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第4話 犬の話

 小学生四年生のころ、僕は飼っていた犬を殺した。

 その犬は捨て犬だった。別の飼い主に捨てられた犬を、僕の家は引き取ったのだった。来たばかりのころ、彼(犬)はするどい目つきで僕の家族のことを睨んだ。そのときの僕はまだ小学生にもなっていない年齢で、その目つきがただ怖かった。


 その目を、僕はときどき思い出す。


「寝れそう?」


 隣から声が聞こえて、僕は目を開けた。白い照明が飛び込んできて、眠気は一ミリもなくなる。そもそも漫画喫茶の堅いクッションじゃ、眠っても身体が痛くなりそうだった。


「寝れないです。ハルカさんは寝れる?」

「わたしも無理そう。でもこうしてれば無駄に体力も使わないし、八時くらいにはひと眠りできそう。ね、手つないでてもいい?」

「いいですけど」


 ハルカと手を繋いで、また目をつぶる。どうしてこんなことになったんだっけ。

 僕は犬の鋭い目を振り払って、少し前のことを思い出す——


 * * *


 駅前のカフェを出たときには、もう日が暮れていた。


「それでこれからどうするんですか?」


 きくと、ハルカは僕の手を握った。


「ねよう」

「え?」


 ねる?

 ねるっていうのは、どういう意味だ。まだ睡眠には早い時間だし、まさか。

 慌てる僕をからかうように笑って、ハルカは説明した。


「高校生と中学生じゃ泊れるとこなんてないからさ、先にどこかで眠っておこうよ」

「寝るって睡眠するってことですか?」

「ふふ、逆にどんな意味があるの?」


 僕は彼女に手をひかれるまま、駅近くの漫画喫茶に入ってしまった。もう後戻りはできない、そう思ったけど、彼女の言うとおり死ぬつもりだったのだ。別にどうなってもいいはずだった。

 店員に席を聞かれたハルカはカップルシートを注文した。高校生の利用は十時までとなっておりますと、店員は機械的にいって鍵を渡した。


「ハルカさんはいいの? 親に連絡とかしなくて」

「まあだいじょうぶでしょ」


 ハルカは流すようにそう言って、個室の鍵を開けた。


 * * *

 

 それで、僕はいま、ハルカと一緒に漫画喫茶で寝ている。

 個室のなかは二畳ほどのスペースで、二人並んで寝ると寝返りもうてないくらいの狭さだった。幸いエアコンはついていたので、寝苦しくなることはなかった。


「ていうか寝るなら電気消しません?」


 僕は目をつむっても貫通してくる光を感じて、言った。


「わたし明るいとこじゃないと寝れないの」


 ハルカは全然眠くなさそうな声でいった。


「でも、ソウスケくんとくっついててもいいなら消していいよ」

「別にいいですよ」


 僕がすぐにそう言うと、ハルカは少し驚いたようだった。

 さっきからかわれた仕返しができた気がして、僕はすっきりした。


「もうすぐ死にますから」


 僕は立ち上がって電気を消した。


「ソウスケくんはやくきて、怖いから……」


 ハルカの横で寝ると、本当に彼女はくっついてきた。飼い主に寄り添って寝る犬みたいに。

 僕は申し訳なさを感じながらも、その彼女の恐怖を取り払うことができたらと願った。

 ハルカと寄り添っていると、落ち着いて、なぜか安心した。そのうちに僕は眠ってしまった。僕はまた、飼っていた犬に睨まれる夢を見た。



 犬と暮らし始めるにつれて、彼は徐々に懐いてくるようになった。一人っ子だった僕も、じゃれてくる彼をしだいに兄弟のように思うようになった。毎日のように外を二人で走り回った。学校から帰ってくると今日あったできごとを彼に話し、彼は言葉が分かるかのように「ワン」と相づちをうった。彼は家族であり、一番の友だちだった。


 小学四年生のとき、彼は足をけがした。病院にはつれていけなかったから、僕は必至に彼の介護をした。動けない彼にエサをやり、彼が鳴けば水をやった。


 でも彼は日に日に衰え、痩せていった。年は僕と同じくらいだったが、犬年齢でいうと彼は高齢犬だった。このままでは死んでしまうと思った僕は、彼のケガした足と下を向いてしまう首を支えて彼を散歩に連れ出した。運動しないと身体全体が弱ってしまうという話を聞いたからだ。


 最初は、彼も久しぶりの散歩にしっぽを振っていた。喜んでいる姿を見るのは久しぶりで、僕も嬉しくなって介護を続けた。でもやっぱり衰えていくのは止められなくて、彼はエサに手をつけなくなった。運動しないからだ、と僕は彼のためを思って、散歩に連れ出した。しっぽを振っていないことが分かっても僕は散歩にいった。死んでほしくなかったから。


 彼が死んだ日、彼は散歩を拒否した。彼を支えるために伸ばした手を彼は噛もうとしたのだ。僕はそれでも、彼が生きるためだと思って、足と首を支えた。そして散歩の途中彼は死んだ。老衰だったのか、それとも首を支えていた手が彼の呼吸を妨げたのかは分からない。でも、僕のせいで死んだ。死ぬ直前、彼は僕を睨んだ。道路に横たわりながら、あの日、僕の家に来た日と同じ目で——。



 はっと目が覚める。

 額に汗をかいていた。


 見ていた夢の映像が、漫画喫茶の天井にちらついた。

 なんでまだ、こんな夢を見るのだろう。

 もう何年も前のことのなのに。


 僕は、息が上手く息が吸えなかった。

 いつもこうだ。

 嫌な記憶ばかりを思いだして、自分の存在が嫌になる。

 生きるのが苦しい。

 だから僕は——


「だいじょうぶだよ……」


 ハルカの声が聞こえたと理解するとともに、僕は頭にある感触を感じた。

 それはずいぶん懐かしい感触だった。


「お姉ちゃんがそばにいるからね……」


 ハルカを見ると、彼女は目を閉じて眠っていた。呼吸に合わせて、胸が静かに上下している。

 安らかなその表情を見ていると、見ていた夢の記憶が次第に薄れていった。

 彼女の呼吸に合わせて、息をすう。

 甘い匂いと、静かな寝息のなか、僕のまぶたは再び落ちていった。

 眠りに落ちていく意識の終わりに、「タイヨウ」とつぶやく彼女の声が聞こえた。

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