夢見心地
ガクッ!
ロンドは魔法を放った疲労から思わず地面に倒れかけ、すんでのところでなんとか踏み留まる。
鼻から出た血を拭うと一度唇を強く食いしばり、ゆっくりと時間をかけて息を整える。
「はあっ、はあっ、やった……のか?」
彼の目の前には、自分が放った技で屋敷にできた特大の穴があった。
二階の床をぶち抜き、一階が丸見えになってしまっている。
ポイズンドラゴンが残した破壊の跡はあまりに大きく、街の中で夜中にポツポツと点っている灯火が見えるほど。
吹き付ける風を浴びながら外を眺めていると、自分がしでかしたことに今更ながらに冷や汗が流れてくる。
「もしかしなくても……やり過ぎだよな、これ」
ポイズンドラゴンが飛んでいった夜空を見てみるが、当然ながらそこに龍の姿はない。
アルブレヒトがどうなったのか、この暗闇では探るのも難しいだろう。
ただ以前はなすすべなくやられるしかなかった彼を、倒すことはできたのは間違いない。
ロンドはぐっと握りこぶしを握り、満天の星を仰いだ。
「ロンドさんッ!」
くるりと後ろを振り返ると、ビキッと首のあたりの筋が痛む。
どうやらポイズンアクセラレーションの使い過ぎで、身体も大分ガタが来ているらしい。
ようやくといった感じで胸ポケットに入れている回復の魔法石を使うと、ようやっと人心地つくことができた。
ロンドは近づいてきたキュッテを軽く抱きしめて、生き残れた喜びを分かち合う。
アマンダは……と思い見てみれば、彼女はキュッテの少し後ろで唇を噛み締めながら俯いていた。
命に別状はなさそうだが、あまりに早い戦線離脱に自分が許せなくなっているのだろう。
「ロンドさん、私達は大丈夫です。ですから……行ってあげてください」
「……ああ、わかった」
ロンドはゆっくりと、前へと踏み出す。
さっきまでは気力体力共に限界だったが、体力さえ回復すれば身体くらいは動かせる。
回復効果によって身体の節々が熱を持っていて、普段であれば動けないくらいにダルいはずなのだが、不思議と一歩を踏み出す度に足を前に出す間隔は短くなっていく。
暗記した地図に従って、廊下を進んでいく。
渡り廊下を右に曲がって、二つ目の通路を右折した先の突き当たりの部屋。
そこにロンドが何よりも求めているものが、ある。
ドアの前までやってくると、一度ゆっくりと深呼吸をする。
見下ろしてみれば、ラースドラゴンの鎧に着直した外套と、最後に出会った時とは装いもずいぶん変わってしまっている。
髪にはべったりと血がついていて、鎧全体が至近で毒を浴びすぎたせいで紫色に変色してしまっていた。
彼女の前に立つには少しばかりおどろおどろしすぎる気もするが、こればかりは彼女を取り戻すために頑張った結果だと納得してもらうしかない。
入っていたハンカチで最低限のみだしなみを整えてから、ロンドはドアノブを握り、ゆっくりと開く。
するとそこには……天蓋付きのベッドで眠っている、マリーの姿があった。
先ほどの戦いの余波のせいだろう、部屋の中にある窓は割れてガラスが飛び散っていた。
室内には冷たい夜風が吹きつけ、天蓋は風にはためいて揺れている。
ロンドは自分の足取りを確かめるかのように、一歩ずつ彼女の下へと歩いていく。
「マリー様……」
そこにはロンドが恋い焦がれていたマリーの姿があった。
ランディが言っていた通り、最後にロンドが見た時と比べるとずいぶんとやつれている。
けれど彼女は間違いなく、マリー・フォン・アナスタジアその人だった。
ベッドの下へと辿り着いた彼は、天蓋をゆっくりとめくる。
するとそこには、眠り姫となっているマリーの姿がある。
パジャマ姿で眠っている姿を見ると、妙なデジャビュを感じた。
(……ああそうか、初めて出会った時と似てるんだ)
既視感があると思ったら、今の状況がロンドとマリーが初めて出会ったあの時と状況が似ているのだ。
初めて見たあの時も、ロンドはマリーのことを美しいと思った。
そして今でもその気持ちは変わらない。いや、むしろ、あの時よりもずっと……。
(って、いかんいかん!)
頭を振りながら、ロンドはマリーの状態を確認する。
マリー
鷲型紋章(風魔法)
健康状態 気絶
HP 101/122
こうしてマリーの状態を見るのは久しぶりだが、以前と比べるとずいぶんとたくましくなっている。
多分というか間違いなく、自分と共にエルフの里から帰ってきたあの激動の日々のおかげだろう。
特に毒を呷っていたりしているわけではないが、状態に気絶とある。
おそらくだが戦いの邪魔をされぬよう、アルブレヒトが事前に手刀でも放ったのだろう。
目を閉じている、衰弱しているマリーの姿が、以前毒に倒れていた頃の彼女に重なる。
思い起こされるのは、かつての記憶。
もう遠い前のように思えるが、まだ一年も経っていない昔の記憶だ。
ロンドがなんとかエドゥアール辺境伯領から抜け出したばかりの頃、彼はエドゥアール家の人間に殺されるのではないかと日々戦々恐々としながら暮らしていた。
毒草や毒キノコを摂取しても自分が目指す強さには至らず、あの頃の自分は随分と焦っていた。
寝ている間にフィリックスの手先がやってきて自分を殺すのではないか、と眠れぬ夜を過ごしたことも一度や二度ではなかった。
けれどロンドを取り巻く状況は、めまぐるしく動き、変わっていった。
その起点になったのは間違いなく、目の前にいる彼女だ。
「マリー様……」
最初は食客だった彼は、屋敷に戻ってからはマリーの護衛として過ごすことになった。
だが今のロンドはアナスタジア家を出奔しているただの流浪の冒険者。
今後の関係はどのように変わるのかはわからない。
「……いや、マリー……」
だがどんな関係になったとしても、自分はマリーと共に在ろう。
彼女と共に生き、彼女と共に死のう。
それはロンドが彼女を見た瞬間に抱いた、心からの覚悟であった。
ロンドはそっと、眠るマリーの髪に触れた。
むずがゆかったのか、その端正な顔にわずかに皺が寄る。
ロンドが頬に触れると、マリーはそのままゆっくりと目を開けた。
「……ふふ、また夢ですか」
どこかぼうっとした表情をしながら、ゆっくりとそう呟く彼女の目はぼうっとしていた。
瞳からはロンドが大好きだった、キラキラとした輝きが失われていた。
「安心してくれ。夢じゃなくて、現実だよ」
「幻覚だけじゃなくて、まさか幻聴まで聞こえるようになるとは……私はもう、ダメかもしれませんね」
「大丈夫ですよ、俺はここにいます」
ロンドは更に一歩前に出ると、布団の上に器用に重ねられているマリーの手に触れた。
マリーはゆっくりと顔を下げ、そのまま視線を落とす。
そして視線が重なり合った手のひらに向けてから、今度は顔を上げてもう一度ロンドの方を見る。
先ほどまでのピントの合っていなかった瞳に、光が戻っていく。
すると彼女の身体が、ぶるぶると震えだした。
「え、ロンド……?」
「はい、ロンドですよ」
「どうしてここに……?」
「そんなの、助けに来たからに決まってるじゃないですか」
「助けに、来た……」
ロンドに言われた言葉を、噛み締めるようにゆっくりと反芻するマリー。
先ほどまで病人のようだった彼女の瞳に、みるみるうちに力が戻っていく。
再び勢いよく顔を上げた時、そこにいるのはロンドが知っているいつものマリーだった。
「ロンドッ!」
正気を取り戻した彼女は痩せさらばえているのが嘘のような機敏な様子で勢いよく立ち上がると、飛び跳ねるようにベッドから起き上がった。
彼女は勢いそのままロンドの胸へと飛び込もうとし……そしてその前に自分の姿を見下ろして我に返った。
パジャマを身に纏い、明らかにやつれている自分の姿を見下ろした、ハッと我に返る。
そしてバッと手を前に出しながら、強く目を瞑って
「み……見ないでくださいっ!」
「そ、そう言われても……」
マリーとしては久しぶりの再会で変わり果ててしまった自分の姿を見られたくなくて咄嗟に出た言葉だったのだが、そもそもあまり人と関わってこなかったせいでそういった女性的な機微に疎いロンドはその真意を理解できずポリポリと頭を掻く。
そしてそんな朴念仁なロンドを見て、マリーは目の前にいる人間が本当にロンドなのだと確信することができた。
久しぶりの再会でも変わらぬ彼に、思わず笑みがこぼれてしまう。
「本当に、来てくれたんですね……」
「ええ、ちょっと侯爵家の屋敷を半壊させたりもしましたが、無事助けに来ることができました」
「そ、それはちょっとどころの話ではない気がしますし、結構ボロボロに見えるんですが……」
たしかに今のロンドの着ている鎧は、アルブレヒトの激戦の結果でボロボロになっている。
いくら龍と言えど、系統外魔法同士の戦いでは厳しかったらしい。
鎧としては使えそうにないので、改めて裏当てなりなんなりに直してもらうのがいいかもしれない。
「あ、そうです、あの人……アルブレヒトは今どこに!?」
「俺が倒して、天に昇っていきました」
「て、天に!?」
話を聞いてみると、どうやらマリーはロンド達の侵入を察知したアルブレヒトに昏倒させられていたらしい。
彼女を殺さずにいたのは、アルブレヒトの気まぐれだったのだろうか。
少し話を聞いてみたい気もしたが、彼とはもう二度と会いたくない。
「そうですか、あのアルブレヒトを……」
「ええ、俺、こう見えて結構頑張ったんですよ」
ロンドが手を差し出すと、ベッドに腰掛けていたマリーが今度はしっかりとその手を取る。 そしてロンドの手を握って少しだけ頬を染めながら、こくんと頷いた。
「……こうして触れただけで、わかります。私のために、頑張ってくれたんですね」
「ええ、約束しましたから」
二人は互いに視線を交わす。
マリーのことをじっと見ていると、ロンドの頬もなんだか少し赤くなってくる。
取り合った二人の手が絡み合う。
貝殻繋ぎをしているマリーの顔はどこかぽやぽやとしていて、その頬がこけていることも相まって、薄幸の美少女といった感がある。
庇護欲をそそられるその姿にロンドは手を握る力を強くし、そしてマリーもそれを拒むことなく二人の距離は近づいていく。
「ロンド……」
「マリー……」
ロンドが顔を下げ、マリーが顔を上げる。
そしてどちらからともなく近づいていき……
「マリー様ああああああああああああっ!!」
二つの影が一つに重なるその寸前に、突如として聞こえてくる叫び声と。
パッと二人が距離を取ると、勢いよくドアが開かれた。
やってきたのは、はぁはぁと息を吐いているアマンダだ。
どうやら無事、意識を取り戻したらしい。
「マリー様、ご無事ですか!?」
「え、ええ……アマンダもどうやら元気そうね」
「元気であってはならないのです! 今回の戦いでも、私はまたほとんどお役に立てませんでした。公爵家の騎士として、面目が立ちません……」
ぐっと歯を食いしばり泣き出しそうになったアマンダの方に、マリーはとてとてと歩いていく。
そしてマリーが彼女の頭を撫でてやると、アマンダは俯いてその表情を隠した。
突然の闖入者に、二人の間に広がっていた甘い空間が霧散して消えてしまう。
「あ、あはは……」
ロンドにできることは、苦笑することだけだった。
二人のやりとりを見ているといつの間にかキュッテもやってきて、もう完全にそういう空気感はなくなってしまった。
(ちょっと惜しい気もするけど……まあ、いいか。マリー様は助けることができたんなら、後のことは全部些細なことさ)
一線を越えずに済んだことを喜ぶべきか悲しむべきか。
独白で心の声が漏れ出しているロンドは、こうして無事マリーの救出に成功するのだった――。
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