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第9話 君はここにいて

 ハルカと出会って四日目の夜、初めて雨が降った。

 傘を持っていない僕たちは、寂れたバス停のベンチで雨宿りをした。屋根の面積は狭く、雨は僕たちの足元まで届いていた。


「傘買っとけばよかったね」


 ハルカは特に残念そうな様子ではなかった。雨にかまわずぶらぶらと足を揺らしている。


「コンビニでもあるといいんですけど」


 海に近づくにつれて、川沿いの町はどんどん田舎になっていった。田畑が町の大半を占めていおり、チェーン店などもすくない。バス停前の道路も車通りが少なく、ときおり思い出したようにヘッドライトの光が通り過ぎていくだけだった。


 田舎特有の静けさ。聞こえるのは、雨音と僕たちの呼吸音くらいだった。バス停という狭い空間の中で、特にできることもなく、僕は向かい側の歩道の街灯を眺めていた。暗闇の中で降る雨は光に照らされて、やっと見ることができる。つまり僕は雨を見ていたともいえるかもしれない。歩道の向こう側は畑だった。


 そのまま数分が過ぎた。僕たちはなにも言わなかった。僕は街灯を眺めていた。


 …………

 

 ……………………


 

 …………………………………


「きみは、どうして死のうと思ったの?」

「へ?」


 …………。

 唐突な問いに、無の境地に達していた僕の頭はついていけなかった。

 なんでこのタイミングで?

 どうして今さら?

 疑問だけが頭に浮かぶ。ハルカはいつもと変わらない、真面目でも不真面目でもない顔で僕を見ている。その表情から、感情は読み取れない。


「今きみは『なんでそんなこときくのですかなあ……』って思ったでしょ?」

「そうですけど。…………僕そんな変な語尾つかいませんよ」

「単なるひまつぶしだよ。ほら、話してみてみんしゃれ」

「変な語尾だ」


 僕がいうと、ハルカは満足げに笑みを浮かべた。

 話を逸らすのが上手いなと僕は思った。


 とはいえ、暇なのは本当のことで、このままだと雨を見ながら夜を越しそうだったので話すことにした。どうせ死ぬから。僕は自分に言い聞かせて、街頭の方を見て話した。ハルカと顔を合わせると、変なところで格好をつけてしまいそうだったから。


「死のうとしたのは、自分が生きていることが不自然だと思ったからです」


 死にたい理由を話すことなんてなかったから、一つ一つ言葉を考える必要があった。心のなかではなんとなく死にたいという気持ちだけがあったから、それを説明するのは難しい。


「自分がいない方が、ずっと上手くいく。両親の関係も、友だちの仲も、世界にとっても。僕がいるよりはいない方が自然で、そっちの方がみんな幸せなんだって思う」


 僕は思いだす。

 父親が出ていったあとの母親の目。

 僕と会話するときの友人の目。

 死ぬ間際に僕を睨んだ犬の目。


「ずっと、ここにいてはいけない気がするんです」


 どこにいっても。

 たとえどんなに自分を変えたつもりでも。


「だから、死にたかった」


 話しながら僕は妙に納得した。

 そうだ。

 ずっとあの目から逃げるために、死のうとしていたんだ。

 理由が分かると頭の中がすっきりした。難しい数学の解法が分かったみたいに。


「それは今もなの?」


 雨音のなか、ハルカの声が聞こえた。

 僕はやっと彼女の顔を見ることができた。

 少しだけ寂しそうな目。長いまつ毛が、彼女の瞳に影を落としていた。


「そうですね。死にたいですよ」

「そうじゃなくて………わたしといるときも思うの? ここにいてはいけないって」


 僕は彼女の質問についてよく考えてから答えた。


「思わないです」


 なぜかは分からない。

 ただ、ハルカといるときは、いつもの息苦しさを感じることはなかった。


「なら、よかった」


 ハルカは心底ほっとしたように息をついた。

 それからにやにやと、僕をからかう顔をして言った。


「でも当たり前か。きみはわたしのこと好きだもんね」


 顔が熱くなるのを感じた。どうして人は、相手に好意を知られると、恥ずかしく感じるのだろうと思った。


「うるさいです」


 僕の精一杯の反抗期的な言葉は、四歳年上の彼女には通用しなかった。

 ハルカは優しく微笑えんで、僕の頭をなでた。


「いいんだよ。きみはここにいて」


 その手のひらの感触は、初めてあった日の夜とは違う種類の優しさがあった。


「なんで撫でてるんですか?」

「ふふ、お返し」


 ハルカは僕の真似をしていった。

 仕方ないので僕は彼女にされるがまま、雨ふる夜の景色を見ていた。

 ずっと、この時間が続けばいいと、そう思った。



 でも僕は——いや、「僕たち」は知っていた。

 この幸福が長く続かないことを。

 まだ世界から逃げられるほど、僕たちは大人ではないということを。


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