意気地なし
アマンダと過ごしてからしばらく経っても、特に何か起こるわけでもなく。
アナスタジア公爵邸では、ゆっくりとした時間が流れていた。
警護の人間達の行動パターンもある程度決まってきたので、大分時間的なゆとりもできるようになった。
ロンドはマリーの私室に呼び出され、中へ入る。
外には護衛の騎士がいるが、中には誰一人として人がいなかった。
完全に二人きりの状態だ。
「なんだかこうしてお話をするのも、ずいぶんと久しぶりな気がしますね」
「屋敷の中だと人の目がありますので……」
「もう、前みたくもっと男らしい口調でもいいんですよ」
「壁に耳あり障子に目あり、とも言いますし」
「……意気地なし」
帰ってきてからかなりの時間が経過していたが二人の関係性がどうなったかと言われれば……何も変わっていない。
というか、むしろ後退しているかもしれない。
以前マリーへの襲撃を完全に防ぎきれなかったことを重く見た公爵が動いたため、マリーの周囲には常に護衛が控えている状態だ。
また、護衛の任には複数人で就くことも多いため、ロンド一人が担当になるようなことは滅多にない。
以前と比べて屋敷の中の生活が窮屈です。
そう言いながら、マリーは頬を膨らませる。
「もう少しの辛抱と公爵もおっしゃられてましたし」
「もう少しもう少しと言われてからどれだけの月日が経ったか! 私は一体どれだけ待てば自由に動き回れるようになるんでしょう!」
今のマリーは常に目を光らせる護衛が周囲にいるため、気が落ち着かないようだ。
直近の一ヶ月前後は外出まで厳しく制限されており、マリーは友達に会いに行くこともできない状態になっている。
恐らくそれだけ詰めに近付いているからだとは思うのだが、頭上で飛び交う貴族同士の争いに自由が奪われるというのはなかなかにしんどいものだ。
貴族社会で生きてきたマリーとはいえ、なかなか苦しいものがあるのだろう。
こうしてロンドを呼び出し、護衛をドアの外に下がらせたのも、溜まったストレス発散の一環だと思われる。
「もう、あの時の言葉は嘘だったんですか?」
「いえ、そんなことはありません」
まだキュッテを入れて三人で森を駆けていた時の言葉に嘘はない。
ロンドは何が何でも強くなり、マリーに相応しい男になるつもりだった。
その真っ直ぐに自分を見つめる視線に、マリーが頬を赤く染める。
そして二人は、そっと手を重ねた。
「ロンド……」
「マリー、様……」
感じる体温と感触。
なぜ女の子の手はこんなにやわらかいのだろうと、不思議な気分になってくる。
そのまま抱き寄せようと思ったが……ロンドはためらってしまった。
公爵から告げられた、ランディとの婚姻。
まだまだ二人の間には、障害が沢山ある。
「グリニッジ侯爵との騒ぎが早く収まるといいんですが」
「……そのことなのですが、ロンド」
「はい、なんでしょう」
「私はランディと婚約することになるかもしれません」
「そ、それは……」
公爵から告げられるのと、マリーから直々に告げられるのとは、まったく違った。
ロンドは思わず言葉に詰まり、縋るようにマリーを見つめる。
彼女はそんな捨て犬のようなロンドを見て、ふふっと笑う。
「もちろん、最終的には婚姻には進まないとは思うんですけどね。だけど、もしかすると向こうの屋敷に滞在することになるかもしれません。ロンド、もしそうなったら……私のことを、迎えに来てくれますか?」
問いに答えようとした時、ロンドは気付いてしまった。
マリーの声が、少し震えていることに。
当然だ、不安を抱えているのはロンドだけではない。
暗殺騒ぎを起こされているマリーの不安は、ロンドとは比較にならないだろう。
向こうの屋敷にマリーを逗留させることは、公爵が許さないとは思う。
けれど今必要なのはきっと、こういう理知的な話ではなくて。
マリーの不安を取り除けるような、なんの根拠もない……けれど安心させることができる言葉のはずだ。
「大丈夫。必ず……迎えに行きます」
「……あ、ありがとうございます」
手を重ねたまま、二人の顔は吐息を感じるほどに近く。
見上げるマリーの瞳は潤み、顔は赤く上気していた。
「さ、さあ、そうと決まれば裏庭にでも行きましょうか!」
「そそそそうですね!」
けれど二人とも、この場でそのまま答えを出してしまうには奥手が過ぎ。
結果として二人の仲は少しだけ進んだのだった――。




