未亡人なんて呼ばれていますが実は恋したこともないので、王子様につかまえられてしまいました。(前編)
疲れた時に、少しでもお楽しみいただけたら幸いです。
私はこの学院で『未亡人』と呼ばれています。
ええ、勿論結婚したこともないので、夫を亡くしたこともございませんし、花も恥じらう十七歳、なんなら恋さえしたことがないのですけれども。
この顔が元凶なのでしょう。
生まれ落ちた瞬間、『整ってはいるが老け顔』と兄に評されたという、この顔です。睫毛は長いのですが垂れ目で切れ長、おまけに左目尻には泣きぼくろ。丸みのない輪郭に鼻筋、お化粧したようにいつも色づいた唇。
加えて昔から、貧乏でろくに食べられなかったわりに発育がいいものですから、日中街を歩いているだけで酒場に連れ込まれそうになったり、成人男性を客層にした夜のお店で働かないかと勧誘されたり、色々と苦労が付きません。
そういう諸々が噂を呼び、あることないこと囁かれ、貴族子弟が集う学院において私は初めから友だちが一人もできませんでした。
首都では名前すら知られていない、辺境の貧乏な男爵家の娘には、知り合いになっても何一つメリットもありませんしね。
元来の引っ込み思案も手伝って、まあひとりでも大丈夫でしょうと諦めること、はや五年。
早いものでこの春に私はここを卒業します。
ワックスペーパーに包んだサンドイッチは、もうパンが硬くなってしまっていますが、もはや気になりません。朝食の残りを包んだだけですからね。
もそもそ。
りすより小さな一口で食みながら、雲一つない青空を仰ぎます。
空はこんなに美しいのに。小さな花のつぼみが膨らみ始めたのに。
はあ、と思わずため息が零れます。
いけないいけない。私は慌てて、零してしまったため息を吸いあげるように大きく息を吸いました。
心まで貧しくなってはいけません。
いつも凛として、前を向いて、堂々と。
すはー、すはー、と深呼吸をしていると、
「だあれだ!」
と、背後からがばっと目をふさがれました。
一瞬体が強張りますが、この明るい声、小さな手。
私、知ってます。……ここにいるはずはない方ですけれども。
「……ウィル?」
名前を呼ぶ声は、最後の方には確信をもって、少し弾んでしまうのを抑えられません。
正解―!とぱっと視界が開けて、ひょこっと覗き込んできた小さな顔に、思わず頬が綻びます。
「ウィル…!どうして学院に?」
ウィル…フルネームは存じ上げませんが、私の大切な小さな友人です。
私がお休みの日にお手伝いしに行っている小さな医療院にウィルもお手伝いしに来ていたのが、出会ったきっかけです。
詳しく聞いたことはありませんが、なんでもウィルのお父上が多額の寄付をしてくださったとかで、その後院長先生は大変助かったと言っておられましたっけ。
「アルマに会いに。…なあんて」
その立ち居振る舞いや高貴さ、どこかの貴族の子弟かしらとも思ったのですが、こんなに頻繁に貧民街の医療院を訪れる、というのも考えにくいですから、どこかの裕福な商家の子なのだろうと思います。
ウィルは十二歳、私の五つ年下で、とても綺麗な顔立ちの男の子です。
笑顔が可愛くて…微笑まれると思わず、私の顔までへにょっとなってしまいます。
「ほら、来年から僕ここへ通う予定だったでしょ?」
「はい!ウィルももう十二ですもんねえ、大きくなって……うん?
予定、“だった”?」
私が首を傾げると、ウィルがぷくっと頬を膨らませる。
か、かわいい。
「アルマがいないなら来たくない。こんなとこ。」
この国の貴族の子は、うちみたいな末端の男爵家でさえ皆首都のこの学院に入ることが基本です。
私も利用しましたが特待制度があるので、学業が飛びぬけて優秀な一般の方も増えています。それはとても光栄なことの筈。
けれどウィルは、前から私の学院生活を心配してくださっていました。
ご心配おかけしたくないので深くは語らなかったのですけれど…私がお友達との楽しい日々を捏造でもいいからお話しできるくらい器用なら、学院に嫌悪感を抱くこともなかったかもしれないのに…!
「あ、あの、ウィル?学院はとても楽しいところですよ!
ウィルならきっとお友達もたくさんできます!」
「…」
「それにたくさんのことが学べますよ。ウィルが大人になるのに役に立つことばかりです」
「……」
「ウィルならきっと、最優秀生徒に輝いちゃいますね。みんなの憧れの的でしょうね…!」
ウィルが来年学院に入りたくなるようフォローしていた筈が、途中から大きくなったウィルの妄想になっていました…!
考え込むような顔になったウィルですが、本当に綺麗な顔をしているんです。
大きくなったらきっと王子様のようでしょうね。
「……アルマも憧れてくれる?」
「勿論です!ウィルが最優秀生徒に選ばれたら…私、とても誇らしい気持ちになると思います」
ぐっと拳を握りしめて熱弁すると、ようやくウィルがふっと笑ってくれた。
さらさらの金髪が風になびいてとても綺麗。
思わず見惚れていると、通りがかった男子生徒たちの声が遠く聞こえてきた。
「…未亡人だ」
「隠し子か?それともいよいよあんな子どもにも手を出したのか」
くすくす。
頬が熱くなって、思わず顔を伏せました。
隣でゆらりと、空気が揺れるのを感じました。ウィルが、見たことのない形相で彼らをにらみつけています。
今にも立ち上がって飛びかかりそうな彼を制して、私はぶんぶん大きくかぶりを振りました。
「いいんです!ウィル……私は、大丈夫です」
いつも凛として、前を向いて、堂々と。
すうはあ、すうはあ。二度深呼吸をして自分を落ち着かせます。
私は大丈夫です。もう少しでここからいなくなる。
それよりも、私を気遣ってくれる年下の優しい男の子が心配です。
「ウィル。…私は貧しいし、学院では友だち一人満足に作れなかったけれど…心まで貧しくはなりたくないのです。私は大丈夫。こうやって怒ってくれる優しいウィルがいます」
そっと頭を撫でると、ウィルはかっと白い頬を染めて俯いてしまいました。
なでなでとか反則だ…あいつら抹殺してやるのに…とか、なにやらぶつぶつ物騒な言葉も聞こえますが、聞かなかったことにしましょう。
「ウィル、学院を嫌いにならないでくださいね。
あなたならきっと、ここで頑張れるって、私信じてます」
その時私はもう、ここにはいないけれど。
ウィルの未来が輝かしく楽しいものでありますように。
そう祈る気持ちはきっと届くでしょうから。
後編に続きます。
次で完結します。