4 歴史上の人物
俺は部屋で荷解きをして、風呂に入った。そう言っても日本のような湯舟ではなく、シャワーだけのバスルームだ。大学の規定によると、海外出張に於いては、准教授以上からバスタブ付きの部屋に宿泊出来、それ以下はシャワー付きの部屋だそうだ。個人的に料金を負担するからバスタブ付きの部屋を希望したが、事務局は許可してくれなかった。仕方なく、シャワーで汗を流し、俺は私服に着替えてレストランに向かった。
1階のレストラン入口に来ると、既に全員が俺を待っていた。
「先生、遅いですよ~」洋子ちゃんが甘ったるい声で言う。この子、俺に気があるよな、絶対。
「皆早いね」
「腹ペコだよ」陳君がお腹に手を当てゝ、茶化すように言う。
「そうだね、それじゃ入ろうか」
言い忘れていた。ホテルのフロントでチェックインの手続きをする時、俺はフロントのフランス人にフランス語で話し掛けたんだけど、通じなかった。俺の喋るフランス語が聞き取れないのか、理解出来ないのか、首を傾げる振りをして、英語で話してきた。彼、本当にフランス人なんだろうか? 俺のフランス語の何が悪いのか、分からないまゝ、俺も英語で話し、手続きを済ませたのだ。それがあったので、俺は始めから英語で、10人での食事を伝えた。一応問題なくテーブルに案内されたが、釈然としない、モヤモヤ感はある。学生のいない時にもう一度、フロントのフランス人だろうと思う彼に、フランス語で話し掛けてみよう。
案内されたテーブルに着き、各自がメニューを見ながら、注文をするのかと思ったら・・・
「先生。ニューに何が書いてあるのか分からないから、教えて」
理恵ちゃんが開口一番俺に聞いてきた。言われてメニューを見ると、簡単な単語で書かれてあるから、皆にこれこれが良いと伝えた。すると、他の学生も同じメニューを注文すると言うので、俺は全員のオーダーを注文した。コース料理ではなく、アラカルトで肉と稗のサラダとデザートに、パンとスープになった。
飲み物はどうするのかボーイに尋ねられ、皆に聞くと、俺に任せるの一言。皆飲める年齢なので、グラスワインも注文した。勿論飲めない女子学生もいたので、それは除外したけどね。
スープを飲み終え、稗のサラダを食べながら、学生の食事マナーを見ていると、ワイワイ喋りながら食事をしている。行儀が悪いと思っているんだが、食事は皆で会話を楽しみながら、食事も楽しむのが基本と昔、教師に教えられた経緯があったので、俺は何も注意しなかった。
稗のサラダには酢が掛かっていて、少しむせる学生もいたが残さず食べ切った光景を見て、頑張る学生に感動したと表現するのは大げさだが、それに近い感情はあった。大体、嫌な食べ物は残す若い人が多い中、彼等、彼女等はエライ。
サラダの後にメインの肉料理が運ばれて来る。牛のステーキだから、食べ応えがあるだろう。
皆がメインの肉料理を食べ終え、早い者にはデザートとコーヒーが運ばれて来ている。そんな彼等を見ていると、美智ちゃんに近いテーブルで食事をしていた外国人の夫婦が、彼女に何やら話し掛けている。
始めは何を話し掛けられているのか分からなかった彼女だが、英語で何か伝えられると、その内容を周りの学生に知らせている。一様に皆、驚いた顔をしているのが見える。何なのだろうか?
「先生聞いて。今ね、美智が隣のテーブルのドイツ人から、話し掛けられたの。その内容がヤバイのよ。分かる?」
奈緒ちゃんの話し方、随分興味をそゝられる言い方だな。ドイツ人が日本人に話し掛けてくるなんて、日独防共協定の交渉か何か?
「何て言われたの?」
「それがね、凄いヤバイんだって、ホント」
だから何? 引っ張るなよ
「あの夫婦、シーボルトさんの子孫なんですって」
唖然とした。シーボルトと言えば、江戸時代に来日したドイツかオーストリアとかの医者だっけ、学者だったかな? 多分、日本地図を海外に持ち出そうとして、追放された人だよな・・・良くわかんないけど。 日本史には詳しくないので、そういうイメージしか湧かない。
それで、何を話したというんだ?
「シーボルトさんか。奈緒ちゃん知ってる?」
美智ちゃんがシーボルトさんと何やら英語で話している間、俺は奈緒ちゃんに聞いてみた。
「全然」速攻で返答を返された。
何人かの学生が美智ちゃんと一緒になってシーボルトさんと話し込んでいる。食事の最中だから、好い加減止めたらどうか、と言いたいが、歴史上の偉人の子孫との会話は、食事の楽しみよりも価値があるのだろうと考え、そのまゝ捨て置いた。
美智ちゃんが、シーボルトさんが書いて彼女に手渡したメモを俺に見せに来た。
「先生、これ見て」
手渡されたメモを見る。“URSULA Siebold”と書かれている。その下に住所の記載がある。“Wichernstr.XX XXXX YYYY Westfalen Deutschland”電話番号も書かれている。
ウルスラ・シーボルトさん。ドイツ、ウエストファーレンの・・・ 読めないXX XXXXに住んでいるのか。
何人かの学生がサインをせがんでいた。ウルスラ・シーボルトさん、満更でもなさそうだ。いそいそと差し出されるノートや紙に何やら書き込んでいる。
「先生。先生もサイン書いてもらいなよ」
洋子ちゃんが俺の方を見て、手招きした。君ね。俺は君達の引率者だよ、監督者たる者、そのような軽々な行動に出る事は出来ないんだよ。その代わりと言ったら、語弊があるかも知れないが、君達の行為は黙認するから。
確かに日本に於いては著名人であるよ、シーボルトさんは。だけどね、彼の子孫であるウルスラさんが日本で著名かと言ったら、違うだろ。ウエストファーレンでは有名なのかもしれないが。第一彼女が何かの業績を上げたか? 社会に貢献しているのか? 人の為に尽くした人なのか? 俺は有名人の子孫だからと言って、無条件にその者を評価する人間じゃないんだ。その人の行動や考え方、立ち振る舞いによって評価する男だから。
そんな思いでいたら、彼女、俺の席にやって来て俺の手を取り、ウルスラさんのテーブルに俺を引っ張って行ってしまった。
洋子ちゃん。今の行動、全員見ていたんだよ。俺は君の彼氏ではないし、君も俺の彼女ではないんだよ。それなのに、いきなりの手つなぎが何を意味するのか、分かっているの? 分かってやったとすれば、君は恐ろしい女だ。他の女性がこれから俺にモーションを掛けてこない様、予防線を張ったのと同じ事だからね。自分の獲物だと言っている様なもんじゃないか。数秒の間に、俺はこれから彼女以外の女にどう見られるのか心配で、ウルスラさんを前にして何も喋れなかった。
「先生、何してんだよ」陳君が俺に声を掛けてくれたので、現実に戻れた。ありがとう、陳君。
「初めてお目に掛かります。ハルオ・カツラギです。お会い出来て光栄です」
「ウルスラ・シーボルトです。皆さんにお会い出来て光栄です。皆さんが日本人だと知り、大変うれしく思います。私の先祖が日本で大歓迎された事は私達、子孫の誇りです」
意訳するとこんな感じですね。細かいニュアンスは違うとしても、大筋は合っていると思います。俺、英語の自信ないから。それでも聞き取れたのは、彼女も英語が外国語だから、分かり易い単語で話してくれたんだと思う。
「先生、何て言ったの」
奈緒ちゃんが尋ねた。彼女以外は分かっているから、質問されなかったが、彼女建築学科だから仕方ないか。
「お会い出来て光栄です。日本でシーボルトが有名なので、私達も嬉しいって」
「そうなんだ」
「そうよ」芳子ちゃんがフォローしてくれた。感謝。
以上の理由により俺達は食後、バーカウンターにてシーボルト夫妻から色々と興味深い話しを聞く事が出来た。学生達も面白そうに耳を傾けていたから、俺としてもこの辺はオペラ座に近い為治安が良くないので、学生の外出がなくなり安心した次第です。
ウルスラ・シーボルトさんは、実在の子孫です。直系なのか、傍系なのか分かりませんが、ドイツのウエストファーレンに在住しています。




