04 コンソメスープ ~階級格差の象徴だから~
ホットコーヒー、アップルジュース、お茶、コンソメスープ。
この4つの並びを見て、どこかピンとくる人はいるだろうか。
おそらくその人は、ビジネスマンか旅行好きか、あるいは私のように新幹線のない地域に生まれ育った者だろう。
そう、これは飛行機の機内サービスで選べる飲み物である。
LCC(格安航空)ではサービスのないところが大半ではあるとはいえ、大手航空会社ではおおむね先述の4種類の飲み物が提供される。
ところで、先に少し触れたように、私の故郷には新幹線がない。また東京からも遠く離れている。
したがって、旅行の際にはほぼ必ず飛行機を利用することになる。
ホットコーヒー、アップルジュース、お茶、コンソメスープ。
この中で、子どもが頼むのはおそらくアップルジュースだろう。
事実、私も小学生の頃はもっぱらアップルジュースを頼んでいた。いや、むしろこの中で子どもが好きこのんで飲むのはアップルジュースしかないだろうから、それしか頼めなかったと言った方が正しい。
契機は中学生の修学旅行。
話はそれるが、私の友達に一人、大の旅行好きがいた。彼の家はけっこうな資産持ちで、なおかつ親も旅行が趣味であり、彼も旅行を愛するようになるのは必然であった。
それに彼はもともと別の県の生まれで、小学校に上がるときに私の住む地域に引っ越してきた。私と彼は小学校は別であったが、中学校から同じ学校に通っていた。ところが彼の親は、生まれ故郷にまだ家を持っており、連休や長期休暇には必ず故郷の実家に帰って、そこで過ごしているという。
そんな彼は育ちの良い好青年であったかといえば、決してそんなことはなかった。
行儀は悪いし、授業態度は最悪。犯罪や暴力はしないけれども、授業中に(あえて)奇声を発して先生が怒っている姿を見るのが大好きな、学校イチの問題児だった。
対して私の性格は、一言で言えば「面従腹背」。要するに、表では先生の言う事を真面目に聞いているようで、裏では先生の悪口を言って小馬鹿にしているし、悪ガキの悪行を周りで囃し立てているタイプの学生であった(なんと小心で姑息なことや!)。
一見、相反するような2人であったが、根底にはどこか似たところがあり、交流が生じるのは当たり前だったろう。
さて、そんな彼は修学旅行に際して、しきりに「日本航空のコンソメスープがおいしい」という話をしていた。旅行で乗るときは必ずこれを頼むし、それに「日本航空」でないと駄目らしい。
何がおいしいのか。たかがコンソメスープではないか。
それに、私は温かいものよりも冷たいものが好きだ。
その点、冷たくて味のある飲み物はアップルジュースくらいしかない機内サービスを貰うくらいなら、飛行機に乗る前に売店で好きなジュースを買えばいい。
それでも彼は「飲めばわかる」と私に言った。
幸いにも修学旅行で使う飛行機は、行きも帰りも日本航空であった。
修学旅行の当日。
早速飛行機に乗り込むわけであるが、私と彼の席は隣同士であった。
もちろん私にも他に仲の良い友達がいて、彼らと隣の席に座って楽しくたわいのないおしゃべりをしてもよかった。しかし、ここは本当に機内サービスのコンソメスープはおいしいのか、嘘だったらそいつに文句を言ってやろうくらいの気持ちで、彼の隣に座った。
やがて飛行機は滑走路に入り、離陸した。
窓からは、空港周りの田園、街の家々、やがて海が見える。
周りの学生はみな窓を眺めてガヤガヤとする中、私と彼は「私の出身地と彼の出身地のどちらが”都会”か」だとか「親族の年収や学歴はどちらが上か」だとか、なんともすごい内容について激論をかわしていた。これが我々の日常の姿であった。
こういう話はだいたい彼から吹っかけてくるのだが、私はこれに真正面から応じる。互いに馬鹿にし合っているように見えて、互いに楽しんでいる。妙な間柄だ。
しばらくすると「ポーン」というチャイム音が鳴り、ベルト着用のサインが消える。
それから少しするとCAさんが、カートにジュースのパックやらコーヒーの入ったステンレスボトルやらを載せてやってくる。
私たちの席は機体の真ん中あたりであったので、カートが自分たちの前まで回ってくるまで少し時間がかかった。
私と彼が「都道府県の”都会度”ランキング」という、まったく不毛で無意味なランキング付けを議論しあっていると、思いのほか早くCAさんが機内サービスのドリンクを渡しにきた。
ー何にしますか?
そう尋ねるCAさんに、もちろん答えるのは、
ーコンソメスープで。
ためらいは一切なかった。
座席に備えつけられた机に、コンソメスープの入った紙コップが置かれた。
手で包み込むように触ってみると、秋の気温に慣れきった身体にはほんのりしみるような温かさ。
しかし、騙されてはいけない。大したことない熱さと思って口をつけたら、たちまち口の中をやけどしてしまうのがオチだ。
私は猫舌なのだ。だから温かい飲み物は好かなかったのだ。
しばらく手のひらで紙コップを包んで(そうすれば中の熱が自らの手の平へと逃げるかと思ったから)、ときおり息を吹きかけて冷まし、おそるおそる口をつける。
おいしい。
幼い頃から味噌汁だとか、コーンスープだとか、スープ類を好かない私が、初めておいしいと感じた。
雑味のない上品な味わい。沈殿物もほぼなく、均一で純粋な味わい。
偏りのない澄んだスープは、一口目から最後の一滴まで、変わらないおいしさを保っている。
なるほど、これはその通りだ。
彼は「だろ?」と言って、一本取られた気持ちになった。
それ以降、私はコンソメスープを飲むようになった。
薄味が好きなので、規定量の3分の2ほどの粉末をマグカップに入れてお湯を注ぐ。
それをしっかりとかき混ぜてから、人肌より少し温かい温度まで冷ます。
そして、味に偏りがでないようにかき混ぜながら飲む。
これが私の一番好きな飲み方だった。
◇◇◇
第二の転機は、大学生の頃。
これが本題の、私がコンソメスープを嫌うようになった理由だ。
私はあるとき、大学の教授と同じゼミの学生とともに夕食を食べにいく機会を得た。
そこは、とある県のレストラン。
とてもおしゃれな雰囲気で、店内の装飾や机にかかったテーブルクロスもどことない気品を香らせていた。それでいて値段も2000円前後で、学生でもちょっと背伸びすれば十分に届くお店だ(おまけに教授が多少色をつけてくれるので、なおさら学生の負担はいうほどでもない)。
さて、こういう初めてのお店では、熟練した先輩、すなわちこのお店を紹介してくれた教授の暗黙の指示のもとで食べるメニューが選定される。
これは教授が学生に圧力をかけるというよりも、お店が放つ気高いオーラから、右も左もわからぬ子羊たちが、自然と大岩の陰に集い隠れるようなものである。
メニューは、教授のおすすめ。ハンバーグ定食。
ソースも教授と同じ和風おろし。
ハンバーグといえば、外食で食べないこともない。
びっくりドンキーは幼い頃から月1くらいで食べていたし、静岡のさわやかは噂に違わずまことに絶品であった。
それがおしゃれなレストランに変わろうと、食べるのはしょせんハンバーグ。
右手にナイフ、左手にフォークを持って食べればよい。ただそれだけだ。
ースープでございます。
そう言って運ばれてきたのは、コンソメの香り。
なるほど、気品のあるお店で、上品な味わいのコンソメスープをいただく。
まことに結構なことではないか。
しかし、コンソメスープが私の目の前に現れたとき、その妄想は打ち砕かれた。
なんとスープがほとんど平らな皿に盛られているではないか!
私は犬ではないので、こんな平皿でスープなんぞ飲めるか!
飲み方がまったくわからない。
さいわい、手元には幅広なスプーンがあるので、はじめのうちはそれで飲めばいい。
しかしこれではスープが少なくなったとき、すなわちスープのかさが浅くなったときには、スープを掬えなくなってしまうではないか!
私が困惑しながらも見様見真似でコンソメスープを飲んでいると、目の前の席に座っていた教授が突然、皿の手元側を傾けた。なるほど、傾けた皿はスープのかさが増してスプーンで掬えるようになる。
私は小声で隣にいた先輩に「これどうやって飲むんですか?」と聞いてみた。
先輩は大企業勤めで、新人研修でテーブルマナーを教えられたと聞いていたからだ。
先輩は、教授と同じ飲み方を私に教えた。
それを聞いていた教授も、さも当然かのように先輩の言葉に同調した。
私は、その場で見えない、そして今までの二十余年気づくことのなかった壁を、確かに認めてしまった。
皿を奥側に傾けてコンソメスープを飲むという、何気ないわずか数分の一動作に、百年も二百年も続くような呪縛を感じ取ってしまった。
実のところ、教授は某名門の中高を出て、名前を挙げるまでもない超名門大学を卒業している。
その頭脳といい、研究実績といい、教授を超える業績を持つ人は指で数えられる程度しかいない。
しかも、教授のお父様もまた学者であった、と噂には聞いている。
対して、私は決して恵まれない環境で育ったわけではない。
むしろ世間一般から見て恵まれた環境にあることは、私自身も疑うところがない。
祖父母は特筆するところがあまりないが、父は有名な企業に務め、世帯収入が十分にあるのは子どもながら理解していた。
しかし、暮らしぶりは一般家庭とさほど変わりもなかった。
年に1回ほど車で旅行に行く。数年に1度、飛行機に乗って2泊3日で家族旅行をする。
十分に贅沢ではあるが、皆がイメージするような「長期休暇に海外旅行をする」お金持ちの家庭ではなかった。
ただし、暮らしぶりはさほど派手ではないが、両親は教育には特に熱心に力を注いでくれた。
おかげで、私は私立の中高に通い、希望の大学に通うこともできた。
本題の食事マナーだって、基本的な常識は幼い頃から家庭の中で教え込まれた。
例えば、テーブルに肘をつくな、口に物を入れたまま喋るな、箸は正しく持て。
どれも基本中の基本、常識のど真ん中であるが、おかげで常識を欠いて恥をかいたことはない。
とはいえ、今回のマナーは知らない。
いつもコンソメスープはマグカップで飲んでいたから。
平皿にスープを盛られたことなんてないし、そんなお店にも行ったことはなかった。
知ってる教授と知らない私。
それは単に年齢の差であろうか。
もう、私は「正しいコンソメスープの飲み方」を知っているが、これで教授との差は縮まったのだろうか。
私にはそうは思えない。
スープの飲み方は、各人が生きていた世界の表象の1つにすぎず、本質的な差異は別なところにあるのではないか。
私が教授の真似をしたところで、育ちのバックグラウンドを覆すことはできないのではないか。
目の前のコンソメスープは、味や粒子の偏りがなく、均一に澄んでいる。
人間[じんかん]も、コンソメスープと同じように透き通っていてくれるだろうか。
だから、私はコンソメスープが嫌いだ。