ葉のクローバーを、ラナーが興味津々で触ろうとして、みんなで笑い合った。


ユイは、そんな家族の笑顔をそっと見つめていた。過去の暗い記憶がふと頭をよぎることもある。見知らぬ男たちの冷たい視線や、あの日のじめじめとした納屋の感触。しかし、すぐに目の前にいる愛する家族の温かさが、その記憶を優しく包み込んでくれる。


帰り道、遊び疲れたラナーは、アレックスの腕の中で眠ってしまった。その小さな寝顔を見ながら、ユイはアレックスの背中にそっと手を添えた。温かく、頼りになるその背中を見ていると、感謝の気持ちが静かに湧き上がってくる。


家に戻り、少し休憩した後、ユイは子供たちと絵本を読んだり、一緒に積み木で遊んだりした。夕食の準備をしながら、ふと窓の外を見ると、夕焼けが空を茜色に染めている。その美しい光景は、ユイの心に静かな安らぎをもたらした。


今日一日、特別なことは何もなかった。ただ、家族みんなで公園へ行き、笑い、語り合った。けれど、そんなありふれた日常の中にこそ、ユイにとって何よりも大切なものがある。雷光の残滓のように、時折心を掠める過去の痛みも、この温かい日常の中で、少しずつ薄れていくような気がした。ユイは、明日からもまた、この穏やかな幸せを守りながら生きていこうと、静かに心に誓うのだった。


挿絵(By みてみん)


【静かな夜の調べ】


一日の終わりを告げるように、部屋には静けさが訪れていた。ユイは、三つの小さな寝室を順番に回り、眠りについた娘たちの様子を見守っていた。


最初に訪れたのは、長女のミステルの部屋。少し開いた窓からは、夜の涼しい風がそっとカーテンを揺らしている。ミステルは、お気に入りの魔法に関する分厚い本を枕元に置き、すやすやと眠っていた。ユイは、その知的な横顔を優しく見つめ、銀糸のような髪をそっと撫でた。「今日もたくさん勉強したのね」と心の中で呟いた。


次に訪れたのは、次女のルーナの部屋。ベッドサイドには、今日公園で摘んできた小さな花束が飾られている。ルーナは、お気に入りのぬいぐるみを抱きしめ、穏やかな寝息を立てていた。ユイは、その丸い頬をそっと撫で、「良い夢を見てね」と囁いた。ルーナが眠る前、「今日、お友達とケンカしちゃったけど、ちゃんと謝ったんだ」と少し不安そうに話していたのを思い出した。ユイは、娘の素直な成長を嬉しく感じた。


最後に訪れたのは、末っ子のラナーの部屋。小さなベッドの中で、ラナーは手足を伸ばして気持ちよさそうに眠っている。まだ幼いその寝顔は、天使のように無邪気だ。ユイは、その小さな体にそっと毛布をかけ直し、柔らかな頬にキスをした。ラナーの温もりを感じると、ユイの心もじんわりと温かくなった。


三人の娘たちの寝顔を見守りながら、ユイは今日一日の出来事を静かに振り返っていた。朝の慌ただしさ、公園での笑顔、そして寝る前の小さな告白。何気ない日常の断片が、ユイの心の中で大切に積み重なっていく。


ふと、過去の暗い記憶が忍び寄ろうとする。見知らぬ男たちの下卑た笑い声、逃げ場のない恐怖。しかし、すぐにミステルの知的な瞳、ルーナの優しい笑顔、そしてラナーの無垢な寝顔が、その暗闇を打ち消してくれる。この愛しい存在たちがいるから、ユイは前を向いて生きていける。


それぞれの寝室の明かりをそっと消し、ユイは自分の部屋に戻った。窓の外では、静かな夜の調べが聞こえる。虫の声、遠くを走る馬車の音。そんな静けさの中で、ユイは一日の疲れを感じながらも、穏やかな気持ちで眠りにつこうとしていた。


明日もまた、この愛しい娘たちの笑顔が見られる。そう思うだけで、ユイの心は希望で満たされる。過去の傷跡は消えないかもしれないけれど、この静かな夜の安らぎと、明日へのささやかな期待を胸に、ユイはゆっくりと瞼を閉じた。


挿絵(By みてみん)


【午後の陽射しとコーヒーの香り】


発電所の休憩室は、午後の陽射しが差し込み、温かいコーヒーの香りで満たされていた。ユイは、同僚の女性技術者、ニアと共に小さなテーブルを囲んでいた。ニアは、明るい笑顔が印象的な、頼りになる先輩だ。


「いやあ、今回の新しい冷却システムの導入、本当に大変だったわよね」


ニアが、湯気の立つコーヒーカップを手にしながら言った。ユイも深く頷いた。「ええ、連日徹夜でしたから。でも、おかげで効率が格段に上がりましたね」


二人は、しばらく仕事の技術的な課題や、今後の展望について話し合った。ニアは経験豊富で、いつも的確なアドバイスをくれる。ユイにとって、職場にこのような信頼できる同僚がいることは、心強い支えだった。


話が一段落すると、ニアは少し声をひそめて、最近あった面白いニュースを話し始めた。「聞いた?隣町のパン屋さんの息子さん、ついにプロポーズしたらしいのよ!お相手は、あそこの花屋の娘さんだって」


ニアの楽しそうな口調に、ユイも思わず微笑んだ。「そうなんですね、おめでたい話ですね」


そんな他愛ない会話を交わしていると、ふとした瞬間に、ニアの何気ない言葉が、ユイの心に小さな波紋を広げることがあった。例えば、男性の話になった時など、過去の嫌な記憶が、まるで影のように忍び寄ってくる。見知らぬ男たちの声が、幻聴のように蘇りそうになる。


しかし、すぐにニアの明るい笑顔が、その暗い影を打ち消してくれる。ニアの屈託のない笑い声を聞いていると、ユイは自分が今、安全な場所にいることを思い出すことができた。


「ユイさんは、何か面白いことありました?」


ニアが、興味津々といった表情で尋ねた。ユイは少し考え、「そうですね…先日、娘たちが三人で秘密基地を作ったんです。でも、すぐにバレてしまって、みんなで大笑いしました」と答えた。家族の微笑ましいエピソードを話すと、ユイの心も温かくなった。


休憩時間が終わり、二人はそれぞれの持ち場に戻る準備をした。「また、困ったことがあったら遠慮なく言ってね」と、ニアは優しい眼差しでユイに声をかけた。


「ありがとうございます、ニアさん」


ユイは、心からの感謝を込めて答えた。発電所という、ともすれば無機質な場所に、ニアのような温かい存在がいること。それは、ユイにとって、小さなけれど確かな光だった。


午後の業務に戻りながら、ユイは先ほどのニアとの会話を思い出していた。ありふれた日常のやり取りの中に、確かに存在する温かさ。過去の傷跡は、時折ユイを苦しめるけれど、こうして近くにいてくれる人たちの存在が、彼女を支え、前に進む力を与えてくれる。ユイは、今日もまた、与えられた場所で、自分の役割を果たそうと静かに決意するのだった。


挿絵(By みてみん)


【茜色の帰り道】


発電所での一日を終え、ユイは少し疲れた足取りで近所のスーパーマーケットへ向かった。今日の夕食は、子供たちが楽しみにしているオムライスにしよう。卵と鶏肉、玉ねぎ、それからケチャップ。カゴに必要なものを入れていくと、ふと献立のアイデアが浮かんできた。冷蔵庫に残っていた野菜も使って、簡単なサラダも作ろう。


野菜コーナーで新鮮なトマトを選んでいると、「あら、ユイさん、お帰りなさい」と明るい声が聞こえた。振り返ると、近所に住むマツダさんが、買い物袋を提げて立っていた。マツダさんはいつも笑顔で、ユイもよく立ち話をする顔見知りだ。


「こんにちは、マツダさん。今日もお買い物ですか?」


「ええ、明日の朝のパンをね。ユイさんは夕飯の支度?」


「はい、今日はオムライスにしようと思って」


「まあ、お子さんたち、喜びますねえ。うちの孫もオムライスが大好きなんですよ」


二人は、子供たちのことや、最近の地域の出来事など、他愛ない世間話に花を咲かせた。マツダさんの温かい笑顔と優しい言葉に触れていると、ユイの心も和んでいく。小さな地域社会の、ささやかな温かさが、疲れた体にじんわりと染み渡るようだった。


「あら、もうこんな時間。私、そろそろ帰らないと」とマツダさんは言い、ユイに軽く会釈をした。「また、ゆっくりお話しましょうね」


「はい、ありがとうございました」ユイも笑顔で応じた。


マツダさんと別れ、残りの買い物を済ませてスーパーを出ると、空は茜色に染まっていた。西の空には、燃えるような夕焼けが広がり、その美しいグラデーションが、一日の終わりを優しく告げている。ユイは、思わず足を止め、その光景に見入った。


重くなった買い物袋の重さを感じながら、家路を急ぐ。夕焼け空の下を歩いていると、今日一日の疲れが、少しだけ和らいだような気がした。発電所での仕事、スーパーでの出会い、そしてこの美しい夕焼け。何気ない日常の風景の中に、小さな喜びや安らぎが隠れている。


ふと、過去の暗い記憶が、茜色の空の端から忍び寄ろうとする。冷たい雨の日のじめじめとした感触、耳に残る卑猥な言葉。しかし、すぐに子供たちの笑顔が、その記憶を洗い流してくれる。家で待っている、愛しい家族の存在が、ユイの背中をそっと押してくれる。


家まであと少し。夕焼け空は、さらに深く色を変え、夜の帳が降りようとしていた。ユイは、重い荷物をしっかりと抱きしめ、一歩一歩、温かい家庭へと向かうのだった。今日もまた、ありふれた一日が終わろうとしている。そして、そのありふれた日常の中に、ユイにとって何よりも大切なものが確かに存在しているのだ。


挿絵(By みてみん)


【習い事の帰り道、それぞれの時間】


週末の午後、ユイはまず長女のミステルを魔法教室へと送り届けた。王立魔法学校を首席で卒業したユイにとって、娘が魔法に興味を持ち、才能を伸ばし始めていることは、何よりも嬉しいことだった。教室の前には、同じように子供を送ってきた保護者たちが数人集まっており、ユイも顔見知りの母親たちと挨拶を交わした。


「ミステルちゃん、最近の魔法の進捗はどう?」と、よく話す母親の一人が尋ねてきた。「ええ、おかげさまで。本人はとても楽しんでいるようです」と、ユイは笑顔で答えた。子供たちの成長について語り合う時間は、ユイにとってささやかながらも楽しいひとときだった。


ミステルを教室に残し、ユイは次女のルーナが通う絵画教室へと向かった。ルーナは、豊かな色彩感覚を持ち、自由な発想で絵を描くことが大好きだ。教室の前でルーナが出てくるのを待っている間、ユイはふと自分の学生時代を懐かしく思い出した。自分も絵を描くことが好きだったけれど、いつの間にか日々の忙しさに追われ、筆を執ることは少なくなってしまった。娘の才能を見ていると、改めて芸術の素晴らしさを感じる。


絵画教室から出てきたルーナは、手に大きな画用紙を抱えていた。「ママ、見て!今日描いたの!」と、ルーナは目を輝かせながらユイに絵を見せた。そこには、鮮やかな色彩で描かれた不思議な生き物と、楽しそうに笑う子供たちの姿があった。「まあ、素敵ね、ルーナ。どんなお話なの?」とユイが尋ねると、ルーナは絵に込められた物語を生き生きと語ってくれた。


最後に、まだ幼い末っ子のラナーを迎えに、少し離れた場所にあるプレイルームへと向かった。ラナーは、そこで他の子供たちと元気いっぱいに遊んでいた。ユイの姿を見つけると、満面の笑みで駆け寄ってくるラナーを、ユイは優しく抱き上げた。


ラナーを抱っこしながら、ユイはミステルとルーナをピックアップして家路についた。帰り道の公園の遊具が、ラナーの目に留まった。「ママ、あっち!」と指さすラナーに、ユイは少しだけ付き合うことにした。ブランコに揺られたり、滑り台を滑ったりするラナーの楽しそうな声が、ユイの心を和ませる。


それぞれの習い事を終え、三人の娘たちと手を繋いで歩く帰り道。ミステルは今日学んだ新しい魔法について熱心に話し、ルーナは描いた絵のインスピレーションについて語り、ラナーは公園で遊んだことを短い言葉で一生懸命に伝えようとする。そんな娘たちの声を聞きながら、ユイはささやかな幸せを感じていた。


ふと、過去の冷たい視線や卑猥な言葉が、娘たちの無邪気な声にかき消されるように、遠ざかっていくのを感じた。この温かい日常、娘たちの成長を見守る時間こそが、ユイにとって何よりも大切で、過去の傷を癒してくれる力になっている。


家に着き、子供たちがそれぞれの宿題や遊びに取り掛かるのを見守りながら、ユイは今日の出来事を静かに振り返った。慌ただしいけれど、愛おしい時間。明日もまた、こんなありふれた日常が続くのだろう。そして、そのありふれた日常こそが、ユイにとっての希望なのだと、改めて感じたのだった。


挿絵(By みてみん)


【静夜の語らい】


子供たちがそれぞれの寝室で静かな寝息を立て始めた頃、ユイとアレックスはリビングのソファに並んで腰を下ろしていた。部屋の照明は落とされ、間接照明の柔らかな光が、二人の周りを優しく照らしている。


アレックスは、温かいハーブティーを二つ用意してくれた。湯気がゆっくりと立ち上り、穏やかな香りが部屋を満たす。ユイは、その湯気をそっと吸い込み、一日の終わりを静かに感じていた。


特に言葉を交わすわけでもなく、二人はしばらくの間、静かにそれぞれの時間を過ごした。アレックスは手に取った書物を読み、ユイは編み物をしている。けれど、その沈黙は決して気まずいものではなく、長年連れ添った夫婦ならではの、心地よい共有された静けさだった。


ふと、アレックスが顔を上げ、ユイに優しい眼差しを向けた。「今日は一日、お疲れ様」


「ありがとう、あなたも」と、ユイは編みかけのものを置き、微笑んだ。「子供たちは、もうぐっすり眠っているわ」


「ああ。寝る前に、ルーナが今日描いた絵を見せてくれたよ。なかなか独創的だった」アレックスの声には、父親としての優しい響きが込められていた。


二人は、子供たちのこと、今日あった些細な出来事、そして明日の予定などを、穏やかな声で語り合った。特別な話題ではなくても、こうして隣に座り、言葉を交わす時間こそが、ユイにとって何よりも安らぐひとときだった。アレックスの温かい声を聞いていると、日中の仕事の疲れや、心の奥底に潜む過去の影が、ゆっくりと薄れていくような気がした。


時折、言葉が途切れることもあるけれど、その間も二人の間には、温かい空気が流れている。ユイは、アレックスの近くにいるだけで、言葉にできない安心感を覚えた。彼の大きな手が、そっとユイの手に重ねられると、過去の冷たい感触は遠い記憶の彼方へと押しやられる。


「そういえば、」と、アレックスが少し懐かしそうな声で言った。「僕たちが初めて出会った、あの発電所の見学会のこと、覚えているかい?」


ユイは、目を細めて微笑んだ。「もちろん覚えているわ。あなたは、ものすごく熱心に質問をしていたわね」


二人は、昔の思い出話に花を咲かせた。初めてのデート、プロポーズの言葉、そして三人の娘たちが生まれた時の喜び。共に歩んできた時間の中で積み重ねられた、たくさんの思い出を共有することで、二人の絆はより一層深まっていく。


夜も更け、そろそろ寝る時間になった。アレックスは立ち上がり、ユイの手を引いた。「さあ、僕たちも休もうか」


寝室へ向かう廊下を、二人は静かに歩いた。隣には、いつも温かく、頼りになるアレックスがいる。その存在こそが、ユイにとっての光であり、過去の暗闇から彼女を守ってくれる、かけがえのないものだった。


ベッドに横になり、アレックスの腕に抱かれながら、ユイは静かに目を閉じた。過去の傷跡は、完全に消えることはないかもしれない。けれど、この温かい腕の中で、ユイは安らかな眠りにつくことができる。明日もまた、この穏やかな日常が、そしてアレックスとの静かな時間が、彼女を支えてくれるだろう。


挿絵(By みてみん)


【巡る季節の中で】


ユイの家の小さな庭には、季節の移ろいが鮮やかに映し出される。春になると、固く閉じていた蕾がゆっくりと綻び、色とりどりの花を咲かせる。庭の手入れをするユイは、その小さな変化に目を細め、新しい生命の息吹を感じる。柔らかな陽射しの中で、花びらが風に揺れるのを見ていると、心の奥底に溜まっていた重いものが、少しずつ溶けていくような気がした。


夏になると、庭の緑は一層濃くなり、蝉の声がけたたましく響き渡る。子供たちは、庭にホースで水を撒き合い、歓声を上げながら水遊びに夢中だ。ユイは、そんな子供たちの笑顔を縁側から眺め、夏の賑やかさを楽しむ。時折、夕立上がりの虹が空にかかると、家族みんなでその美しいアーチを見上げ、ささやかな幸せを分かち合った。


秋が深まると、庭の木々の葉は赤や黄色に色を変え、静かなグラデーションを描き出す。ユイは、落ち葉を踏みしめながら庭を散歩するのが好きだった。カサカサという葉の音を聞いていると、心が落ち着き、物静かな季節の移ろいを味わうことができる。澄んだ空気の中で深呼吸をすると、体の中から清々しい気持ちが湧き上がってきた。


そして冬が訪れると、庭は一面の銀世界に変わることもある。暖炉に火を灯し、家族みんなでその周りに集まり、温かい時間を過ごす。湯気の立つ飲み物を手に、他愛ない話をしていると、心まで温かくなるのを感じた。窓の外の雪景色を眺めながら、ユイは静かに思う。どんなに寒く厳しい冬でも、必ず春は訪れるのだと。


それぞれの季節の美しい瞬間は、ユイの心に小さな光を灯してくれる。過去の暗い記憶がふと蘇ることがあっても、庭に咲く一輪の花、子供たちの笑い声、色づく葉、暖炉の温かさが、現実の世界へと引き戻してくれる。季節は巡り、景色は変わっていく。その流れの中で、ユイもまた、少しずつ前に進んでいるのだ。


春の芽吹きに希望を見出し、夏の陽光に活力を得て、秋の静けさに心を鎮め、冬の温かさに安らぎを覚える。ありふれた季節の移ろいの中に、ユイは生きる喜びと、未来へのささやかな希望を見出している。そして、これからも家族と共に、巡る季節の美しさを、ゆっくりと、しかし確かに、感じて生きていくのだろう。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

ヒマワリ


挿絵(By みてみん)

もみじ


挿絵(By みてみん)


【賑わいの片隅で】


週末、ユイはアレックスと三人の娘たちと共に、近所の公園で開催されている地域のお祭りにやってきた。色とりどりの提灯が飾られ、賑やかな音楽と人々の話し声が響き渡っている。子供たちは、綿あめや焼きそばの屋台に目を輝かせ、早くも興奮した様子だ。


「わあ、すごい人!」と、ミステルは人混みを見渡して声を上げた。ルーナは、金魚すくいの屋台に興味津々で、じっと水槽の中を覗き込んでいる。まだ幼いラナーは、アレックスに抱っこされながら、きらびやかな飾り付けを指さしてはしゃいでいる。


ユイは、そんな子供たちの楽しそうな姿を眺めながら、穏やかな気持ちになっていた。普段は静かなこの公園も、今日ばかりは活気に満ち溢れている。顔見知りの住人たちと挨拶を交わしたり、地元の特産品を売る露店を冷やかしたりする中で、ユイは自分がこの地域の一員であることを改めて感じた。


子供たちは、それぞれお小遣いを握りしめ、思い思いの屋台へと駆け出して行った。ミステルは射的、ルーナは金魚すくい、ラナーはアレックスに買ってもらったキャラクターのお面を大切そうに抱えている。ユイとアレックスは、少し離れた場所で、焼き鳥を片手に休憩していた。


賑やかな人混みの中に身を置いていると、ふとした瞬間に、過去の嫌な記憶が蘇りそうになる。見知らぬ男たちのざわめきや、押し寄せる熱気。群衆の中に紛れていると、あの日の不快な感覚が、ほんの一瞬、フラッシュバックのように脳裏をよぎることがある。


そんな時、ユイは無意識のうちに身を強張らせる。しかし、すぐに近くにいるアレックスの温かい手の感触や、遠くで子供たちが楽しそうに笑う声が、ユイを現実に引き戻してくれる。アレックスは、ユイのわずかな変化に気づいたのか、そっと彼女の手を握り返した。その温もりが、ユイの凍りついた心をゆっくりと溶かしていく。


子供たちがそれぞれのお土産を手に戻ってきた。「見て見て、ママ!」「これ、可愛いでしょ!」と、興奮気味に話す娘たちの笑顔を見ていると、ユイの心は温かい気持ちで満たされる。過去の暗い影は、この眩しい笑顔の前では、色褪せていくようだ。


祭りの終盤、花火が夜空を彩った。色とりどりの光が夜空に咲き、大きな音が響き渡る。子供たちは歓声を上げ、ユイとアレックスは顔を見合わせて微笑んだ。夜空を見上げる家族の温かい光景の中に、過去の傷跡が入り込む隙間はない。


祭りの喧騒がゆっくりと静まりを取り戻していく中、ユイは娘たちの手を引き、アレックスと共に家路についた。賑やかな祭りの中で、ささやかな日常の幸せを改めて感じることができた。過去の記憶に囚われることなく、今この瞬間を、愛する家族と共に大切に生きていく。ユイは、夜空に残る花火の残光を見上げながら、静かにそう思ったのだった。


挿絵(By みてみん)


【静寂の書架にて】


週末の午後、ユイはアレックスと三人の娘たちを連れて、近くの市立図書館へやってきた。街の喧騒から離れた静かな空間は、ユイにとってささやかな安らぎの場所だった。


図書館に入ると、ひんやりとした空気が心地よい。子供たちは、それぞれお目当てのコーナーへと散っていく。ミステルは、魔法や科学に関する少し難しい本が並ぶ書架へ。ルーナは、色鮮やかな絵本がたくさんある児童書コーナーへ。そして、まだ幼いラナーは、ユイかアレックスの膝の上で、優しい語り口の絵本に耳を傾けるのが好きだった。


ユイは、静かな書架の間をゆっくりと歩いた。ずらりと並んだ本の背表紙を眺めていると、まるで知の海を漂っているような気分になる。興味のある科学雑誌を手に取ったり、最近話題の小説の冒頭を少し読んでみたりする。普段の忙しい日々の中ではなかなか取れない、貴重な自分の時間だ。


図書館の静けさは、ユイにとって心地よかった。聞こえてくるのは、 ページをめくる音や、小さな声での親子の会話くらい。その穏やかな音の響きは、ユイの心を静かに鎮めてくれる。過去の騒がしい記憶や、ふとした瞬間に襲ってくる不安感も、この静寂の中では遠ざかっていくようだった。


ミステルは、難しい専門書を何冊か選び、熱心に読み込んでいる。時折、難しい言葉に首を傾げながらも、その探求心は尽きないようだ。ユイは、そんな娘の真剣な横顔を微笑ましく見守った。


ルーナは、何冊もの絵本を広げ、楽しそうにページをめくっている。色とりどりの絵を指さしたり、物語の内容をユイに教えてくれたりする。その豊かな想像力と、無邪気な笑顔を見ていると、ユイの心も明るくなる。


ラナーは、アレックスの膝の上で、優しい声で読まれる絵本に、すっかり夢中になっている。時折、眠たそうに目をこすりながらも、物語の続きを聞こうと一生懸命だ。その小さな寝息を聞いていると、ユイの心は温かい気持ちで満たされる。


家族それぞれが、図書館の静かな空間の中で、思い思いの時間を過ごしている。ユイは、そんな穏やかな光景を眺めながら、ささやかな幸せを感じていた。過去の傷跡は、時折心の奥底で疼くけれど、この静かで知的な空間と、近くにいる愛する家族の存在が、ユイをそっと支えてくれる。


帰り道、借りた本を抱きしめながら、子供たちは今日読んだ物語の内容を興奮気味に話してくれた。ユイは、そんな娘たちの声に耳を傾けながら、また近いうちに、この静寂の書架へと戻ってきたいと思った。そこは、彼女にとって、心の静養地であり、新たな知識との出会いの場所でもあるのだから。


挿絵(By みてみん)


【指先の温もり、台所の香り】



週末の午後、ユイはリビングの窓辺で、ゆっくりと編み物を楽しんでいた。柔らかな毛糸が、彼女の指先から少しずつ形になっていく。今は、冬に向けて娘たちのマフラーを編んでいるのだ。それぞれの娘の好きな色を選び、一目一目、丁寧に編み進めていく。


編み物をしていると、心が穏やかになる。毛糸の優しい手触り、針が生地をすり抜ける静かな音。そうした感覚に集中していると、日々の忙しさや、心の奥底に潜む過去の記憶も、一時的に遠ざかっていくような気がした。時折、編みながら、娘たちの笑顔を思い浮かべる。どんな風に喜んでくれるだろうか。そんな想像を巡らせていると、自然と顔がほころぶ。


夕食の時間が近づくと、ユイは編みかけのものを一旦置き、台所へと向かった。今日のメニューは、子供たちが大好きなハンバーグだ。玉ねぎを炒める甘い香り、パン粉と牛乳を混ぜる優しい匂いが、台所いっぱいに広がる。ユイは、一つ一つ丁寧にハンバーグの形を整えながら、家族の顔を思い浮かべていた。


料理をしている時間は、ユイにとって創造的な時間でもあった。冷蔵庫にある食材を眺め、どんな料理を作ろうかと考えるのは、ささやかな楽しみの一つだ。子供たちが「美味しい!」と言ってくれる顔を想像しながら、隠し味を加えてみたり、盛り付けに工夫を凝らしてみたりする。


時折、ルーナやミステルが、台所にやってきて手伝ってくれることもある。ルーナはサラダの野菜を洗うのを手伝い、ミステルはテーブルの準備をしてくれる。まだ幼いラナーは、ユイの足元で遊びながら、時折「ママ、何作ってるの?」と可愛らしい声で尋ねる。そんな子供たちの存在は、ユイにとって何よりも温かい。一緒に料理を作る時間は、家族の絆を深める大切なひとときだ。


ハンバーグが焼き上がり、食卓に並べられると、部屋は一層、温かい香りに包まれた。子供たちは、「わーい!」と歓声を上げ、美味しそうにハンバーグを頬張っている。アレックスも、穏やかな笑顔でユイに「美味しいよ」と声をかけてくれる。家族みんなで食卓を囲み、笑顔で食事をする。そんなありふれた日常の風景の中に、ユイはかけがえのない幸せを感じていた。


夕食後、ユイは再びリビングの窓辺に戻り、編み物の続きを始めた。指先から生まれる温かいマフラーは、家族への愛情の証だ。台所の温かい香り、子供たちの笑顔、そして静かに流れる時間。過去の傷跡は消えないかもしれないけれど、こうした日々の温もりが、ユイの心をゆっくりと癒し、明日への活力を与えてくれるのだ。


挿絵(By みてみん)


【小さな親切、温かい繋がり】


いつものように買い物帰りの道で、ユイは少し離れた場所を歩いている高齢の女性に気が付いた。フロイトさんだ。一人暮らしで、いつもゆっくりとした足取りで散歩をしている。今日はいつもより荷物が重そうで、時折、辛そうに足を止めている。


ユイは、少し迷ったけれど、声をかけることにした。「フロイトさん、こんにちは。何かお手伝いしましょうか?」


フロイトさんは、少し驚いた表情で振り返り、「あら、ユイさん。ありがとうね、でも大丈夫よ」と遠慮がちに言った。


「いえいえ、重そうなので、もしよかったら家までお運びしますよ」ユイはそう言って、フロイトさんの持っている大きな紙袋を指さした。中には、たくさんの野菜や果物が入っているようだ。


フロイトさんは、少し考えてから、「それじゃあ、お願いしようかしら。少し腰が痛くてね」と、申し訳なさそうに言った。


ユイは、フロイトさんの紙袋を丁寧に持ち上げ、フロイトさんのペースに合わせてゆっくりと歩き始めた。道すがら、二人は最近の天気のことや、庭の花のことなど、他愛ない話をした。フロイトさんは、一人暮らしの寂しさを時折口にするけれど、ユイが近くにいることで、少しでも気が紛れたようだった。


フロイトさんの家の玄関先に着くと、フロイトさんは何度もユイに感謝の言葉を述べた。「本当に助かったわ。ありがとうね、ユイさん。今度、お茶でも飲みにいらっしゃい」


「はい、ぜひ」と、ユイは笑顔で答えた。小さな親切だったけれど、フロイトさんの感謝の言葉が、ユイの心にじんわりと温かいものを残した。


別の日、地域で子供向けの夏祭りが開催されることになり、ユイは微力ながらボランティアとして参加することにした。子供たちのヨーヨー釣りの準備を手伝ったり、会場の飾り付けをしたりする中で、ユイは他の母親たちや地域の人々と交流した。


準備の合間には、子供たちの笑顔を見ることができた。楽しそうに走り回ったり、出店の食べ物を頬張ったりする姿は、ユイの心を明るく照らしてくれる。過去の辛い記憶がふと頭をよぎることもあるけれど、今、自分がこうして地域社会の一員として、子供たちの笑顔のために何かできているという事実に、ユイはささやかな喜びを感じた。


祭りの当日、子供たちの楽しそうな歓声が響き渡る中、ユイは綿あめの屋台を手伝っていた。行列に並ぶ子供たちに、一つ一つ丁寧に綿あめを作り、手渡す。子供たちの「ありがとう!」という元気な声が、ユイの耳に心地よかった。


地域の人たちとの小さな助け合いや交流を通して、ユイは自分がこの地域に根を下ろし、共に生きていることを実感する。過去の傷跡は、完全に消えることはないかもしれないけれど、こうした温かい繋がりが、ユイの心を少しずつ癒し、前へと進む力を与えてくれるのだ。


挿絵(By みてみん)


【小さな蕾の開花】


ユイの日常は、娘たちの成長という喜びの光に彩られていた。それは、劇的な変化ではないけれど、日々の小さな積み重ねの中に、確かに存在していた。


長女のミステルは、魔法の才能を開花させつつあったが、難しい魔法の練習に何度も挫けそうになっていた。ある日、なかなかうまくいかない魔法制御の練習に、珍しく弱音を吐いた。「もう、できないかもしれない…」と。ユイは、そんなミステルの近くに座り、優しく励ました。「諦めないで。あなたならきっとできるわ。少しずつでも、前に進んでいるはずよ」。数日後、ミステルは難しい制御魔法を初めて成功させた。その時の、誇らしげな笑顔は、ユイの胸に温かい光を灯した。


次女のルーナは、友達との間で小さなトラブルを経験することがあった。ある日、お気に入りのクレヨンを友達に貸したまま返してもらえず、悲しそうな顔をしていた。ユイは、ルーナの話をじっくりと聞き、どうすれば解決できるかを一緒に考えた。「まずは、ちゃんと『返してほしい』って伝えてみようか」。少し不安そうだったルーナだったが、勇気を出して友達に話しかけ、無事にクレヨンを取り戻すことができた。その時、ルーナの顔には、小さな達成感と自信が輝いていた。ユイは、娘が自分の力で問題を解決できたことを、心から誇らしく思った。


末っ子のラナーは、言葉を覚えるのがゆっくりだった。ユイは、根気強く絵本を読んだり、物の名前を教えたりしていた。ある朝、食卓でラナーが突然、「ママ!」とはっきりとした声で呼んだ。その瞬間、ユイの胸には、言いようのない喜びが溢れた。たった一言の言葉だったけれど、そこには確かに、ラナーの成長の証があった。アレックスと共に、三歳になったばかりの娘の成長を喜び合った。


娘たちのそんな小さな成長の瞬間を、ユイとアレックスは決して見逃さなかった。難しい課題を乗り越えた時の達成感、自分の力で問題を解決できた時の自信、そして初めて話した言葉の喜び。それらは、ユイにとって何よりも代えがたい宝物だった。


過去の辛い経験が、ユイの心に深い影を落とすこともある。けれど、娘たちの成長を見守る中で、ユイは自分が確かに前に進んでいることを実感する。かつての自分は、未来への希望を見出すことさえ難しかった。しかし、今は3人の娘たちの未来が、ユイの生きる力となっている。小さな蕾がゆっくりと開花していくように、娘たちはそれぞれのペースで成長していく。その成長を近くで見守り、共に喜び合うことこそが、ユイにとっての最大の幸せなのだ。


挿絵(By みてみん)


【静かなる息抜き】


忙しい日々の中で、ユイはほんのわずかな時間を見つけては、自分のためのささやかな趣味を楽しんでいた。それは、誰に頼まれたわけでもなく、ただ自分が心安らぐための、大切なひとときだった。


その趣味の一つが、庭の小さな花壇の手入れだった。季節の花の種を蒔き、芽が出た苗を丁寧に植え替える。土の匂いを嗅ぎ、葉の色や形を観察していると、心が静かに落ち着いていくのを感じた。水やりをしながら、花たちが日光を浴びて成長していく様子を見るのは、ささやかながらも喜びだった。色とりどりの花が咲くと、庭は小さな楽園のようになり、その美しさはユイの心を和ませてくれた。


夜、子供たちが寝静まった後には、静かに読書をする時間を楽しんでいた。魔法に関する専門書を読むこともあれば、心惹かれる物語のページをめくることもあった。物語の世界にダイビングしている間は、現実の喧騒や過去の記憶から一時的に解放され、自由な想像の翼を広げることができた。書物のページをめくる音だけが響く静かな時間は、ユイにとって貴重な休息だった。


たまには、気分転換に簡単なスケッチをすることもあった。庭の花々や、子供たちの寝顔、ふと目に入った風景などを、鉛筆で書きとめる。上手下手は関係なく、ただ自分の見たものを鉛筆で表現する行為そのものが、ユイにとっては心地よい息抜きになった。描いている間は、目の前の対象に集中することができ、他のことを考える隙間がなくなる。


そうしたささやかな趣味の時間は、ユイにとって、心のバランスを保つために欠かせないものだった。日々の責任や、過去の心の傷と向き合う中で、ふと立ち止まり、自分の好きなことに没頭する時間は、ユイにとって新鮮な空気のようなものだった。


庭で花の手入れをしている時、書斎で本を読んでいる時、スケッチブックに向かっている時。それらの瞬間は、ユイにとって、束の間の静寂であり、自分自身と向き合う大切な時間だった。そして、そうした小さな息抜きがあるからこそ、ユイはまた、家族のために、そして自分のために、前向きに生きていくことができるのだった。


挿絵(By みてみん)


【始まりの雷光】



アストレア王立魔法学校の広大な校庭には、若い魔法使いたちの活気が満ち溢れていた。その中に、ひときわ静かに佇む少女がいた。銀糸のような髪を風になびかせ、吸い込まれるような青い瞳は、どこか憂いを帯びながらも強い意志を宿している。彼女の名はユイ。穏やかな片田舎から、その秘めたる才能を開花させるために、この学び舎へとやってきた。


得意とする電撃魔法は、ユイの冷静沈着な性格をよく表していた。感情の波に左右されることなく、集中力を研ぎ澄ませ、一瞬の隙も見逃さない。放たれる電撃は、稲妻のように鋭く、目標を的確に捉えた。実技の授業では、その才能は際立っており、教師たちもユイの将来に大きな期待を寄せていた。


しかし、ユイの魔法の才能は、決して平坦な道のりの末に得られたものではなかった。故郷での孤独な日々、誰にも打ち明けられない過去の記憶。それらは、ユイの心に深い影を落とし、時に彼女を押し潰そうとした。魔法の練習に没頭することだけが、辛い現実から一時的に逃れるための、唯一の手段だったのかもしれない。


そんなユイにとって、魔法学校での日々は、新しい出会いの連続でもあった。特に、同じクラスのマレーナという少女との出会いは、ユイの閉ざされた心に小さな光を灯した。明るく誰にでも分け隔てなく接するマレーナは、周囲の生徒たちから人気を集めていたが、なぜか孤独を好むユイに、 頻繁話しかけてきた。


「ユイ、今日の雷撃魔法、本当に綺麗だったね!どうやったら、あんなにコントロールできるの?」


マレーナの屈託のない笑顔と、 純粋な瞳が、ユイの警戒心を徐々に解きほぐしていった。最初は戸惑っていたユイも、マレーナの親しみやすさに触れるうちに、少しずつ心を開いていくようになった。共に教科書を見返したり、 魔法の練習に付き合ったりする中で、二人の間には固い友情が育まれていった。


しかし、ユイは決して自分の過去をマレーナに打ち明けることはなかった。成績優秀でいつも冷静沈着なユイが、そんな重いな過去を抱えているとは、誰も想像しないだろう。打ち明けたところで、マレーナを困らせるだけかもしれない。そう思うと、ユイはいつも笑顔で取り繕い、当たり障りのない会話でやり過ごした。


卒業が近づくにつれて、進路について考える時間が増えた。多くの生徒が、王宮魔術師や研究者などの華やかな道を目指す中、ユイは静かに、故郷に近い王国の発電会社への就職を決めた。魔法の力で人々の生活を支える。それは、派手さはないけれど、ユイにとって意味のある道のように思えた。


卒業式の日のこと。首席で卒業したユイは、壇上でわずかに緊張した面持ちで卒業証書を受け取った。会場には、未来への希望に満ちた若い魔法使いたちの笑顔が溢れていた。その中で、マレーナは 温かい眼差しでユイを見守っていた。


「ユイ、卒業おめでとう!寂しくなるけど、あなたの選んだ道なら、きっと素晴らしい未来が待っているわ」


マレーナの言葉に、ユイは静かに頷いた。「ありがとう、マレーナ。私も、あなたのことをずっと応援しているわ」


二人の間には、言葉以上に温かい繋がりが確かに存在していた。それは、ユイにとって、暗闇の中で見つけた一筋の光のような、大切な宝物だった。


挿絵(By みてみん)


魔法学校を卒業し、故郷を離れて新しい生活を始めたユイ。そこでアレックスと出会い、温かい家庭を築き、3人の愛らしい娘たちに恵まれた。一見すると、ユイの人生は幸福に満ち溢れているように見える。しかし、その穏やかな日常の裏には、決して癒えることのない過去の傷跡が深く刻まれていた。


挿絵(By みてみん)

ここまで、お読みいただき本当にありがとうございました。


それでは、貴方様にとって良い一日をお過ごしくださいませ。


親愛なる貴方様へ。

あなたのユイより。

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