まだ
「ろ、ロンド……」
マリーが顔を上げる。
すぐ側にあるロンドの顔は、吐息がかかるほどに近かった。
「私も……私もロンドが、好き、です……」
あとほんのわずかに顔を近付ければ、唇が重なる。
けれどそんなことにも気付けぬほど、二人共いっぱいいっぱいになっていた。
「マリー様……」
ロンドはカアッと身体が内側から熱くなるのがわかった。
顔が紅潮し、動悸は荒くなり、呼吸は浅くなる。
感じるのは気恥ずかしさ……だけではない。
好きな人と触れ合っているという喜び、そしてそれに伴う原始的な欲求が怒濤のように押し寄せてきた。
あと少しでも己の精神の箍が外れてしまえば、今すぐにでも押し倒してしまいそうだった。
自分の中の雄としての本能が猛っているのがわかる。
ロンドはマリーを掻き抱く力を一瞬強くした。
そして……そのまま断腸の思いで腕をほどく。そして軽くトンッとマリーのことを押した。
「あっ……」
少しだけ悲しそうなマリーの声を聞くと、自分の決心が鈍ってしまいそうになる。
そんな弱い自分に言い聞かせるため、ロンドは頭を振り、思い切り自分の頬を叩いた。
「マリー様、お慕いしております。そしてだからこそ……俺達は何もないまま、苦難を乗り越えた戦友として、旅を終わらせるべきです」
「……どうしてですかっ! 私とロンドは両想いで、それなら、それならっ――」
「俺とマリー様の未来を考えたことは、何度もありました」
ロンドとマリーの二人で共に歩き、紡いでいく未来。
そんな未来を何度となく夢想することはあった。
けれどその全てにおいて、ロンドは生涯に渡って笑い合う二人の姿を明確にイメージすることができなかった。
ロンドの存在を隠しきって、屋敷の中で人目につかぬようひっそりと暮らすことは不可能ではないかもしれない。それは慎ましくも幸せな一生なのかもしれない。
けれど果たして、それでマリーを幸せにしたと、胸を張って言えるのだろうか。
裏切られたショックを乗り越え、己の足で一人で立てるようになった彼女を、小さな世界の中に閉じ込めてしまうことを、正解と認めてしまってもいいものだろうか。
エドゥアール家というロンドの出自や、彼が使えるようになった系統外魔法である毒魔法に、言いわけにすることは簡単だ。
けれどそんなもの、ロンドが腹をくくればなんとでもなる。
つまるところロンドは――なんとも格好のつかないことに、自分と一緒に生きていくマリーを、幸せにできる自信がなかったのだ。
「今の俺には、あなたを幸せにする自信がないんです。……情けない男で、すみません」
ロンドは生まれつき、自己肯定感の低い人間だ。
誰からも疎まれて生きてきた彼は、ただ一人愛されていると信じていた父から服毒自殺を命じられた。
たとえ毒魔法という新たな力を手に入れても、強力な魔物を倒せるだけの戦闘能力を手に入れて戦いに関しては自信がついても、その根本というのはなかなか変わらない。
変わらない、が……変わる気がないのでは、ない。
むしろその逆だ。
ロンド自身、そんな自分を誰より変えたいと願っている。
「だからマリー様、いや……マリー。待っていてくれないか。俺が何があっても君と生きていけるくらい、世界の理不尽を跳ね飛ばせる強さを手に入れることができるようになるのを」
「……」
身勝手な願いだとは重々承知している。
貴族令嬢は結婚相手を自分で選ぶことはできない。
たとえ好きな人がいたとしても、そんなことは胸の奥に秘めて押しつぶして家にとって最良となる相手と結婚するのが当たり前なのだ。
だがその条件を覆すことは不可能ではない。
魔物被害や隣国との紛争があり武力が何よりも尊ばれるこの世界において、一騎当千の英雄や万夫不当の豪傑は、貴族以上の価値を持つことも少なくない。
ロンドが強くなれば。
エドゥアール家の人間なぞ軽くねじ伏せ、文句を言う奴らを一ひねりにできるほどの強さを得れば。
マリーと結ばれることは、決して不可能なことではないのだ。
お互いが想い合っていても、結ばれるとは限らない。
けれど結ばれるための道筋は、朧気ながらも見えている。
ロンドの身勝手な覚悟を見て取ったマリーは……うっすらと目に涙を溜めながら、笑う。
いつだってわがままを聞き入れてくれるのは、毎回女の方なのだ。
「私……おばあちゃんになっちゃいます」
「それより前に、迎えに行きます」
「約束ですよ?」
「はい、約束です」
ロンドとマリーは見つめ合いながら、再度抱き寄せ合う。
さっきよりも自然に、より密着して。
けれど口付けは交わさない。
彼らは代わりに、約束を交わした。
必ず迎えに来るという、違えることのない約束を。
そして夜が更け、朝がやってくる。
アナスタジア公爵領までの道のりは、あとわずか――。
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