つむじ風
それは考えてみれば当たり前の話だった。
魔法において最も大切なのはイメージと創意工夫である。
ロンドは今までにも、毒を液体状にして壁を作り、相手の攻撃を受け止めることができた。
そして毒魔法を気体のように散布させ、相手に毒をかけることだってできた。
――で、あるならば。
毒魔法を固体のように使うことができても、なんら不思議ではない。
「ポイズンウォール……ソリッド!」
「キュウウアアアアアァァッッ!」
グレッグベアが放つ爪撃を、ロンドは新たに生み出した、硬質化させた毒の壁で受け止めようとする。
使う毒は龍毒、形状は壁、込める魔力は多量。
毒魔法を使う際に、毒を圧縮し凝縮させ、固定化させることをイメージする。
すると発動は発動し、今までロンドが使っていたポイズンウォールよりも一回り小さな毒の壁が現れた。
現れた新しい毒の壁は、紫色をした分厚い板に似ていた。
よく見ると、紫色の細い線が格子状になっている。
グレッグベアが手首の捻りを加えて放った爪の一撃。
回転しながら抉るようにロンドへと突き進むその貫手と、ポイズンウォール・ソリッドが激突する。
ギャリギャリギャリッ!
馬車に強引に制動をかけたかのような音をして、毒壁が軋む。
しかし爪に削られてはいたものの、その突き込む力はただのポイズンウォールを貫いていた時よりも明らかに弱くなっていた。
「きゅあっ!」
そして更に、爪の先端から雷撃が放たれる。
大気が割れたかのような轟音。
耳をつんざく大音量の雷が、音と光の衝撃を周囲へと撒き散らす。
一瞬の静寂ののち、音が止み、光が収まり、世界は色を取り戻す。
そしてそこには――グレッグベアの一撃を受け止めてもなお壊れずに残っていた、毒壁の姿があった。
大きく抉れ、ほとんど原形を留めていないとはいえ、たしかにロンドの毒魔法は相手の一撃に耐えきってみせたのである。
ロンドはすかさずグレッグベアのHPを確認した。
グレッグベア
健康状態 毒(龍毒)
HP 1438/3034
最大威力の龍毒をたたき込めたおかげで、相手のHPは順調に減少している。
最初はHPを少し削るのにも苦労していたが、今ではHPも半分を割っている。
相手の攻撃を防ぐことのできる防御魔法を手に入れることができた今ならば、更に容易に時間を稼ぐことができるようになるはずだ。
新たな魔法の発想と、目の前のグレッグベアを相手にしていかに時間を稼ぐか、ということに脳内のリソースを集中させていたロンド。
彼は自身に見落としがあることに、気付くことができなかった。
「きゅう……キュウウウウウッッ!!」
グレッグベアが、ロンドから視線を逸らす。
そしてその身体をくるりと横へ向け――ロンドの脇を抜けるように、駆けていったのだ。
一瞬のうちに、グレッグベアの姿がロンドの視界から消える。
身体がブレたかと思うと、残像を残して一瞬のうちに消えたのだ。
だがこれはグレッグベア側から見れば当たり前の避難行動だった。
ロンドは、自分の命を脅かす危険から逃れるそのもの。
そこから逃れるべく動くのは、生物の持つ本能である。
グレッグベアが向かう先は、未だ自分達の配下の魔物達の残っている方角だった。
恐らくは一度開けた場所へ出て、体勢を立て直すつもりなのだろう。
そちらにいるのは、手負いのエルフ達だけではない。
そこには周囲に毒と雷撃を撒き散らすロンドとグレッグベアの戦闘に巻き込まれぬよう避難していた、マリーとキュッテの姿もある。
そう、ロンドは――目の前の敵を倒すことと、己の毒魔法を改良することに熱中しすぎたあまりに、グレッグベアのことを追い込みすぎてしまったのだ。
まさか自分が、あれほど強力な魔物にまで脅威だと認識されるほどに強くなっていることに、ロンドは逃走を選ばれるその瞬間まで気付くことができなかったのである。
グレッグベアはロンドに脇目も振らずに逃走を開始する。
「なっ――このっ、待ちやがれっ!!」
ロンドが毒魔法を叩きつけるが、グレッグベアはそれを避けることすらせずに逃げ続ける。
「キュアッ!」
結果としてグレッグベアのHPは削れ続けている。
けれどHPが減少するスピードは先ほどまでと比べると明らかに鈍っていた。
ロンドは訝しみながらも、自分に背を向けて逃げようとするグレッグベアへ、大技を放つべく魔法発動の準備を整え始める。
そんな彼の視界にちかちかっと緑色の光が瞬いた。
(――クソッ、あいつ、回復魔法までっ!?)
グレッグベアが自分の胸に爪を当てたかと思うと、全身が緑色の癒やしのオーラに包まれているのだ。
どうやらあの熊は、雷撃だけではなく回復魔法もしっかりと覚えているらしい。
ロンドの足の速さはグレッグベアには到底及ばない。
逃走を選択されれば、両者の距離は開いていくだけだった。
であれば、遠距離から魔法で削る以外に道はない。
大技を使い、残るグレッグベアのHPを一気に削ろうと思考を切り替える。
(ぐっ――ダメだ、間に合わないっ)
けれど未だ彼が放てる最大の魔法であるポイズンドラゴンを使うまでにはわずかに時間が足りない。
向かう先には――その襲撃を避けようとする、キュッテの姿。
見ればグレッグベアは、明らかに彼女をターゲットにしていた。
「キュッテッ!」
「キュッテさんっ!」
見ればマリーも、グレッグベアへ魔法を叩き込む準備をしている最中だった。
けれど彼女も、魔法構築に手間取っていた。
――周囲の熊との前哨戦に始まる長時間の全力戦闘は、気付かぬうちにロンドやマリー達から、集中力と体力を奪い去っていたのだ。
キュッテは魔法を構築させてなんとか進路を変えようとするが、追い詰められたグレッグベアは止まらない。
「キュウウッッ!」
そしてグレッグベアは、キュッテへその牙を――。
「――させないよ。娘を守るのが、父の務めだ」
突如として現れたつむじ風にグレッグベアは勢いを殺される。
「お父、さん……」
巻き上がる風の中から現れたのは、騒ぎを聞きつけてやってきたキュッテの父、オウルであった――。