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惜春  作者: イタリア皇帝
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この物語はフィクションです。

遊郭文化については都合の良いように改変しています。

なお、吉原遊郭で有名な花魁詞は使用していません。

 瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の われても末に 逢はむとぞ思ふ


                         崇徳院


 

 壱


 太閤さん(*)の天守が夏の陣で焼け落ち、二代将軍様が再築した天守を見上げる新町(*)は、吉原と嶋原(*)に並び遊郭としてその名を天下に知ら示め、多くの男衆は一時の享楽と戯れに溺れ、遊女の位階に自己の見栄を掲げ、それに惜しむことなく身銭を削る。男衆に華代、衣代と何かに身銭を切らせる遊女の最高位は太夫(*)と言い、美しい容姿だけでなく、芸事、教養に優れ、気に入らない客を足蹴にしても、それを赦される程の気位があった。その下位には、天神、鹿子位、端女郎等々続いて行く。遊郭の位階制度は階がひとつでも違えば、下位者は上位者に絶対に逆らう事が許されず、それ故に下踏みされる多くの若き女子(おなご)衆は一つでも位階の上を目指し、身と芸道を磨き、先を争うように競い合うのである。

 遊女見習いの童女を禿(かむろ)と言い、太夫などの身の回りの世話をしながら遊女としての振る舞いやこの世界の仕来(しきた)りを学んでいく。童女としての齢を過ぎると新造と言われる水揚げ(*)をしていない女郎となるのである。基本、禿は口減らしとして売られてきた農村の娘か遊女が産んだ娘であった。


(*)太閤さん…豊臣秀吉

(*)新町…新町遊郭、現大阪府大阪市西区新町1、2丁目付近

(*)嶋原…嶋原遊郭、現京都市下京区西新屋敷付近

(*)太夫…江戸中期に花魁文化が栄える前の遊女の最高位

(*)水揚げ…初客を取ること



 弐


 時候は清明(*)、遊郭を仕切る溝渠(こうきょ)(*)の脇に植えられた桜は人の心に満開の花を咲かせ、花びらと宴を美しく舞わせる。男衆は道中を観ながら花見で一杯と札に咲く菊に盃を挙げる(*)。同じくして、藤と言う格子の遊女が十月十日の身籠も過ぎ、赤子を産んだ。その赤子は産婆も惚れ惚れする程の美しい娘で、産湯につける産婆のその手が思わず震えたと言う逸話まで残すほどである。残念ながら、母の藤は身請けした檀那にあっさり捨てられ、その後の行方(ゆきかた)は誰ひとり知らず、風の噂もない。残された赤子はその美貌から扇屋の夕霧太夫を引き継ぐ事になる遊女、お花に引き取られ、旧い名は悪縁として棄て、産まれた季節から春と新たに名付けられた。春はお花に我が娘のように可愛がられ育てられた。元旦を迎え歳を重ねる度(*)、春は美しさを増し、気の早い檀那衆から未通女(おぼこ)の水揚げを初鰹の一番競りのように求められ、その値は不二の峰(*)の如く、蒼い泉を高く突き刺し聳え立った。

 春は自身の値にはまだ興味などなく、母親代りのお花の言いつけを好く守り、好く働いた。生まれながらの要領の好さと才華があったようで、幼いながらも春は遊郭の独特で複雑な仕来りをあっさりと身体に覚え込ませていった。その春の姿は本人の意とは関係なくどこか儚げであり、一瞬でも眼を逸らした刹那、泡沫(うたかた)の夢のように二度と眼にすることが出来なるような心持ちを他人にさせた。やがて、その視線は少しずつではあるが、水の流れが岩をけずるように春の心の中へと入り込んでいった。

 春は早くからお花の許に置かれていた為、その地位の特異を知らず、お花が受け取る様々な恩恵を当たり前の事として受け止めていた。特異な状況が生んだ傲慢とも思えるような春の心持ちは、彼女の中に住み始めた多くの人からの好意的な解釈による寛容によってかき消されていた。その傲慢さに気付いたのはお花だった。お花は春がこの先この花屋敷で生きていくことを当然だと思い、それが絆であり、運命(さだめ)だと感じていた。

 この世界は狭い。手が届かぬ程高く華が咲けば、人は見上げるだけで為すすべもないが、手が届く美しい華をもぎ取る事を厭わない。それだけでなく、華が美しければ美しいほど、対を為す心の闇を浮き彫りにし、手にした華を深淵の中に投げ込む。無残に散る華を見ながら心の安定を求め、手が届かない存在にならない事に安堵するのである。嫉妬という感情は他人に対して残酷になることに寛容であり、その寛容さ故に人は自身の醜さに気付かない。いや、気付けない。

 お花は春がやがて受けるであろう人の嫉妬や妬みの対象となり受ける困難を、昇りつめた階梯から身に染みて知っていた。その怖ろしさも。まだ、そんな人の翳を知る程、歳を重ねていない春にそのような悪しき感情を教え込むには、お花はまだ重いと思っていたが、彼女の今の状況を鑑みると知っておくべきだと思うようになった。そして折を見て、お花は春に言葉を与えた。

 人の言葉にある裏の意味やにこやかに笑むその翳に潜む不義理、信頼できるのは人との約束ではなく身を飾る品や金銭であることを。それらの人が地獄へと導く数々の道理は、どの遊郭であっても路傍の石の如く掃いて捨てる程点在し、雨が降れば地に落ちた木の葉のようにどこかに流れ、簡単に忘れ去られ、また同じ工程を飽く事なく幾度も顕れるのである。まるで賽の河原の石のように積んでは崩れ、積んでは崩れを際限なく繰り返すように。お花は余すことなく自身の経験を春に伝え、春は持ち前の聡明さを持って、その(ごう)を咀嚼し呑み込んでいった。人の避けられぬ業が喉を通る不快さは、疳の虫に効くと云う漢方薬に似たものがあった。人の真理は諭される心に効く良薬であり、その効用さ故に苦くなるのだろう。

 その苦い良薬のお陰で、春の器量は公界(くがい)(*)でひとかたの遊女より上役となり、その身に纏う気から溢れでる品は、この先太夫の名を引き受ける未来を約束しているようだった。が、お花の教えを追い、その実践を心掛けた春は鼻を伸ばし天狗のように人を空から見下ろすような卑俗なことは決して行わず、雅に身を委ねる人のようにただ優しく笑むのだった。春の笑む姿は宝冠弥勒像(*)の様であり、またそう呼び尊ぶ者さえいる程だった。

 その神々しい姿は、春の謀り事であった。春は人の慾と愛憎を間近に見、それをある時は推し、またある時は引き、心を揺らし手玉に取りながら財布の紐を緩める手練手管(てれんてくだ)を、春は既にその掌中に収めているのである。春はその振舞いを処世術としてしか見ておらず、お花の教えがあったにせよ、心の駆引きに潜む無情までは心に及ぶことはなかった。どんなに言葉を尽くし教授されることより経験から得られる知識に敵うものはない。そういう意味では、春には経験という重要な柱をまだ立てるに至らなかった。つまり、彼女の気品には、彼女全体を支えること出来る背骨がなく、少しでも身体を押されると砂上の楼閣のように呆気なく崩れる危険性を含んでいたのである。

 そんな春ではあったが、お花を見、お花と自分の違いを理解し、どんなに気位を真似てもそれは偽りであると知り、それを一時も忘れずに心に留めていた。それから獲た他人の言葉の中は、春への妬み、嫉みを遠のけることを無言の内に約束させるものだった。

 そして程なくして、お花は夕霧太夫の名を継いだ。


(*)清明…二十四節気の第五節気、旧暦で二月後半から三月前半

(*)溝渠…水路

(*)花見で一杯と札に咲く菊に盃を挙げる…花見酒を花札の役に例えている

(*)元旦を迎え歳を重ねる度…数え年の事、明治以前の年齢法

(*)不二の峰…富士の峰のこと

(*)公界…ここでは花街の世界のこと

(*)宝冠弥勒像…そのお姿が最も美しいと言われた弥勒像



 参 


 春は遊郭の位階を沁み一つない肢体で踏み入れる前から既に昇り出しており、見上げた春の小さな背中は目を凝らさずには見る事が出来なくなっていた。

 障りを覚えてから桜花が乱れるように咲き、風に舞いながら散っていく様を二度見た後、菖蒲(しょうぶ)の節句(*)に春の水揚げが決まった。春の相手は夕霧が選んだ檀那だった。歳は男盛りであるが、粗暴な処がなく、交わりは心深い。何より、六条院(*)と陰で呼ばれる程の桂男(*)であった。

 一方、春は姉様である夕霧が選んだ檀那に間違いはないと信じ切っており、特に何の心構えなどしておらず、仕来りに則って手順通りに事を進めれば好いと考えていた。

 檀那の相手をするのは遊女として縁を結んだもの法であり、逃げることできない路。何より遊女は、檀那との交わりは一時の夢を相手に見せる為の飛縁魔(ひのえんま)(*)であり、檀那の全てを吸い尽くす物の怪を身体の中に隠し持っている。また、そうでなければ、有象無象の色町で生きていくことは出来ない。知らぬは客となる男衆だけという喜劇が鉢の底に残るである。

 春が初めて客を取る日がきた。明け六つ刻、玄関口にある御稲荷様に朝餉を供えていた禿が表に出て空を見上げた。菖蒲の節句まで続いた皐月の淡い雨が上がり、久しぶりにお天道様が顔を見せた。まだ路は所々に雨が溜っているが、四つ刻には溜まりも干上がるだろう。空は蒼く雲はどこかに出かけていて見当たらない。

「好い天気」

 と言い残し、扇が描かれた暖簾を掛けた。まだ通りには人陰は落ちていない。宵越しの檀那衆は夜明けと共にここを引き上げている。この刻にいる檀那衆は余程の道楽者だけである。

 春は何時も通り眼を覚まし、いつもように身支度をしていると、夕霧が「入るよ」と言葉もなく春の許に来て、春を追い立てるように入浴をさせ、夕霧が懇意している檀那衆から手に入れた春の為の衣を用意させた。

 春は夕霧に身を任せながら、新しい襦袢を身体に這わせた。初めて新調した、まだ誰も袖を通していない新しい布地の感触はどこかよそよそしく、春に自分がいる世界とは違う異界から入り込んだような感覚を与えた。それだけでなく、生まれ育った世界とは違った世界が今まさに自分に触れているのだという不思議な優越感が彼女の心を掴み、揺さぶった。

 この瞬間、春は自分が緊張して始めていると悟った。何故か、日頃の心持ではおられぬ、と思えば思う程、春は笑いが込上げてくるのであった。その感情の流れは、極度の緊張がもたらしたのではなく、彼女自身の境遇が余りにも単純な出来事で支えられており、また、この世界で生きていくことへの一歩が余りにも簡単であり、まるで暦が粛々と過ぎていく感覚が彼女の心に生まれ、それまでの身構えるような心持ちで接したきた人達との齟齬から生じたものであった。

 やがて春は笑いの感情が治まると、新調した襦袢が身体に馴染んでいることに気付いた。それと共に、緊張から解放されたのだった。

 玉匣(たまくしげ)(*)の前に座る夕霧が春の髪を梳く。その姿は憂き世から隔絶された美しい画のようだった。彼女の掌がそっと持った珍しい螺鈿(らでん)(*)で装飾された梳き櫛が、春の長く緑なす黒髪の間を音もなく零れ落ちる雨垂れのように単調に髪先へと落ちていく。櫛がひと梳きする度、春の髪は水を含んだように艶やかに変化していく様は、まるで夕霧の指に妖が憑いているようだった。多くの刻をかけて春の髪が島田に結いあがり、最后に吉丁(よしちょう)(*)の(かんざし)を、針に糸を通すような繊細さを以って二本差した。

「姉さん、おおきに(*)やす」

 春がそう詞にすると、夕霧は春の背を赤子をあやすように二度ほど軽く叩いた。

 八つ刻前頃から扇屋の前に男たちがぽつぽつと集まり出した。だが、暖簾を潜る気はなく、扇の暖簾を潜る檀那が誰かを見極めているようで、その様子は荒事を無責任に盛り上げている野次馬と相違なく、扇屋からしてみれば迷惑以外何ものでもなかった。

「お暇なこと」

 座敷持の遊女が外を窺いながら呟いた。女将さんがその呟きを聞き、

「人の気配がある事は有難い事よ」

 と御稲荷様に手を合わせた。人の心は移ろいやすい、それは誰の手にも負えるものではない。そんなものに抗う事は傲慢以外何ものでもない。ただ黙って全てを受け入れ、人知を超えた神に感謝する。それが人に出来る事と彼女の価値であった。女将さんが熱心に祈る狐神は扇屋が新町に移った時に豊津稲荷を祀ったもので、狐神は本来豊穣神として祀られていたが、信仰の裾の広がり流行神として讃えられるようになり、今は扇屋の繁盛を翳で支えている。

 野次馬が群がる扇屋の暖簾の前に一人の男が現れた。周りの視線など気にもならないと言った風に粋な立振る舞いでひょいと暖簾を潜った。それを見ていた老いた御しがたい馬(*)どもは、野次を飛ばし冷かしの声を男の背に浴びせた。すぐに男の背が屋の中に隠れると、馬どもは何とも情けない声を上げた後、悔し紛れの怨嗟の言葉を吐き捨てた。それから馬どもは搔き集めた落ち葉が風に散り散りになるように三々五々その場を離れはじめた。後に残るのは落ち葉の翳に潜んでいた蟲のように蠢く、羨望と妬みと悪意の入り混じった噂話だった。

 扇屋に入った優男を呼出しがまず出迎えた。

「御越しやす」

「女将さん居はりまっか?」

「へえ、直ぐにおかあさん(*)を呼んできます」

 呼出しが奥に行って直に女将さんが優男の前に現れた。

「北の若(*)はん、御越しやす。夕霧が待ってるさかい、行ってやっておくれやす」

 豪商、喜多川家の若は仄暗い廊下を歩く度、初めて遊郭の客として通された時の事を思い出す。場馴れしておらず、今考えると見っともない位落ち着きがなかった。事前に教えてもらった遊女の駆引きもすっかり忘れていた程だった。それが今は我が家のように身を振舞っている。何も知らない無知な若造からひと皮剥け、一端の檀那衆の一人として認められるまでとなったと自負するのである。彼はそう思うと、姿勢やちょっとした仕草に仄かな色香を持ちはじめ、それらを感じ取る女子を惹きつけるのである。

 いつもの夕霧の間の襖をそっと開けると、夕霧が煙草盆に置いてある竹の灰吹きの淵に煙管(きせる)を軽く叩いて灰を落としていた。直に襖の開く微かな音に顔を上げた。

「あら、御越しやす。若」

 北の若は大きく頷いただけで、言葉を返さなかった。そのまま夕霧の横にそこが自分の指定席のように腰を下ろし、夕霧の横顔を眺めた。彼は何度見ても彼女の横顔を美しいと思い、その頬に思わず触れようと手を伸ばした。だが、夕霧はその手を軽く叩き、

「相手、違いませ」

 若檀那は叩かれた手を反対の掌で包み込みながら、

「不義理をした。すまぬ」

 と言葉を夕霧に返した。

 一方、夕霧は彼の言葉を聞いているのか、いないのか判らぬ風であり、煙草盆の炭火に煙管の雁首(*)を近づけて詰めたばかりの煙草に火をつけた。それから大きく息を吸い、たっぷり胸に煙草の香りを溜めた後、息を吐き紫煙をくゆらせた。

 夕霧の仕草を彼はじっと見つめていた。夕霧はその視線を感じているのは間違いないが、彼の方には振り向く気配はない。煙草の灰を優雅に落とす。

「うちのかいらしい妹、あんじょう可愛がっておくれやす」

 若は夕霧の言葉に黙って頷いた。それを夕霧は一瞬横目で確認して、また無関心を装った。

「なら、早よう、行ってくれなはれ。奥の間やす」

 今度は若は夕霧の言葉に何も応えることなく、すくっと立ち上がり、そのまま何も言葉を残さず、静かに襖を閉め夕霧の間を出て行った。


(*)菖蒲の節句…端午の節句のこと

(*)六条院…ここでは、光源氏を指す

(*)桂男…色男

(*)飛縁魔…火の閻魔とも云う、女妖怪

(*)玉匣…化粧箱

(*)おおきに…”ありがとう”や”どうも”の意味で使われる

(*)老いた御しがたい馬…野次馬

(*)おかあさん…女将さんのこと

(*)北の若…豪商、喜多川家の若の綽名

(*)螺鈿…貝殻の内側にある輝く部分を模様として表現する技法

(*)吉丁…耳かきにも使えるような細長いかんざし

(*)雁首…煙管の火皿の付け根から本体部分と接合する部分まで



 肆


「若紫」(*)

 北の若は部屋にいる人に聞こえる程度の小さな声で呼び掛けた。

「お入りやす」

 部屋の中から響いた言葉に促されて、北の若はそっと襖を開けた。その奥にいる、まだ幼さが残る座り方をしている春を見て、つい言葉を失った。夕霧の美しさは、その美貌の中に仄かに漂う甘香(あまか)が鼻腔をくすぐり、指先まで洗練された流れるような動作は男子の狩猟本能に働きかけ、その視線を掴んで放すことがない。それとは全く対象的に、若紫は自分の武器の使い方やその威力を知り尽くいない。だが、そこにいるだけで自分の存在のありかを示していた。

 若は若紫の傍までくると、身体を寄せるように彼女の横に座った。そして若紫の横顔を眺めた。「太夫の名取と言われれるのも、当然だな」若はそう思いながら春の肩をそっと抱きしめてた。

 一瞬、春の身体が強張ったのを若は見逃さなかった。無理に春の身体を引き寄せることはせず、春が落ち着くのを持ってから、その身体を開かせようと決めた。

 二人は特に会話もなかったが、男子である若が盛りのついた猿のように春を乱暴に扱わなかった事で、例え肝が据わった春であっても、ほっと安堵を付いた事に変りない。心地良い沈黙は、二人の気持ちを互いに絡め合いながら螺旋状に上昇する鳶のように、美しい調和を為した。ゆっくりと一枚、一枚その花弁を剥される春は、可憐な翅を隠した蝶が蛹から羽化する瞬間の荘厳な生命の営みを北の若に感じさせたのだ。若は思わず春の肌を直接手に触れる事を躊躇させた。

 春は男の手付きが変わった事を感じ、少しだけ口許に笑みを浮かべた。その笑みは女が男を生け捕る本能そのものだった。彼は彼女の手に堕ちた。彼女の胎内はどこまで深く、肉は柔らかく水分を含み、彼を包み込み抱き締める。母親の胎内にいた自覚出来ない記憶に刻み込まれた彼自身の生まれた場所への根源的な憧憬、それは即ち、生への生物が持ちうる本能の源でもあった。彼は溺れた。溺れ、今自分がどこにるのかさえ判断できないほどだった。

 彼は心地よい疲労と共に眠りついた。つい先程の逢瀬がまるで妖術で魅せられていたのか、現実にあったのか、それとも夢だったのか、彼は目覚めた時、全く理解できなかった。隣にいたと思っていた若紫は床を後にしている。遊郭特有の陽の差さない部屋は刻を知るものがない。

 衣擦れの音に聞き耳を立てていのか、座敷待ちの禿がすっと襖を開け、額を床に擦り付けながら、

「おにいさん、おはようやす」

「ああ、おはよう」

「すぐに朝の準備をしやすさかい、ちょっとばかりお待ちやす」

 北の若は黙って頷いた。それを見た小娘は、

「へい」

 と音もなく襖を閉めた。

 若は部屋の片隅に置いてある煙草盆を引き寄せた。雁首に煙草を詰め、炭火で火を点けた。大きく息を吸い、煙草の苦く、少しだけ甘い香を愉しだ後、息を吐いた。薄暗い部屋の中に紫煙が漂う。彼は煙草が燃え尽きると軽く煙管を叩き灰を皿に落とした。それから一服することなく、ごろんと若紫の残り香がある布団に寝ころび天井を眺めた。やや煤に汚れた天井板に浮かび上がる木目は、見方を少し変えるだけで、人の顔になり、蟲の形になり、異形の生物にもなる。そんな変化(へんげ)(*)な(まなこ)に、自身の営みをじっと見降ろされていたかと思うと、彼はどこか愉快になった。異形の視線の中に、間違いなく羨望の眼差しが含まれている。若はそう感じられずにはいられなかった。その時、襖の外から声が掛かった。


(*)若紫…春の源氏名

(*)変化…妖怪、化け物



 伍


 夕霧太夫の部屋に春はいた。自分では上手く男を転がしたと思ってはいるものの、それが本当に結果通りであるのかは、誰にも言いたくはないが、春は自信がなかった。

「大丈夫よ」

 夕霧はそれだけ言葉にしてそっと春の手を握った。春は掌の感触を覚えると太夫のほうへ少しだけ視線を向けた。いつもの優しい顔をあった。

 春は自分が未通女であった時に持っていた無色透明の何かが砕け、また新しい世界、姉さん(*)の傍に肩を並べる事への憧憬を(まさ)に叶えようとしている、と様々な思いが胸に沸き上がり、その思いを受け止められなかった分が泪となって零れた。

「あら、あら」

 夕霧はあかぎれに無縁な、しなやかに小指で、春の溢れ出る泪を拭った。

「おおきに」

 春は屈託のない笑顔で応えた。手入らずの刻(*)の終わりを迎えても尚も、その乙女のような透明な色は全く失せていなかった。彼女の天性とも言える処女性は、白粉で覆い隠した女の性を自覚する者にとって、眩しいく妬ましいものであった。同時に、失った無垢を見せつけられているようで、無性に苛立ちを覚えるものだった。

 夕霧もそれらの感情を自覚はしたが、赤子から知る春への思いが勝った。その感情は母親が自分の子を愛しむと等しいものだった。それ故に、夕霧には春に対しての負の感情を抑える事が出来たであった。

「若はもうあんたの得意よ、しっかりなさい」

「はい」

 それから春は黙ってじっと夕霧の顔を見つめた。最近、噂になっている夕霧の身請けの話が気になっていた。夕霧は何も話さないので、根も葉もないことだ思っていたが、このところ夕霧の素振りが何となくいつも違うこと感じるのだ。髪を結うの手付き、煙管を嗜む時の灰の落とし方、扇子の持ち方、等々(とうとう)

「姉さん、身請けするって、ほんまどす」

 春は夕霧といる時の気安さと安心感から、特に考えもなしに思った事が躊躇いもなく言葉になって現れた。

 夕霧は何も言わず少し頬を緩めながら笑みを浮かべ、口許だけで応えた。

「そうどすか……」

 つい本音を含んだ溜息混じりの言葉が漏れる。春は「しまった」と口を噤んだが遅かった。遊女にとって檀那に身請けされる事は、この鳥籠の中から出て自由に空を翔ける事であり、遊女たちにとっては現実の幸福以外何ものでもない。共に悦ぶものであり、決して悲しむものではなく、新たな世界への一歩である。そう頭では理解出来ても感情は正直なもので、悲しい気持ちは抑えきれない。

「春、あんたなら大丈夫よ」

 優しく言葉を掛けられると、自分の意思に関係なくまた泪が零れてきた。

「あら」

 夕霧は春の背に掌を当て優しく、赤子をあやすようにさすった。

「親は無くとも子は育つ、好く云ったもんね」

 それが何を意味するかは春には好く理解できなかったが、ただ離別を予感されるものだった。


(*)姉さん…夕霧太夫のこと

(*)手入らずの刻…処女の時



 陸


 春の水揚げがあってから一ト月が経った。そして夕霧の身請けすることが正式に決まった。檀那は瓦屋の宗右衛門と言い、気風の好い御用瓦師の(かしら)だった。噂好きの人たちを納得させる艶聞(えんぶん)となり、悪評もなくすんなりと事が進んでいった。夕霧が抱えていた檀那衆はその多くが春が引き継ぐこととなった。檀那衆は夕霧のお目に適った男連中である。気風も好く、小粋で恋の駆引きも余裕があり、何より金銭に困ることがない、そんな連中である。

 春はそんな強者(つわもの)にも臆することなく、持ち前の度量で堂々と渡り合ったのである。容姿の良さだけでなく器量がないと太夫の名取には相応しくないと考えていた檀那衆もこれには頭を下げるしかなかった。春には先天の器量もあったのだろうが、夕霧に仕え、最高位の遊女としての神髄に触れた事も大きかった。特に春は情事を重ねる度に、懐を深くしていくのであった。

 或る日、菊屋の大檀那、名を市重郎と言い、銭勘定が頭から離れる事がなく旋毛(つむじ)がかなり曲がった(*)御仁が春の許に来た。金払いは悪くはないのだが、払った金以上のものを求める上客とは言えない粋な計らいが出来ない野暮ったい御仁であった。

 春の許に通えるのは遊郭における仕来りを護ることを当然の事ながら求められる。だが「粋」と言われる格のある上級な色気までは春は求めなかったのである。お高く振舞う遊女より庶民的であり、そこが大坂の気質に合っていた。

 市重郎はそんな春をあれこれと自分の思い通りに動かそうした。しかし、檀那衆として野暮な態度を取る市重郎に嫌気が差した春は遂に堪忍袋の緒が切れた。肩に置かれた手を叩き、

「市重郎はん、うちは男衆に粋を求めまへんが、野暮な男衆を床に置くのは我慢なりまへん。お帰りやす」

 と市重郎の代を春は自腹を切って突っ返したのである。この出来事は、夜明け前には新町だけでなく堀を越えその周辺の横町まで伝わっていた。

 野暮な男衆として名を落とした市重郎とは反対に、庶民的な遊女として夕霧の筋を引く春であっても、そこは守るべき品があるのだと、多くの男衆を感服させたのだった。簡単に云えば女を上げたのである。

 このように檀那衆とのやり取りでは一歩も引かない春であっても、世間の波に触れるのは稀なことであった。春がこの花街から出ることは正月(*)くらいで、それ以外で生まれてこの方街を出た事がない。適切な言葉選びではないのを承知で言えば、春はこの遊郭で純粋培養された女子であると言っても差し付けないない。檀那衆との疑似的な恋愛の駆引きは卒なくこなす事は出来ても、その会話の中に春は愛情を持ってはいない。云わば、職業としての疑似恋愛の経験があるだけで、未だ真の恋愛と云うものをした事がないのである。つまり初恋すらした事ないと云う事である。遣りての粋な檀那衆相手に一歩も引かず、檀那衆を手玉に取っている遊女が実はまだ恋すら知らない未通女と本質は変わりないという事実は、すっかり見過ごされていた。春は謂わば心に鎧を纏い、本当の意味で男子に心を許したことなどなかったのである。その部分だけを取り出せば、春はまだ初心な子供であった。心の成長の不均衡は、因果として決して良き導きを生まない。華やかな春の遊女としての生き方は、その危うささえ覆い隠してしまい、彼女自身さえ、低きに流れる人の運命の雫に気付くことが出来なかった。


(*)旋毛がかなり曲がった…ここでは、偏屈者

(*)正月…元旦のこと



 漆


 遊女たちの間で最も忌避するのは、檀那を横取りすることである。この行為は遊女として命取りであり、例え太夫の名を継いでいたとしても許される事は決してない。もしその禁忌を犯してまで添遂げるのならば、此岸しがん(*)ではなく、彼岸(*)での再会を契りとして交わすこととなる。簡単に云えば心中。遊郭で生きる女子衆にとって、横恋慕は命を懸けて手に入れるものであった。

 また、遊女と惚れ合っても添い遂げる事が出来ない場合、例えば、意図しない身請けをする場合など、現世でなく来世で結ばれる事を願って、心中することをある。

 そんな折、大和屋の市之丞が身請けすることになり、彼女のおゆかりさん(*)であり色(*)でもあった呉服屋御所の長右衛門が彼女を失うくらいならと、西大門の瓢箪の前で心中したのである(*)。二人は喉を刀で欠き切っているがその手は手拭で固く締められていた。

 現在の生死感では理解され難い倫理観が、この西洋、東洋問わずこの時代には存在した。人の死が娯楽であったのだ。情死は人の色恋沙汰を無責任に煽り立て、人々の歓心を得る為に実話より劇的に脚色され、噂に聞き耳を立てる連中の好奇心を大いに満たすのであった。人は真実など実は求めてなどおらず、自分の都合の良い事実だけを欲し、その事実でさえ飽きが来たら簡単に捨てるのである。人の噂も七十五日と謂う諺があるが、実に的を得た言葉である。

 春の耳にも、この心中話が届いた。彼女は心中した彼らの心持ちが今ひとつ好く解らなかった。噂話に目を輝かせて聞き入る禿たちを見る春の瞳には彼女たちがどこか遠くに居るように感じた。疎外感にも似たこの感情は春が人を愛することへの憧憬がなかった事が影響している。この点に於いて、春は禿より幼いと言って過言はないだろう。

 春は禿時代から扇屋に幾ら借りがあるのかを全く把握していなかった。生まれた時から遊郭を出ず、親の顔も知らず育ち、親代わりの夕霧は最高位の遊女である。そんな環境から春は遊郭の外の世界が実感できなかった。つまり春にとって遊郭が世界の全てであり、遊女として生きる事が人生そのものとなったである。その世界内に留まっている限り、幸福感を比較する対象が少なく、相対的に幸福と成り得る。そこに不幸という文字は存在しない。しかし外の世界を知った時、他人と比べる事を覚えることによって不幸が起こるのである。

 いま春は不幸ではなかった。


「姉さん、おゆかりさんがおいでやす」

 禿がそっと春に伝えた。この禿は、おまつと言い、近江の国から口減らしで売られたきた娘だった。生真面目な性分な上に、瞬く間に最高位までに上り詰めた春を崇拝の対象として見ている節があり、またそんなおまつを春は可愛がったのである。付け加えるなら、おまつは春を崇拝にも似た感情を持っているが、同時に畏怖の対象でもあったのである。

 春のこの行動には、夕霧との関係が横たわっていた。春は夕霧に憧れと信頼、そして愛情を持っていた。いま春はまだ夕霧の地位を築けてはいないものの、春とおまつは過去の夕霧と春に類した関係を持っている。そして春は夕霧と同じ立ち位置を得たのだった。そこから生じる感情の行方は、夕霧との同化、つまり夕霧の真似事をしたいと言える状態になる。それは一種のママゴトであり、幼い女の子が母親となってその振舞いを真似るのと同じ事である。そのような感情の発露であっても、相手を思う気持ちに偽りはない。

 おまつはそんな春の感情をしっかり受け止めており、そして十二分に応えていたのだった。

「通してやす」

「へぇ」

 座敷に通されたのは、北の若であり、春の水揚げの相手だった。

「若はん、お久しゅうで」

「若紫、寂しい思いをさせた」

「そうどす。うちのことを忘れたと思いんした」

 北の若は苦笑しながら、

「そないな事はあらへん」

 春の手に触れようとしたが、あっさりその手を春に避けられた。

「口では何とでも言えんす」

 野暮な男衆であれば、次々と言い訳を口にするのだが、女子衆から見れば何とも格好悪く見っとも無い。北の若はそれを心得るだけの器があり、仕草に映せるだけの甲斐性もあった。ただ黙って手を広げ、春の掌を持ったのである。

 春は北の若の掌を軽く叩き、それからゆっくりと愛しむようにその掌を握った。

 大坂遊郭の遊女の恋の駆引きに馴染み客と軽い不和を見せるというテクニックがある。特に馴染み客とはマンネリズムを起こし易く、それは夢を見せる遊女にとって避けるべき事柄だった。故意に他の男衆に気がある言動をとり嫉妬心を煽ったり、また(くど)くらい拗ねてみせ男衆をイラつかせるのである。そして、ここが難しい所である。相手が自分を見限り手前で一転、両手を広げるような愛情表現を示すのである。すると単純な男心は女衆の手に堕ち、愛情を確かめ合うのである。簡単に云えば、雨降って地固まるという諺があるが、それを実践するのである。マンネリズム解消には持ってこいの技術である。

 春はその手管は十分に使えるだけの技量はあったが、北の若には不要だと見切っていた。つまり、そんな見え透いた手練手管より、ほんの少しだけのお遊びを嗜む程度で十分こちらの真意は伝わるのだと。

 後は言葉は不要となる。

 営みが粋と言われる条件として、一番に淡泊であること挙げられる。男性からの一方的な身勝手な視点では、淡泊な行為より深く交わり感じる方が良いとなるが、それは完全な間違いであり、はっきり言えば遊女から最も嫌がられる行為であった。遊女は数日、床を取り一日完全に休養する。性行為は深く交わり感じ合えば濃密な結びを得る事が出来る。その一方で体力の消耗は半端ではない。そのような行為を続けては身体が幾つあっても足りなくなる。云わば、女性を労わるだけの心の広さがある男が遊女たちに好かれるのは火を見るよりも明らかである。このような男性が持てるのは何も遊女の世界だけの話ではない。立場が違えどもその精神に基づくものはある。例えば、騎士道精神から派生したレディファースト。女性の立場を尊重し実践することである。中世欧州に見られる寓話の中で、その様な精神を持つ若き騎士うら若き美しい女性を魅了している。どの時代、どの世界に於いても人の精神構造は差異はない。持てる男性の条件は基本同じなのである。私心なく相手を思いやる気持ちがあること。裏表のない優しさは、それだけで女性を惹きつける武器となる。

 春と若は布団に横たわり浅い眠りと覚醒を繰り返していた。この時代に於いて布団に横たわり眠りを貪ることは最高の贅沢のひとつであった。木綿わたをつめた布団はまだまだ高級品であり庶民には手が届かないものだった。さらに云えば、農村においては(むしろ)を引いて寝ることが一般的だったのある。それを鑑みればどれだけ贅沢な行為であると十分に理解できるだろう。

 それだけなく布団を敷いて二人で横たわるという事は、例えば布団を汚すことがあればその責任は遊女が取る事になり、即ち布団代を弁償しなければならなくなる。それは男衆に対して目に見える形での信頼であり、受ける男衆にとっては自尊心を大いに満足させ、遊女への一種の束縛的な依存、疑似的な愛情と女性に支払うべき愛情を複雑に混ぜ合わせた感情を沸き立たせる事になるのだった。

 若は柔らかく瞼を閉じ眠る春の顔を眺めていた。男衆を手玉に取るその気風の良さは影を潜め、年相応の女子がいたのだ。軽く握られた指はまだ読み書きさえ知らぬ寺子のようだった。彼は面にいる春と今ここで無防備に眠る春の平衡がまるで取れておらず、傾いてそのまま地面に落ちて二度と戻ることのない弥次郎兵衛のように感じられたのだった。何か楽しい夢でも見ているのだろうか、春の口許に小さく笑みが宿った時、若はやがて春が劫火焼かれてしまう事を何故か理由もなく確信した。


(*)此岸…現世

(*)彼岸…あの世

(*)おゆかりさん…馴染みの檀那

(*)色…ここでは恋人

(*)大和屋の市之丞が身請け~…実話をモデルにしています



 捌


 いま身請けをした夕霧の名は継ぐ者がおらず、云わば空き家状態だった。当然に夕霧の名を継ぐにはそれ相応の格が求められる。遊郭の遊女は真名は遊郭の関係者以外知る事はない。源氏名である若紫の名は新町遊郭で知らぬ者はおらず、また知らぬ者は、いかさまもの(*)と罵られ石を投げられたのだった。一方で扇屋の春と問うても(*)、遊郭の客人には通らぬが常識であった。そして遊女の真名を知るという事は、それだけ客人としてのステータスが高いという事を意味する。しかし、春は檀那衆には遊女として接することはあっても、決して一人の女として会う事は決してなかった。またそれが檀那衆には魅力として映った事は云うまでもない。

 そんな春に夕霧の名を継ぐ話が何度か持ち上がった。檀那衆から物を申すようなことはなく、「みよしの」の札(*)は決して裏返ることはなかったのである。

 しかし春は決して首を縦に振る事はなかった。

「姉さんの名を継ぐなんぞ、おこがましくて出来まへん」 

 と詞を繰り返したのだ。春本人がここまで頑なに拒むので檀那衆も無理は言えず、(いま)に至る。

 禿であるおまつが春の打掛(しかけ)(*)を綺麗に畳んでいた。手がやるべき事を覚えているようで、一切流れる清流のように澱みがない。それでも彼女は自分の仕事の結果を念入りに確認していた。もし折り目のずれや引掻き傷でも作ろうものなら厳しい処罰が待っているのである。太夫の打掛を弁償されらでもしたら、目も当てられない。そんな状況であるにも関わらず、おまつの手が止まった。

「おなか、すいた」

 とポツンと言葉を落とした。その言葉はおまつの膝に当った後、勢いよく畳を転がり、春の足許で止まった。

「おまつ、おかあさんやお館さんに文句でもあるんかい?」

「あっ、姉さん、いえ、そういう訳では……」

「まあ、ええわ。おまつ、黙っとくさかい、恩返しすんやで」

 と後は何事もなかったように下に降りて行った。(**)

「へぇ」

 おまつは当然、春の言った「恩返しすんやで」の意味を知っている。春の性格から無理難題を吹っ掛けることはないと思っているものの、そこは遊女である。さらに云えば、遊女の最高位である太夫の名を継いでもおかしくない器量と持ち、奥深い懐と情を持った姉御のような女子(ひと)であると同時に男衆の心をたぶらかし弄ぶ狐でもある。

 おまつは絶対に春には逆らうまいと改めて誓った。それだけなく、その颯爽するその姿はおまつの瞳を捉えて離さなかった。

「姉さんは、ずるいお女子(ひと)や」

 と不平を零すが、おまつの頬は薄く赤みを差していた。

 綺麗に畳んだ打掛を広げた衣包み(*)の上にそっと置き、その出来に満足したおまつは行燈の脂が少なくなっているのを認めると、木戸番(*)までひとっ走りで行き、春のツケで油を買った(*)。

 それを後生大切にしながら持ち帰り行燈に注いだ。濃密な菜の花の匂いが鼻を刺激する。意外にもその匂いをおまつは嫌いでなかった。不思議と気持ちが落ち着くのだ。その心への作用は、おまつがまだ髪置き(*)の(とし)の頃に売られる前に居た故郷の微かな記憶を無自覚に呼び起こしているのかも知れない。

 すっと襖が開き、春が入ってきて、すぐに花の香で行燈に脂が足された事に気付いた。

「おまつ、行燈、おおきに。使い銀、そこの化粧箱の一番下の引き出しに十文銭あるさかい、好きなもんでも食べな」

 おまつはぱっと顔を輝かせ、

「姉さん、おおきにやす」

 と言って何度も頭を下げながら両手で十文銭を握りしめた。何だかんだ言った所で、春もおまつに厳しい口を叩く割には、甘いのである。


(*)いかさまもの…ここでは上方の振りをした田舎者

(*)扇屋の春と問うても…ここでは、春は成人しても幼名から名を変更していないが、変更するのを一般的な事として扱っている

(*)「みよしの」の札…奈良県吉野郡:古来桜の名所であり、美しく咲く桜として春は相応しいと認めている

(*)打掛…うちかけ、とも云う

(**)基本、遊女は用がない限り自分の持ち場を滅多に離れない

(*)衣包み…風呂敷似た、衣類を包むのに使用するに布

(*)木戸番…木戸に設けられた番屋だが日用雑貨も売っていた

(*)春のツケで油を買った…遊郭内では、どこの誰だとしっかりと顔が知られているのでお使いの子供でもツケが効く。また使いの責任はその親許(雇用者)が全て負う。まさに親代わりである。

(*)髪置き…幼児が頭髪を初めて伸ばす儀式、満三歳。

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― 新着の感想 ―
[一言]  市之丞さんのお話、実話だったんですね。  哀しくてとても劇的なお話でした。  男と女の駆け引きや遊郭の上下関係、とても勉強になりました。    昔、名取裕子主演の「吉原炎上」とか言う映画を…
[良い点]  伍まで読ませて戴きました。  寸分の隙もない緻密な表現にすっかり酔わせて戴いてます。  随分遊郭の事について調べられたのでしょうね。  世界観に吸い込まれて、まるでその場に居るような気さ…
[一言]  執筆、投稿ご苦労様です❗❗(人´▽`*)♪  新作は遊郭のお話なんですね。  まだ参までしか読ませて戴いてませんが、やはり文章が流麗で素晴らしくて、世界観を的確に表現していて、惚れ惚れしな…
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