新生活
「……ふぅ、ロンド、そろそろ休憩しませんか?」
「はい、構いません」
ロンドは汗を掻いているマリーへタオルと水筒を渡す。
そしてマリーは顔を拭い、ごくごくと中に入った水を飲み出した。
――ここは以前襲撃のあったアズサハの別荘である。
今現在、マリーは定期的にこの別荘へやってきていた。
その理由はもちろん、自らを鍛えるため。
公爵は渋っていたが、マリーは頑として譲らなかった。
『強くならなきゃ――いけないんです。だから……乗り越えるんです、かつての自分を』
どうやら二度の襲撃と迷いの森での暮らしを切り抜けたことで、マリーに心境の変化があったらしい。
かつて何もできなかった自分を変えるため、本来ならトラウマになりかねないこの場所へやってきては、熱心に身体作りや魔法の練習に勤しむ。
以前は何もできずに震えているだけだったことを思えば、とてつもない変化だろう。
ロンドにはその変化は、好ましく映っていた。
ロンドは今までのように、冒険者として魔物を倒しに行くことはなくなった。
以前は先々のことを考えて金策をする必要があったが、今はもうそんなことを考える必要がなくなったからだ。
そう、ロンドはこの度――食客の立場を止め、正式な護衛として、公爵家で抱えられることになった。ちなみに表向きは執事見習いということになっている。
ロンドが公爵家に正式に雇われるようになったことで、給料も出るようになった。
その金額は、流石公爵家と思わずロンドが思わず自分の目を疑ったほど。
立場上は執事見習いなのにこんなにもらっていいのかと、不安になる金額だった。
もちろんその中には危険手当てや実働手当てなども含まれている。
いざという時には自分の毒魔法を使ってマリーを守る。
ロンドは森に帰ってきてからは以前にも増して、彼女を守ろうという気持ちが強くなっていた。
(今のところ、グリニッジ侯爵家に動きはない……)
アナスタジア家であるグリニッジ侯爵家に、あの襲撃以後大きな動きはない。
それどころか不気味なまでの静けさを保っている。
公爵が出した抗議に対しても事実無根のでっち上げだと抗弁しており、両者の意見は平行線を辿っていた。
ロンドはマリーと共に魔法の特訓をしている。
もちろんマリーの護衛に支障が出ない範囲内に留めてはいるが、二人はここ最近一緒に魔法の訓練をすることが増えていた。
けれどそんなマリーの行動に、眉をしかめている者もいる。
「マリー様、ご自愛ください。まだ帰ってきてからさほど時間も経っていないのです。そう無理をなされては……」
休憩をして一息ついているロンド達に近寄ってくるのは、ロンドと同じくマリーの護衛をしているアマンダである。
彼女は公爵同様、マリーがわざわざ安全な屋敷を出て鍛錬をすることに反対する立場の人間だった。
以前の襲撃はどちらも、マリーが外出した際に起こっている。
またあの悲劇が起こりはしないかと、アマンダはここ最近少し過保護気味になっているのだ。
ただロンドには彼女が、やる気を出しすぎてどうにも空回りしているようにも見えていた。
「アマンダさん、少し過干渉が過ぎるんじゃないですか?」
「……どういう意味だ?」
イラッとした顔をしながら、ロンドをにらみつけるアマンダ。
その凄みに思わず気圧されかけながらも、ロンドは気を引き締める。
以前戦ったグレッグベアと比べれば、睨まれる程度のこと、なんということはない。
「マリー様が自発的に鍛錬をしようとされているのですから、邪魔するのではなく、彼女の意に沿うような形でその身を守ることこそ、護衛の使命ではないかと愚考致します」
「――何かあってからでは遅いのだぞ! あれだけのことをされたのだ! もはや向こうは手段を選んではいない!」
「ですからそのためにマリー様ご自身で……」
「その身守ることは我らの仕事だ! わざわざご自身でそんなことをされる必要は――」
「アマンダ、もう何度も言ったでしょ? お父様がいい顔をしていないのは知っているけれど……お願いよ」
「……」
アマンダは何も言わず、くるりと後ろを向く。
そして少し離れたところから、周囲の警戒をし始めた。
自分の本分をサボることなくできる、彼女なりの精一杯の抵抗のつもりらしい。
「――アマンダもお父様と私の板挟みになって苦しんでいるのよ。彼女には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだわ」
「はい、大丈夫です。彼女の一本気は、よくわかっていますから」
女騎士であるアマンダは元平民でありながら、その腕を公爵に買われて騎士へと取り立ててもらった生粋の武人だ。
彼女が忠誠を立てているのは公爵である。
そして武人としての彼女は護衛対象がわざわざ危険を冒すことを許しがたいと感じている。 けれどマリーとの付き合いもある程度長い彼女からすると、前を向いて歩こうとするマリーの気持ちは嬉しく思っている。
そんな複雑な気持ちを抱えているからこそ、彼女はブツブツと文句を言って度々マリーやロンドを諫めながらも、マリーを強引に連れ戻すようなことはせずに付き従っているのだ。
真っ直ぐ過ぎるが故にねじくれたその行動に、二人は思わず笑みをこぼす。
「ふぅ、それじゃあそろそろ帰り……」
「――っ!? ……なんだ、誰かと思えばヴェルディか」
こちらに駆け寄る影に身構えた三人の元にやって来たのは、公爵家が保有する騎士団の団員の一人だった。
「アマンダ様、至急お耳に入れたい情報が!」
そのただならぬ様子に、アマンダの表情がキリリと引き締まる。
そして耳打ちに頷く度に、その顔はどんどんと険しくなっていった。
一体何が……と怪訝な顔をしているロンドとマリーに、アマンダが告げる。
「マリー様、至急お屋敷へお戻り下さい――ランディ・フォン・グリニッジ様が、お会いにやって来たとのことです」
急報の内容は今回のマリー襲撃事件の犯人と見られているグリニッジ侯爵家の跡取りでもあり、同時にマリーの婚約者でもある、ランディの来訪であった――。




