15 人種差別はある
8日目
矢張り起床時間が遅くなっている。先週迄は7時半には起きていたのに、8時を過ぎて顔を出す始末だ。これは他の外国人も同じだったので、学生を注意する事は止めた。それにしても、君達講義で居眠りなどしてないよな。
中庭でクラスの者や一部の学生達(日焼けを気にする女性はサロンで食事)と朝食を取る。教会関係者も同じ時間帯に食事を取っている。神父さんと思しき老人達が、サロンでフランスパン(バターやジャムなし)とカフェオレだけの朝食を食べている。日本だと、ご飯とみそ汁だけになるかな。慎ましい朝食だね。俺達はプラス、ヨーグルトや洋梨も食べるんだけど。
俺はオルガ、アレクセイと一緒のテーブルで食べてんだけど、二人共フランスパン2個食べてんだよ。スゲーな、朝から。
8時半、学生と一緒に教室に入る。ボブしかいない。8時45分、全員揃ったので講義始まる。それにしても、イギリス人(ボブはスコットランド人だけど)は他のヨーロッパ人と人種が違うのかな?
授業は昨日と同様、2班芳子ちゃん、洋子ちゃん、アレクセイ、理恵ちゃん。3班好子ちゃん、利恵ちゃん、恵美ちゃん、ヴァシリー構成。
芳子ちゃんが小売人、洋子ちゃんが受付、アレクセイが銀行副頭取、理恵ちゃんが在日小切手振出人でスタートしたんだけど、小切手の記載ミスを芳子ちゃんが受付の洋子ちゃんに詰め寄った際。
「記載ミス?」
「はい。1万ユーロではなく、百ユーロと」
「Oh my God」
「ヨシ。此処はフランスだから、Mon Dieu」
すかさずマダム・ベナタールが茶々を入れた。一同大笑い。
本日より10時から15分間、コーヒータイムが始まった。サロモン氏が淹れ立てのコーヒーを用意してくれた。俺が芳子ちゃんを見たら、彼女大喜びで拍手をしていた。コーヒーが好きなんだね。
お茶休憩の後、授業再開。マダムが漫画のコピーを俺達に配った。全て、フランスのジョーク集だと言う。全部で10枚のコピー用紙をパラパラとめくる。
酒場で二人のフランス人が喋っている。
「もし、お前の娘が黒人と結婚したい、と言って来たらどうする気だ?」
「残念ながら、俺には娘はいないよ」
人種問題、特に黒人に対するものは白人社会には根強く残っていると感じた。このクラスにジャミールとハーバートがいたら、どうなっていたのだろう?
アレクセイが調子に乗ってジョークを一つ披露した。スティビー・ワンダーで作ったもので、文字で書けない差別用語を使っていた。“人類皆兄弟”なんて絵空事だね。
外国人にとっては何でもない事だろうが、俺や女子学生にとっては微妙な一時だった。はっきり書きませんから、察して下さい。
ディアナが部屋に入って来た。彼女、今週から夏季講習の手伝いをする事になった、大学を卒業したばかりの女性だと聞いた。
部屋の鍵の問題が解決していないので、誓約書の提出依頼にやって来たそうだ。仮に盗難にあったとしても、当局は関知しない。当局に損害賠償請求はしない等の誓約書だ。このクラスの日本人が未だ提出していないので要請に来たと言い、俺達はその場で誓約書をもらい、サインして彼女に渡した。
昼食をベルナール、テレサと一緒にテラス席で取る。二人共商業英語コースの受講生であり、ベルナールはフランス・テレコムの副社長、テレサはデファンスに住むポーランド人で、フランス語、英語、ドイツ語を使う貿易関連の仕事に従事していると語った。
彼女は以前日本女性とアパートが同じ為、彼女と近所付き合いをしていて、その時の印象を話した。
「彼女が離婚した直後だったので、余り人と会話を交わさなかった。その為、日本人は無口だと思っていた。先週同じクラスに日本人がいた。名前は忘れたが、私達が“ベイビー・ヘアー”と呼んでいたその男は、英語がとても上手かった。上級コースに換わった為、彼と話す機会がなくなり残念だ」
食べては話す。俺もベルナールも一方的に彼女の話しを聞かされた。しかし、美人のポーランド人の話しを聞きながら、食事を取るのも乙なもんですね。彼女に少し見取れてしまった。まあ、洋の東西を問わず、女性は話し好きなのが良く分かる例だね。
セリーヌが13時45分にバスで出発する、と告げに来た。時計を見ると13時半だった。俺達は12時から1時間半の昼食をしていた訳だ。後15分しかないぞ。
俺は大急ぎで二人に別れを告げ、部屋へ支度をしに戻った。支度をしている最中、ガエルが催促に来た。
「アル。皆集まったわよ。貴方だけよ」
「今、行く」
まるで蕎麦屋だね。そう思いながら支度を済ませバスに向かった。
中庭に停車しているバスに乗り込み、一番前の座席に座っていた好子ちゃんに聞いた。
「皆何時に集まったの?」
「13時ですよ、もう。でもバスが来たのが13時半。どうなってるの?」
一瞬、この子は何を言っているんだ、と思った。確か、セリーヌが「13時45分に出発する」と俺に告げたんだ。それが13時半だから、13時集合は可笑しいだろ。
「何で13時に集合したの?」
「渡された予定表に書いてありますよ、13時集合って」
そう言いながら、彼女は俺に予定表を見せてくれた。確かに“13時集合”と記載されている。でもバスは13時半に中庭へ。セリーヌは45分に出発と言った。
大体、時間にルーズなのがフランス人、いやラテン民族なんだろ、違うか? オンフルールでは、集合時間を自分で告げながら、急ぎもしない。そうかと思えば今日のように時間前に催促する。どうなんだよ、何か基準でもあるの? あれば教えて欲しいんだけど。
俺は色々考えを巡らせたが、途中で止めた。日本人とフランス人とでは根本的に時間の捉え方が違うんだ、概念が違うんだ。そういうものだと理解するしかない。
14時半、バトー・ムシュ(セーヌ河の乗合観光船)に乗船。フランスの小学生も一緒に乗って来た。何処の国の子供も可愛いなあ。特にラテンの女の子は本当にフランス人形のようだ。俺、ロリじゃないからね。勘違いなしね。
セーヌの流れと共に両岸の景色を楽しむ。時折、トップレスの女性が日光浴をしている。バカンスに出かけられない人は、日中肌を焼く為、良く裸になるそうだ。肌の色でその人の経済状況が分かる為、寸暇を惜しんで日光浴をするんだとさ。
後方から喧騒と共に一団の旅行者がやって来た。男はショートパンツにTシャツ、女はジーパンにTシャツ。皆、胸に同じバッジを付けている。自撮り棒にスマホ。明らかに分かるね、Chine。
下船して、ルーブル博物館に向かうが、火曜日は休館との事。各自好きな処へと自由解散。20時にピラミッド前に集合と伝えられる。
学生に要望を聞いたが、有名処は結構抑えたので、残っているのはモンマルトルとノートルダムだとか。ノートルダムは失火により、見学は無理だろうとなり、モンマルトルに決定。しかし、俺はモンマルトルを知らないから、ガエルに同道をお願いした。彼女の了解をもらったので、皆にそれを伝え、彼女に先導役をお願いして、出発。
地下鉄を使って、アンヴェールで下車。徒歩でモンマルトルの丘へ向かう。途中、タチの店があった。話しには聞いていたが、ユニークな商売をする店との事。ガエルに尋ねたら、実際に買物をしてみれば分かると言われ、皆に提案したら、大喜びだ。女の子は買い物が好きなんだね。
早速店舗に入った。まるでドンキのような雰囲気の店だ。ガエルは利用した事があるので、俺の希望を聞くと俺のサイズを測り、品物を店員に渡し、店員がメモ用紙に何か書いて俺に手渡した。どうもそれをレジに持って行き清算するんだとか。俺は女子学生に買い物の仕方を教えた。皆不思議がっていたが、そりゃそうだろう。こんな買い方、今迄経験した事はないし、こんなメンドイ買い方、誰も考えないさ。
兎に角安い、の一言。何でも経営者はアルジェリア人で、世界一安い店として人気があり、有名デザイナーと提携して、新しいブランドを展開した事でも有名なんだと。
手に荷物を持って、モンマルトルの丘を登り、サクレクール寺院を見学。凄い人込みで、寺院からパリの街並みを見下ろす階段は人だかりだ。それでも誰も文句を云わないのは、安い買い物で満足したからだろう、と俺は思っている。
20時にピラミッド前に帰って来ると、皆揃っていた。直ぐにレストラン“ル・ビエイ・エキュ”に到着。何処を通ったのか分からないので、何区なのか皆目見当がつかない。
店内に入る。時代物のレストランである。内装はと見ればAD1789年のフランス革命に関する品々が展示されている。例えば、フランス国歌、ラ・マルセエーズの由来とか、歌詞等。
コース料理が出されたけど、どのような料理か分からなかった。しかし美味しかったね。食べている最中はワインで、食前酒が何とかと言う酒、忘れてしまった。日本では飲んだ事のない酒だ。
合間に各国の歌を誰かゞ歌う事を提案して、ボブが歌い出した。俺は目の前で食事をしているバスの運転手、ピエールにワインを飲まないのか?と尋ねたんだ。そうしたら、「ロゼだけ飲んで、後は飲まない。車を運転するから飲めないんだ」と笑いながら応えたんだ。こいつ面白い奴だな。
何人かゞ歌い、次は日本人になったが、だれも歌おうとしない。カラオケでは歌う癖に、アカペラはダメなのか? よし、俺が歌う。ほろ酔い気分もあって、俺は立った。
「僭越ながら歌わせてもらいます。忠義桜」
俺の生まれは岡山の津山、後醍醐帝と児島高徳で有名な、院庄館跡近くで、親父の転勤で千葉に転居した。こう言えば、親父の勤務先が分かると思うんだけど、如何でしょうか?俺は忠義桜を歌ったんだけど、C調の歌と違いm調だから、盛り上がらなかった。失敗。
最後、ピエールがガットギターを持ち出して歌い出したら、大盛り上がり。フランス人にとって、団結する歌のようだ。フランス人は全員歌っていたな。