11 息抜きが息抜きになっていない
3日目
午前中の講義はシャンソンの鑑賞と参加者の国の流通貨幣及び中央銀行の役割説明だった。
フランス、ドイツ、ロシア、日本の中央銀行の役割を各人が説明したが、今度は経済用語がバンバン出て来たので、通訳していて単語が出てこない。更に、数字については日本と海外の単位の取り方が違うので、何百万単位になると、ごちゃごちゃになってしまった。
日本語の100万はフランス語ではun millionになるが、アラビア数字で表すと、1,000,000と記載するが、我々は100万で憶えている。これは漢字圏の万進法と西洋の千進法の違いから来ているのだと思う。大きな数字になると頭の中で転換出来なくなってしまう。例えば1,000,000,000,000、日本では1兆になるが、直ぐに転換出来ますか?mille milliardsと。
話しが脱線したので、戻します。
12時から昼食をとる。サロンで学生達は食事をとっているが、クラスの外国人は全員外での昼食だ。日光浴を兼ねた食事になっているね。どうも我々には外で食事をする習いがないのかな? そんなこんなで色々思っていると、フローリアンが俺の席にやって来て話し掛けて来た。
「はい、アル。元気か?」
「あゝ、元気さ。お前もか?」
「絶好調さ。ところで、何故外で食事をしないんだ?」
「何故だろうね。多分、その習慣がないんだろ」
「もったいないよ。折角色々な国の人間が・・・・(分からない)だから、講義だけじゃなくて、食事時でも気楽に・・・・(理解出来ない)世間話でもしようぜ」
「そうだな。俺から学生に伝えとくよ」
「そうしてくれ。綺麗な女性が沢山いても、皆で・・・・(分からない)話し辛いからな」
「ハハハ。そうだな。そうするよ」
ニコニコしながらフローリアンはサロンを出て行った。彼等も俺達と話したがっているんだ。どういう奴か知りたいんだ。そりゃそうだ。俺達だって彼等がどんな人間なのか、授業の時間だけじゃ分からないし、世間話をする中で人となりを知る事が出来るんだからな。
俺はフローリアンから言われた事を学生に伝えた。それを聞いて女子学生が一斉に色めき立った。幾つかのグループに分かれてひそひそ話を始めた。別段聞かれても良いんだろうが、何故ひそひそ話になるんだ?
一方男子学生はというと、女性程盛り上がってはいなかった。そうだろうな。女性と言ったら、人妻のオルガだけだからな。君達が外国の女性を彼女にするには対象が別になるからな。例えば、昨晩の女子学生なら良かったのにね。
これで以降の食事が楽しみだ。どのグループが出来上がるのか興味津々ですね。
午後の講義は16時半からなので、俺は午後の時間を洗濯に充てた。洗面器で洗うので、少しゝか出来ないが、洗濯物を溜めるのが余り好きではないので、少しでも洗濯する事にした。何人かは街のコインランドリーを見つけて、そこに洗濯物を持って行くらしい。市から貰った資料の中に街の地図があったが、そこに記されていたのかな? ともあれ午後はゆっくり過ごす事が出来た。
16時半からの講義は、街に出て実際に習ったフランス語を話してもらいたいとの意図から、マダム・べナタールとマダム・アリジーの車でデファンスにある、“クァトル・タン”と言うショッピングセンターで切手を買って、手紙を出したり、日用品の買い出しをしたりと、実施練習に充てる事になった。
俺はマダム・べナタールに聞いた。「皆車に乗れるの?」と。そうしたら。
「日本の学生だけですよ。他の学生はある程度フランス語が出来るので、必要ないの。必要なのは・・・・(聞き取れない) 少しでも話せれば自信につながり、・・・・(聞き取れない)」
そういう事ね。俺は全員が対象だと勘違いしていたんだ。一応、マダム・べナタールのクラスの学生は最低限の会話は出来るが、それでは不十分なので、一日でも早く会話が出来るよう努力して貰いたいとさ。こう理解したんだけど。俺は学生12名を二人に預けた。18時迄には帰って来ると言われたので。
今日は18時から夕食で、19時半には宿舎を出発して、ブーローニュの森にある野外劇場へ、喜劇の鑑賞に行く事になっているんだ。学生が帰って来る迄、1時間一寸しかないので、俺は寝る事にした。洗濯も終わり、夕食迄やる事もないので、緊張が続いた俺の身体と脳を労わろうとした訳だ。
部屋にはエアコンがなく、窓を開けて外気が流れるようにドアも開けて寝たんだけど、これが中々快適でして、学生が帰って来る迄眠り込んでしまった。学生の騒がしい声で起こされた俺の気分は爽快だった。午睡がこんなにも気持ちの良いものなのか、改めて認識したね。
1階のサロンに降りて行くと、サロンで食事をしている学生と、夕食を外で取る学生に二分していた。前者は建築学科の奈緒ちゃんと美智ちゃん、法学科の陳君と鵜飼君、そして経済学科の大西君と清子ちゃんだ。後者はマダム・べナタールのクラスの芳子ちゃん、洋子ちゃん、理恵ちゃん、好子ちゃん、利恵ちゃん、恵美ちゃん、英語学科の全員だね。
ヴァシリーとフローリアンの二人が大人気で、妻帯者のアレクセイと中年のボブは三人で食事をしていて、ジャミールとハーバートは好子ちゃんと話しながら食事をしていた。
矢張り、独身で若くて美形の長身男性が彼女達の好みなんだ。妻帯者と中年のデブは若い女性には論外ないんだね。この組み合わせが何時迄続くのか、どう変化するのか、学生達の関係性に影響を及ぼすのか、先の事を思いはせても詮無い事なので、俺は唯この状況を受け入れた。
食事が終わり、バスでブーローニュの森に向かった。20時前に着き、少し歩いて、野外劇場に到着。折り畳みのパイプ椅子に座り、開演を待った。
20時を過ぎ、舞台にわらわらと俳優が出て来た。ベルサイユ宮殿に出入りする貴族の様な衣装を身にまとい、何やら呟いている。しかし、俺の読解力では何を呟いているのか、さっぱりだ。
観客の大半はフランス人なので、時折笑い声が聞こえて来るが、俺には何が可笑しいのか理解出来ない。こう言うと内容は理解したように思えるが、さにあらず。何を言っているのか分からないのだ。俺がそういうレベルだから学生達もチンプンカンプン。
何を話しているのか分からないまゝ、劇を鑑賞するのは拷問ですね。必死になって聴き取りに集中していても、半分も理解出来なかった。主催者とすれば、喜劇で腹の底から笑い、緊張の講義から気分を一新してもらおうとの配慮なのだろうが、フランス語を理解出来ない者にとっては拷問以外の何物でもない。
学生を見回すと舟を漕いでいる者、隣の友人と話しに興じている者が大半で、劇に身を乗り出して鑑賞しているのは俺一人だった。そうだよね。教養課程レベルの語学力で理解しろ、という事自体が無理ゲーなんだよ。仏検では4級相当だろうから、土台が無茶だ。配慮の空回りだね。
23時、ブーローニュの森を出発して宿舎へ向かう。途中、運転者がブーローニュの娼婦について教えてくれた。前照灯に照らされた処々に女性の影が見えるが、その大半がニューハーフなんだと。更に国家警察が彼女等、彼等から税を徴収しているんだけど、公式には認めていないとも教えてくれた。彼の面白可笑しく話す内容は、俺でも理解出来るから、一部の学生も聞き耳を立てゝいたな。最も男性だけだったかな。
宿舎に帰って来たのは23時半を優に過ぎていた。流石に疲れた。観劇というイベントが辛い学習になってしまい、学生達の顔にも疲労の色が見えるから、直ぐにでも就寝するだろうと思っていたら、2階のホールで女性が何やら話し込んでいる。俺には興味のない事だから、部屋のベッドに直行した。だけど、直ぐには寝られない。どうも午睡を取り過ぎたようだ。頭は疲弊しているのに、目は冴えている。まるでモンスターを大量に摂取した状態と同じだ。
窓からの夜風は涼しく、心地良い。ベッドのへたりも気にならない。しかし、寝られない。ドアの外では女子学生がキャッキャ、キャッキャと喧しい。泥の様になって眠りたいが、無理だ。何時眠りにつけるのだろうか・・・