表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/26

9 俺、迷子になった

2日目

 8時半迄に朝食を終え、ホールに集合との事。昨日、1時半過ぎに寝たので、寝不足にも係わらず8時に起床、歯も磨かずに朝食を取る。相も変わらず俺の学生以外は外で食べていた。少しでも日光を浴びたいのだな。

 講義前8時半から10時に掛けて、ホールにて本日以降のスケジュールと連絡事項の発表及び自己紹介となった。アフリカ系アメリカ人のジャミールとハーバートとは、熱い議論で学生達は知り合いになったが、アレクセイとオルガがロシア人夫婦で、ヴァシリーもロシア人、フローリアンはドイツ人で、ボブはイギリス人だと自己紹介で知った。学生達も拙いフランス語ではあるが、懸命に自己アピールした事は誇りに思えた。

 尚、R市からセリーヌとガエルと言う二人の女性が派遣された。初日の便座未設置など不手際が散見されたので、宿舎に常駐して、我等の世話役になってくれるんだと。セリーヌは背が高く、ブルネットのストレートヘアで、キャメロン・ディアスに似ている美人だ。ガエルは中肉中背、黒髪の天パーで、南仏風の顔立ちの可愛い女性だ。後で聞いた話だけど、市役所の職員が結構夏休みを取っているので、夏季休暇中に雇い入れた職員なんだと。



 10時から俺を含めたマダム・べナタールクラス11名で研修が始まった。始まって直ぐに、俺の胃が痛み出した。シクシク痛むのだ。こんな経験、何年振りだろう。神経性胃炎ですね。会話の半分も分れば良い方だ。例えば、EUを構成する国名を挙げるよう言われたんだ。アレクセイやオルガ達が答え、理恵ちゃん達、学生の番になったんだが、べナタールが何を言っているのか分からない顔をしていたので、俺が答えたんだ。

「女性名詞の国を挙げるのですか、男性名詞の国を挙げるのですか?」


 するとマダム・べナタールが怪訝な顔をして、「EUの構成国を挙げるだけです」と返したんだ。これで俺がフランス語を十分理解していないのがバレたんだが、学生はキョトンとした顔をしていた。未だ彼等にはバレてはいない、俺の稚拙な語学力を。

 但し、EUの構成国やEUの成立等を説明していたので、国名や固有名詞のEECなどが出ていたので、学生も多少は理解出来たようだ。動詞や形容詞より、名詞の方が頭に入って来るのが早いのが彼等にも分かっただろう。それにしても胃が痛い。



 13時半昼食後、市街地に男子学生と共に出かけた。トイレットペーパー、洗剤、洗濯用ポリバケツ、ビニール紐、洗濯バサミ等の日用品の買い出しだ。商店街迄歩いて向かったんだが、街中を歩いていると観光気分になるので、10分程の処を20分位掛かってしまった。

 一応、商店での買物は全額俺の支払いにした。全てがこれからの俺達の生活必需品となるので、仕方ないかな。


 宿舎に帰る途中、商店街を見回したが、コインランドリーがない。洗濯物を手洗いするのは勘弁してもらいたいんで、結構探したんだけど見つからなかった。まさか洗濯機を買う訳にもいかず、困った。

 宿舎についてシャワールームやレストルームにポリバケツ、ビニール紐、洗濯バサミ、トイレットペーパーを設置して準備完了。勿論女性用へは彼女達にお願いした。


 17時半から19時迄、ジュラ氏による「EUによる貨幣と経済統合について」と題した講演を聞く。午前中の講義はこれの伏線だったのかと感心した。単一ヨーロッパはアメリカ、中国に次ぐ第3の市場であり、アメリカ市場へのライバル意識がそこかしこに見られ、フランス人の独立独歩の気概が伝わって来た。これは俺が理解した範囲での意見だが、学生はどうであろうか? 隣りで聞いていた恵美ちゃんに感想を尋ねたんだけど、ニコニコしながら「分かんな~い」の一言。


 19時半からカルティエのP.D.G(英語のCEО)ぺラン氏を招いての夕食会に参加したんだけど、女学生達の顔つきが直前の講演の時と全然違うね。分からなくとも、何等かの情報を掴もうと、一生懸命に彼の話しに耳を傾けていたから。男三人はと言うと、然して講演の時と変わらない、つまらなそうに聞いている。分かる範囲で通訳していたんだが、半分以下になっていたから、理解出来たか否か。最もディナーだから、食事に気を取られるのも致し方ないか。

 ぺラン氏に何人か質問したんだけど、その一人に清子ちゃんがいた。日本の市場について、懸命にフランス語で尋ねたんだけど、定冠詞と不定冠詞の使い方が?だったけど、立派に通じたね。「あんたはエライ」

 彼は真剣に答えてくれたと思うよ。多少リップサービスもあったと思うけど。


 良く分らないフランス料理を食べ終えた頃、日本に留学経験のある女子学生を紹介された。二人とも市内に住んでいるので、今日のディナーに招待されたそうだ。折角なので場所を替え、2階ホールで学生を交えて交流会だ。

 聞いてみると本学の留学生ではないとの事。某大学だと言った。それでも、日本語が日常会話位は出来るので、女性は早速カルティエ社長の話しを教えて欲しいとせがみ、二人も笑いながらフランス語、英語、日本語で応えていた。簡単に言うと、市場規模はフランス、アメリカ、イタリア、ドイツ辺りが堅調で、中国市場は急速に萎んだそうだ。日本市場は逆に回復基調にあるんだと。具体的な商品の発表はなく、会社の営業方針がメインだと言っていた。

 男性の方を見ると、三人が三人共、二人に見とれていた。彼女達の喋るフランス語が、天使のさゝやきに聞こえたのだろう。大西君の隣に座る清子ちゃんが彼の顔を見つめていた、じゃないな。睨んでいた。

 女性同士の会話、所謂女子会なるものも、かくやと思しきものなるかな。本日も就寝は1時過ぎになる。



3日目


 8時半から12時迄、マダム・べナタール、マダム・アリジーの授業。各国の中央銀行の役割について、自国の中央銀行を例にして解説してもらいたいとの事。自由経済体制の国なので、特に際立った特色などない。学生が未だ学習していない単語が入っている会話を俺の理解している範囲で通訳。これで理解出来るのかな? 何時もながら不安になる。



 13時半に宿舎を出発して、ポンピドゥーセンター及びデファンスの新産業センター見学が午後の授業。

 市のバス(ベンツの大型バスです。乗り心地良い)にて14時、ポンピドゥーセンターに到着。外観は工事現場のようで、足場が組み立てられているように見える、外付けのレスカリエ(エスカレーター)で4階入り口に向かう。此処は近代美術を中心として展示されるので、当初の評判は外観と相まって芳しいものとは言えず、入場者数も一日5千人しか見込んでいなかったが、蓋を開けると2万人にもなったと言う。


 展示品はピカソ、シャガール、ドゥヴュッフェ等の作品が多い。16時半に正面入り口に集合、館内各自自由行動と説明された。学生の面倒から解放されるので、俺は嬉しかった。ピカソやシャガール等有名処の作品を気まゝに観ようと、学生達が三々五々散った後で、一人館内を巡った。

 館内は思いの外、採光が考慮されており、作品に近付かなくとも充分に鑑賞出来る。俺は時間を忘れて館内を回った。


 何時しか俺の腕時計は、16時半を過ぎていた。実は、今回の出張前にセイコーの機械式を買ったんだ。こちらで電池切れにでもなったら、費用が掛かると思い、機械式なら大丈夫だと考えて購入した処、時計店で、「海外出張する人は大概、機械式を購入するんです」と店員に言われてしまった。

 そんな事はこの際関係ないか。集合場所の正面入り口に向かわなければ。気が急いて、今何処にいるのか? 周りに学生は? いない。ジャミールやアレクセイは? いない。あれやこれや集合場所の方向であろう方に向かっていると、館内放送が流れて来た。


 「アルオ・カツラギ。正面入り口に来て下さい。・・・・です。・・・・ですので、・・・・です。友達が・・・・です」

俺の事か? 俺は葛城晴夫。ハルオ・カツラギだが、フランス人は、は行の発音(正確にはHの発音)が出来ないから、アルオになるんだ。

 例を上げると自動車メーカーのホンダは“オンダ”となり、放屁は“オウイ”となる、まるで人の名前だね。法務は“オウム”ヤバイ集団だ。

 そんな訳で、俺は迷子扱いされてしまった。

 迷子扱いされたと知って、不思議な感覚になった。しかし迷子になった以上、早く集合場所に向かわなければならない訳だ。この歳になって迷子か・・・ 昔、親とはぐれ、不安で寂しい思いをした頃を思い浮かべ、懐かしい思いと恥ずかしい感覚に暫し浸った。

 そして、周りの外国人に正面入り口への経路を尋ね、正面入り口に辿り着いた。何とか学生達、クラスの生徒達の顔がこちらを向いているのを見て安堵した。


「ごめんなさい。ついつい絵画に見入ってしまい申し訳ない」

 俺は学生には日本語で、クラスの生徒にはフランス語で謝罪した。

「先生、駄目だろが。大の大人がこれじゃなあ」

 笑いながら陳君が軽口を叩いた。


「先生ったら、もう」

 それにつられて芳子ちゃん、洋子ちゃん、理恵ちゃん、利恵ちゃん、恵美ちゃんが俺に向かってお道化て囃す。

 クラスの生徒は「アルオ・・・・」良く聞こえなかった。この時ばかりはフランス語が理解出来なくて感謝したと言うか、何と言うか・・・


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ