2 シャルル・ドゴール空港に現地集合
初日
フランスのシャルル・ドゴール空港に着いた。8月1日、17時である事を腕時計で確信した。成田空港を出発したのが同日の11時だったから、飛行時間の13時間を足すと、2日の0時になる訳だ。こゝから日本とフランスの時差7時間を引いて17時。間違いない。日本では翌日の真夜中なんだが、こちらでは同日の夕方5時になる。何か不思議な感覚になった。
飛行機を降り、チューブで覆われたエスカレーターを上へ下へと進み、手荷物を受け取り入管の審査を受け、入国ゲートから遂にフランスに入りました。
何の感激もない。唯、事務的に入国したからか? 空気も日本と変わっていないと言うか、変わるものなの? 偶に海外に行くと、その国独特の匂いがすると聞くが。
変わっている事と言ったら、周りが全て外国人だらけ。右を向いても左を見ても、前を向いても、後ろを見ても。後ろは日本人だ。否、俺が引率する学生達だった。見えるのは背の高いフランス人と肌の浅黒いアラブ系とアフリカ系の外国人だけ。その中にポツンと東洋人の一団がいるんだ。何とシュールな事か。周りの外国人がチラチラと俺達を見るのは、物珍しさから仕方のない事だけど。紅毛碧眼の中に緑の黒髪をした俺達がいるから、否でも目立つ訳だ。最も、女子学生の中には色々な髪色をした者もいるがね。
そんな、シチュエーションの中で、俺は学生メンバーの確認をした。9名、全員揃っている。今、いないのは、既にパリでの親父の自宅で夏休みを過ごしている経済学部の大西純君。彼は直接、語学研修が開催されるRM市に向かうとの事。親人が中華系航空会社に勤務している英語学科の何好子ちゃん、そしてこれも親人が米国系航空会社に勤務している経済学部の三木清子ちゃん。こちらの二人は明日到着する予定、時間は違うけどね。この二人、迎えに行くのは俺だからしんどい事。
今日の事、明日の予定をあれこれ心配している俺に比べて、学生の元気な事と言ったら、若さなのかね? 既にグループになってあれやこれや話している者もいれば、空港の売店で土産でも物色しているのか、ケースや陳列棚の品を指差す者もいる。お前ら団体行動というものを知らんのか? 修学旅行じゃないんだよ。立派な語学研修で、単位取得の講座なんだよ。俺は心の中で全員を怒鳴りつけた。こんな事位しか出来ないなんて、情けない。
気を取り直して、俺は全員に俺の許へ来るよう言った。
「皆さん、私の処に来て下さい」
すると、一斉に辺りの外国人が俺の方を見た。何か不味い事言ったか? 頭の中で?マークが浮かんだ。そうだ、此処は日本じゃない、フランスなんですよね。聞いた事もない外国語を初めて聞いた人もいるだろう。それで、聞いた事もない言葉を発した俺を見詰めたんだ。何も可笑しな事じゃない。それでも何人もの外国人に見られ、俺は赤面すると言うか、動転すると言うか、ドギマギしてしまった。
いけない。こんな事じゃいけない。俺は自分の言葉に自信を持たなくては、いけないんだ。
「はい、早く集まって下さい」
ようやっと、学生達は俺の許に来た。
「もう、此処は日本ではありません。君達、その自覚を持って行動して下さい。スリや置き引きも多いと聞きます。各自、手荷物には充分注意して下さいね。それと、スマホや財布は特に注意して、人目のつかない処に仕舞って下さい。何か質問有りますか?」
「はい。先生」
手を上げたのは英語学科の山本芳子ちゃんだ。
「何ですか? 山本さん」
「今、お土産買っても良いんですか?」
何を言っているんだい。これから、パリの予約してあるホテルに向かう処じゃないか。そんな暇あるか、考えりゃ分かるだろ。
「此処では買い物はなしです。食事もなしですよ。分かりましたか」
「はーい」
全員が綺麗に応えてくれた。何だ、やれば出来るじゃないか。
「他には?」
「先生。パリへは、どの交通機関で行くのですか?」
発言したのは、法学科の陳長府君か。確か彼は韓国からの留学生だったな。良い質問ですね。自分の疑問だけではなく、皆の疑問を代弁して聞いてくれた訳だ。君は出来るね。
「空港からはリムジンバスで行きます。RER(パリ郊外電車)やタクシーもありますが、リムジンバスで行きます」
「何故リムジンバスを使うのですか?」
続けての質問も良いですね、陳君。
「先ず、タクシー。これは論外ですね、料金が高いから。次はRER。こちらは、料金が安いのですが、手荷物を持って全員が乗車すると、座席を確保するのが困難になりますから外しました。そうなりますと、リムジンバスしか有りません。料金はRERよりは高いですが、全員の座席は確保されますし、第一車内は安全です。スリがいませんから」
「それじゃ、早く行きましょう」
誰だ? 法学科の鵜飼裕君か。そう慌てなさんな、順番に話すから。
「先ず、皆ユーロを持っていますか? もし、円からユーロに両替していない人がいたら、空港内の両替所で換えて下さい」
「クレジットでは駄目ですか?」
君は・・・建築学科の藤奈緒ちゃんか。
「乗車券を発券所で買いますから、クレジットカードが使えるかは係の人に聞いて下さい」
「何て聞くんですか?」
フランス語で聞くんでしょ、此処はフランスだから。
「カルトゥ・ドゥ・クレディ、OK?」
「それで良いんですか?」
「そうです」
「分かりました」
「続けますよ。発券所はこれから行きますからね。先ず、発券所で乗車券を買います。今、何ユーロか知りませんが、大した額じゃありません。20ユーロあれば大丈夫でしょう。券を買ったら、空港を出て直ぐに乗車乗り場がありますから、そこでバスが来るのを待って乗ります。到着先は乗り場によって違いますから、間違わないように。私達の泊まるホテルはオペラ座の近くにある“ノボテル”ですので、終点のオペラ座行きに乗ります。此処迄、何か有りますか?」
無言だ。
「ないようですから、皆さん私に付いて来て下さい」
俺は9人を引き連れて、発券所に向かった。発券所で各自、オペラ座行きの乗車券を買った、と思う。何故かって? 学生からは何も質問されなかったから、問題ないのだろう。フランス語が喋れなくとも、英語はある程度通じるし、行き先さえはっきり言えば、問題ない。
それから発券所からバス停乗り場迄歩いた。地図を貰ったので迷わなかったのは幸いした。
バスは10分程したらやって来た。荷物をトランクに詰め込み、学生全員バスに乗り込んだ。
バスの座席は自由だから、各自好きな場所に、好きな人間というか仲間と座った。それでもバス後方のまとまった一ヶ所に座ってくれたのには安心した。これから一時間強でパリに到着だ。
此処迄、長かった。フランスに来るにあたって、それ程金額が掛からなかったのは確かだが、それ以上に気を使って、ストレスがどれ程のものか、想像出来ますか? 9人もの人間を日本からフランス迄引率するなんて、想像以上にきつい仕事ですよ。
それもあと僅かだと思うと、心の重荷が軽くなったのかと感じる。そうなると、今迄の疲れが一辺にやって来て、物凄い睡魔に襲われた。俺の後ろの座席では、ワイワイガヤガヤ五月蠅い事この上ない。それでも俺には関係ない。この心地良い睡魔に身を委ね、暫しの安逸を貪り尽くそう。幸せだ。気苦労が多かったのか、俺は発車する前に寝てしまった。
「先生、先生」
誰かゞ俺を呼んでいる。しかし、今は寝たい。この眠りを妨げないで欲しい。お願いだ、おやすみ。




