紋章
アナスタジア公爵領の領都クライノート。
孤児院の運営やスラムの住民への職業斡旋などにより、この街の治安は王国の中でも一二を争うほどに良好だ。
しかし最近そんな街に、いかがわしい者達がやって来るようになった。
怪しげな薬を手にやって来た、いかにもという風体をした薬師達だ。
そのせいで今では、一つ路地を曲がれば、無許可で運営をしている露店があちらこちらで見受けられるようになった。
だがそれでも、公爵のことを悪く言う者はほとんどいなかった。
皆がこのような事態になっている理由を、わかっていたからだ。
公爵家令嬢、マリー・フォン・アナスタジア。
父である公爵、タッデン・フォン・アナスタジアが誰よりも愛を注ぐ彼女が毒刃に倒れたことを、領内で知らぬ者はいない。
屋敷よりほど近いところにある職業案内所は、現在毒薬や解毒薬の受付所として動いていた。
そこでは今日も、実際に役に立つかもわからない品々を買い取るいつもの光景が流れている……。
「ふぅ……それじゃあ、次の奴」
受付所の現在の持ち回りをしているのは、公爵家の私兵であるランドと、公爵専属の医師の弟子であるフォールという薬師だった。
彼らの目は、控えめに言って死んでいる。
職務内容は、詐欺師共が持ってきた薬に効果があるかを試し、実効がありかつ未だ買ったことのないものであればそれを買い取るという、商品売買と事務作業の間のようなものだった。
ランドは慣れない剣を交わさぬやり取りに辟易としていたし、フォールは今後それら全てに効果があるのかを実験するのが自分たちなので、面倒だという思いを隠しもしていない。
「これはもう買い取った! 出直してこい!」
「これはただの睡眠薬ではないですか! こんな子供だましに私が騙されるとお思いか!?」
二人とも、というかこの職務をしている者達は全員、果たしてこんなことに意味があるのか甚だ疑問だった。
皆がこんな詐欺師共の売りつけてくるもので、姫が治るわけがないと思っている。
ランドはもっと高名な回復術士を呼ぶべきだと思っていたし、フォールはなんとしてでも解毒薬を作ってみせるという使命感に燃えていた。
つまるところこの仕事は、神経ばかり磨り減って実のない、誰にとっても外れの受け持ちなのだった。
「ランド様、次で最後の人物です」
「よし、通せ」
薬師には秘奥だの秘密だのがあるという理由で、基本的に実演と説明は一人ずつ行われる。
次の者を呼びに行く部下の背を見ながら、ランドは大きくあくびをした。
「はしたないですよ、姫様のための名誉ある仕事でしょうに」
「……お前の見立てで、まともに使えそうな物はあったか?」
「もちろん、全てガラクタでしたよ」
「だったら俺がどんな態度だろうと変わらんさ。まぁ一応、仕事はこなすがね」
そう言って、ペラリと来場予定者のリストを眺める。
そして最後にやってくる人物の紹介とその説明をさっと流し読みした。
「最後の野郎は……ふむふむ、毒使いのロンドというらしい。なんでもこの街にやって来たばかりの新人冒険者らしいぞ」
「もう何度も見てきた手合いですね」
「なんでも毒に造詣が深いらしく、姫を治す方法を持っているのは自分だけだと言っているらしい」
「……誇張抜きで、もう百人は見てきましたよ。どうせ持ってくるのも、煎じたアスピリ草か何かでしょう」
さっさと自分の仕事に戻りたい。
フォールの態度は何よりも雄弁に、そう語っていた。
ランドの方も、自分に少し名前が似ているくらいにしか思わなかった。
彼は意味もなく剣の握りを確認してから、来場者の到着を待つ。
眠気を押し殺して必死に下唇を噛んでいると、ようやくのことで件の毒使いがやってきた。
「初めまして、ロンドと申します」
「俺は衛兵のランド、こいつは薬師のフォール。御託はいいから、何ができるか言ってみろ」
「その前に一つお聞きしたい。私が出す情報は、秘匿しなければ自らの身を滅ぼす劇薬です。もし私が公爵令嬢を治せた暁には、公爵家による身辺の保護をお願いしたいのですがよろしいですか?」
フンッ、とランドは鼻で大きく息をした。
自分のことを高く見せたい手合いがよくやる手法だ。
大事そうに見せてからブツを出せば、本当に価値のある物に見えてくる。
既に何度も見てきた、つまらない詐術師のトリックだ。
「俺の方からは何も言えない。だが親が子を愛する気持ちは、どんな奴でも変わらないと思うぜ。……これでいいか?」
「――はい、今はそれで問題ありません」
ランドは自分は何も保証はせずに、一般論だけを述べて答えを濁した。
一人一人に確約などつける権利は彼にはないし、そんなことをしてやる義理もない。
生意気そうな口を利く毒使いにフォールは目を細めたが、当人は素知らぬ様子であった。
「私は毒を誰にかければいいでしょう?」
「ちょっと待ってな……おい、連れてこい!」
ランドが衛兵に、一つの檻を持ってこさせる。
その檻の中には、くたびれた様子の囚人が入っている。
何を飲むかを見せぬよう目隠しが施され、逃げられぬように手足には枷が嵌められている。
だがこれは、あくまでも同意の上でなされている。
ここで服毒や服薬をするごとに刑期を短縮する、という契約を結んでいるのだ。
既に幾つかの毒を飲み干し顔が青くなっている男を見て、毒使いは一瞬しかめ面をした。
どうやら腹芸の方は、あまり上手くないらしい。
さて、それなら肝心の芸の方はいかがなものか。
つまらない手品を見るような気分で、ランドは囚人に近付く毒使いを見つめた。
「フッ! ――はい、かけました」
「……はぁ? まだなんにもしてねぇじゃねぇか」
男は囚人に触れてから一瞬目をつむったかと思うと、すぐにランドの方を向いてしまった。
まるでもう自分がすることは終わりだ、とでも言うかのように。
「フォール、こういう毒もあるのか?」
「無論あります。自分で予め解毒薬を飲んでから、毒液を握ればいいだけですからね」
「自分は毒を直接相手へ飛ばせます。無論解毒も同じように」
それだけ言うと、ロンドは再び囚人の方を向く。
どうやら毒の効果が出てくるのを待っているようだ。
「だってよフォール、そういうこともできるのか?」
「それは……さすがに無理ですね。解毒薬は基本的に飲用しないと効きませんので」
「ふぅん、それじゃあどんなもんが出てくるか見物だな」
しばらく待っていると、毒の効き目がたしかに現れ始める。
徐々に徐々に囚人は身体をだるそうにし始め、それから数分もするとぐったりと横になってしまう。
「治していいですか?」
「おう、いいぜ」
「……はい、終わりました」
また一瞬のうちに仕事を終えて、ロンドは所在なさげにしている。
その様子を見て最初に異変に気付いたのは、フォールの方だった。
彼の視線は、先ほどまでと打って変わりぐっすりと眠っている様子の囚人に固定されていた。
「ど……どういうことだ?」
「なんだよ、普通に解毒できてるじゃねぇか」
「そんなはずは……いったいどういうカラクリが? 風魔法による肺の圧迫でもああはならないはず……」
フォールは若干取り乱しながら、ぶつぶつと何かを呟き始めている。
こんな彼の様子を見たのは初めてだった。
どうやら彼でもわからないような何かが、今の数分で起こったらしい。
ランドには難しいことはわからない。
ただの優秀な兵士であるだけの彼に、これが曲芸なのか公爵令嬢のマリーを助けられる可能性なのか判断がつくはずもない。
俺にできるのは自分の職務に忠実であることだけだ。
あくまでも事務的に、ランドはフォールより一歩前に出た。
「で、何が目的だ? その毒薬を買って欲しいなら買い取るが」
「最初に言った通りです。俺は公爵令嬢の解毒と引き換えに、身の安全を求めます」
「そりゃあ無理だ。こんな曲芸を見せられただけじゃ、お前をマリー様に会わせることもできん」
「それなら自分が彼女を治せるかもしれないという、証拠を見せてもよろしいですか?」
「見せれるもんなら見せてみろよ」
未だどんな回復魔法の使い手でも治せず、余命幾ばくもないと医師から宣告を受けているマリー・フォン・アナスタジア。
彼女を治せる証拠があるなら、さっさと見せて欲しいものだ。
そんなランドの挑発的な態度にも、目の前に居る謎多き毒使いは眉一つ動かさなかった。
そして何をするかと思えば――彼はいきなり服を脱ぎだしたのだ。
上半身裸になった彼は、今度はランドに挑発的な顔をする。
「これを見たらあなたも当事者です、覚悟はいいですね?」
「おう、やってみろよ―――フォールもいいだろ?」
「ええ、構いません。覚悟などとうにできています」
二人の言葉に納得したロンドは……くるっと後ろを向いた。
一体何を見せられるのか、色々な可能性を考えていたランドは、目に入ってくるのが刺青だったので拍子抜けする。
「おいおい、ゴロツキじゃねぇんだからそんなもん見せられても……」
「魔力紋……しかし龍型など聞いたことも――」
フォールの言葉に、ランドは思わず背中の龍を凝視せざるを得なくなる。
魔力紋――魔法の才ある者にしか現れぬという、神が恩寵を与えた証明。
公爵閣下や公爵令嬢も持っているというそれを、ランドがこうして直に見るのは初めてだった。
魔力紋とは手のひらや腕に宿ることが多いと聞いたことがある。
噂ではその大きさも手の甲に収まるほどだという話であった。
だが今ランドの目の前にあるのは、背中一面に浮き出ている魔力紋だ。
しかもその意匠は―――禍々しい黒龍。
天に吼えているそのドラゴンは、この世の全てが不快であるといわんばかりに厳しい表情をしている。
白い背中との対比でその姿はいっそう気味悪く、そして凄みがあった。
「ポイズンボール」
先ほどと同様に、ロンドが手のひらを囚人へと向ける。
そして彼が伸ばした手の先から、紫色の球体が飛び出し、囚人のいる檻へと飛んでいく。
彼の背中の黒龍は魔法の発動時にその体色を変えた。
そこに現れたのは、魔力による輝きにより変色した、紫龍であった。
そして変色と同時に、その紋様すらも変化する。
魔法使用時の龍は……こちらを睨むように、正面を向いていた。
「――ハハッ、こいつぁすげぇ」
思わず出てくるのは、乾いた笑いだ。
たしかにこいつなら……マリー様を治せるかもしれない。
どうやら最後の最後に、公爵閣下はとんでもない当たりを引き当てたらしい。
二人の驚愕が張りついた顔を見つめ、ロンドは笑う。
「自分、系統外魔法の使い手でして。一刻も早くお役に立ちたいので、公爵閣下にお目通りがしたいのですが」
彼の言葉を聞いて二人にできたことは、急ぎ屋敷へと人を遣わせることだけだった――。
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