18 夜の蝶
19時半、立食形式の食事会が始まった、所謂ビュッフェです。だけど、普通の夕食にワインが付いただけ。宿泊者全員と夏期講習関係者、そして商業英語コース参加フランス人で40名程の規模である。
俺は奈緒ちゃんと美智ちゃんと芳子ちゃん、ジャンとディアナの6名でテーブルを共にした。
他のメンバーを見ると陳君が理恵ちゃん、洋子ちゃん、利恵ちゃんそしてフローリアンとガエルで同卓。鵜飼君は清子ちゃん、好子ちゃんとボブ、ヴァシリー、オルガと一緒だ。大西君は恵美ちゃん、ジャミール、ハーバート、アレクセイ、セリーヌとでテーブルを囲んでいる。他にはテレサ、クローディア、ベルナール、パスカルの顔も見えた。
奥のテーブルでは講演をしたBGIの人事部長ラネー氏がマダム・アリジ―、マダム・べナタールと歓談している。全てのテーブルが中庭に出してあり、ホールには一つも残っていない。
ジャンとディアナ、両者共に市内の住民だと。ジャンは初日施設の案内をしてくれて、コーヒーを淹れてくれたサロモン氏の御子息だと言われた。知らなかったとは言え、俺はその場で感謝の気持ちを彼に伝え、親父さんに宜しく伝えてくれと言付けた。ジャンは気にするなと言っていたが、そう言うもんじゃないだろうが。
ディアナは大学を卒業したと前に紹介したが、ジャンは今、兵役期間なので、国家警察に勤務しているとの事。フランスでは兵役があり、陸軍、海軍、空軍、国家警察の何れかに服務しなければならないそうだ。
俺がサラダとポテトしか食べていないのを見て、ジャンが何故肉を食べないのかと聞いて来た。
言い忘れていたのでこゝで話すけど、俺、四つ脚が食べられないんだ。小さい時胃腸を壊して、脂っこいものが一切口に入れられなくなった時期があって。今でも肉の脂の匂いで嘔吐する事が偶にあるんだよ。
説明するボキャブレールが少ないので、「仏教徒にとって肉食は駄目」と教えた処、「他の日本人は肉を食べている、お前だけだ」と来た。
メンドイので、「俺は純な仏教徒なんだ」と言って、話題を換えたんだけど。この話しがニコールに伝わり、後日しつこく仏教について説明してくれと懇願されてしまった。教訓、話しは正直に本当の事を話すべし。
「先生、知ってる?」
「何を?」
奈緒ちゃんが俺とジャンとの話しが終えると、話し掛けて来た。
「知らないんだ」
「だから何なの?」
「どうしようかな」
「自分から振っておいて、それはないだろ」
「ねえ、美智。先生知らないらしいよ」
奈緒ちゃんが隣の美智ちゃんに話しを振った。振られた彼女も俺の顔と奈緒ちゃんの顔を見合わせ、クスクス笑い出した。
「言っちゃおうか」
「言っちゃいなよ」
「そうしよっか」
「そうしな」
二人でグダグダ話していたので、俺は興味が失せて、芳子ちゃんに声を掛けた。
「芳子ちゃん、美味しい?」
「はい。ワインが飲めて、すっごく嬉しい」
「明日に触る迄、飲んじゃ駄目だよ」
「おかのした」
??????? 何、何て言ったの? 俺が何て言ったか確認しようと芳子ちゃんに声を掛けようとした時。
「先生、私が話しているのに、無視しないでよ」
奈緒ちゃんがブンむくれて、俺に突っかゝって来た。この子、飲むと人に絡むタイプなのかな?
「ご免ね。美智ちゃんと楽しそうに話してたから、悪いと思ってね」
「そんなの言い訳よ。私が話してるんだから、ちゃんと聞かなくちゃ駄目でしょ、違う?」
「そうだね」
「ホントにそう思う?」
「本当だよ」
「それなら、反省したのねw」
「うん」
「分かった。じゃあ許してあげる」
君は随分絡むねんだね。日頃のストレスとか、対人関係に問題抱えてない? そう思いながらも、彼女の顔を見ながら応じた。
「それでね、好子ちゃんがヤバいのよ」
「あゝ、それね。聞いたよ」
「先生、知ってるの?」
「うん」
「誰に聞いたのよ」
「陳君から」
奈緒ちゃんは直ぐに辺りを見回し、陳君を確認すると、「チッ」と舌打ちしたように見えた。何なんだ彼女は。
「つまんない。知らないと思ってたのに。じゃ良いわ」
そう言うと、又美智ちゃんとお喋りを始めた。やれやれ、絡まれなくて良かった。少し安心した。
22時からソワレ・ダンサント(夜のダンスパーティー)が始まった。皆、適当にアルコールが入っているので、勢いがあると言うか、切れがあると言うか、踊りに淀みがなくてスムースな脚運びだ。
特に利恵ちゃんと好子ちゃんのダンスは他の者のそれとは明らかに違い、魅せるダンスだった。二人を見ていたジャミールは“ナイト・バタフライ”と言って、拍手を送っていた。同感だ。夜になって生き生きとし、自分達の時間だと言った感じだね。但し、蝶と言うより、常夜灯に群がる蛾じゃないのか?
思い思いの踊りを見られて、面白かった。パスカルはミュージシャンと聞いていたから、リズムに乗ったダンスを見せてくれ、フローリアンはワンテンポずれたダンスを披露してくれて、場を和ませてくれた。笑えるね、彼の踊りは。手と脚の動きがリズムに合わず、それでも踊り続ける様が安心感を与えるのか? どう見ても60歳代以上と思われるマダムが腰を振って踊っているし、兎に角楽しい。ロックン・ロールからスローバラード迄、自分が感じるリズムで踊っている感じ、と言ったら良いのかもしれない。
2時近くなり、眠くなってきたので俺は2階に上がり、ベットに入った。階下からは未だ音楽が流れている。若い奴は凄い。
11日目
8時起床。朝食の時、大西君から「テレサから土曜の晩、ディナーに招待されたか?」と質問された。「知らない」と応えると、「アルはOKしたから、貴方も彼女と一緒に来なさい」と言われたと。訳が分からないので、「昼に確認してくれ」と言って、講義に出た。
オルガ、アレクセイ、フローリアンに続いて入室、完全に遅刻である。学生は既に席についていた。教師の威厳が・・・ それにしてもお前ら何時寝たんだ? それとも徹夜か?
直接法現在、直接法未来、条件法未来の動詞変化の説明。日常ではこの三つが、使用頻度が高いとの事。動詞変化なので俺が通訳する必要もなかった。本場の人間が言うのだから、学生も真剣に聞いている様子。安心した。
講義の終わりにフローリアンが前に話していた、一方的でなく、参加型の授業について、マダム・アリジ―に説明し、彼女は彼の提案に賛意を示した。
フローリアンが俺を含めて学生達が理解しているか尋ねたので、「半分位ではないか。しかし、意欲は見ていればある」と伝えた。その後、彼がボブと何やら話し出し、学生の中から代表を一人出してくれと言うので、訳を尋ねると、「この話しを皆に伝えてもらうのに、学生の言葉で仲間に伝えてもらいたい」と。その意見には俺も賛成なので、芳子ちゃんを呼んで、彼等の話しを掻い摘んで伝えた。初めは驚き、そして尻込みしたので、良い機会だからと説得と言うより、泣き落として了解してもらった。
昼食の時、セリーヌがR市のスポーツクラブの紹介書を持って来て、学生に配布してくれと依頼された。学生を探したが、マダム・アリジークラスの者しかおらず、マダム・べナタールクラスの者には後で配布する事にして、昼食を再開。べナタール氏の講演が14時から始まるので、テレサと話せなくなり、そのまゝホールに向かった。芳子ちゃんはフローリアンとボブとで、一生懸命に何かを話し合っている。3人共、眼が真剣だ。午後の講演は多分休みだろうな、あの調子では。
講演はEU諸国の教育比較論であった。高等教育について、日米と比較してどうしても見劣りするのは、バカロレア制度にも一因があり、イギリスは社会環境に問題があると。専門用語や略語を多用した講演だったので、上手く学生に通訳出来たか疑問ではあった。俺がこれだから、駄目だろうなあ。
これで帰国して、こちらの話しを学生等が友人に話したら、後期の俺の講義の受講生は、どうなるんだろうか。増えはしないよな、恐らく減る筈だ。それがどれ位になるかゞ問題なんだよ。考えたくもない。